辛子蓮根

 熊本の代表的な郷土料理として有名な辛子蓮根をいただきました。
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 東京生まれの私にとっては、これは奇妙な食べ物のひとつに数えられます。しかも、その食べ物を知ったのは、申し訳ないのですが、1984年、辛子蓮根による集団食中毒事件が発生、36名が中毒症状に陥ってうち11名が死亡したニュースでした。この食中毒は真空パックした商品でのみ起こりましたが、滅菌処理を怠ったためパック内に嫌気性のボツリヌス菌が繁殖し、さらに真空パックのため辛子の成分が揮発せず菌が生き続けるという悪条件が重なって発生したことが判明しています。 この事件がニュースで報道された結果、辛子蓮根は全国に知られることになったのですが、逆にそのために風評被害に会い、休業・廃業に追い込まれた業者もあリました。しかし、本当は、病弱だった細川家初代の殿様のために発明された「健康食」といわれています。熊本藩主細川忠利は生来病弱でした。ある時、前任地である豊前国耶馬溪羅漢寺の禅僧・玄宅が忠利を見舞った時に、蓮根を食べるよう勧めたのです。そこで藩の賄方であった平五郎が、加藤清正が熊本城の外堀に非常食として栽培していた蓮根の穴に和辛子粉を混ぜた麦味噌を詰め、麦粉・空豆粉・卵の黄身の衣をつけて菜種油で揚げたものを忠利に献上したところ、忠利は喜んで食べ、健康になったといわれています。蓮根は増血剤として優れている上に辛子には食欲増進作用があること、また蓮根を輪切りにした断面が細川家の家紋(九曜紋)と似ていたことから門外不出の料理とされていましたが、明治維新からは一般にも製法が伝わり、熊本名物の一つになりました。日本各地の城のお堀によく蓮が植えられているのは、非常食の目的であったと言われているように、蓮根自体とても栄養があります。意外ですが、ビタミンCなどは、みかんの1.5倍、大根の3.7倍に相当する量が含まれ、100gで1日に必要なビタミンをまかなえます。しかも、熱に弱いビタミンCに対して、蓮根はでんぷん質が多いために、加熱しても相当量のビタミンCが残ります。また、最近では、発がん物質を抑制する効果があることもわかっていますので、忘年会でタバコやお酒を飲みすぎた後は、ぜひ蓮根を食べるのを勧めます。また野菜としては珍しくビタミンB12が豊富で、貧血を予防し、肝臓の働きを助け、ペクチンなどの食物繊維も多く、便秘を解消し、大腸がんを予防し、コレステロールを下げて血圧を正常にし、動脈硬化や高血圧にも効果があります。ミネラルではカリウムや亜鉛、銅、鉄を多く含み、中国では茎の部分だけでなく、葉や実や花弁などハスのすべてを薬用に用いています。特に蓮の実は、「蓮肉」「蓮子」と呼ばれ、強壮剤として用いられ、肝臓、腎臓、心臓に良いそうです「胃もたれ、胸焼け、滋養強壮」「消炎・止血効果」「鼻つまり・鼻血予防」「むくみ」「咳止め、二日酔い」「扁桃炎、口内炎」など、あげればきりがありません。また、辛子もその香りの素として知られる有名な成分(アリルイソチオシアナート)は、わさび特有の鼻にツーンと抜けるような辛味の主成分と同じもので、殺菌作用や食欲増進などに効果があります。また、ストレスを軽減する効果もあるといわれています。このような効用のある蓮根をお正月に食べて健康になり、また、蓮根は、穴が開いていることからそれを食べると「先が見通せる」といわれていますが、子どもとかかわるためには、今がよければではなく、蓮根でも食べて、先を見通す力をつけていかなければなりませんね。

