今日は、仕事始めでした。正月ということもあって、同じ町内にある「氷川神社」に職員と破魔矢を買いに行きました。破魔矢は、わざわいや悪霊を払いのける破魔弓の矢のことです。これは、は武家の風習で、戦場に赴く前に武運長久を祈願して神社に甲冑・刀・槍・弓矢などを奉納した際、参拝した神社から守護神のご加護の証として模擬の弓矢をいただき、これを戦場での御守護として奉ったことが発祥の由来と言われています。それが、江戸時代の後期には一般庶民の間にも広がり、男児の成長を祈願して神社に参拝した際に、破魔矢と破魔弓をセットしたものを授かったとされています。また、明治以降は、魔を射り破るという意味合いから魔除けの弓矢と言われ、現在では主に初詣に神社へ参拝した際に、「開運厄除・家運隆昌」を祈願して祀ります。
しかし、小型の弓にお守りなどをつけた神社の縁起物の「破魔矢」という言葉は、もともとは破魔矢奉製所という会社の商標登録でした。それが、一般的になったため、数年前に商標登録の更新をしませんでした。ですから今では普通に使われることが多くなりました。しかし、明治神宮の矢は守護矢と言いますし、鏑矢(かぶらや)ともいいます。「鳴りかぶら」ともいい、射ると先端の鏑が鳴り、戦場で戦いの合図として最初に射る矢のことで、今でも物事のはじまりを「嚆矢」(こうし・鏑矢の意)といい、また昔から祓の意味でも射られていました。
 また、富岡八幡宮の場合は、破魔矢のことを「開運白羽の矢」といいます。ここへは、今年家族で初詣に行きました。この八幡宮は、永代橋の近くの門前仲町にあり、下町情緒が残っていて、下町育ちの私としては、とても懐かしいにおいがしました。
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 富岡八幡宮の社殿によると、寛永4年(1627年)、菅原道真の末裔にあたる長盛法印が、弘法大師作の八幡大菩薩像を常に信仰していたところ、ある夜、「武蔵野国の永代島の白羽の矢が立っている場所に私をまつりなさい。」とのお告げを受けました。お告げどおりに永代島にやってきた長盛は夢の託宣の通り白羽の矢が一本納められているのを見つけ、創祀したのが富岡八幡宮といわれています。毎年正月に授与される「白羽の矢」は上記の故事に由来し、「開運吉事の当り矢」と呼ばれ、開運、除災招福、家内安全に大きなご利益があるといわれています。最近では受験生の合格祈願のお守りとしても人気です。
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 しかし、もともと白羽とは「真っ白な矢羽」のことで、こんな逸話から来ています。「賀茂川の川上から白い羽の付いた矢が流れて来た。少女が神に捧げる水を汲んでいたところ、矢が水桶のところでぴたっと止まった。不思議に思った娘は矢を持ち帰って軒にさしておいた。すると、たちまち彼女は懐胎して男児を出産した。白羽の矢は、神がその子供を生ませる少女を求めて流したものだった。」ということで、人身御供を求める神が、望みの少女の家の屋根に人知れず白羽の矢を立てた、という俗説に基づく言葉で、犠牲者として選び出されることを指しました。しかし、この話の神意で大役を押しつけられるさまから、今では、多くの人の中からこれぞと思う人が選ばれる事、大切な任務に抜擢されたような場合に使います。
 伝承されていくものと、進化していくものと、変化していくものがあるのですね。

” への3件のコメント

  1. 以前、藤森先生から「これぞと思う人物に出会った時に、霊感(インスピレーション)が働くんです」というお話をお聞きしたことがあります。今、先生の傍で働いている方は、皆さんそれで選ばれた方ですね。人生において、いろんな人に出会う機会はありますが、やはりこちらの洞察力、直観力を磨いておかないといけませんね。今月、先生の園を見学させていただきますが、一緒にお連れするのは私が「白羽の矢」を立てて特に御案内した先生方です。「見守る保育」の真髄を学ぼうと意欲満々の方ばかりです。今から、本当に楽しみにしています。

  2. 最後の伝承・進化・変化の部分を読んでいて、先月ある人から「守破離の考えを大切にしなさい」と言われたのを思い出しました。進化・変化させるにしても、まず守るべきもの、伝承すべきものをしっかり身につけることが大切なんだと今は考えています。まずは基本を。今はその段階だと思っています。

  3. 私が生まれ育った地の風習と現在暮らしている地の風習の違いは折に触れ事につけて感じていますが、今日のブログの「矢」こと「破魔矢」も生まれ育った地の風習には存在しておらず、後になってその存在を知るに及んだモノです。酉の市の熊手やら今回の破魔矢やら基本的に親しみのないモノをあれこれ知ることは文化の学習につながります。「白羽の矢」のお話しもナルホドと感心しながら読ませて頂きました。今現在暮らしている場所は「流鏑馬」で有名な場所です。近くの氷川神社で流鏑馬の神事が催されるとか。まだ拝見したことはありませんが、是非一度見てみたいと思います。同じ日本に住んでいながら各地の異なる文化に触れると驚きと興味深さを感じます。しかし、そうした違いを理解できる、その大本には共通性という重奏低音が流れているためだろうと思います。

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