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2008年02月29日 [近頃思うこと]
日本ブーム
何回かブログでも取り上げたのですが、世界では、日本人が思っている以上に日本ブームです。日本の文化は、昔からブームを呼んでいましたが、もう少し、私たちは自分の国の文化を見直すことが必要でしょう。
JALの機内誌2月号に世界の日本ブームが取り上げられています。
「トレンディーな日本ブーム」ということで、アメリカサンフランシスコで最近話題のレストランパブが取り上げています。一軒目が「ヨシズ」です。
「サンフランシスコで今、新しい和食とエンターテイメントを加えたトレンディーなスポットがブームを呼んでいる。2006年末にオープンした「ヨシズサンフランシスコ」は、全米トップクラスのアーティストたちが演奏する、ハイレベルなジャズハウスと和食レストランが融合した新名所。オークランド店に続く今回の新しい「ヨシズ」は、ライブ客席が417席、ダイニングエリア370席と西海岸最大規模を誇る。ペーパークラフトや、天井から火鉢を吊るし囲炉裏を演出したり、クリエイティブな日本のアートと人気シェフによる創作料理が話題だ。」
料理が日本食というだけでなく、店内装飾も日本的のようです。日本の居酒屋さんのような雰囲気なのでしょうか。もう一軒は、「オズモ」です。
「ベイブリッジを見渡すウォーターフロントに位置する、コンテンポラリージャパニーズキュイジーヌの『オズモ』は、有名人が集う店として知られる高級店。洗練されたメニューと90種類以上の日本酒を扱う同店は、サンフランシスコの「Sake」ブーム発祥の地でもある。モダンななかにも日本らしさが息づくエレガントな内装に、美しく飾られた「酒ボトルの壁」が目を引く。」
相変わらず、日本酒に人気があるようです。野地秩嘉のレポートは、和紙の話です。
「スイスのチューリッヒの業界有数の美術品輸送会社を訪ねた。その会社の美術倉庫は武装したセキュリティーガードが立ちはだかり、契約者しか内部に入れない。ある美術コレクターに連れられて、中へ入ったら、ピカソ、マティス、ルノワール、セザンヌといった巨匠たちの作品が無造作に、しかも裸で並べてあった。倉庫の担当者はこう語った。「年代を経た美術品は管理された温度、湿度のなかに裸で置いておきます。それが美術品にとってもいい環境なのです。常時、梱包しておくと絵が痛みます。ですから、倉庫から美術館へ輸送する場合も梱包時間は24時間以内と決めているのです。そんな美術のプロである彼らが梱包に使う材料が和紙だった。「ビニール製品や洋紙は外界の空気をすべて遮断してしまう。湿度の違う場所へ運び、開梱すると、絵の具の表面が劣化してしまうのです。その点、和紙は空気を通します。通気性があるから古い時代の大切な絵には必ず和紙を使います。彼らが和紙の力を絶賛するのを聞き、以後、私は和紙に対しての認識を改めた。すると、海外でも、日本でも、和紙を使った製品がたくさんあることに気づいたのである。障子、襖、屏風、提灯、行灯、金封、箸袋、懐紙、……。そういったものは海外の日本料理店やデパートに行けば目に入る。そういったものよりも、はるかに頻繁に見つけることが出来たのが和紙を使った照明器具だった。ホテル、空港、カフェに置いてある提灯形のライトは蛍光灯やガラスの照明具の色とは違い、淡いオレンジ色の光を発していた。」
私の園には、スウェーデン製の障子紙のライトが置いてあります。
投稿者 fujimori : 22:17 | コメント (4)
2008年02月28日 [近頃思うこと]
学習
先日園を訪れた方が、台湾に行ったときの話をしていました。
台湾では、年長さんでもうすでに掛け算九九が言えるそうです。しかし、それはどうも無理やりに仕込まれている感じがしたと言っていました。というのは、先生は保育中に一切笑顔を見せず、ずっとしかめっ面をしていたそうです。また、子どもたちの声もどこからも聞こえず、ずっと黙って言われたことをしていたそうです。これは、見てきた人の主観が入っているかもしれませんし、台湾ではどこでもそういう保育をしているとは限りませんが、他の情報からもおなじようなことを聞くことが多いです。
以前のテレビ番組ではありませんが、確かに中国では子どもたちは一生懸命勉強をしているようです。しかし、中国語では「勉強」(mian qiang)は、無理強いするという意味だそうです。「免」はもともと女性が力をいれて出産している様を表した象形文字なのです。ですから、日本語の「勉強する」という意味では「学習」(xue xi)が使われています。私も、「勉強」「教育」という時は余り好きではありません。「学習」のほうがいいですね。しかし、中国では、「学習」よりも「勉強」のほうがあっているかもしれません。しかし、この勉強でも中国では格差があるようです。
中国の農村地方では、満足に小学校にも通えない子どもたちが3000万人もいるといわれています。改革開放政策のひずみから富裕層は惜しみなく子どもの教育にお金をかけ、貧困層の子どもは中学を卒業するのが精一杯という二極化が進んでいるのです。そこで政府もいろいろな対策を打ち出しています。小学校の教育費の一部を公費で負担することが、最近やっと決定しましたが、なかなか大変のようですね。
やはり、先日来園者の話で、絵を描かせるときに一斉に笛を吹いて始める園があると聞きました。それは、日本の園での話しです。私も、以前見学した園で、子どもが立ち上がるときも、歩き出すときも、トイレに移動するときも、ピアノの音にあわせて一斉に列を組んで行動する子どもたちを見ました。整然と、きちんと子どもたちが行動している姿に感動しているようでした。
なにが子どもたちの学習にとって良いのか難しいですね。以前取り上げた郷中教育のいろはかるたの中にこんなのがあります。
「下手ぞとて 我とゆるすな 稽古だに つもらばちりも 山とことの葉」
下手だからといって、練習を怠けてはいけません。「塵も積もれば山となる」といわれるように、諦めずに続けることで上手くなることが出来るのです。「習」という字は、自ら何度も何度も羽を動かして学ぶ姿を現しています。
「知恵能は 身につきぬれど 荷にならず 人は重んじ 恥づるものなり」
知識や技能はいくら身につけても邪魔にはならず、人から尊敬されます。逆に学ぶことを怠けた人は、自分を恥かしく思うことでしょう。この身につけるべきものは、年齢によって違うでしょう。新しい保育所保育指針には、乳幼児期は、豊かな「心情」「意欲」「態度」を身に付け、新たな「能力」を獲得していく過程であると書かれています。昨年最初に出された原案では、「知識や能力」を獲得していくと書かれていましたが、「知識」は削られました。それは、知識が大切でないというのではなく、この「時期」に獲得すべき大切なものではないということです。
投稿者 fujimori : 23:06 | コメント (4)
2008年02月27日 [記念日]
歌舞伎
今月20日は、「歌舞伎」の日でした。1607年のこの日に、出雲の阿国が江戸城で将軍徳川家康や諸国の大名の前で初めて歌舞伎踊りを披露したのです。その4年前の1603年、京都四条河原で出雲の阿国が歌舞伎踊りを始めたのが歌舞伎の発祥とされています。四条河原では、それ以後女歌舞伎が評判となりました。この阿国は出雲大社の巫女であったとも河原者でもあったと言われていますが、はっきりはわかってはいないようです。しかし、彼女の墓は出雲にあり、この間出雲に行ったときにその墓を訪れました。
今、歌舞伎というと「女形」と言われる役柄があるように、すべて男性が演じますが、発祥は女性であるということが不思議でした。どこから、男性が演じるようになったのでしょう。評判になった阿国の踊りは、その時代の流行歌に合わせて披露し、また、男装して当時のカブキ者のふるまいを取り入れて、当時最先端の演芸を生み出したのです。
阿国の踊りが評判になると真似をするものがたくさん現れます。まず、この評判に刺激を受けたのが四条河原町付近にある多数の遊郭です。遊郭が競って遊女達に男装させて阿国の一座に類似した踊りを踊らせ、これを遊郭の客引きに使用しました。これを「女歌舞伎」といいます。これは、風紀を乱すとの理由から1629年に禁止されます。すると今度は、女がだめなら男ならいいだろうと、元服前の前髪を剃り落としていない美少年俳優たちが演じる「若衆歌舞伎」が演じられますが、これもやはり同様に客引きをかねて実施されましたので、1652年に禁止されます。しかし、そんな風紀上悪いものではなく、このような芸能をどうしても見たいというニーズがあり、普通に男性の役者だけを使って演じる「野郎歌舞伎」が演じられます。これが現在の歌舞伎のルーツです。
歌舞伎の語源はカブく(「傾く」が原義)の連用形からとされています。異様な振る舞いや装いをカブキといい、それをする人物をカブキ者と言いました。カブキ者というのは、傾奇者と書きますが、男伊達を競い、派手な身なりや、行動を取る者たちのことをさします。織田信長もそう呼ばれることがありました。歌舞伎の醍醐味が「外連(けれん)味のある演出」といわれるように、はったりやごまかしがある演出ということをいわれるようになったのです。
漢字で歌舞伎と書くのは当て字ですが、その三文字は、「歌い」「舞い」「伎(技芸、芸人)」を意味しています。しかし当初はその発生史から伎ではなく妓の字が使われ、江戸時代には混用していたようです。
江戸時代が終わり、明治になると鹿鳴館に代表されるように、西洋式が良くて日本式は価値がないようにいわれていた時代、歌舞伎も古いものとして見放されそうになりました。しかし、新聞社の経営者であった福地源一郎が、この伝統演芸を再生しようと新思想にもとづく演芸を上演するための新しい劇場を建設しようと考えました。彼はその劇場を建てる場所として歌舞伎にゆかりの深い木挽町を選び、名前も「歌舞伎座」にしたのです。もうひとつ、11月21日も歌舞伎の日とされていますが、これは明治22年の11月21日に歌舞伎座がオープンしたことを記念するものです。
歌舞伎は、日本独特の演劇で、伝統芸能の一つで、重要無形文化財です。今、無形文化遺産保護条約に基づく「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に掲載されており、2009年9月に予定される初の登録での世界無形遺産への登録が事実上確定しています。
歌舞伎界もしっかりして欲しいものです。
投稿者 fujimori : 21:41 | コメント (4)
2008年02月26日 [新聞記事より]
生活の質
先週の日曜日、強風の中、渦の道を歩いてきました。ここは、徳島県鳴門市の鳴門海峡に位置する観光地で、大鳴門橋の橋桁に設置された遊歩道から、渦潮を見下ろすことができます。渦潮とは、潮の干満の差の激しい狭い海峡で発生する海水が渦を巻きながら激しく流れる現象です。
直接関係はありませんが、連想として、小説家・林芙美子が発表した小説「うず潮」を思い出しました。この小説や林の人生を題材にした映画作品やNHKの連続テレビ小説「うず潮」がありましたね。このドラマは、初めての無名新人の林美智子を主役にしたことで有名です。1964年に放送されたNHKの連続テレビ小説の第4作で、少女期の貧しい生活にもへこたれず、明るく生きていくヒロインの生涯を描いていました。
この原作者林芙美子のほかの作品に、「放浪記」があります。先日、新聞記事に「日本を代表する女優の森光子(87)が金字塔を打ち立てた。」ということで、東京・日比谷のシアタークリエで上演中の代表作「放浪記」が先日23日に、上演1900回を達成したというものです。1961年の初演以来47年、よくがんばったものです。長い間というだけでなく、現在87歳になっても、あのハードな演技を続けているのですからたいしたものです。今回の東京公演から、あの有名なシーンである「でんぐり返し」は、やらないらしいですが、花粉症に悩まされる中で、3月末までの3カ月公演を続けています。
「風邪をひかないこと、転ばないことを心掛けています。年齢にケンカできるものではありませんから」と高齢であることを冷静に自覚した言葉も話しています。
高齢でがんばっているといえば、1911年(明治44年)生まれの聖路加国際病院名誉院長・同理事長で医師である日野原 重明がいます。
この日野原さんが主宰している「新老人の会」の会員である松原さんが、新聞に「若々しい老い」について、投稿をしていました。この会の登録者から得た調査票では、老人のQOL(生活の質)の高さには、「気力」が「体力」にもまして影響力が大きいこと、「体力」には睡眠、運動、食事のとり方、病気の有無などが影響していることが明らかになっています。そのほか、趣味、けいこやボランティア活動など日常生活のあり方が「気力」に大きな影響を与えているという結果も出ています。
森さんと日野原さんの二人を見ていると、まさに、老人のQOL(生活の質)は、気力にあるという気がします。QOLとは、「Quality of Life」のことです。健康に問題ない方は、体のどこにも異常はなく、普通の生活をしている。これをQOLが良いと言います。しかし、体の調子が悪く、病気になると、頭や体が痛んで、仕事や勉強、運動などをする気になれず、寝込んでしまうことが多く、このように日常の生活を送れない状態をQOLが悪いと言います。昔はこういう苦痛があるときには、草を煎じて飲んで楽になろうとしました。これが「薬」です。しかし、最近は、この生活の質は薬でよくなるのではなく、食欲の改善、体重の維持、睡眠、適度な運動、そして、何よりも生きる意欲、気力が大事だということがわかってきたのです。
日本の子どもの意欲がなくなってきていることが心配です。
投稿者 fujimori : 23:05 | コメント (3)
2008年02月25日 [地域を知る]
オリーブ
先週末訪れた二十四の瞳の舞台である小豆島は、 瀬戸内海・播磨灘にある島で、小豆島町、土庄町の2町があります。古くは、小豆島(しょうどしま)を「あづきしま」と読んだそうです。小豆島の名産といえば、すぐに思い出すものは、「手延べそうめん」です。
そうめんは、奈良時代に弘法大師によって、唐のお菓子「索餅]の製法が伝えられ、この索餅がそうめんの原形といわれています。索餅は現在のそうめんの形とは違い縄状によじった太く短いものだったようです。索餅は製法の改良で長くて細い形状に変わり索麺といわれるようになり、その製法が鎌倉時代に伝えられました。これを日本では「さくめん」と言っていましたが、中国語でソービンと発音されていました。そして、その発音に即して「素麺」と書かれるようになったのが素麺の名の由来だといわれています。日本の手延べそうめんの製法は今から約450年前、中国から現在の奈良県桜井市三輪に伝えられたのが初めてとされています。それが、「三輪素麺」です。恥ずかしながら、以前奈良桜井に行ったときに三輪山を見て、初めて三輪そうめんが奈良であることを知ったのです。そのほかの産地としては、西日本に多く、小豆島も、気象条件がそうめんの製造に適しているところから、産地になっています。
実際に訪れた目立った生産品は、醤油と佃煮でした。小豆島は良質の塩の産地であり、しかも地中海地方によく似た温暖な気候風土だったために醤油づくりに適し、約四百年もの昔、文禄年間に始まったともいわれています。また、古くから海上交通の要衝として海運業が盛んだったなどの諸条件がうまく重なり合い、醤油づくりの島へと発展していったのです。当然、醤油と海産物を使う佃煮も盛んになっていったのでしょう。
しかし、なんといってもオリーブの生産で有名です。小豆島のオリーブ栽培が始まったのは、1908年4月22日のことで、今「オリーブ百年祭」が開催されています。香川、三重、鹿児島の3県に植えられたオリーブのうち小豆島に植えられたオリーブだけが根づき、以来、小豆島は「日本のオリーブ栽培発祥の地」として知られるようになりました。
この時に小豆島に入ってきたオリーブは、残念ながら現在1本も残っていないそうですが、最初に入ってきた木から1915年ころに挿し木したものが、原木の碑の周辺に約10本植わっています。ですから、オリーブは香川県の県の木、県の花に指定されています。
今回、オリーブオイルをいただきましたが、ほかの植物油はすべて種子を搾るのに対し、オリーブオイルは果肉を搾るのでスクワレン、ビタミンA、E葉緑素など天然の有効成分がたっぷりと含まれているそうです。また、1価不飽和脂肪酸のオレイン酸が多く含まれており、動脈硬化を促進させる悪玉コレステノールの血中レベルを低下させ、動脈硬化を予防する効果が期待できるそうで、この歳になると良さそうですね。
日本に始めてオリーブオイルが持ち込まれたのは、約400年前の安土・桃山時代だったようです。当時、キリスト教伝道のため来日したフランシスコ派のポルトガル人神父が携えてきたものだったので、当時はポルトガルの油、訛ってホルトの油を呼んでいたようです。その後、江戸時代の鎖国政策で、オランダの医師およびオランダの医学を学んだ一部の蘭方医が医薬として使用されていた程度でした。しかし、今また輸入自由化により安価な外国産のオリーブオイル、テーブルオリーブスが大量に輸入されるようになり、国内の栽培は急速に減少し、現在では小豆島を中心とした一部に地方の特産物として見られるにすぎなくなってしまいました。
自然とおなじように、国産をもっと大切にしてもらいたいですね。
投稿者 fujimori : 19:52 | コメント (4)
2008年02月24日 [教員の頃]
子どもの瞳
少しの間小学校の教員をしているときのことです。前の先生との引継ぎのため、3月末の数週間だけ5年生を担任しました。数週間の間だけでしたが、担任していた5年生は随分と慕ってくれました。あるとき、子どもたちが「先生のうちに遊びに行きたい!」と言ったのですが、4月からは1年生の担任になることが分かっていたので、5年生とは余り深くならないほうが6年に担任になる先生がやりやすいだろうと思っていたこともあって、住所は教えませんでした。私の家は、その小学校からは4Kmくらい離れていました。あるとき、帰宅をすると、子どもたち数人が私の家にいるではありませんか。どうしてここにいるのか聞いてみると、「どうしてもみんなで先生のうちに来たかったので、他の先生に住所を聞いても町名しかわからないと言われた。だから、クラスみんなで手分けをして、毎日その町内を端から数日かけて探していたのだ。そして、やっと見つけたのだ。」と言うのです。そのときは、とてもうれしかったのですが、怒った振りをして、「ダメじゃないか。勝手に来ちゃ。」と言って、家に連絡をして、一緒にお菓子とかを食べて帰しました。
そのとき、ふと、壺井栄の「二十四の瞳」を思い出しました。何回か映画になっていますが、瀬戸内海に浮かぶ小豆島を舞台に、戦前から戦後にかけての女教師と12人の生徒たちの交流を感動的に描いています。その中の前半で特に感動を呼んだ部分は、
「足を怪我して学校を休んでいる大石先生を見舞うため、子どもたちは歩いて先生の家に向かいます。ところが迷子になってしまい泣きながら歩いている生徒達をたまたまバスで通りかかった大石先生が見つけ、その後、大石先生の家で子どもたちは大いにもてなされ、記念写真を撮り、船で帰っていったのです。」