出る杭

 よく「出るくいは打たれる」という言葉があります。これは、頭角をあらわす者はとかく人から憎まれるということです。もうひとつの意味として、差し出がましいことをすれば制裁を受けるということがあります。その二つの意味のうち、差し出がましいことはしないほうがいいのですが、頭角をあらわすものが憎まれるのはおかしいですね。同じような意味で、「喬木は風に折らる」という言葉がありますが、これも、高く伸びた木は、風当たりが強いので風害に遭って折れやすいということで、人も地位が高くなると他人から批判や攻撃されることが多く、災厄を受けやすいというたとえです。他にも、同じような意味で言われることわざに「高木は風に折らる」「大木は風に折らる」「誉れは毀りの基」「褒むるはそしるの基」など、随分ありますね。これらは、基本的に嫉妬心から出るものが多いのですが、赤ちゃんの情緒の分化では、「快」「不快」と分かれる次に現れるのは、「嫉妬心」ですから、人間というものは、嫉妬する心は、早いうちから芽生える情緒のようです。また、嫉妬心からではなく、みんな同じとか、みんな公平にというように、特別を嫌がり傾向にあります。また、波風を立てないというか、今までのままを好みます。しかし、物事は、様々な改革の中から新しいものを生み出していきますし、その時代を作っていきます。また、時代の変化に応じた変化が求められることが多いのですが、人はなぜか改革、変化を嫌い、警戒します。京都大学の山中教授が、じぶんの皮膚の細胞から、痛んだ臓器を直す細胞をつくる発明をしたことで、世界的に注目を浴びています。心筋や神経、肝臓、骨などの細胞など、あらゆる細胞に分化する可能性を持った細胞である「万能細胞」の作製に、山中さんは昨年8月に世界で初めて、マウスで成功し、今年、人でも成功しています。しかし、この万能細胞は、今までは、受精卵を壊して作るしかありませんでした。それを、受精卵を使わず、しかも学生にもできる簡単な方法である「皮膚など体の細胞に、4種類の遺伝子を入れるだけ」でできる方法を生み出したのです。この山中さんの発明に対して、生命の萌芽を壊すことに対し、ブッシュ米大統領やローマ法王庁などは、強く反対していました。また、昨年、マウスで作製に成功したときには、しばらくの間、海外の研究者の一部から、陰で嘘つきよばわりされていた時期もあったそうです。しかし、山中さんの方法を試みた海外の研究室でこのiPS細胞(人口多能性幹細胞)が次々に作製され、再現性が証明された後は、この細胞の研究に火がつき、競争が激化しています。それどころか、米国の研究者が追い越そうとしています。それは、この研究が、今まで、病気や怪我で傷つき、修復不可能になってしまった臓器の細胞は、移植するしか健康な状態に回復させることはできなかったのを、この細胞を使って修復しようという「再生治療」を可能にしたからです。ですから、受精卵を壊して作るES細胞に反対していた、米ホワイトハウスやバチカンのローマ法王庁の注目しており、山中さんたちの論文が発表されるや、即日、「iPS細胞の研究を歓迎する」というコメントを発表しています。そんな海外からの反応に刺激され、1週間後に開催された会議で福田首相が、「再生医療に向け、臨床研究の進め方などこの研究を円滑に進めるための環境作りを早急に進めて頂きたい。」と述べています。出る杭は打たれますが、一度その杭が認められると、今度は打って変わってみんながその手柄を自分のものかのように守り始めるのです。なんとも、みっともない話しですね。

