画家「アンカー」は、子どもたちの詳細な観察に基づくエッセイを執筆していますが、画家として、対象物をよく見ることは日常だったのでしょう。しかも、画家におけるその外見だけでなく、内面までも見ようという姿勢は、ピカソの絵を見てもわかります。また、ロダンのバルザックの彫刻を見てもわかりますが、ざっくりした、体の線を隠すような服を着ている姿を表すために、まず、何も着ていない裸体の像を制作しているように、その人を覆い隠しているものを剥ぎ取って、その本質を見ようとしました。
子どもを対象として見るときに、いまは、あまりにも情報が多すぎます。その情報による刷り込みや、情報による育児知識の蓄積が、時として実際の子どもを覆いつくしてしまっていることがあります。また、実際の姿よりも、数値で現れたものの方を信用してしまうことがあります。例えば、子どもの具合が悪く、ぐったりしていても熱がないからといって出歩いてしまったり、おなかがすいていなくても、時間だからといって無理やりに食べ物を口に詰め込んだりしてしまうことがあるのです。もっと、直接に見ている目を信用してもよい気がします。
私が、学校建築の研究で小学校に勤務し、1年生を担任しているときに、教育書はほとんど読みませんでした。目の前にいる子どもをまず、よく観察したのです。そして、その子どもたちの生活環境を見ました。朝、登校するときは、学区域の端まで行き、そこから登校する子どもたちと話しながら学校まで行きました。その通学路を1週間ごとに変え、さまざまな子どもたちと会話する中で、その地域に住む子どもたちの関心事や、今話題になっていることなど口コミから探ったのです。
このブログでも取り上げたことがある、現在、赤ちゃん学会理事長であり、小児科医の小西先生がある雑誌の対談で、最近の脳科学ブームについてこんなことを言っています。
「まず考えなければいけないのは、脳を育てることが大事なのか、子どもを育てることが大事なのかということです。それはもちろん子どもを育てることで、脳を育てるわけではけっしてない。こう考えると、今抜けているのは脳科学ではなくて、むしろ行動学的観察です。子どもを理解することがなくなっている。そこをまずきちんと見ていかなければいけません。」
子育てをしている親たちは、目の前にいる子どもをよく見ないで、育児情報を通して子どもを見ることが多いような気がします。育児情報にわが子を当てはめようとするのです。しかしそれは、どうも逆のような気がします。
育児を科学化することは大切です。しかし、そのために小西先生はこう言っています。「育児を科学するためには、子どもを知らない脳科学者ではなく、臨床をやっている小児科医や小児精神科医がきちんとしたデータを出さなければいけない。現場ともタッグを組んでいかないといけない。現場から、日ごろの子どもとのかかわりをきちんと整理して、問題点を出して、小児科医などに投げかけてもらいたい。見てきたこと、経験してきたことを大事にして、これがわからない、知りたいから研究してほしいと投げかけていただきたい。」
やはり、育児は現場で起きているのです。
脳を育てるのが大事なのか?子どもを育てる方が大事なのか?と聞かれるともちろん、子どもを育てるほうが大事に決まっていますね。それで、子どもを大事に育てるにしても、教育書通りに沿っても、実際に子ども自身を見てみないと何の意味も無い気がします。教育書通りの育ちをしている子どもがいれば役に立つかもしれませんが…。
確かに、現場で働いている人が一番子どもの事を知っているわけですから、現場も小児科医との関わりを持ってお互いに情報を交換しあって子どもの育児を高めていくのが必要だと思います。
藤森先生の講演は、具体的でわかりやすくきちんと理論立てられているので、とても説得力があるとセミナーに参加した先生方は異口同音におっしゃいます。大学の学者先生とは違って、常に子供たちに近い所にいて、よく観察されているからでしょうね。何事も「現場」が大事ですね。企業でも、会社のトップが現場を歩いて社員と対話したり、その眼で顧客の反応を観察しているところは伸びています。昨年は様々な偽装事件が社会問題になりましたが、会社を揺るがす問題も、成長のヒントもすべて「現場」にあることをトップは知るべきだろうと思います。
まず観察し、そこから何をすべきか考える。当たり前のことなのに、自分はおろそかにしてしまいがちです。情報を頼りにすることより、自分の目で観察し確かめることの方を大切にしないといけません。そのためにはもっと素直に物を見る力をつけなければいけないと思いました。
親が勝手に描くわが子の子ども像あるいは大人像で子育てをしている親御さんが多いですね。どんな子ども像を持つにせよ、結局はわが子のその時々のあり様を認める必要があります。そのことがなければ、自分の子に対するイメージだけが先行して実像が見えず、結果としてイメージと実像の乖離を他者の無責任性に帰して他者批判あるいは制度批判に向いてしまいます。自分たちの子育て実態は棚に上げるのです。この先に待ち受けているもの、それは尊属殺人をも視野に入れなければならない親子関係です。「見守る」ということをの「見る」はただ子どもを眺めているだけではなく、子ども理解があって初めて成り立つことを藤森先生は常々仰られております。今日のブログはそのことの重要性を示唆されたものと諒解しております。
子どもを観察する。保育士にとって、煩雑さの中においては言われたら辛い言葉かもしれません。保護者は日々の生活において認識していても、子どもの能力を上げる方法のほうが興味のあるところでしょう。
しかし、某映画のキャッチコピーではなく、「育児は現場で起きているのです。」は正に“言い得て妙”です。
現場職員は、子どもを観察しているつもりが逆に子どもに観察されていて、職員の行動に反応していることも解ってきます。場合によっては、「子どもを観察する」とは我々の保育の取り組みを知らされることにもなります。