この場面を本を読んだ当時は感動しましたが、5年生がやっと私の家にたどり着いた姿を見ていて、教師をしていると、本になるような感動することは普段たくさんあるのだ。子どもたちとの毎日は、本や物語の中の話に比べて、感動の連続だと思ったものでした。保育者とか教師はそんないい仕事だと思うのですが、最近はどうもそうとはいえないようで、悲しいですね。
そんな二十四の瞳の舞台である小豆島に行ってみました。ここには、1987年の映画「二十四の瞳」の舞台として使われた分教場がそっくり残されています。

その建物は、実際に明治7年に開校し、昭和35年8月田浦尋常小学校として建築され、昭和46年3月24日に廃校されるまで「苗羽小学校田浦分校」として使われていました。その建物は、小豆島町田浦地区よりさらに600m南、瀬戸内海を見渡す海岸沿い約1万平方Mの敷地に作られた大正・昭和初期の小さな村の中に建っています。

「昭和三年四月四日、農山漁村の名が全部あてはまるような、瀬戸内海べりの一寒村へ、若い女先生が赴任してきた。」との書きだしで始まる小説「二十四の瞳」のなかの大石先生と12人の子どもたちの姿が目の前にそのまま現れたような錯覚に襲われます。薄暗い教室にはオルガンが一台、小さな二人掛けの木の机が六つ、教室の壁には様々な掛け図や、子どもの作品などが飾られています。窓からは、遠くに島影を持つ海が広がっています。この小説は、その後それぞれの子ども達が悲惨な戦争に巻き込まれ、その犠牲になっていく姿が描かれていますが、今の時代は、その頃と比べて、どこが平和になったのか、何が変わったのかと考えてしまいます。
投稿者 fujimori : 23:45 | コメント (4)
2008年02月23日 [講演先にて]
宇和島
各地に「にほんの里100選」にノミネートされている里があります。その中で、愛媛県には一箇所候補に上がっています。その地域は、今年度文化庁の「重要文化財景観」に全国で3番目に選定を受けた「宇和島市遊子水荷浦(ゆすみずがうら)の段畑」です。
江戸時代の宇和海は、鰯の好漁場でした。鰯漁にたずさわる人々が宇和海沿岸部に居住し、自給自足のために段畑を開墾しました。ちょうど里のブログを書いた数日後に、この段畑を訪れることが出来ました。
この地域は、歴史的にも意味があるのですが、これまで段畑を守ってきたのは、地元のおじいさん、おばあさんたちだけでした。そこで、石垣の老朽化や後継者不足もあって、このままでは近い将来、段畑が消えてしまうことになるのではないかということで、地元の方たちが立ち上がり、「段畑を守ろう会」が2001年設立されました。
このあたりでは、江戸末期ころ、斜面を削ってジャガイモを植えていました。しかし、斜面が急なこともあって、大雨が降ったら土が流れてしまいます。そこで、石垣を築いたそうです。当時一面の段畑だったそうです。しかし、しだいに、魚の養殖が盛んになってきました。今でも、真珠や鯛やはまちの養殖がいたるところでされています。すると、畑の仕事をしていた連中は、みんな収入の多い養殖をやるようになり、畑をやる人手が足らなくなり、畑は荒れ放題になります。ですから、今残っている段畑はこの遊子でも日当たりが良くておいしい馬鈴薯のとれる水荷浦だけになってしまっているのです。
段畑での農作業は、経済効率からいうとまったく成り立たない重労働なのだそうです。しかし、地元の方々がこの景観を残そうと努力をして守っています。
この宇和島には築城の名手といわれる藤堂高虎が築城したといわれる「宇和島城」があります。市街の中央、海抜約80メートルの城山に三重三層の天守閣を頂く宇和島城は、その均整のとれた美しさから別名「鶴島城」と呼ばれ、築城以来約400年の歳月を経ており、現存する12ヶ所の天守閣のうちでも江戸時代様式を留める貴重なものとして国の重要文化財に指定されています。
苔むした急な石段を登っていくと、開花し始めたウスベニカンザクラの後ろに、不等辺5角形をしている城の城郭が見えてきます。
この早咲きの寒ザクラはとても香りがあり、蜜光を求めて小鳥達が集まってきていました。空高く、青空の下、ピンヨロー、ピンヨローとたのしげに、輪をかいて飛んでいるとんびが見られます。この城を訪れたとき、ちょうど12時の時報としてこのトンビの歌が流れてきました。空高く飛んでいるトンビや、桜の蜜を求めてくる鳥たちを写真におさめようとしましたが、うまくいきませんでした。
随所に築城の名手と言われた高虎ならではの工夫が見られる宇和島城ですが、高虎が今治に転封となってのち、奥州仙台藩主、伊達政宗の長子秀宗が宇和郡10万石を賜り、元和元年(1615)に入城します。そして、2代宗利の時、天守以下城郭の大修理を行い、寛文11年(1671)に完成し、現在までその姿が残されています。
各地には、人々の生活を支えてきた自然との共生、また、自然と調和するように作られてきた文化遺産、大切にしたいものです。
投稿者 fujimori : 17:24 | コメント (5)
2008年02月22日 [近頃思うこと]
大人
ピーターパン症候群と呼ばれているピーターパンというのは、今の人はディズニーのアニメからの印象が強く、フック船長と戦ったり、様々な冒険をする少年のイメージがありますが、もともとは、J・M・バリが子ども向けの小説ではなく、大人用に書いた劇の脚本です。しかし、作者のバリによって何度も書きかえられているので、その内容は必ずしも一貫していませんし、ピーターパンの性格もまちまちです。しかし、私が、以前ある雑誌の連載の中で、このピーターパンの逸話から子育てを考えたことがありました。その逸話は、「ウェンディ版」と呼ばれるもので、その中でピーターパン自身が語って聞かせる彼自身のおいたちです。
「ピーターパンは生れた日に、両親が、彼が大きくなったら何になるか話しているのを聞いて、そんな人のことを勝手に決めるなんてたまらないということで、ケンジントン公園に逃げ出します。そして、妖精たちと何か月も家をはなれて暮らしていました。あるとき、思い立って家に帰ってみました。しかし、喜んで迎えてくれると思っていた母親は、無視をして、窓を開けてくれません。しかも、ピーターパンのベッドには、べつの小さい男の子が眠っています。そこで、ピーターパンは、大人になることを拒否することに決めたのです。」
この話しから、私は、子どもが大人になることを拒否するということを「自立していかない」とし、「依存症の若者」としたときに、その原因は、親の過干渉ではないかと思います。そして、親が過干渉になってきた原因は、少子化が進んできて、子どもに大人からの目が行きやすくなったことではないかと思います。
2月14日付の編集手帳にこんなことが書かれていました。
「儒学者、荻生徂徠が徳川吉宗の内命を受けて著した書物「太平策」のなかに、元服を早める当時の風潮を嘆いたくだりがある。修養の足りない者が大人の扱いを受けている様子はあたかも「匕首(あいくち)に鍔(つば)を打ちたるよう」、小刀に不釣り合いな鍔をつけたようだと。いつをもって成人とみなすかは、江戸の昔から議論になっていたようである。大人とは何だろう。個性ある記述で知られる「新明解国語辞典」(三省堂)は、「自分の置かれている立場の自覚や自活能力を持ち、社会の裏表も少しずつ分かりかけて来た意味で言う」と説明している。 ―中略― 歌人小池光さんに一首がある。「人間ができるまで十七年か七十年かは人によりけり」。日々の新聞が報じる美談や醜聞を見れば、立派な鍔の似合いそうな年若き名刀もあり、鍔を没収したい老いたる匕首もある。なるほど、「人によりけり」だろう。」
大人とか子どもとかいう概念はなかなか難しいですね。しかし、最近、どうも何かに依存しないと不安になる人が多い気がします。編集手帳に書かれている国語辞典の「自分のおかれている立場の自覚や自活能力」が欠けてきているようなのです。自覚がないと言うのは、いわゆる「自尊感情」が育っていないのです。ですから、子どもができても、自分自身が親になりきれず、または、子どもに依存してしまうのです。ですから、苦情やクレーマーの保護者は、子どもが大切なのではなく、無理やりに親として振舞おうとしたり、自分の存在をアピールしようとするのです。
少子社会は、様々な影を落とし始めています。
投稿者 fujimori : 23:53 | コメント (4)
2008年02月21日 [近頃思うこと]
お子様
今発売されている読売ウィークリーの記事の中に「飲み会“ウザい”を上手に誘う法
“お子様社員”のしつけ方 自己愛・ミーフェチ世代」というものがあります。このミーフェチ世代とは、アサツウ ディ・ケイの岩村室長が、思春期にさしかかっても他人の目を気にせずに自分の気分に従って行動し、何よりも「自分が気持ちいいかを大切にする傾向が見られた自己愛の強い世代を指した言葉です。この世代が今、職場に進出してきていると言うのです。彼らの特徴を、「面倒なタテ関係イヤ」「KYを恐れ4、5人でつるむ」「自分本位で協調性を欠き、やたら態度が大きい反面、めっぽう打たれ弱い。」そんな特徴を持った「お子様」な若手社員が増えているといいます。しかし、それらの特徴は、何も若手社員だけでなく、最近、園児の保護者にも見られる傾向のような気がします。
彼らが出現した背景にある「子育て」や教育現場の変化を岩村室長は、こう考えています。「この世代の子どもたちの母親が子育ての手本にしたのは、当時相次いで創刊された育児雑誌だった。それらで強調されていたのが、子どもには、無理や我慢をさせたり、頑張らせてストレスを与えるより、その子なりのペースを大切にして育てるべき、という考え方だった。育児書の教えに従って「自分のペース」で育てられた子どもたちが就学期を迎えるころ、教育現場にも変化が生じていた。個性の重視をうたった新学習指導要領が策定され、小学校では92年度から指導要録が改訂され、相対評価から個人の達成度などを見る絶対評価に変わった。競争排除の機運も高まり、小学校の運動会からと競争などの個人競技が消えたりした。そうやって周囲の人々との関係で自分を相対的にとらえられなくなったのは、当然かもしれない。育った環境のせいか、彼らには「尊大」という特徴もある。「調査した子どもたちは、自分は一人前で大人と対等という意識が強く、子ども扱いを嫌う傾向にありました。社会に出ても、何も出来ないうちから先輩たちと同等に処遇されることを当然と思うかもしれません。」
「お子様社員」とか、「お子様保護者」とかいう言葉を聞くと、もうひとつ似たような言葉を思い出します。1983年にアメリカの心理学者のダン・カイリー博士の著した「ピーターパン症候群(原題:Peter Pan Syndrome)」で提唱された精神疾患としての概念です。この本の中で、ピーターパン症候群は「成長する事を拒む男性」として定義されていますが、その心理学的な特徴としては、「言動が子供っぽい」だけでなく、「精神的・社会的・性的な問題をはらんでいる」という事が挙げられています。それは、もともとこの概念は、大人に成れない恋人や息子、それに夫のことで悩む婦人への治療指針として書かれたものだからです。ここで定義される大人になりきれない男性の特徴を、「人間的に未熟でナルシズムに走る傾向を持っている」「無責任」「反抗的」「怒りやすく」「依存的」「ずるがしこい」「価値観が世間一般のものや法律を飛び越している」などとカイリー博士はあげ、また、ピーターパンは年齢的には大人の男性である“少年”で、母親に甘えている時や甘えたいと欲している時に、母性の必要を演じる傾向があるとも述べています。
週刊誌で言う「お子様社員」と共通なものが見られますね。ということは、どうも、その出現の原因である分析は少し違う気がします。もう少し明日も考えてみたいと思います。
投稿者 fujimori : 22:35 | コメント (4)
2008年02月20日 [新聞記事より]
里
身近な自然環境を見つけようということで、森林文化協会と朝日新聞社が、「くらしが育んだ里を未来へ」ということで、人々の暮らしによって育まれてきた、すこやかで美しい里を100カ所選ぶ「にほんの里100選」選定事業を行っています。このイベントは、「里」の大切さを見つめなおし、地域の自信や活力につなげるとともに、生物多様性の確保や地球温暖化防止、自然の持続的利用に寄与する試みでもあるようです。その候補地を募集していますが、どんなところが選ばれるのでしょう。