育児相談

 新聞などで、毎日どこかに身の上相談が掲載され、それに各界の著名人がそれについての回答を述べています。その相談欄では、その相談内容にびっくりすることがあったり、共感したり、同じように悩んでいる人がいると安心したり、時代がわかったりと色々と感じるところがありますが、その回答でも、答えている人の人柄や考え方などがわかります。また、回答を、レギュラーではなく、ネット環境の中では、読者が回答するようなことが最近多くなりました。先日、こんな相談がありました。「学校がつらく、早く死にたいと言う高校1年の男子の親が、親は見守るしかないのでしょうか?」というものです。私は、よく「見守る」という日本語を大切にすることを訴えていますので、その言葉が使われている記事を読むと、すぐ反応していしまいます。この相談内容に二人の人が回答していました。簡単に要約してみると、その一人は、担任の先生や、教育相談担当の先生やスクールカウンセラーに相談したり、自治体の教育相談窓口などを利用することをすすめています。もう一人も、親御さんとしては様子を見ているだけではなく、なるべくなら学校にも相談し、早いうちに一度病院で受診することを勧めています。私も、相談の「親は見守るしかないのでしょうか。」という言葉が気になります。その質問は、もしかしたら「親はただ見ているしかないのでしょうか。」と言うべきではないかと思います。「見守る」のであれば、子どもの様子を見て、子どもを守るべき行動を起こさないといけないと思うからです。「見て」「守る」から「見守る」のです。ですから、この相談に答えている人の回答内容になるのです。しかし、子育ての中では、どこまで見ていて、どこから守ってあげればよいかの判断がとても難しいものです。それは、いくら幼児でも、すぐに守ってしまうのではなく、まず、子どもをよく見る必要があります。私がある本でのQ&Aコーナーで、「子ども同士で遊ばせると、喧嘩をするかもしれないし、意地悪をされるかもしれないと心配です。」という質問に対して、答えとして、次のように書きました。「最近、世界中で子どもの学力に対する考え方が変わってきています。子どもたちに必要な力として「何を知っているか」「何を覚えているか」から、「問題解決能力」が一番に上げられています。ところが、この少子化で、子どもが困難にぶつかったとき、親が代わりに解決してあげたり、原因を取り除いてあげるなど、困難な状況自体を封じる傾向にあります。そのため、今の子どもには自ら困難に立ち向かい、それを乗り越える力が欠けてしまっています。子どもたちは、成長する過程でさまざまな問題にぶつかります。それを大人が取り除いてしまうのではなく、子ども自ら乗り越えられるように援助してあげましょう。初めて体験する子ども同士の関わりの中で必要なことは、愛情深い保護者に見守られているという安心感です。子ども同士のトラブルが起きても、危険がない限り、未然に防いでしまっては自らそれを乗り越える力がつきません。ただ、ここで見ていてあげるよというサインを送ることが大切なのです。」このように、子どもを守るということは、ただガードするというだけではなく、同時に自らそれを乗り切る力をつけていくことも必要になるのです。それについて、翌月には次のような解答を書きました。「ドイツなどでは、「わが子にどうなって欲しいか?」という問いかけを親にすると、ほとんどの親は「自立」と答えるそうです。親が、子どもと十分に関わり、子どもの世話をするのは、次第に子どもが自立していくことを望んでいるからです。早く手放したり、自分でやることを強制したりすると、かえって自立を遅らせるからです。自立していくときには、愛情豊かな、思慮深い大人に見守られているという信頼関係がしっかりと築けていることが必要です。手を出すことよりも、ここで見てあげているよというサインを送ることが必要なのです。そして、いつでも困ったら、助けてもらえるという安心感が自ら行動することになるのです。何もできないのが子どもなのだとか、何も知らないのが子どもだとか思うのではなく、もっと子どもを信じてあげましょう。子どもは、たくさんの自ら育とうとする力を秘めています。その力を引き出すために、ちょっと手伝ってあげればいいのです。」子どもを放任してしまう親が多いと同時に、少子社会になると、そうしても子どもに対して過干渉になりがちな親も増えてきます。どうすることが「見守る」ことなのかを、もう一度考えたいものです。

