石のことわざ1

 よく、建物の角のところに特別な石が使われていることがあります。この石は、外国の石積みの建物には重要な石ですが、日本の洋風建築には、この石を装飾用として際立たせている場合があります。なんだか締まる感じがしますね。
ko-na-.JPG
この石のことを「コーナーストーン」と言います。この、建物の礎となる石、あるいはアーチの最頂部の要石という意味を持つコーナーストーンということから、基礎となる重要なものという意味を持つようになってきました。経営用語としても使われることがあり、会社のビジョンなど、基本方針を定めたものをこのように呼ぶ会社もあります。このように思って城を見て歩くと、石垣でも、コーナーストーンは、重要な役目をしています。
ko-na-suto-n.jpg
 こうしてみると、石は身近なものとして昔から人と関わってきたので、石という言葉を使ったことわざも随分あるようです。
 面白いところで、「石に漱ぎ流れに枕す」という「負け惜しみが強いこと。また、屁理屈を並べ、言い逃れることのたとえ。」という言葉があります。「夏目漱石」の名もここからつけられていることはよく知られています。これは、次のような故事があります。「晋の時代に孫楚という人がいました。孫楚はまだ若い頃、早くも俗世間を捨て、隠居して山林の中に隠れ住もうと思いました。その決心を友人の王済に打ち明けました。その時に、本当は、「石を枕にごろっと横になり、谷川のほとりで口を漱ぐような生活を送りたい」という意味の「石に枕し流れに漱ぐ」と言おうとして「石に漱ぎ流れに枕す」と言い間違えたのです。そこで、王済は、「石で漱ぐことは出来ないし、流れに枕することは出来ないよ。」と指摘をしたところ、孫楚はあわててこじつけを考えて言いました。「いや、石に漱ぐというのは歯を磨こうと思ったからさ。流れに枕すというのは耳を洗おうと思ったのだ。」と孫楚は負け惜しみで言ったのですが、なかなか上手い返事だということで、「漱石枕流(そうせきちんりゅう)」という言葉が負け惜しみの強いことを表すようになりました。また、「流」と「石」という字をとり、本来の意味とは違っていても上手なシャレであるという事で、日本では「流石」を「さすが」と読むようにもなりました。
 他に、「我が心石に匪ず転ず可からず」(わがこころいしにあらずてんずべからず)という言葉は「詩経」が出典です。高橋和巳の小説に「我が心石にあらず」というのがありましたね。この意味は、「石は転がすことができるが、自分の心は石ではないので転がすことはできない。固い志、不動の精神」ということですが、類義語の「匪石の心」という「わが心石に匪ず」を使うときには、石にどんなイメージを持っているかで、聞いた人はちがって取ってしまうのでしょうね。「冷たく、無機質」と思えば、自分はもっと心がこもっていて、やさしいと言っているように取れます。この意味で使う場合に、「木石に非ず」という白居易の言葉があります。これは、「人間の身体は木や石でできているのではないから、暖かい血も通い、物事に対し喜怒哀楽さまざまな感情に動かされるものである」という意味です。また、石は丸くて転がりやすいとイメージする人は、私の心を転がすように弄ぶなと言っているように聞こえるでしょう。
 他にも、石が入ることわざを明日思い浮かべてみます。