この対象となる「里」は集落と、その周辺の田畑や野原や草地、海辺や水辺、里山などの自然からなる地域のことです。選定基準としては、景観、生物多様性、人の営みの3要素です。「景観」とは、「暮らしが生み出した特色ある景観が、まとまりをもって見られる。あるいは、里の景観が全体として調和していて美しい。」ということで、「生物多様性」とは、「かつては里でよく見かけた動植物が今もすこやかに生きている。あるいは、そうした生き物や生育・生息環境を再生する試みなどがある。」ということで、「人の営み」とは、「景観や生き物を支え、里のめぐみを生かす暮らしや営みがある。あるいは、そうした暮らしを築き持続させようとする人々がいる。」ということです。この条件は、選定基準としてだけでなく、私たちが身の回りの環境を守るためにも大切な要因ですね。まさに、「共生」とはどういうことかを表しています。
選定委員長である映画監督、山田洋次さんは、48作続いた「寅さん」シリーズなどで、旅情や郷愁をかきたて、ぬくもりのあるロケ地を探して各地を回り、里の景観にも詳しいそうですが、この寅さんシリーズの映画は、エコに関しても海外でとても評価が高いと聞いたことがあります。買い物には買い物籠をもって行き、風呂敷に包み、豆腐を買いに行くときになべを持っていき、醤油などはびんにつめてもらうというような庶民の生活が描かれています。この委員長を務めるにあたって、山田さんは、「寅さんの撮影は、地方の美しい景色が消えていく後を追うことに似ていた。絶望は簡単だ。だが、まだ早い。まだ美しい里はある。大事なことは、暮らし方や生き方だ。写真には写らない取り組みを取り上げたい」と話しています。
ほかの委員では、カナダ生まれで、農山漁村に魅了され、日本の海岸線の8割を踏破しているエッセイストで宮城大准教授(環境歴史学)の、あん・まくどなるどさんは、「南北に長い日本は土地ごとの表情がある。四季を感じさせる100選になればと思う。漁村にも注目したい」と言っています。京大大学院教授(緑地学、景観生態保全論)の森本幸裕さんは、「里は全体としてまとまりのある美しさを示しており、含蓄のある言葉だ。里の中身を問い、深化させていきたい」といい、ヒトこそが、持続可能な生態系の再生に知恵を絞るべきだと訴える東大大学院教授(植物生態学、保全生態学)の鷲谷いづみさんは、「里でふつう見られた生物で、みかけなくなったものも多い。生き物へのまなざしを取り戻すきっかけにしたい」といい、 朝日新聞編集担当の粕谷卓志さんは、「食への視点もあっていい。美しさ、おいしさ、そして健康といった多様なものが人々の心に残る里100選にしたい」と抱負を述べています。
それぞれの人の言葉の中には、環境を述べる上で参考になる考え方が入っています。
投稿者 fujimori : 23:20 | コメント (4)
2008年02月19日 [近頃思うこと]
自然音痴
Asahiコラムに「風を見た少年」などの著作で知られるナチュラリストC・W ニコルさんが、こんな談話を載せています。「言葉から自然が失われている」というタイトルで、「木を見てその名を言えるだろうか」というものです。私のブログでは、なるべく星、草木、季節といった内容を子どもの話題に挟んで書くようにしていますが、人として生きていくうえで、自然と共生をしていく意識を持たないと、どんなにえらそうなことをいっても、その内容は自分のためだけから言っているようにしか聞こえません。
しかし、興味はあっても、自然のことを知るのはなかなか大変です。というのは、最近の生活は、特に東京では自然と共生していかなければ生きていけないということが少ないからです。ですから、たまに大雪が降ると困ってしまうのでしょう。ニコルさんの談話の中で、30年ぶりにフィリピンのルバング島から帰還した小野田寛郎さんが語った言葉、「日本は「自然音痴」になってしまった」を紹介していますが、本当にそう思います。ニコルさんは、国公立大学の学生でも、10の木を指さして名前を言えれば優秀な方で、あなたはどうでしょうかと問いかけています。私は、もう少し言えますが、樹形を見たり、樹皮を見たり、木の葉を見たりしただけでその木の名前を言えるのは10種類くらいかもしれません。
木の名前だけでなく、星の名前も、花の名前も、鳥の名前も、魚の名前もせめて10種類くらい言えてほしいです。東大にストレートで合格した高校の頃の優秀な同級生と食事に行ったとき、水槽の中で泳いでいる「はまち」を見て、「鯉」が泳いでいるというのを聞いて、東大に入学するためには、ある部分に偏らないとだめなのかと思ったものでした。
ニコルさんの談話の最初にこう言っています。
「初めて私が日本の土を踏んだのは45年前、まだ22歳の時でした。日本の自然の美しさは衝撃的でしたね。しかし、その頃からどれほどの勢いで森や川が破壊されてきたことか。自然というものが人間の営みの根本であることを忘れ去り、目の前のビジネス、金もうけに突き進んでいく姿を悔しい思いで見続けてきました。」
アースという映画を含めて、確かに環境問題について論議することも必要でしょう。しかし、まず身近な自然について、関心を持ち、知ることも必要な気がします。園の近くを流れる神田川は、どう見ても川というものではありませんが、それでも鯉は泳ぐようになり、たまに鷺やかもめを見ることもあるくらい昔の姿に戻ってきています。ニコルさんが子どもの頃のテムズ川は腐って死んでいたそうですが、いまはサケが上り、ロンドン郊外までカワウソが戻ってきているそうです。なぜそれが実現したのかというと、大きなテムズ川を一度によくしようとしたのではなく、あちこちにできた約1万2千の小さなモニタースポットのチェックから事は始まったのです。そのように、どんな小さな川であっても、小さな林であっても、そこに目を向けることが大切であると訴えています。
小さな川、小さな林は、人間の体で言えばごく末端の細い血管ですが、その詰まりをていねいに調べ、それをきれいにしていくことで、体全体を流れる動脈が健康になっていくことにたとえています。
アースという映画で、壮大な自然を感じましたが、目を転じて、小さな自然にも関心を持って欲しいですね。
投稿者 fujimori : 23:23 | コメント (4)
2008年02月18日 [近頃思うこと]
時代のキーワード
餃子からはじまった安心食材について、週刊誌ではどこかで取り上げられています。今回の事件からだけでなく、最近、無農薬野菜や、有機栽培、無添加食品など関心が高まってきています。2月18日の朝日新聞朝刊に「国産食材の店「緑提灯」じわり広がる/「安心」「農業」イメージ」という記事が掲載されていました。
「国産食材を主に使う飲食店を応援しようと、「安心」や「農業」を発想させる緑色の提灯を店先に掲げてPRする運動がじわじわ広がっています。中央農業総合研究センター(つくば市)所長丸山清明さんが5年前、札幌赴任中にスーパーや飲食店に道産品が少ないのを疑問に思い、遊び心から発案。提灯の対象は、国産食材の使用が半分以上(カロリーあるいは重量ベース)の店で、国産使用率に応じて1~5個の星印付き。星は自己申告制で50%以上から10%上がるごとに増え、90%以上で「五つ星」。05年の北海道を皮切りに広がり、現在全国で168店(最多は東京41店)に。街に緑提灯、見かけるかもしれません。」
赤提灯から緑提灯への転換の試み、私だったら、ぜひ寄りたいですね。昨日の日曜に、あるデパートのレストランに行ってみて驚きました。デパートのレストラン街は、かつての「お好み食堂」から様変わりをしています。デパートの大食堂は、家族そろって食事をする場所としてデパートに行くひとつの目的でもありました。その食堂の特徴は、家族がみんなで行くことができるようにと、メニューが多彩でした。和、洋、中、子どものためにお子様ランチという、ひとつの皿にさまざまな種類のものが乗り、楕円形のお椀型に盛られたケチャップライスの上には、旗が立っていました。そして、デザートとして、パフェやアイスクリームも必ずメニューに必ずありました。
最近のデパートのレストラン街は、それぞれの老舗料亭から、有名レストランなど、特徴がある店が並んでいます。ですから、逆に、どの店に行ってお同じような店が並んでいることがあります。しかも、全国どこに行っても主要都市のデパートには、同じような店が並んでいます。それが、昨日行ったレストラン街では、その店の前に書かれたこだわりに共通がありました。
ある店には、「九州福岡発の健康をテーマにしたビュッフェスタイルの健康家族応援レストランです。木のぬくもりと人のぬくもりが感じられる空間で、体に優しいお料理をお好きなだけお召し上がりください。」
キーワードは、「健康」「体に優しい」です。
うどん店には、「落ち着いた雰囲気のインテリアで女性一人でも入りやすい、オシャレなうどん専門店。こだわりの讃岐小麦「さぬき夢2000」を使った豊かな風味とふくよかな食感の自家製うどんをご賞味ください。」
キーワードは、「女性一人」「国産小麦」「自家製」です。
次の店には、「生パスタはデュラムセモリナ100%で無添加。素材を活かしたオリジナルソースとともにどうぞ。」
キーワードは、「無添加」「オリジナルソース」です。
これらのレストラン街でのキーワードを見ても、これからの時代がわかりますね。
投稿者 fujimori : 23:55 | コメント (4)
2008年02月17日 [近頃思うこと]
「寒」
立春を過ぎたというのに、今日はとても冷たい風が吹いています。このような寒さを「寒の戻り」あるいは「余寒」というのでしょう。このころは、一時的に冬型の気圧配置となり、再び寒さが戻ってくることがあります。このように、しばらく暖かい日が続いた後、寒さがぶり返すときがあります。その寒さを、その季節毎に違った言葉で表現します。
4月になって、桜が咲く季節にお花見に行って妙に肌寒い日もあります。そんな日のことを「花冷え」と表現されています。また、5月に入って新緑のシーズンに、時折、若葉も震えるような冷たい空気に覆われる日がありますが、そのような日のことを「若葉寒む」といいます。6月になると日本列島はどこも早くも初夏を思わせるほど暑い日がありますが、北海道ではまだまだ寒い日が戻ってくることがあります。そんな日のことを、この時期北海道で満開になるライラックの花にちなんで、ライラックの別名のリラから、「リラ冷え」といわれています。7月に入るころになると梅雨になります。そのころも寒い日があることがあります。それは、雨の季節に東風が吹き込み、太平洋側の地方では数日間肌寒さが続いてしまう事があります。それを「梅雨寒む」と表現します。
そんな寒の戻りの今日ですが、もちろん、「寒」とは、暦の上で寒さが最も厳しいとされる期間のことを指します。寒中とも寒の内ともいいます。二十四節気の小寒の日から立春の前日(節分)までの約30日間で、大寒の日がほぼ中間となります。この「寒」に入る「寒の入り」は、「小寒の日」のことをいい、「寒明け」は、立春の日です。
よく子どものころに歌ったわらべ歌に「おーさむ こさむ やまから こぞうが とんできた なんといって とんできた さむいといって とんできた」というのがありますが、どうも耳から聞いて歌った歌詞は少し違うようです。「おーさむ」は、「お~寒い」と言いながら小僧が飛んできたのかと思っていました。実際は、この「おおさむ」「こさむ」は「大寒」「小寒」のことです。「大寒 小寒 山から小僧が 泣いて来た なんといって 泣いて来た 寒いといって 泣いて来た」という歌詞が本当のようです。
道を歩いていると居酒屋の看板に「寒ぶり」という字が目立ちます。ぶりは旧暦の師走に最高の味となることから、『魚へん』に『師』と書きます。特に、真冬の最も美味しくなった時期のものを「寒ぶり」と呼んで、古くから真冬の味覚の代表として賞味されています。同じように「寒」の時期にとれる「真ダラ」のことを寒鱈といいます。この寒鱈も、厳寒の日本海の荒波にもまれ脂がのってとてもおいしい魚です。
この「寒」が着くもので思い出すものに「寒椿」「寒牡丹」「寒桜」があります。
寒椿は早咲きの椿のことで、冬椿とも言います。もともと椿は春の季語ですが、冬に咲く椿のことを俳句では、「寒椿」または「冬椿」といいます。
緋寒桜は、別名、寒緋桜とも言いますが、まだ寒い早春に、新らしい葉より先に、緋色または濃桃色の小花を、枝一杯に咲かせます。