健康の秘訣

 今日、長寿県が発表されていました。なぜその場所に長寿が多いのかは色々な考え方があるようです。朝のテレビでは、男性の長寿の長野県は、お年寄りの就業率が非常に高く、逆に、余り高くない県では、失業率が高くなっているということで、昨日のブログではありませんが、やはり人生の生きがいが健康に関係するのでしょうか。そんなこともあってか、今、韓国とか、中国は元気ですね。何年か前に中国の上海に、自然教育事情の視察ということで、日本野鳥保護連盟の方と一緒に行ったことがありますが、その頃から、随分と活気付いていましたが、今は、もっとすごいでしょうね。ANAの機内誌に上海のお年寄りの元気のキーワードが書かれていました。そのキーワードは、元気に過ごすためにとても参考になります。その1「おどる」です。ここ上海だけでなく、中国に行くと朝、公園で様々な踊りを踊っている人たちを見かけます。それは、「心と体の癒しを自然にゆだねるホリスティックな健康生活を実践すべし」ということで、思い思いの健康法を繰り広げているのです。ずいぶん昔のことになりますが、私が子供会を立ち上げ、その子ども会で夏の間ラジオ体操を公園で行っていたところ、次第に参加者にお年寄りが多くなり、夏休みが終わる頃、そのお年寄りたちが夏の間だけでなく、もっとやりたいということになり、1年中朝ラジオ体操をやることになりました。場所も、地域の公園から、その市の中央公園での活動になり、ラジオ中継までされることになったことがありました。日本では、朝、公園に集まるというと、ラジオ体操はありますが、上海では、「社交ダンス部」や、「花架拳」といわれる1000年以上の伝統がある武術の一種の踊りや、日本でも有名な「太極拳」、はてはプラスティックの剣で剣舞をやっている人などで活気にあふれているそうです。その2「うたう」です。最近日本では、若い人たちがストリートコンサートなど行っていることがありますが、上海では、「越劇」と呼ばれるこぶしの利いた民謡オペラ節を披露したり、太鼓や二胡やアコーディオンなどを演奏しながら歌っているお年よりも多いようです。これ以外は一般的ではありませんが、様々なお年寄りが健康のために行っていることを紹介しています。まず、「這う」です。手を保護して、毎朝数十分這い回ることで、普段使わない筋肉を刺激し、食欲が湧くのだそうです。そして、「凧揚げ」です。これは、目のかすみと首の凝りに抜群だそうです。確かに上を向いているので、首にいいかもしれませんね。ぜひ、ちょうどお正月なので、子どもと凧揚げするのはいいかもしれません。木に触って気をもらっている人もいます。ただ、木に触るだけという超簡単な健康法です。しかし、朝でないとダメだそうで、また、ゴツゴツした幹ほど手のつぼを刺激するので理想的だそうです。銀の球6つでお手玉をするのもいいそうです。これは、10本の指は、五臓六腑につながっているので、慢性病や認知症の予防になるそうです。私の園の今年のクリスマスプレゼントは、職員手作りのねずみの形をしたお手玉です。もちろん、中身は非常食として小豆が入っています。そして、公園から帰った後の医食同源の朝ごはんも健康の秘訣。しかし、最後にインタビューに答えた二人の人の言葉が、養生訓にもつながる長寿のためにもっとも大切なことのような気がします。「私は9歳から工場勤めを始めたの。退職した今、やっとおじいさんと一緒に過ごす時間ができたから、本当に幸せ」「一番大切なのは、悩まないこと。くよくよするのは本当によくない。笑って過ごすことがもっとも大切よ。」

