城取り

学校で歴史を教わったり、テレビで歴史ドラマを見たりしている中で、印象に残る時代はなんといっても戦国時代です。それは、戦国時代の戦いは、城取り合戦だったからでしょう。城を守り、城を攻める、また、その城が誰の居城となるか、そこにはさまざまな戦略が渦巻き、また、築城には、そのときの権力や、守るときの様々な知恵が懲らされているからです。そして、戦国時代から、全国統一に向けての戦いにおける舞台である城や、その後「安土・桃山時代」と呼ばれ始めた頃の舞台は、なかなか訪れることがありません。
この時代は、織田信長の居城であった安土城、豊臣秀吉の居城であった伏見城(後世桃山と呼ばれた丘陵地にあった)に因んで、安土桃山時代と呼ばれていますが、その二つの城はともに現存しません。しかし、伏見城はとても立派であったために、天守をはじめ一部の建物は二条城や常寂光寺などに移築されています。石垣は、大阪城を始めいくつかの城の修築に使用されていますし、西本願寺の唐門は、城門を移築したものですし、福山城や江戸城には、伏見櫓という櫓があります。しかし、織田信長が、安土山に五層七階の天守閣を中心とした本の丸、二の丸、三の丸などの諸郭を持った安土城の全容は、今は安土の駅前の資料館にその模型だけが残っています。
 滋賀県には、その時代の舞台となった城がいくつかありました。そのひとつが、戦国を飾る哀愁の城郭であり、中世五大山城の一つとしても有名な小谷城です。
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浅井長政とお市が過ごし、信長によって攻められ、長政は本丸の袖曲輪にある赤尾屋敷で自刃し、ここに浅井氏は滅亡します。浅井氏滅亡後、江北12万石を与えられた羽柴秀吉は、琵琶湖から離れた小谷城を嫌い、琵琶湖に面しており港もある今浜に新たに築城して居城とします。そのときに、建物等は長浜城へと移築され、今の彦根城の西の丸三層櫓は、このときに長浜城へ移築された小谷城の天守と云われています。そのため小谷城は廃城となり、現代に至っています。
 この長浜城は、清洲会議の後、柴田勝豊、山内一豊が城主となっています。一昨年のNHK大河ドラマの「功名が辻」が放映されたときに訪れたかったのですが、不便さもあって行けなかったのが、先週末の連休に妻と訪れることができました。今は、城は残っていないで、城跡には、3層の模擬天守が建てられ、中は資料館となっています。いかにも模造ということで少しがっかりしましたが、残っている築城当時の石垣を見ると、なんとなく当時を偲ぶことができます。
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 同じように今はなき安土城も、学生の頃から聞きなじんだ響きの場所だけに、駅名の看板で「安土」という字を見つけるだけで、その城の短命さとあわせて、信長の駆け抜けた一生を思い浮かべてしまいます。信長が本能寺で明智光秀の謀反のために自刃したあと、山崎の合戦で明智光秀が敗れると、安土城に入っていた明智秀満は、坂本城へ引き上げ、このあと織田信雄が安土城に入りますが、明智残党の掃討のため城下に火を放たれた火は、城にまで燃え広がり、天守閣も焼け落ちてしまいました。この立派な城の完成後わずか3年のことだったのです。
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 戦いで奪ったものは、結局戦いによって失われていくのですね。

城取り” への4件のコメント

  1.  私も歴史の中で戦国時代は一番印象に残っています。小学校5、6年生の時の担任がとても社会が好きで、中でも戦国時代のところばかり授業をしたから印象に残っているのかもしれません。
     ブログの最後の文はとても意味深いです。豊臣秀吉にしても、本人は戦いで死んでいなくても子孫が戦いで敗れています。この時代というのは本当に武力があるものが残るのですね。また、戦国時代でなくても、世界大戦でも日本は同じような結果です。今回のブログを読んで「戦い」は二度と起こしてはいけないと改めて強く思いました。

  2. 小谷城跡から写した湖北の風景はいいですね。霞がかった景色が淡々としています。織田信長は義弟浅井長政を心底信頼していたようです。よもや退路を経たれる、とは思ってもみなかった。後に小谷城陥落、浅井父子の首を手に入れ、その頭骨で新年の祝杯をあげる、など織田信長による浅井長政への思い入れの深さ、を推測できます。かつてNHK特集で安土城の復元CGを放送していたことがあります。その内部の凄さに唖然としました。昨年は井沢元彦『逆説の日本史10戦国覇王編』(小学館文庫)で「安土城」の内部に関する構造と意味を学ぶことができました。「平安楽土」の「安」と「土」をとって名前にしたとか。「天下取り」の意味。その意味の深淵さはおよそ凡人には計り知れないものがある、と思いました。

  3. 沖縄で今起きている問題などを耳にする機会が多くなったこともあり、戦うことの意味をよく考えさせられます。このブログでも書かれていましたが、子どもたちの戦いごっこにどう対応するかも課題の1つです。戦いは決して平和を生み出すものではないと体験を通して知っていながら、同じことを繰り返してしうという大きな問題もあります。歴史が教えていることをしっかり受け止めなければいけないと思います。

  4. 安土城は、日本の城郭で初めて天守閣(天主閣)を持った城として、異彩を放っています。織田信長のあくなき権力欲の象徴ですね。それ以前は、秀吉の一夜城で有名な墨俣城にみられるように、合戦のための野城(砦)が多かったようですが、安土城や伏見城の築城で、日本の城郭技術は飛躍的に発展したようです。お城をみることで、当時の「つわものどもの夢の跡」をたどることができますね。

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