今日の「百草園」で、蝋梅、梅、水仙、福寿草が咲き乱れる中で、少し季節はずれかと思う花を見つけました。その花の形は、5月の節句のころに咲く「アヤメ」に似ています。その花にそばの札に「かんざきあやめ」と書いてあります。
日本の季節感は、「寒」という字ひとつとってみても、とても繊細ですね。
投稿者 fujimori : 18:14 | コメント (5)
2008年02月16日 [行事]
ドイツの行事
ホームページが盛んに作られている今、それによってどんな情報を得るのでしょうか。また、発信側は、何を情報提供するのでしょうか?情報の保護が叫ばれている半面、情報公開が言われています。保育所において、入所が、措置から保護者の選択になって、児童福祉法の中に、保育所についての情報提供が市町村に義務付けられています。その内容として、当時の厚生省児童家庭局長通知の中に、「1日の過ごし方、年間行事予定、保育方針、職員の状況、保育の内容に関する事項」とされています。これらの情報提供の媒体として有効的なものが、園のホームページであることは、今は当然になりました。
しかし、これらの内容を、本当に地域住民や保護者にわかりやすいような表現で提供をしているのでしょうか。どうしても、行政から出す一覧簿のように、表にしたり、人数を並べたり、決まりきった内容になってしまいます。行事ひとつにしても、カレンダーのようにいつ何をするかだけを書くことが多くなります。もう少し、行事にどのように取り組んでいるのか、何をねらいにしているかなども表記すると、わかりやすくなります。職員の状況も、どうしても保育士何名、調理員何名というような書き方が多くなります。海外の園のホームページは、スタッフを写真で紹介するところが多く見られます。子どもも事前に先生の顔を見ていると落ち着くかもしれません。
情報として、「保育の内容に関する事項」を、本当にわかりやすく見せるのは大変です。写真で行事や、保育風景を見せるのも一つの方法かもしれません。そうした情報は、保護者が園を選択するための材料とするだけでなく、地域に活動を知らせることにもつながりますし、他園にとっても参考になります。
ある園でこんな話を聞きました。保護者会である保護者が、「この園の理念は何ですか?」と質問したとき、それに即座に答えられない園長が、少しの間考えて、笑いながらこう答えたと言います。「それは、企業秘密です!」理念を持たない園長としてはすばらしい答えかもしれませんね。

昨日のブログで、ホームページに掲載されていたドイツの保育室内の写真を紹介しましたが、ずいぶん参考になりました。同じように、ドイツのある園のホームページに行事が掲載されていました。ドイツの行事の写真は、ほとんどが、子どもがお客で、様々なパフォーマンスを見せるようなことが多いようです。人形劇とか、手品とか、本の読み聞かせとか、子どもが練習してそれを保護者に見せるものというよりは、大人が演じます。そのなかで、年に宗教的な劇や歌は、子どもたちが演じることがあるようです。しかし、出演する園児は、代表者であって、すべての子どもが演じるようなことはなさそうです。

これは、運動会の写真です。よく言われるように、世界では日本で行われているような運動会は見られません。学校では競技会ですし、幼児施設では、親子で楽しむ運動の日のようです。保護者も子どもと一緒に体を動かしています。日本の運動会のように、子どもが運動して、その姿を保護者は座って見ているだけというのはあまり見られないようです。

幼児教育での行事は、子どもの生活にメリハリを与えますが、その行事を通して子どもたちに何を伝えたいかをもう一度考えたほうがいいかもしれません。確かに、運動会は、子どもたちに体を動かす楽しさを伝えることが優先課題としたら、ドイツのような運動会になるのは当然かもしれませんが、なかなか変えられませんね。

投稿者 fujimori : 20:30 | コメント (5)
2008年02月15日 [近頃思うこと]
ドイツのHP
ホームページは、どこの誰でも見ることができることから、情報の保護が言われています。私の園のHPでも、園児の顔が映っている行事や子どもの個人的な写真などは、保護者しか知らないパスワードがないと見ることができないようになっていますが、どうも日本では神経質になりすぎているような気がします。外国の園のHPを見ると、どこでも園内の様子、保育室内、園児の写真や行事は見ることができます。もしかしたら、その写真を悪用する人もいるかもしれませんが、そういう人は、どのようにしてもすると思いますので、その様な一部の人への警戒だけで大切な情報までも制限してしまうのはどうかと思います。
HPから、こんな勉強もできます。あるドイツの園のホームページです。そこには、クラスごとの子どもの写真とともに、保育室内の写真が掲載されています。この園は、特に有名な園ではなく、普通の、一般的な園ですが、それだからこそ、一般的な保育室がドイツではどうなっているのかがよくわかります。

まず、玄関の靴箱です。日本では、靴箱というように靴を収納する箱です。この写真のような靴の収納の仕方は、私の園も同じですが、外国ではほとんどがこの形式です。たぶん、外国では外履き、上履きの概念がないことと、コートを着る習慣があることから、このような形が多いと思いますが、私の園では、靴の収納のためではなく、靴の脱ぐ履くの自立を促す場所として、腰掛けられるようにするためです。

