何回かに分けて「石」が話題になっていますが、なぜか、どこを歩いても石の話題にぶつかるのです。最近、石つながりを感じます。ひとつには、自分が年を重ねるに従って、「石」に魅力を感じてきているのかもしれません。今の園を建築するにあたって、どうしてもほしいものがあり、いろいろな人に声をかけて探してもらっているものがあります。それは、「つくばい」(蹲踞、蹲)です。これは、本来、手を清めるために置かれた背の低い手水鉢に役石をおいて趣を加えたものです。手水で手を洗うとき「つくばう(しゃがむ)」ことからその名がついています。しかし、実際には茶をたてるわけではありませんので、役石はいらないので、「手水鉢」だけでも欲しいと思っています。それも、新しいのを買うのではなく、長い間どこかの家で使われていたような、苔で覆われ、使い古されたようなものがいいと思います。なぜか、最近、そんな石に惹かれるのです。
日本の古典や民話などに取材した創作短編集である「怪談」をアメリカで刊行して有名なラフカディオ・ハーン、後に日本に帰化した小泉八雲は、また日本の伝統的精神や文化に興味をもち、生活に密着した視点から日本を欧米に紹介した多くの作品を著しました。
そのなかで、彼が日本にやってきてはじめて書いた作品集「知られざる日本の面影」のなかの第16章「日本の庭園」には、こんなくだりがあります。
「もうひとつ、特に忘れてはならない大事なことは、日本庭園の美を理解するためには、石の美しさを理解しなければならないということだ。少なくとも、理解しようと努めなければならない。石といっても、人の手で切り出されたものではなく、自然の営みで生まれた自然石のことである。石にもそれぞれに個性があり、石によって色調と明暗が異なることを、十分に感じ取れるようにならなくてはいけない。そうでないと、日本庭園の美しさの真髄が心に迫ってくることはないだろう。
しかも、外国人であるなら、たとえその人が審美眼を持ち合わせていようとも、石に対しての感覚だけは学習し、磨いておく必要がある。日本人の中には、生まれながらにしてその感覚が宿っている。自然を、少なくともその目に見える形のままに理解することにかけては、日本人は私たち西洋人よりもはるかに優れている民族なのだ。だが、西洋人が石の美を本当に理解できるようになるためには、日本人が石をどう選び、どのように使っているかに、長い年月をかけて精通していくしかない。」
その後ろの文章で、石についてさまざまな考察がされています。そして、石の持つ自然の造形がもたらす暗示が、石にまつわる奇妙な信仰や迷信を伝えてきたのだと言っています。その最後に「石はその美しさゆえに価値があり、造形で選ばれた大きな石となると、その美的価値は何百ドルもの値打ちかもしれない。また大きな石は、日本の庭の骨組みとなっている。どの石もそれぞれ特有の表情があるからこそ、選ばれているだけでなく、庭石や屋敷まわりの石には、それぞれの目的や装飾の役割を示す個別の名がついている。」
つくばいにしても、「手水鉢」のほかに役石として、「水鉢」「前石」「手燭石」「湯桶石」「水門」などが配置されます。
「知られぬ日本の面影」の舞台となった松江にある八雲の庭を、日曜日に見てきたので、明日のブログで、私なりにその庭の美を八雲と一緒に見てみたいと思います。
つくばい、探しています。住宅の設計が主な仕事だった頃は解体工事の際、結構もらえたのですが、いざ探すとなかなか良い物がないですね、中国産の新品でよければホームセンターに売っているのですが。ちょっと著名な造園業の人に聞くと、鞍馬石でで1500万円などといわれます。藤森先生のことですから、なにかの縁で良い物が見つかりそうな気がします。
その目に見える形のままに理解することにかけては、日本人は私たち西洋人よりもはるかに優れている、という部分が特に印象に残りました。日本人はこんな感覚を持っていると外国人から評価されていたんですね。今の日本人はどうでしょうか。どんな職業についていたとしても、日本人ならではの感覚、今は眠らせているだけかもしれない繊細な感覚を、もっと大事にしなければいけないと思いました。私自身は特にその必要があると感じます。イメージ通りのつくばいが見つかるといいですね。
私が「つくばい」に関心が向かうまでにはもう少しの年月が必要かもしれません。10代20代の頃より寺参りが好きで鎌倉や京都を度々訪れていました。「石の庭」といえば京都・竜安寺ですね。禅の世界、とやらで凡人の私には何だかよくわかりませんでした。「心字」が観えるとか。うん?「心字」はあれは「池」か?どうやらいろいろと混乱しています。さて、小泉八雲ことラフカディオ・ハーン。お父さんがアイルランド人でお母さんがギリシャ人。ヨーロッパの古典の結晶がラフカディオ・ハーン氏かと思われます。『怪談』はあまりにも有名ですね。「耳なし芳一」は平家琵琶の音とともにゾクゾクしながらテレビで観た覚えがあります。「むじな」は中学の英語の教科書に読み物として掲載されていました。島根のハーンですが、お墓は東京の雑司が谷にあるそうです。我が家から都電で行けるところにあります。いつか機会を見つけて墓参りを、と今日のブログを読んで思いました。
写真を見て思いましたが、私の中で日本の庭園と言えば「ししおとし」を思い浮かべます。次に池です。もちろん中には綺麗な鯉が泳いでいます。私の夢でもありますが自分の家の庭をそういう風にしてみたいです。
私達、日本人には西洋人にはない石に対しての感覚を持っているとは本当に驚きです。それが、自分にあるのかは分かりませんが…。日本人の繊細な感覚というものを少しでも磨かれるように自分自身、日々色々なものに興味を持ち色んな角度で物を見れるような眼になりたいと感じました。