八雲の庭

八雲は明治37年、東京で死ぬまでの14年間を日本ですごし、その間、松江・熊本・神戸・東京と4つの都市に住み、10軒もの家で生活を営みました。その中で、松江の根岸家から借りた家とその庭は、特別に気に入ったようでした。規模こそ小さいものの、この庭は枯山水の鑑賞式庭園としては水準を抜くものとして高い評価を受けています。今、役もが愛した居宅だったところは、東大時代の友人上田敏、小山内薫、柳田国男らの勧めもあり、一部改築されていた家を元通りに復原し、記念館になっています。特にここの庭は、著作「知られざる日本の面影」の第16章「日本の庭園」の舞台となっています。この庭と、作品の中の文章を読むと、西洋人である小泉八雲が日本の庭をどのように見たのかということがよくわかります。
元々は松江藩士の武家屋敷で、その周りには三方に庭があり、八雲は中央の部屋から三つの庭を眺めるのが好きだったと云われています。彼の文章から、日本の美をもう一度見直してみたいと思いました。(要約)
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「この庭の全体からは、どこかきれいだけれどもとても寂しい、そしてそのままそこで眠りこんでしまいそうな、そんな場所を音もなく流れてゆく静かな流れの岸辺、というような印象を受ける。その庭には、厚く苔むした大きな岩がある。そしてまた水をたたえた、風変わりな石の水盤もいくつか据えてある。歳月を経て緑色になった石灯篭や、城の天守閣に見られるような鯱もある、老木の茂っている小山もある。緑の草の長い斜面もあって、花をつけた潅木が影を落としており、川岸の土手のようである。緑に覆われた築山は小島を思わせる。(新編日本の面影より)」
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「北側の第二の庭は自分の好きな庭である。大きな草木は何一つない。青い小石が敷いてあって、小池が一つ―珍奇な植物がその縁にあり、小さな島が一つその中にあって、その島には小さな山がいくつかあり、高さは殆んど一尺にも足らぬ桃と松と躑躅がある小型の湖水が一つ、その中心を占めている。ではあるがこの作品は、そう見せようと計画されていたようにして見ると、目に少しも小型なものとは見えぬ。それを見渡す客間の或る一角から見ると、石を投げれば届くほどの遠さに、向うに真の島のある、真の湖岸の姿である。この池の縁の其処此処に、そして殆んど水と水平に、その上に立つことも坐ることも出来、その湖沼住者を窺うことも、その水中植物を世話することもできる平たい大きな石が置いてある。」
三番目の庭は、生垣の向こうなので、見ることは出来ませんでした。「この庭は、大変大きいもので、垣に囲まれた蓮の池の庭から、この武家地の一角の北北東の境界にあたる木の茂った丘のふもとまでつづいている。北西の角には、なかなかいい井戸があって、器用に竹のパイプでこしらえた水路を通って、ここから家の中までひんやりと冷たい水が運ばれてくる。そして北西のはずれには、丈の高い雑草に隠れるようにして、ひどく小さなイナリの社がたっている。そしてその前には、その社にふさわしいちいさな石の狐が二匹、すわっている。庭の背後の丘の森は、まさに野鳥の生活に満ち満ちている。」
いろいろなところで、石が効果的な役目をしていますね。

八雲の庭” への5件のコメント

  1. こうして写真で見てみると、日本の庭は外国の庭と違うのがよくわかります。原石のままでここまでいろんな表現をしてしまうのは、日本の特徴なんでしょう。苔も特徴だと思います。派手さはないですが、苔があるだけで庭が生き生きしているように見えるのも不思議です。日本の庭はおもしろいです。こうして石に関するブログを続けて読んでいると藤森先生のこだわりが伝わってきて、ついその辺にある石を気にして見てしまうようになりました。そのうち石集めを始めてしまうかもしれません。

  2. 最近は日本でもガーデニングブームとやらで、西洋の珍しい色鮮やかな花を家の庭に咲かせて楽しむ人が増えていますね。でも、「八雲の庭」を眺めていると、やっぱり日本人はこんな庭をもっと大切にしたほうがいいのにと思います。西洋の庭園は油絵的で、色を塗り重ねる「足し算」の文化ですね。日本の庭は、無駄なものを究極まで省いて自然や宇宙を表現する「引き算」の文化なのでしょうか。こんな素敵な庭なら何時間眺めていても飽きませんね。八雲が日本の庭を初めて見た時、さぞかし新鮮に映ったことがしのばれます。

  3. 日本庭園の美しさはどうやら世界的に定評があるらしく、世界各地の都市では日本といえば即刻「日本庭園」というくらい人気があるようです。そういえば盆栽は「Bonzai」又は「Bonsai」として西洋語の一部となってもいるようです。八雲が「日本庭園」に並々ならぬ関心を示したのはおそらく「日本」と言えば「庭園」、だったからかもしれない、と想像を逞しくします。私の父は「盆栽」が好きで「庭園」を拵えようとしていました。木々を集めては盆栽にし、これまたどこからもってきたかわかりませんが、小気味良い岩を配し、己が藝術世界を創造しつつありました。息子の私はトンと関心がなく、しかし、世の中とはよくしたもので、私の家内が興味関心をもってくれました。庭造りは私の家内のライフワークになるか?と楽しみです。

  4. ブログを読んでいて近所のおばあちゃんのことを思い出しました。もう亡くなっているのですが、小さい頃はよくそのおばあちゃんの家で遊んでいました。そこには大きな庭があり、錦鯉を買っている大きな池があり、そこの池を囲む石があり、池に向かって突き出すような大きな石もあり、よくそこに登って池の鯉を眺めていました。池の周りには苔も生え、木々があり、昆虫が集まるような場所で、私にとっては大自然のミニチュアのような感覚でいつもそこにいるのが好きでした。八雲の庭への感想を読むと、そのような大自然を感じる庭という印象を受けます。自分たちが住んでいる空間、世界とはまた違った世界があるということを感じさせてくれるようでもあります。だからこそ、見ていて心が安らいだり、妙に興奮したりするのかもしれませんね。八雲の庭、自分の目でも見てみたいと思います。

  5. 武家屋敷の中には「八雲は中央の部屋から三つの庭を眺めるのが好きだったと云われています」とあることから、3つもの庭があったのですね。そのくらい、庭における重要度が高かったのですね。石・砂利・苔・草木・岩・水など、すべて自然の中に存在する物同士を、集中的に共存させた「庭」な印象を、写真から感じました。また、「この庭の全体からは、どこかきれいだけれどもとても寂しい、そしてそのままそこで眠りこんでしまいそうな、そんな場所を音もなく流れてゆく静かな流れの岸辺、というような印象を受ける。」という言葉がありました。その中でも、「音もなく流れてゆく静かな流れの岸辺」という言葉が印象に残りました。日本庭園からは、静寂の中にある美しさを感じます。

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