保育室には日本でよく見られるような広い空間はありませんし、いっせいに指導するような空間もありません。それに引き換え、子どもたちがグループで取り組めるようなテーブルや、自分たちで教材を出してこれるような棚がたくさんあります。また、日本と違って、壁面装飾よりも、観葉植物や、天井からのつるしものが多く見られます。そして、この保育室には、3歳児から6歳児までの異年齢がいます。

ほかに、日本ではあまり見られないコーナーがあります。ひとつは、片付けなくてもいいコーナーです。日本では、出しっぱなしはだらしないと思われ、きちんと片付けます。それは、昔、その空間を次に違うことに使うからです。よくいろいろな園を訪問することがあるのですが、たとえば積み木コーナーを次の日までそのほかの用途では使わず、また、そこに子どもが作りかけの作品があっても、子どもが帰ったあとにすべて片付けてきれいにするとか、子どもに片付けるように指示する園が多いことに気がつきます。この写真のように外国では、あまり1日ごとにすべて片付けてきれいにするとは限りません。それは、環境は、子どもが自ら働きかけたくなるように用意することが保育者の仕事だからです。

もうひとつ、ドイツでよく見られるコーナーに「癒しのコーナー」があります。上から布をたらすとか、布で覆ってしまうとかして少し暗めにし、下はクッションなどを敷き詰めたり、ソファーを置いたりして、子どもが少人数で過ごしたり、ごろごろしたり、一人で閉じこもったりできるような場所です。
ドイツの園にしても、私は毎年研修でツアーを組んで行っていますが、よく参加する人の中で一生懸命写真を撮る人がいるのですが、それでしたら、ホームページで見れば十分です。実際に見るものは、その周りの雰囲気とか、そこで活動する子どもの生き生きとした姿とか、人として感じる部分が重要です。
投稿者 fujimori : 23:32 | コメント (4)
2008年02月14日 [近頃思うこと]
HPとブログ
最近はどこの園でもHPを作成して園の内容を公開するようになりました。園の情報を発信する方法として、かつては紙媒体がほとんどでした。それを、たとえばお便りのように配るとしたら、情報を渡す人はこちらが選ぶことができます。また、掲示板などに貼り出すとしたら、それを見ることができる範囲に限定されます。どちらにしても、情報を受け取る側や、受け取る時間などをある程度想定することができます。しかし、インターネットを介してのホームページは、基本的には見る側を想定することはできません。極端なことをいえば、世界中の誰でもがいつでも見ることができます。世界中の電柱に貼紙をするようなものです。当然、興味がない人は見ないでしょうし、必要がない人は見ないかもしれません。しかし、どちらにしても、それは、見る側の選択であって、発信する側の選択ではないのです。このことを、ホームページからの発信を考える上で、きちんと押える必要があります。そこで、どのような情報を発信するかを検討しないといけないのです。
また、コンピューターの世界は、わからない人にとっては、とても取り組みにくいものです。また、最近、パソコンでの子どもの事件も多くなりました。そんな中で、とてもコンピューターに抵抗を感じる人が多くいます。機械を通して、人が出会い、人と伝え合うことがなんだか味気なく感じるのでしょう。しかし、今は、IT時代といわれるように、科学を使って情報を伝え合う時代になってきました。 確かに、人は直接で会って、直接話をして気持ちを伝え合うものです。それは、声や、顔の表情や、身振りや、体で表現して伝える要素も大きいからです。そのほかにも、パソコンを導入しない理由をさまざま言う人がいます。予算の面や、技術の面、プライバシーの問題など考えなくてはいけない問題があります。特に、公的な機関では、さまざまな制約があるでしょう。しかし、そんなことを言っていても確実にITを使いこなす時代は来ますし、大人がアレルギーを持って避けている間に、子どもの世界では急激に広がっています。ですから、大人の責任として、今後は、パソコンを使って、どんなことができるのか、その弊害は何があるのか、それを使うときのルールをどのように持てばいいのかを考えることであって、パソコンを避けるべきではありません。特に、園や学校は、これからの時代の子どもを育む場所として、これからの時代の生き方を提案することも必要です。
このブログのようなこともできるようになりました。これは、ウェブログ(web log)の略で、個人運営で日々更新される日記的なウェブサイトの総称です。一般的には、単なる日記サイト(著者の行動記録)ではなく、ネットで見つけた面白いニュース記事やウェブサイトへのリンクを張り、そこに自分の評論を書き加えた記事が時系列に配置されているものを言いますが、厳密な定義はありません。これによって、HPが、単にしおりのようなものから、内容的には思想信条などの意見のほか、趣味的な見解、身辺雑記、コメントによる読者からの反応などがあり、オリジナル性が強くなります。
このブログは、子どものことについての内容が多くなってしまいますが、私は子ども相手の仕事に携わっている人は、総合芸術家だと思っていますので、草木、星空、季節、出来事、さまざまな分野に興味・関心を持ってもらいたいと思っています。
投稿者 fujimori : 21:22 | コメント (6)
2008年02月13日 [近頃思うこと]
農薬
今、原因は定かではありませんが、餃子事件から農薬の問題が騒がれています。昨年は賞味期限が問題になっていますし、何年か前からO157などの菌が問題になっています。菌対策として農薬や薬品を使い、消費期限を延ばすために薬品を使い、輸入するために薬品を使い、それを落とすためにまた薬品を使い、何が、どの部分に対しての対策を練ることが人間の体にとってよいのかを、きちんと優先順位を決めていかないと、堂々巡りの気がします。
この問題は、何も日本とか、中国の問題ではなく、世界規模で話し合いをしていかなければならないでしょう。昨年10月にフランスからこんなニュースが流れました。環境グルネル会議でのサルコジ大統領のスピーチです。
農業について、4年以内に最も有害とされる約50種の殺虫剤を禁止すること、また、現在流布している殺虫剤の使用を半減させることなどを発表したのです。また、現在、全農地面の2%で行われている有機農業についても、10年までには6%、12年までは20%までに増やす目標を掲げるなど、具体的な数字を挙げました。しかし、有機農業といってもフランスでは、その農法によって細かく分類されています。殺虫剤などの化学物質を一切使用しない農法もあれば、減農薬で有機肥料を取り入れる農法、また、無肥料、無耕作、無除草を通す農法もあり、どの方法をとるかは農家の事情により千差万別ですし、土地の質、耕作している農作物の種類などによって収穫高が大幅に変わってくるため、有機農法を実践する各農家は、それぞれの目指す目標に向かって日夜試行錯誤を重ねているそうです。
しかし、どこの国でも同じで、課題は経済的な採算です。目標に掲げてあるように農地面積の20%を有機栽培に割り当てるためには、作物や土壌の研究を進め、農家が収支のバランスをとれるようにいなければなりませんが、その研究は誰がするのか、有機農業の促進のために投入する300万ユーロ(約50億円)の財政資金はどう工面するのかなどまだまだ課題が多いようです。
また、地産地消を行うために苦労する課題はどの国でも同じようです。それは、農家に嫁ぐ女性がいないことです。ドイツのお茶の間を釘付けにする番組が登場したそうです。そのタイトルは、ズバリ「農家の嫁探し」。2005年の第1シリーズからぐんぐんと視聴率を伸ばし、今秋スタートした第3シリーズで、とうとう月曜日の21時15分という超ゴールデンタイムに進出したようです。 この番組ではまず、「女性と知り合う機会がない」「付き合った女性にはことごとく農家の生活にしり込みをされた」などという女運にからきし恵まれない農家の独身男性が、番組で「ヨメに来ませんか」と呼びかけます。応募してきた女性がその男性の家で実験的に農家の暮らしを体験するなかで、互いに相性を確かめていくというものです。20%を超えるこの番組の高視聴率を支えているのは、旧東ドイツ地域の農村部なのだそうです。
農薬を使うこと、薬品を使うこと、安いものを使うこと、楽なことをすること、人の知恵の浅はかさで、快適を求めるあまりに、快楽を知ってしまったら、なかなか元に戻すのは大変です。
投稿者 fujimori : 20:13 | コメント (4)
2008年02月12日 [新聞記事より]
もったいないから捨てる
携帯電話が普及し、次々に新しい機種が発表され、若者は次から次に新機種に買い替えて行きます。私は、そんなに買い換えませんが、携帯電話はかなり使いこなしています。朝の目覚ましから始まって、メールチェック、電車の乗降、買い物、検索、色々と使っていることを考えると、新しい機種に買い換えても決して無駄ではないと思えるほど、1日の中で、一番使っているものかもしれません。
買い換えるときに、困るのは古い携帯の処分の仕方です。私は、前々回、買い換えたときには、ショップで処分してもらいました。そのときには、目の前で、携帯電話の中心にバリバリと穴を開けて見せてくれました。それは、もう決して情報は使えませんよというアピールでした。それを目の前で見たときは、なんとなくショックでした。
前回買い換えたときは、古い携帯は2年になりますがそのまま、まだ持っています。私は、それを予備として、持っていますが、実際は一度も使ったことがありません。昨年暮れの雑誌AERAの記事に「古いケイタイが捨てられなくて」というのがありました。「アルバム代わりかタイムマシンか 携帯電話を買い換えたとき、古い電話機はどうしてますか。目覚まし代わり?子どものおもちゃ?本来回収すべきものを持ち帰る人々が増えているのは、実は思い出のためでもあるらしく……。デジタルなのにアナログなお話。」
この記事では、いろいろな人が、どうして古い携帯電話をまだ持っているかを取材しています。電気通信事業者協会が携帯とPHSを買い換えた人に行ったアンケートによると、古い電話を引き取ってもらった人は62%で、前年度の71%から9%減ったそうです。台数でいうと、回収実績は00年度の1362万台から06年度は662万台に半減しています。目覚まし時計や電話帳代わりに使う人も多いようですが、一番多かった理由は、「コレクション・思い出として残す」が35%と最多でした。
しかし、実は携帯電話は100%リサイクルすることができるのです。しかも、携帯電話には金や銀などの貴金属が数種類も含まれており(ちなみに携帯電話1台に含まれる金の量は0.028g)、携帯電話をリサイクルすることで金、銀のほか貴重な金属資源であるパラジウム、コバルトなどの希少金属(レアメタル)を再び回収することができます。
このような「都市鉱山」に眠る資源確保のためにリサイクルを進めようと、東京都がメーカーなどと協力態勢を組むことになったという記事が、2月8日朝日新聞に掲載されていました。販売店に加え、区市町村役場にも回収箱を置くなどの策を打ち出しますが、同時に「思い出」を残す仕組みも検討するといいます。具体的には、都や区市町村、メーカー、携帯電話会社は近く協議会をつくり、対策を話し合い、新たに回収場所となる役所では、利用者の思いに配慮し、携帯の内蔵データをCD―ROMで残すサービスや、逆にデータ消去のための専用シュレッダー設置を検討していくそうです。自治体広報誌でPRするほか、利用者が役所に持ってきたらストラップなどを渡す景品キャンペーンも考えるといっています。
「もったいない」は、捨てないことだけでなく、捨てることも意味あることのこともあります。何度でも使う、もう一度使うもエコです。
投稿者 fujimori : 23:07 | コメント (4)
2008年02月11日 [散歩]
水仙と菜の花
立春は過ぎたといえ、春はまだ名ばかりで、風は冷たく、まだまだ寒い日が続きます。谷の鶯は、まだ春になっていないと、まだその季節になっていないと、まだ声を潜めています。というと「早春賦」ですが、今日は昨日の福寿草に誘われて、春の気配を感じに「吾妻山公園」に行ってきました。なぜ、早春賦が浮かんだかというと、その道すがら、目の前に鶯がとまったのです。綺麗な鶯色をした、そのかわいらしい姿を見せてくれましたが、まだ、泣き声は聞こえませんでした。あとで、写真を急いで撮ればよかったと後悔しましたが、そのときには、急いで、一緒にいた妻に教え、その姿に見とれてしまっていました。
今日登った吾妻山公園は、東海道線二宮駅より階段、山道を登り、標高136.2メートルの山頂までに広がる公園です。何年か前にここに行って、感動したので、妻がもう一度行こうと提案したのです。
何が感動するかというと、山頂は360度の大パノラマが広がり、箱根、丹沢の山々に加えて、富士山が手に取るような近さに感じられ、一方、南には相模湾が広がっています。晴れた日には大島や初島も見ることができるそうです。山頂一面の芝生には、子ども連れの家族がたくさんシートを敷いてのんびりしていました。この公園が子どもにも人気のあるのは、途中にいくつかのアスレチックが設置され、山頂からは長いローラー滑り台が下のほうに続いています。
その山頂からの魅力に加えて、この公園は、季節の花が咲き乱れることでも有名です。今の季節には、山を登る道の脇や展望台の山側の部分に、かわいらしい水仙の花がたくさん咲いています。水仙は、そう派手ではありませんが、自分の姿に見とれたことがうなづけるような、少しうつむいた姿は、春に先駆けて咲くにはふさわしい気がします。
そして、山頂には、箱根、富士山をバックに一面まっ黄色の菜の花畑が広がります。
少し横を向くと、やはり菜の花畑越しに相模湾が広がります。青さの増した空の下、遠くに富士山、少し高くなった太陽に照らされた海、手前には一面の菜の花という構図は、再度訪れたくなる景観です。
日本武尊が東北戦を終え、帰路相模国から足柄を通り甲斐に出る途中、峠ではるか東方の海をながめ(あヽ吾が妻)と嘆かれたと云うことからついた「吾妻山」。山頂の石碑には、「万葉の昔から、淘綾の里 二宮の美しい海浜と、それを眼下に一望できる吾妻山は人々のふるさとでありました。云々」と書かれています。その脇には、
「相模路の 淘綾の濱の 真砂なす 児らは憂しく 思はるるかも」萬葉集第十四 東歌
と書かれた石碑もあります。淘綾の濱とは、ゆるぎ・こゆるぎの浜ともいい、二宮を中心に国府津から大磯あたりまでの白砂青松の海浜をいいます。石碑には、こう続けてあります。「戦後社会構造の変化にともない、就職の変遷や、豊かな生活になるにつれ、日毎に住民とのかかわりが少なくなり、荒廃が進むのを憂えた町民、云々」とありますが、豊かな生活になるにつれ、このような公園が荒廃していったというのは、本当に豊かな生活になったと言えるのでしょうか。アースという映画を見ても感じることですが、自然を壊すことは決して豊かではなく、とても貧困だと思うのですが。早く、そういうことに気がついて欲しいと思います。
投稿者 fujimori : 23:41 | コメント (5)
2008年02月10日 [映画]
四季
昨日の東京は、この冬で二度目の大雪に見舞われました。昨日の夕方から舞い始めた雪は、深夜に向けて大雪になり、八王子は、今朝は一面の雪景色でした。と言っても、雪国よりは少ないかもしれませんが。しかし、春が近いだけあって、今日はとても暖かい1日でした。ですから、雪は融けてしまいましたが、そんな日に出かけて、その雪が解けた土の上にこんなものを見つけました。
「日のあたる 窓の硝子や 福寿草」(永井荷風)
福寿草は春一番新年を祝う花として喜ばれ、福を招く、縁起の良い花として「福寿(幸福と長寿)」の草という意味で「福寿草」と名づけられています。この花を見ていると、春が近づいたことを感じるとともに、もうすぐ寒い冬が終わって、花が咲き乱れる春が来るのだという期待が膨らんできます。毎年、きちんと春が巡ってくるのですね。また、雪解けや花の開く姿から、太陽のありがたさが身にしみます。その当たり前のことの大切さを感じる映画を見てきました。
その映画は、こんなメッセージで始まります。
「50億年ほど前、巨大な小惑星がまだ若かった地球に衝突したその衝撃は計り知れず、惑星そのものを23.5度も傾けてしまう。しかし、この衝突事故は大惨事となるどころか、我々が知っている「地球」の誕生に重大な役割を果たすこととなった。この傾斜がなければ、今のような驚くほど多様な地形や四季の移ろいもなかっただろう。そして、生命が生息するための完璧な条件も揃わなかったのだ。」