養生訓

インフルエンザがはやっていますが、もう罹ったでしょうか。私は、ありがたいことに、まだ罹っていません。園で行事があったり、講演など出かけたり、来客を迎えたり、自分だけでなく、他人に迷惑をかけることが多い毎日ですと、おいそれとは風邪にかかるわけにはいきません。しかし、そう自分の意志だけでは防げるものではないので、出かけて帰ったら必ずうがいをするとか、手をよく洗うなどはしますが、睡眠を十分とるとか、休息を十分するとか、栄養をきちんと取るとかいう事は必ずしも実行できません。ちょっと忙しいと、どうしても睡眠が1日4,5時間のことは多くなりますし、週末講演に出かけるとなると、土、日曜日はつぶれてしまいますので、2、3週間休みなしということもよくあります。そんなときは、「最近、寝不足だから体が心配だ」「いつも忙しくしていて、疲れないか心配だ」ということは思わないことにしています。ある程度年を取ると、「それほど睡眠をとらなくても大丈夫なはずだ」「自分で好きなことをやっているので、それほど休息をとらなくても大丈夫だ」と言い聞かせています。そんなこともあってか、私はそれほど体が丈夫なほうではありませんでしたが、最近は病気になることは少なくなりました。しかし、そんな私でも、まだまだ根性が足りないと思うことがあります。日曜日の新聞に書かれてあった日野原重明さんのインタビュー記事です。彼は96歳の現役医師ですが、それだけでもすごいのに、彼の日々の生活のハードさには頭が下がります。書き出しに、このインタビューの前後の日程が書かれています。「前夜は、講演の準備や原稿の執筆で一睡もできなかった。でも、朝になったら気分爽快。今日も気持ちよく仕事ができるなと。翌日は、台湾に半日滞在し、講演などをこなして帰国。」なんとすごい毎日ですね。しかし、この元気の秘訣はこう書いています。「大切なのは、小さな行動にも目標を立て、達成感を持つこと。」私は、この域に達するのはまだまだな気がしますが、最近は、講演などのあとには、とても充実感と達成感があります。そして、講演を喜んで聴いてくれた参加者に感謝の気持ちでいっぱいになります。講演が終わった夜など、よく「こんなに自分で充実した思いを感じたのに、人からは感謝されるような仕事って、本当に幸せだ」と思うことが多くなりました。そんなときに、いろいろなことに不満を持ち、他人に苦情を言い、気を張って生きていて何があるのだろうと思います。いつも相手の失敗とか、他人の悪い部分を見ている人は、自分の体のとっても不健康だろうなと思うことがあります。日野原さんとおなじように、83歳の1712年に自身の実体験に基づいて書かれたものに貝原 益軒の「養生訓」という本があります。この内容は、長寿を全うするための身体の養生だけでなく、こころの養生も説くというところに特徴があります。彼は、先日のブログの「和俗童子訓」も書いていますが、幼少のころから読書家で、非常に博識でしたが、書物だけにとらわれず自分の足で歩き、目で見、手で触り、あるいは口にすることで確かめるという実証主義的な面を持っています。また世に益することを旨とし、著書の多くは平易な文体で書かれより多くの人に判るように書かれています。その彼が、養生という点からの三楽として次のものを挙げています。「1、道を行い、善を積むことを楽しむ 2、病にかかることのないのを快く楽しむ 3、長寿を全うすることを楽しむ」これを、愛妻家であった彼の妻もそのままに実践し、晩年も夫婦で福岡から京都などに物見遊山にでかけたりし、睦まじく長生きしたといいます。

