宇都宮を訪れて、大谷石について考え、その後、近江にて穴太衆積み石について知り、石について色々と考えてみました。各地を訪れると、その地のどこにでも転がっているような様々な石により、石の文化が生まれますが、おなじようにどこにでもあるのが土です。その地の土によって、やはり様々な文化が生まれます。その特徴的なものに焼き物があり、そのひとつに瓦があります。かつて、日本各地には多くの瓦製造所が存在しました。それは、中世末から近世以降に、主に地元で産する粘土を材料に地元の需要に答えるために、地元の工房で生産される瓦で、製造工房の経営者や工人は必ずしももともと在地の者とは限ってはいませんが、瓦職人はその地に定住し、工房を在地で営んできました。
近江八幡を先週訪れたとき、「かわらミュージアム」に行ってみました。

ここでは、近江八幡の景観の重要な要素を形成する瓦屋根に関して、その歴史や製作技法・その芸術性などを紹介し、「はちまんかわら」の魅力と、瓦の種類・瓦の作り方・日本各地の瓦・世界の瓦等々も展示されていました。
瓦は本来、粘土瓦のことを言いますが、歴史的にも石瓦や銅瓦等もありますが、現在でも、セメントや金属などの材料も使われ、通常の粘土瓦が使用できない寒さの厳しい地域や個人の好み等によって粘土瓦の代わりに葺かれることがあります。また、瓦を屋根に施工することを「瓦を葺く」といいます。
島根の物産館に「百年瓦、石州」というチラシが置いてあり、そこに瓦の歴史が書かれていました。「日本書紀曰く「嵯峨天皇元年(588)、百済国より仏舎利、寺工、及び瓦工を献ず」瓦屋根が日本に初めて登場したのが飛鳥寺(596年建立)。
以来、瓦は様々な建築物の屋根に飾られてきました。奈良時代の国分寺建設ラッシュのとき、大和朝廷中央集権化の切り札として、大伽藍の屋根を飾り、戦国末期には、権力の象徴たる天守閣の屋根に。江戸時代初期には、日本最初の都市計画たる「城下町」の建設に。中期には、都市の防火機能確立のために。あるいは「蔵」という貯蔵システム構築のために。そして近代の急務となった町屋(住宅)の普及のために。瓦は、あるときは権力の象徴として、ある時は町造りの構成要素として、ある時は都市の防火機能として、その時代が求める役割を担ってきました。ドイツ建築界の鬼才ブルーノ・タウトは、日本を代表する建築「桂離宮」を評してこう言っています。「すべての優れた機能を持つものは、おのずからその造形も優れている。」屋根は建築物の機能と目的、そして外観意匠を決定する重要な要素です。」
確かに、瓦は土という自然の素材に、水と火というやはり人の歴史と共に使われてきたものを加えてできるものです。しかし、その瓦は、長い間、住宅の屋根には使われませんでした。それは、瓦が貴重であったと同時に、権力や権威の象徴であったのです。それが、その防火効果から住宅にも使用されてきますが、物は、時代が要請するものとして使用されていくのですね。ただ、自然物から作ったものは、自然に帰っていきますが、科学的に作ったものは、作るときには簡単で、使うときには便利かもしれませんが、使い終わったときにはとても厄介です。そのものを利用する場合は、これからの時代は、使うときではなく、使い終わったときも考えて使わなければならないでしょう。それが、重要な要素です。
1枚目の写真は、「かわらミュージアム」の建物でしょうか。屋根に「うだつ」が挙がっている面白い構造ですね。その当時の人々は、自らの権威や財力を誇示するために、瓦にも競って贅を尽くしたことが偲ばれます。鬼瓦にもいろいろ面白いものがあるようですね。高校時代に瓦の製造会社でバイトしたことがあります。瓦葺きの職人さんの手伝いでしたが、苦労して葺き上げた屋根を見るときが楽しみだったのを思い出しました。
昨年、地元の瓦産業の大手が次々に無くなっていき、今は再編のためにバタバタしています。いろいろな問題はあったようですが、瓦が以前より売れなくなったことも理由としてあるようです。使い終わった後は自然に帰すことができる素晴らしい機能をもった瓦がなくなっていくとしたら、さみしいことです。この土地で作られてきた文化と考えると更に残念です。知恵や文化は守っていかないといけないですね。
私の家の屋根も瓦屋根です。瓦と言えば「鬼瓦」を聞いたことがあります。その名の通り瓦の形が鬼のような顔をしているからなんですが、厄除けの効果があると祖母から聞きました。
瓦にしても、何にしても使い終わったあとの事を考えなければいけないのですね。とくに今の時代はエコが重要されています。そう考えると瓦という物は本当に素晴らしいものだと思いました。
「瓦」とはあまり縁のない暮らしをこれまでしてきたので今日のブログからは教わることばかりです。瓦が土からできていることは容易に想像がつきますし、「火」を使うことも理解できるのですが、読んでいて驚いたのは「水」を「加える」ということです。よく考えてみると土に水を加えて形作らなければ瓦ができない、ということなのでしょう。それでも瓦と水の関係に思いを馳せることができたのは偶然とは言え我ながらいいところに目をつけた、と自画自賛です。おそらく良い瓦ができるところには良質の土と良質の水が必要だろうと思われます。ところで、瓦が使い終わった後自然に帰せる、ということには思いを馳せることができませんでした。確かに、使い終わった後「厄介」モノにならない、ということは重要なことですね。