この映画は、今話題のネイチャー・ドキュメンタリー映画「アース」です。太陽を道先案内として、北極から赤道直下、南極と舞台を移して行きます。そして陸、海、空などを背景にダイナミックな地球の景観、さらにそこに暮らす動植物たちの驚くべきドラマが、展開して行きます。当然、その奥には、「地球温暖化」に対する警告のメッセージも流れています。
そのメッセージは、やはり話題になった「不都合な真実」と比較されることが多いのですが、アラステア・フォザーギル監督と本作の共同監督を務めた、マーク・リンフィールド監督が、こんなコメントを言っています。「『アース』は必ずしも温暖化を食い止めるために撮った作品ではありませんが、本作を観ることで多くの人たちが、今残っている自然の素晴らしさを再認識し、それについて何か考えてもらえたらいいなと思いますね。『不都合な真実』が「もう、これしか自然が残っていない」という危機を訴える作品なのに対し、「アース」は「まだ、こんなに地球の素晴らしさが残っている!」という前向きな作品。まずは、地球の本当の美しさについて知ってもらうことが大切なのです。」
私が子どものころ見たウォルト・ディズニーによって1953年に製作されたドキュメンタリー映画「砂漠は生きている」を思い出しました。これは、アメリカ合衆国南西部の砂漠に生きる動物たちの日常を記録した作品で、当時、アカデミー賞最優秀ドキュメンタリー長編賞を獲得しています。この映画は、濃艶なサボテンの開花を微速度撮影で捉え、砂漠の落日を望んで終わります。
花の開花は、自然を大切にする心を開かせるようです。
投稿者 fujimori : 20:30 | コメント (5)
2008年02月09日 [近頃思うこと]
日新公いろは歌3
最近、どうも子どもたちは人と関わる力が不足してきている気がします。これには、少子社会という環境の中で生活していることが大きな原因だと思います。しかし、人は、何か物事をなすときに、人と関わらずを得ません。ですから、今、教育の中で子どもたちに必要とされる力のひとつとして、コミュニケーション能力があるのです。これは、何も人と会話をするだけでなく、他人から学ぶときでも、他人とともに何かを作り上げるときでも、人と関わる力が必要になってくるのです。
郷中教育は、年上が年下を教育していくという意年齢児集団による教育システムでした。ですから、当然人と関わる力が必要になってきます。ですから、「日新公のいろは歌」では、人と関わるうえでの心得を歌ったものが多くあります。
「に」「似たるこそ 友としよければ 交らば われにます人 おとなしき人」
人は似たもの同士は、気が合うので、すぐに仲良くなって友達として付き合います。しかし、自分にないものを持った人、一見気が会わない人と友達になると、世界は広がり、自分にとっては学ぶことも多くあります。と教えます。どうしても、人は気が合わない人、意見が合わない人がいるものです。そんな人を避けていては、視野が広くなりません。いろいろな人を知ることもとても意味あることなのです。同じような歌が、「て」にあります。
「て」「敵となる 人こそは わが師匠ぞと おもいかえして 身をもたしなめ」
嫌いな人や敵と思える人ほど自分の先生であると思いなさい。その人の中にも学ぶべきものが必ずありますということも、自分の好き嫌いではなく、大局に立って人と付き合うことの重要さを教えています。
「と」「科ありて 人を斬るとも 軽くすな いかす刀も ただ一つなり」
もし人が悪いことをしたときに、その人をすぐに切り捨てたり、軽々しく罰したりしないようにしなさい。もう一度チャンスを与え、その人を生かすことを考えることです。人は、人の失敗や間違いをすぐに非難したり責めます。しかし、そこには何も建設的な事柄は生まれてきません。その人をどう生かすことができるかということを、改めて考えてみることもひとつの方法です。
「る」「流通すと 貴人や君が 物語り はじめて聞ける 顔もちぞよき」
目上の人の話は、たとえ自分がよく知っていることであっても、すでに知っていることでも、知っているということを顔に出さずに、初めて聞くような態度で聞いたほうがよいと言います。これは、目上の人への礼儀でもあるのですが、私はそうではなく、「そんなもの知っている」と聞き流してしまうと、大事なことが含まれていることがあるときや、もっと深く知るべきことが含まれていることに気がつかなくなると思います。また、自分が知っていることを再度聞くことによって、自分の知識や情報の確認をしていくことができるのです。
「わ」「私を捨てて 君にし 向わねば うらみも起こり 述懐もあり」
私心を捨てて、人と向き合い、素直に人の話をよく聞かないで、自分のことばかり考えていると、心の中が不満だらけになってしまいます。
「よ」「善きあしき人の上にて身を磨け 友はかがみとなるものぞかし」
良いことも悪いことも、周りの人の姿に置き換えて自分の身を磨きましょう。友は自分を映し出してくれる鏡のようなものです。
「れ」「礼するは 人にするかは 人をまた さぐるは人を さぐるものかは」
人に対し礼儀正しくしていると、いずれ自分に返って来ますし、人を疑ったり、馬鹿にするのも同じことで、総て自分に返ってきます。
投稿者 fujimori : 22:41 | コメント (4)
2008年02月08日 [近頃思うこと]
日新公いろは歌2
実際に行動しようとするときに、いつからしようかと思います。しかし、「いつか、いつか」と思っているうちに日が経っていきます。また、「キチンと準備をしてから」と思っていると、いつになっても納得のいく準備が整いません。「日新公いろは歌」の3首目「う」は、こういう歌です。
「はかなくも あすの命を たのむかな 今日も今日もと 学びをばせで」
まだ、時間があるから、明日があるから、そのうちにと思っていると、時間が経っていってしまいます。人の命ははかないものです。いつかやろうというのではなく、今日やるべきことは今日やりましょう。ということです。
私は、「いつかやろう」は、「いつまでもやらない」に通じ、「明日やろう」は、「そのまた次の日に延ばそう」に通じると思っています。先日、ある人と話をしていたときに、「いいのはわかっているのですが、なかなか変えられないのですよ。どのように変えていけばいいのでしょうか?」と聞かれました。そのとき、私が答えたのは、「あなたにとって必要なのは、勇気だけです。」と答えました。勇気とは、普通の人が、恐怖、不安、躊躇、あるいは恥ずかしいなどと感じる事を恐れずに、自分の信念を貫き、向かっていく積極的で強い心意気の事とあります。もちろん、私は人に偉そうに言えるほど、勇気があるわけではありません。人は、決断することに迷います。果たして、本当にそれでよいのか、ほかにも方法があるのではないだろうかというように迷います。しかし、「子どもにとってよいということがわかっていながら」というのは、子どもに失礼です。
論語に、孔子が門弟「子路」との問答の中で「義を見てせざるは勇なきなり」ということを言ったと書かれています。そのなかでいう「勇」とは正しいことを敢然と実行することを指しています。そして、その「勇」は「義」によって発動されるのでなければ、徳行の中に数えられる価値がないとされたのです。「勇ありて義なきは乱を為す」ともいっているように、いくら「勇」があっても、そこに「義」がなければ世を乱すもととなるとも答えています。
「日新公いろは歌」「み」の歌にはこうあります。
「道にただ 身をば捨てんと 思いとれ かならず天の 助けあるべし」
自分が正しいと思う道を、信じてまっすぐに進みなさい。きっと、助けを得られ、道は開けていくものです。自分の人生を、何にゆだねていけばいいのでしょうか。若い頃、中学生の勉強を見ていたとき、ある人に頼んで、高校の入学試験の面接の練習をしたことがあります。そのときに「将来、どんな職業に就きたいですか?」という質問に対して、「食っていければそれでいいです。」とまじめに答えました。この答えがまじめなのかどうかはわかりませんが、中学生の頃からこのように答えるのは悲しいですね。そのときは少しびっくりしましたが、なんだか、今では小学生のころからそう答えそうな気がします。しかし、それは、その子達の問題ではなく、大人が見せている生きる姿勢だと思います。学ぶ喜び、働く喜び、生きる喜びがなく、そのために学ぶ意欲、働く意欲、生きる意欲を見失っている今、「学びて時に之を習ふ。亦説ばしからずや。朋有り遠方より来たる。亦楽しからずや。人知らずして慍みず。亦君子ならずや。」をもう一度噛み締めたいと思います。
投稿者 fujimori : 21:20 | コメント (5)
2008年02月07日 [近頃思うこと]
日新公いろは歌1
もう正月気分はとっくに抜けたと思いますが、子どもにとってお正月とか、お盆のときにだけ許された子どもの遊びがいくつかありますが、最近は、1年中を通して遊ぶようになりました。そのひとつに「かるた」があります。英語ではカードと言いますが、カルタという言葉も外来語です。ポルトガル語のcarta(手紙、あるいは紙板状のもの、トランプなど)が語源であると言われています。寛永の頃になると一般化に流行し、「うんすん骨牌」「歌元骨牌」「花かるた」「イロハかるた」さまざまなものが流行しました。子どもにとってのかるたは、その内容によって人生や生き方や知恵を教えるものであったり、文字を覚えるための遊びでもありました。また、その内容は地域のよって地域を読み込んだものや、考え方を反映したものなど様々です。たとえば、同じイロハかるたでも、「い」の文は、江戸では、「犬も歩けば棒に当たる」であり、上方では、「一寸先は闇」で、尾張では、「一を聞いて十を知る」です。誰かわかりませんが、どれを採用したかは興味のあるところです。
私が最近はまっているものに、「日新公いろは歌」があります。これは、以前のブログで書いた薩摩の「郷中教育」の理念です。鹿児島にある「維新ふるさと館」のパンフに郷中教育のことが書かれています。
「幕末維新期に多くの人材を生み出した薩摩藩。その行動力や結束力を育てたのが、薩摩藩独自の「郷中教育」でした。郷中とは、同じ方限(地域)における武家の青少年教育のことで、藩校とは別に、学問や心身の鍛錬を目的とした学びの場であり、年長者が年少者を指導する仕組みになっていました。知識や教養とともに彼らが学んだのは「実践」の重要さでした。「日新公いろは歌」第一首が示すように、机上の学問だけでなく、それをもとに、武士としていかに生きていくべきかを追求していたのです。」
その第一首とは、いろはかるたの「い」の部分です。
「いにしえの 道を聞きても 唱えても 我が行いに せずばかいなし」