風林火山最終回

 HNK大河ドラマ「風林火山」も今日最終回を迎えました。原作は、井上靖の長編小説で、「甲陽軍鑑」に拠る甲斐国武田信玄に仕えた軍師・山本勘助が、武田家に仕え、武田信玄と上杉謙信との幾度と行われた戦の中で最大の川中島の決戦で勘助が死ぬまでを描いています。あと、この物語の中心人物として、諏訪頼茂の娘であり、武田四郎勝頼の母となる人物である由布姫を描いています。ところで、今年は、信玄、山本勘助ゆかりの地域を訪ねましたが、その中で信玄と勘助の墓を訪ねて気が着いたことがありました。信玄は、その人物像を描いた小説によって、随分と印象が違います。また、彼の地元である山梨では、名君として受け止められています。確かに、彼の詠歌といわれている「人は城、人は石垣、人は堀、なさけは味方、あだは敵なり」という名文句から見ると、人を信じ、人に情けをかけることで、領地が安堵されると思っていることがわかります。その信頼をもとに、常に他国へと進出していた信玄の本拠地の甲府駅前には、信玄像が威風堂々と座っています。
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この像のある甲府盆地を守り、戦国時代を生きた信玄は、志あと一歩というところでこの世を去っています。しかし、その墓は各地にあります。戦場で戦死したわけではありませんので、その遺体ははっきりしているはずですが、墓がいくつもあるのはある理由があります。信玄の亡くなったのは、駿河制圧後、大軍を率いて西上の途につく途中、尾張・織田・三河・徳川連合軍を三方ガ原に撃破しますが、途中病に倒れ、引き返した信州伊那駒場で53歳にしてこの世を去ります。その時の信玄の遺言によって、喪を3年間秘めていたことや万一の外敵を恐れて、埋葬地を秘密にしていた結果と思われています。いくつかある中で、私が訪れたのはそのうちの二箇所です。そのうちのひとつは、山梨県塩山市の恵林寺の奥まったところにある信玄公墓所です。
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そこはかなり広く立派で、武田家家臣の墓約七十基も墓所後陣に並んでいます。もうひとつは、武田氏館があったつつじが崎館の跡に創建された武田神社から少し歩いたところにあります。信玄の墓はこのほか、山梨県内では大泉寺、長野県の諏訪湖、長岳寺と竜雲寺、和歌山県高野山、愛知県福田寺、京都の妙心寺など全国にあるようです。それに比べて、山本勘助の墓を訪れたときは、ちょっとその場所にショックを受けました。勘助の存在は1969年に「市川文書」の発見で確認されていますが、それまでは伝説的人物として存在が疑問視されており、風林火山の原作者の井上靖自身も史実性を疑っていたようです。面白いことに大言海や辞海という辞書には、当て推量なことを「山勘」「ヤマカン」と言うのは、山本勘助を略したという説であると書かれています。ちなみに、三省堂国語辞典には、「山師の勘」と書かれています。それは別として、勘助の最後は壮絶を極めます。謙信はて妻女山に入り、信玄は、海津城に入ります。両軍は数日に及び対峙し動こうとしなかったために、勘助は、啄木鳥が嘴で木を叩き、驚いた虫が飛び出てきたところ喰らうことなぞらえた「啄木鳥戦法」を取りますが、軍略の天才である謙信はこの策を見抜きます。謙信は信玄を討ち取るべく車懸りの陣で武田勢に猛攻をかけ、信玄はこれに抗すべく鶴翼の陣をしきます。
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武田勢が劣勢の中で、勘助は己の献策の失敗によって全軍崩壊の危機にある責に死を決意して、敵中に突入して獅子奮迅の働きをするが、家来たちは次々に討ち死にし、それでも勘助は満身創痍になりながらも大太刀を振るって戦い続けるが、上杉家の猛将柿崎景家の手勢に取り囲まれ、四方八方から槍を撃ち込まれ落馬したところを坂木磯八に首を取られます。享年69です。彼の墓は、その川中島の河原にぽつんと一基だけが祀られていました。
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ロボット