昔の人の教えを学び、それを理解しても、そして偉そうに人にその知識を披露しても実際に自らの行動に移し、実践をしなければ何もならない。ということですが、それはこの郷中教育の理念ということではなく、今、私がずいぶんと壁にぶつかるところです。私は子どもとかかわる仕事をしているのですが、目の前にいる子どもたちを見ていると、最近どんどん変な方向にいっている気がしてなりません。子どもの事件も、最近特に多くなったとはいいませんが、事件の質が変わってきています。それに対して批評をする人はたくさんいるのですが、いざ行動しようとすると、「そうは言っても」とか「今までのやり方を変える必要がない」などと行動に移そうとしません。
私が教員だったころ、同僚たちに「これからは、学校も地域に開いていかなければならないのではないか。」ということで、保護者向け勉強会を開催するのはどうかと提案したところ、「これからはそういうことは必要だ」とか、「それはいいことだ」と言う人は多いのですが、誰も具体的に始めようとしません。そこで、私は、一人で全校児童全員の保護者宛に勉強会を開催しますというはがきを出して、学区域内3箇所で毎月1回勉強会を開催していたことがありました。その参加者が、そのあとも地域のリーダーとなって、社会教育の場で活躍をしていました。
世の中を変えていくのは、批評家ではなく、実践家です。
投稿者 fujimori : 22:28 | コメント (4)
2008年02月06日 [近頃思うこと]
幼児教育の経済効果
もうすぐバレンタインデーです。森永製菓では、「父と娘のバレンタイン意識調査」をし、その結果が報告されています。その結果、「今年は、「友チョコ」に続き、「パパチョコ」ブーム!?」のようです。今回の調査では、お父さんは、誰よりも娘さんからの手作りチョコを望んでいるのですが、娘さんも、お父さんに手作りチョコを贈りたいと思っていることがわかりました。また、その結果、親子間でのバレンタインによる“経済効果”を浮き彫りになりました。
娘が父親に贈るチョコレートの金額は、500円~1000円未満(38.7%)がもっとも多く、平均は827円です。それに対して、父親のホワイトデーのお返しでは、1000円~2000円未満(25.2%)がもっとも多いものの、その平均は3752円となっています。このやりとりによって、かなりの経済効果があるようです。
経済効果とは、あることをした場合に、それが経済に与える影響のことです。特に、その結果かなり損失する場合は、経済損失といわれ、政策などに影響します。ブログのなかで昨年の6月に経済効果ということで書いたものに、「喫煙による経済損失」というものがあります。その内訳は以下のとおりです。(厚生労働省所管の研究機関、医療経済研究機構の発表データ平成11年度)直接喫煙による本人や胎児への影響、及び受動喫煙から発生した医療費 は、1兆3086億円。(国民医療費の4.3%)直接喫煙によるもの1兆2936億円・妊婦の直接喫煙で胎児に影響した分は4億円・受動喫煙による罹患では146億円、喫煙関連疾患による労働力損失は直接喫煙で、5兆7216億円(死亡含む)、受動喫煙で、1144億円、喫煙による罹患で合計7兆1446億円の損失だといいます。
この経済損失のデータで、興味あるデータが、ある書籍の中で白梅大学学長である汐見さんが紹介していました。
「アメリカで90年代に入る頃から教育重視の施策が展開され、平行して幼児教育への関心が高まってきています。3歳児のグループに1年間だけ質の高い保育を受けさせ、家庭状況や知能指数などがまったく同一条件であるけれども、保育をまったく受けさせなかった別の3歳児のグループと、その後彼らが20歳になるまで追跡して比較調査した興味深い研究があります。それによれば、高校卒業率も大学入学率も、麻薬などの犯罪率も、たった1年間の保育を受けただけのグループのほうが、すべてよいという(犯罪率は低い)結果だったそうです。1年間の保育にかけた費用は、それを受けなかったグループのメンバーが犯した犯罪にかけた費用に比べて、うんと少ないということも明らかになりました。幼児教育に先行投資することは、経済的にもその後の無駄を大きく省く可能性があるというのです。そうした研究の影響もあって、1990年代の後半以降、アメリカでは「ヘッドスタート」という補償幼児教育への投資がうなぎのぼりに増えています。」
この「ヘッドスタート」という言葉自体は、スマートで円滑な滑り出し、順調な出発を意味するもので、合衆国では長期にわたって継続されている国民的な就学援助のためのプログラムで、就学前に少なくともアルファベットが読めるように、10までの数が数えられるように、というのが目標です。
将来をみて、いかに幼児教育が大切であるかを世界の各国では考え始めています。日本でも、乳幼児教育を、保護者の負担に負わせるのではなく、国の責任できちんと位置づけたほうが、経済効果はあると思うのですが。
投稿者 fujimori : 23:02 | コメント (7)
2008年02月05日 [近頃思うこと]
立春大吉
節分の次の日は、「立春」です。昨日は立春でした。立春の早朝、禅寺では厄除けのために門に「立春大吉」と書いた紙を貼る習慣があります。新暦の元旦は、どうしてその日に決められたか分かりませんが、天体の動きとは、特に関係ありませんし、新しい年の始まりのような区切りらしきものがありません。そういう意味では、立春が天文的には新春で、年の始まりとしたほうがふさわしいかもしれません。ちなみに立春以降、初めて吹く南よりの強風を「春一番」と呼びます。ということで、立春の朝は、いかにも「立春大吉」という言葉が表すように、おめでたい気がします。由来はよく分からないようですが、どうも、この文字は、一年間災難にあわないというおまじないのようです。この文字は、道元禅師が入宋したときには貼ってあったそうで、永平寺には道元禅師が書かれた「立春大吉文」という文書が伝わっているようです。
この文字の面白さは、こんなことがあります。「立春大吉」の文字は、縦書きすると左右対称になり、表から読んでも裏から読んでも同じになるということです。そのために、こんな粋なことを昔の人は考えました。「鬼が立春大吉の札の貼ってある家の門を入って、ふと後ろを振り返ると、その札は、裏から読んでも同じように立春大吉と書いてあるので、鬼は、まだここには入っていなかったなと思ってしまい、門から出て行ってしまう。」と考えたとか。
たしかに、漢字には左右対称の字があります。正確に対称でなくても、ほぼおなじようになる漢字を含めると随分ありそうです。もちろん、アルファベットにも26文字中11文字ありますが、ひらがなにはありませんね。サザエさんの主題曲やGSの歌など多数の曲を作曲した筒美 京平さんは、鼓(つづみ)が平らに響くという意味から名前を「鼓 響平」にしようと考えていましたが、左右対称文字にするために「筒美 京平」としたということは有名です。私の名前は、4文字中2文字は左右対称です。
この表から読んでも、裏から読んでもおなじように読めるということから思い出すものに、「回文」とよばれる上から読んでも下から読んでも同じ文になるという言葉遊びがあります。これは、一字が一音をもつ日本語ならではの特色をもっとも生かした言葉遊びのひとつです。この「回文」をテーマにした日本語の言葉遊びを楽しむ日本回文協会のサイトが、作家落合正子さんを主宰者として公開されています。その中に、今年の新年の挨拶として、今年の干支であるねずみを読み込んだ文が紹介されています。「けさの外も見ず子の日のネズミも屠蘇の酒」(けさのそともみずねのひのねずみもとそのさけ)というものですが、よく考えるものです。この回文も、英語にもあります。「.NOT NEW YORK. ROY WENT ON.」(ロイが行ったのはニューヨークじゃないよ)という英語は、後ろから読んでも同じです。
駄洒落も、語呂合わせも、日本では言葉遊びのひとつとしていろいろなところに使われています。今では、親父ギャグとか言われて駄洒落も、若い人から引かれてしまうことが多いのですが、本当は、生活に潤いを与える遊びのひとつだったのです。日本語を大切にするためにも、粋なしゃれを言ったり、聞いたりできるようになりたいですね。
投稿者 fujimori : 21:03 | コメント (6)
2008年02月04日 [江戸文化]
小紋
私の園がある場所は、新宿区下落合ですが、以前のブログでも紹介したように、新宿というと思い浮かべるような超高層も、飲み屋街もなく、周りは、この地域の地場産業である印刷屋さんと染物屋さんが点在しています。
新宿・神田川流域は、東京染小紋、江戸更紗の工房やその染の関連業種、東京手描友禅の職人さんなどが集まり、東京で一番大きな染の主産地となり、一時期、全国の染の産地と披見される場所になったのです。その江戸小紋とか江戸更紗の反物を地域の工房から分けてもらって、園の装飾に使っているのですが、私は、あまりそれらの違いや、小紋の文様などには詳しくありません。それは、最近着物を着なくなってきている日本人みんなに言えることではないでしょうか。江戸の美意識の中で、文様の美も見直すことが必要かもしれません。
もともと小紋というは日本の着物の種類の一つです。そして、江戸小紋のルーツは武士の裃にあります。江戸時代、各藩は、家紋同様、将軍家を筆頭にそれぞれの着物の柄をその家で決めてシンボルとしました。その柄を見ると、どこの藩かすぐにわかるようにです。しかし、その模様付けの豪華さを張り合うようになり、江戸幕府から規制を加えられます。ですから、遠くから見た場合は無地に見えるように模様を細かくするようになり、結果、あの細かい柄の小紋が生まれたようです。しかも、いかにも江戸っこらしいのですが、型紙を使って染める小紋なので、細かい柄ほど型彫りも染めも技術が高度なため、こぞって細かい柄に挑戦し技を競い合ったのです。型屋と染め屋の意地の張り合いによって完成された極々の柄こそ江戸小紋の真髄と言われているのです。
それが、江戸中期になると庶民の間でも着物や羽織に小紋を染めるのが流行り、こちらは生活用品など身近にある物を細かい模様にして洒落を楽しんだり、動植物を抽象化した柄や縁起をかついだり、語呂合わせの遊び心のある柄が数多く生まれました。
どんな柄があるかというと、別格小紋という、型付けに至難の技の要る究極の柄で、江戸小紋の中でも格別の扱いをされているものや、小紋御三家とよばれるような、錐彫りの型紙から得た柄の中で、最高級とされる三品があります。これらは、「超極毛万微塵筋」という文様の名前から見ても、日本で最も細い縞柄や、繊細な縞模様であるように、とても細かい柄です。小紋御三家といわれている文様は、紀州島津家の定柄として最も有名な柄である「極々鮫」と、斜に整然と並ぶ柄の「極々行儀」と、碁盤状の微細な柄である「極々角通し」です。これらは、江戸の美を感じる文様ですね。

「極々鮫」と「極々行儀」
また、縁起を担いだり、しゃれた、やはり江戸っ子の心意気を感じる柄に、「いわれ小紋」というのがあります。例えば、「宝尽くし」という柄は、一面に縁起物を集めた柄で、金運に恵まれるとのいわれていますし、「南天の実」という柄は、難(南)が転(天)じるの語呂合わせから、縁起を担いでいます。「竹に雀」という柄は、竹林に雀は相性が良く、この柄を着ると良縁に恵まれるといわれています。

「宝尽くし」と「南天の実」

「竹に雀」
しかし、地色と柄色との二色で染め上げられる「江戸小紋」の真骨頂は、派手さではなく、極端に派手さを抑えられた職人たちが、色数を抑える一方で柄の細やかさにシノギをけずることでその「粋さ」を表現しようとしたのです。
投稿者 fujimori : 23:01 | コメント (4)
2008年02月03日 [由来]
八幡宮
今日は、東京では大雪です。最近、どの地域でも雪が余り積もらなくなっているようです。東京でも降っても、積もらなくなりました。しかし、東京で雪が降ると困ることがあります。それは、気圧の配置で、春が近づくと、太平洋側に雪が降り始めます。ですから、今日の大雪ではありませんが、1月、2月に大雪になります。すると、困るのは入学試験に行く子どもたちです。大学センター試験の日には、不思議と、よく雪が降ります。今年はその日に降らないでよかったと思っていたら、今日の中学入試の日に大雪です。入試を受ける家庭は、朝から大変でしょうね。
また、今日雪が降って大変なのは、2月3日節分ですから、芸能人など有名人を呼んで豆まきをする神社は大変でしょうね。私の地域で有名な場所は、高尾山です。毎年テレビ中継がありますが、力士たちが大勢来て豆まきをします。しかし、今日は、ただでさえ山の上で大変なのに、今日の山頂は大雪でしょうね。
他のさまざまな場所で豆まきを行いますが、今年の初詣に行った門前仲町の富岡八幡宮でも、「節分豆撒き式」が催されます。その富岡八幡宮は寛永4年(1627年)、当時永代島と呼ばれていた現在地に御神託により創建され、世に「深川の八幡様」と親しまれてきました。ですから、この場所は、さまざまな舞台として歴史を刻み、それにまつわる石碑や石造が境内に建てられています。
ここには、横綱力士碑、大関力士碑、強豪関脇力士碑、釈迦ヶ嶽等身碑、巨人力士碑、巨人手形碑、超五十連勝力士碑、出羽海一門友愛之碑など相撲にまつわる数々の石碑があります。
それは、この宮が江戸勧進相撲発祥の地として有名だからです。先日、大相撲の千秋楽を迎え、その最後の取り組みの瞬間視聴率は、かなり高かったようです。しかし、相撲界には、色々なトラブルや問題は多いのですが、昔からあったようです。相撲興行は、江戸時代に京・大阪からはじまりますが、トラブルが多くしばしば禁令が出ていました。その後禁令が緩み、1684年、幕府より春と秋の2場所の勧進相撲が、この宮の境内で行うことが許されます。今、新横綱誕生時には相撲協会立会いのもと刻名式がおこなわれ、新横綱の土俵入りが奉納されます。
境内大鳥居横に建立されているのは、江戸時代後期の測量家・伊能忠敬の銅像です。
以前のブログ九十九里浜の項目で書いたのですが、それは生まれが九十九里町ということでしたが、ここに銅像が建てられているのは、忠敬は近くの黒江町(現在は門前仲町1丁目)に隠宅を構えていて、約200年前の寛政12年4月19日の早朝に富岡八幡宮に参拝して、暇夷地(北海道)測量の旅に出かけたのです。忠敬は、このときを含めて全部で10回の測量旅行を企画しましたが、遠国に出かけた第8回までは、出発の都度必ず、内弟子と従者を率いて富岡八幡宮に参詣して、無事成功を祈念したのです。
彼の偉業について学校で習うのですが、いま自分が年を取って改めて彼を見て元気付けられるのは、その偉業ではなく、49才で家督を譲り、かねて趣味としていた天文を更に探求すべく江戸に赴き、勉強し、その結果55才から73才に至る18年間かけて、日本全土の測量、地図製作という大事業を楽しみながら成し遂げたということです。
歴史は、今の時代で納得がいったり、自らを見直したり、様々なことを伝えてくれます。
投稿者 fujimori : 20:08 | コメント (4)
2008年02月02日 [江戸文化]
箸
昨日の読売新聞のコラム研修手帳の書き出しにこんなことが書かれていました。
「以前、京都を旅した折、古今のめずらしい箸を集めた小さな資料館を訪ねたことがある。中国のものという銀製の箸もあった。いわゆる「毒味箸」である。ヒ素などと反応して瞬時に変色することから、古く中国では毒殺を恐れる権力者が銀の箸を用いたとは聞いていたが、実物を初めて見た。食卓という心くつろぐ場所でも警戒心を解くことのできない身分に、同情したおぼえがある。」
箸の文化は、東アジア地域を中心に広くあるようですが、中国や韓国の支配階級に使用されていた銀製の箸にそのような文化があったり、朝鮮半島では戦乱が多かったため、箸に耐久性が求められたので、短く、やや平たい金属製のものを使うことが多いというような文化があるのは悲しいことですね。それに引き換え、日本における箸の文化は、昨日の懐石料理に使われる利休箸のように、ある神事や「美」を表したものが多いようです。それは、使い捨てである割り箸にもこだわりがあるようです。
箸というものは、もともとは単純なもので、二本一対になった棒状のものです。ですから、そのバリエーションは、その材質と、両端の削り方と、装飾の仕方くらいの違いしかありません。箸は、基本的に棒のどちらか一端のみが食べ物に接触し、そこを「先」、持ち手のほうを「天」といいます。用途は、食事用と調理用があり、数え方は、食事用の箸は2本で一膳、調理用は一組、一具と数えます。
利休箸とは、両端を細く削って角(面)を取った箸のことをいい、室町時代に茶の宗匠である千利休が、茶席でもてなす時に愛用したと伝えられているので、そう呼ばれています。
柳箸という、祝いの席や、正月に「祝い箸」として用いられる柳の箸があります。材料として柳を使うのは、柳は新春真っ先に芽吹く「芽出たい」木であるということと、邪気をはらう木とされているからです。また両端とも細くなっている形は、一方は神様、もう一方を人が使う「神人共食」を意味しています。寸法は、末広がりの八寸(約24cm)が基本です。暮れになると、このような箸がおせちの材料と一緒に売られています。
食事用で、自分ひとりだけが使う箸のほかに、取り箸といって、共有する箸もあります。青竹の取り箸といわれるものです。青竹を削って作る箸で、竹ですから、当然、節があるのですが、この節を上手に活用します。その節が真ん中にあるのが「中節」、天の端にあるのが「天節」、両端を細くしたものが「両細」というように三種類あります。
食事といっても、菓子を取るための箸にも、装飾的工夫があります。黒文字の菓子箸といって、黒文字という木の皮を一部残して削った箸です。茶道などで、お菓子を盛った鉢に添えておきます。ここが菓子を食べるときに使う楊枝にも同じような物があります。
割り箸にも、様々に名前のついた箸があります。天削箸は、割り箸の天の部分を鋭角的に削ぎ落とし木目(杉、桧など)の美しさを強調しています。元禄箸は、割り箸の四つの角を削ってなめらかにし、割れ目に溝をつけて割りやすくした中級品ですが、木の分量を減らしたことを、江戸幕府が金の含有量を減らして元禄小判を作ったことに掛けた名前です。
毒味箸と比べて、日本の箸の名前の付け方は、どれも、とても粋な名前の付け方ですね。
投稿者 fujimori : 22:00 | コメント (4)
2008年02月01日 [近頃思うこと]
懐石
先日、お雑煮をいただく機会がありました。そのときに、話題になったのは、各家庭に伝わる雑煮の味付けと、具の内容でした。雑煮は、正月に餅をついて、そのほかの産物とともに歳神様に供え、そのお下がりを煮て、一年の無事を祈り、お正月に食べる伝統的な日本料理です。ただし、沖縄だけは余り食べないようです。具の中で、餅も地方によって丸餅と、角型の切り餅があるようです。汁はすまし汁仕立てか味噌仕立てが一般的です。
日本文化は、食においても美意識があります。その代表的なものに、懐石料理があります。各種偽装問題が発覚して話題になった「船場吉兆」も、もともとは茶懐石が基本になっています。そのイメージからすると、高級料理とか、随分値段が高い料理の印象がありますが、「懐石」の名前は、禅寺で修行僧が温かい石を懐(ふところ)に入れて空腹をまぎらわせた、その程度の軽い食事という意味からきていますので、懐石は、豪華な高級料理ではないのです。
懐石料理とは、茶道におけるおもてなし「茶事(ちゃじ)」のなかで、お茶をたてる前に供する料理をいい、茶事の主催者(亭主)が一皿ずつ運んで給仕をします。まず、折敷(おしき)という足のついていない正方形の塗り盆に、一口ほどのご飯を入れた「飯椀」、汁の実を入れ、味噌汁を少し張った「汁椀」、酒の肴を入れた「向付」を三角に置いたものを亭主が運び、客はこの折敷を亭主から受け取り、畳において、添えられた利休箸で食事をします。向付とは、最初の酒の肴で、飯椀汁椀の向こうに付ける(置く)ので、向付といいます。これを食べきって、空になった器をその後の取皿として使います。
そのあと亭主が一皿ずつ運ぶ料理には次のような物があります。まず、煮物椀、椀盛は、椀種を入れて、すまし汁を張った吸物のことで、懐石のメインディッシュとされます。そして、焼物として、魚の切身などを焼いて、人数分を一皿に盛り付けます。ここまでの料理を、「一汁三菜」といいます。
懐石料理だけでなく、昔ながらの日本型の食事は、一汁三菜が基本になっています。普通は、一汁三菜とは、ご飯に汁もの、おかず3種(主菜1品、副菜2品)で構成された献立のことを言います。この組み合わせは、ご飯でエネルギー源となる炭水化物を、汁もので水分を、おかずでその他の栄養をバランスよくとることができるのです。また、それらの栄養素が交互に胃に入って混ざり合うことで、消化や吸収がよくなり、余分な脂肪や糖分、塩分を排出したりします。
一汁三菜は、合わせると4品になりますが、料理の品数が「4品」になることを嫌い、一汁三菜という分割した呼び方にしています。また、一汁五菜、二汁五菜、三汁七菜などもっと種類を置く並べるときでも、菜の数は、かならず、奇数にするのは、日本において、奇数を陽とし、偶数を陰とする思想があり、奇数をめでたいものとすることによっています。
懐石料理には、このほかに、「預鉢・炊き合せ」という野菜など数種類の素材を別々に炊いて、人数分を盛り合わせたものを出しますが、この名前は、給仕をしていた亭主が、この一品を出したあと、自分も別室で相伴(しょうばん)するので、客に鉢を預けておく意味からついた名前です。
なんとなく知っているものでも、きちんと知ることによって、文化の深さを感じることが出来ますね。