 今年の10月23日から1月27日まで、国立科学博物館(東京・上野公園)でロボットをテーマとした企画展「大ロボット博 ~からくりからアニメ、最新ロボットまで~」が開催されています。会場には実際に活躍している工業用ロボットから、フィクションの世界の人気ロボットまで様々なロボットが集合し、私はまだ訪れていませんが、連日多くの来館者で賑わっているようです。私の世代から多くの人がロボットと触れ合うのは、まず、「鉄人28号」「鉄腕アトム」から「マジンガーZ」、「機動戦士ガンダム」まで、マンガやアニメに登場したさまざまなキャラクターでしょう。そして、懐かしいブリキや「超合金」のおもちゃです。これらのおもちゃは、もうすぐ訪れるクリスマスプレゼントとしてサンタからもらうことが多いでしょうね。そのロボットから、子どもたちは夢を描き、未来を夢見ました。しかし、実際のロボットのほとんどは工業用に使われています。大ロボット博の案内には、こう書かれています。「現在、日本では、世界で最も多くのロボットが使用されています。また、その開発も盛んで、世界でもトップレベルのロボット技術を誇る日本は、世界有数の「ロボット王国」であると言えるでしょう。この展覧会では、日本の伝統的な「からくり」をはじめ、二足歩行ロボットや産業用ロボットなどの世界最高水準にある日本のロボットたち、そして漫画やアニメに描かれる未来のロボットたちを展示し、日本経済の未来を牽引するロボット技術を科学史的な視点から紹介するものです。最先端の制御装置による「自動演奏ピアノ」など実際に体感できる展示や、ロボットやからくりによるステージイベントも数多く予定しています。ロボットテクノロジーの歴史をたどりながら、モノづくりの楽しさ、魅力を体感し、日本の科学技術が描く夢の未来を体験してみよう!」こんな時代ですから、おもちゃのロボットもどんどん進化しています。今日のニュースで、こんなのがありました。「最新ペットロボ人気、育て方で性格や行動が変化」というものです。アイボをはじめ、ロボットをペットにすることが少し前からはやっています。子どもでは責任はあるし、いうことは聞かないし、自分の都合に合わせてくれないので、その代わりにペットを飼う人が増えていますが、それでもペットは世話をしなければなりませんし、死に直面しなければなりません。そこで、死なないロボットをペットにする人が今後増えるのでしょうか。今月中旬から販売される予定の愛玩用のロボットは、米国生まれのペットロボット「PLEO(プレオ)」というもので、育て方で行動や性格まで変化するそうです。このプレオを開発したのは、「ファービー」という1998年に登場した言語学習機能つき電子ペットを開発したところで、日本でも人気を博しました。今回のプレオは恐竜の赤ちゃんのような姿で、大きさは約50センチ、重さ約1.6キロ。38のセンサーと14個のモーターを感情豊かな動きをするようです。なんだか、見たところ恐竜ですので、私としてはバーチャルな世界での飼育という感じがして、まだ、安心します。逆に余りにも人間に近く、赤ちゃんに近いと、それを育てることと人間を育てることと比較されると困ると思います。しかし、なでると体を丸くしたり、作り物の葉っぱを口に入れると、エサを食べるしぐさをしたりする。世話の仕方や接し方などで性格が次第に変わるというように、次第に本物に近づいていますね。 しかし、今後も形は実在しないものにして欲しいと思います。

シクラメン

 先日の講演の後に、壇上に飾られていた「シクラメン」をいただきました。シクラメンといえば、真っ赤な色のものを思い浮かべますが、いただいた色は、紫の芯を持った真綿色をしています。
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というと、当然、1975(昭和50)年に布施明が歌って大ヒットした小椋佳・作曲/作詞「シクラメンのかほり」の出だしの歌詞「真綿色したシクラメンほど~」を連想します。ですから、実際に見るシクラメンは真紅のものが多いのに、シクラメンといえば真綿色と思っていました。しかし、シクラメンの歌の歌詞の1番は真綿色ですが、2、3番は違うのです。「1、真綿色した シクラメンほど 清(すが)しいものはない 出逢いの時の 君のようです」真綿色は、出会いを感じるようです。そして、恋をするようになると、その色は赤くなります。「2、うす紅色(べにいろ)の シクラメンほど まぶしいものはない 恋する時の 君のようです」しかし、恋も長くは続きません。別れが来ます。すると紫に変わっていきます。「3、うす紫の シクラメンほど 淋しいものはない 後ろ姿の 君のようです」歌詞をじっくり詠むと、シクラメンという花がどんなイメージがあり、その花言葉も納得します。花言葉は、「内気・はにかみ・恥ずかしがり屋・遠慮・切ない私の愛を受けて下さい・純潔・嫉妬・猜疑心・過ぎ去った喜び」とあります。これらは、その花の色からの連想でしょうが、花の名前は、その形から来ています。もともとのCyclamen(シクラメン)の語源は、ギリシャ語の「kiklos(円)」(英語では、サイクルCycle)で、塊根が丸い球形のようなところからきています。また、和名では、花の形が、ひっくりかえったような形であるところから、篝火を連想して、「篝火花」(かがりびばな)と呼ばれることもありますが、これは、シクラメンを見たある日本の貴婦人(九条武子だといわれている)が「これはかがり火の様な花ですね」と言ったのを聞いた牧野富太郎が名づけたといわれています。また、「豚の饅頭」という和名は、シクラメンの原産地であるトルコやイスラエルの方で、野生の豚がシクラメンの球根を食べたことから、豚にとっては饅頭がわりということで「雌豚のパンsow bread」という英名を、ある植物学者が日本語に翻訳した名まえですが、この名前はかわいそうですね。しかし、豚だけでなく、人間も食べていました。塊茎の澱粉を注目され、サポニン配糖体を含む有毒にもかかわらず「アルプスのスミレ」などの美称があり、食用とされていたのですが、大航海時代以後ジャガイモがもたらされると、食用にする習慣はなくなりました。シクラメンに関する伝説で、草花好きだったソロモン王が王冠に何か花のデザインを取り入れようと思い様々な花と交渉するが断られ、唯一承諾してくれたシクラメンに感謝すると、シクラメンはそれまで上を向いていたのを、恥ずかしさと嬉しさのあまりにうつむいてしまった。と言うものがあります。ですから、花言葉に「恥ずかしがり」というのがあるのですね。日本には明治時代に伝わり、日本での本格的な栽培は、岐阜県恵那市で始まりました。シクラメンは高温多湿の日本の気候に合いませんでしたが、戦後、急速に普及し、日本での品種改良も進められ、花色も黄色や二色、フリンジ咲き、八重咲きなどが登場して、いまや日本における鉢植え植物では生産量はトップクラスで、冬の鉢植えの代表格として、またクリスマスの季節とあいまって定着しています。花には、その花の名前の意味から、形から、色から、成分から、深い背景があるのですね。

転倒、落下防止

 きょう、園に東京都から指導検査に来ました。そのときの指摘に、転倒防止、落下防止をするようにというものがありました。確かに、新潟県中越地震や宮城県北部を震源とする地震、十勝沖地震では、負傷者の三割から五割が家具類の転倒・落下物によるものでした。しかし、注意をされたものは、棚の上においてある「加湿器」です。これを固定するように言われたのですが、確かにそれも一理あるのですが、置いてあるのは、それほど高い棚の上でもなく、また、加湿器もそれほどすわりが悪いわけではなく、また、時間帯によって移動させたいので固定するわけにはいかないのですが、それぐらい神経を使わないといけないということなのでしょうね。また、地震のときの家具の転倒による負傷は、揺れの中で何らかの行動をおこしたことや転倒した家具や落下物につまずいたため自ら転倒し、受傷した事例も見られました。特に子どもには特別な配慮が必要かもしれませんね。そんなことで、メイツ出版から「今すぐできる!ママが子どもを地震から守るための本 (マミーズブック)」という本が、著者「ママが地震災害から子どもを守るプロジェク」によって出版されました。この本は、大地震が起きたら子どもをどう守るかという視点で、阪神大震災の被災者や子育て中の母親たちが本を出版したものです。イラストも使ってわかりやすく書かれており、「お母さんの知恵」が詰まっています。アンケートから、家庭の地震対策で盲点になりがちな点を調べたうえで、専門家に助言をもらっています。紹介されている55のアドバイスの中は、「もぐる場所を居間につくる」「ダイニングテーブルの下に懐中電灯を」「幼児の避難バッグは2キロ以内に、マンガやお菓子も入れる」「さらしは子どもを背負う時や応急措置などに使える」などがあります。また、東京消防庁では、家具類の転倒実験を公表しており、家具類の転倒・落下防止措置の必要性を訴えています。また、家具類の転倒・落下を防止するというのは、倒れてきた家具によって負傷するのを防ぐといった理由だけでなく、速やかに安全な場所へ移動する為の、脱出経路の確保という観点からも重要です。では、実際に家具の一般的な転倒防止器具にはどんなものがあるでしょうか。まず、「L型金具」という家具と壁をネジによって固定するタイプのものがあります。これはかなり効果があるようです。これは、固定だけでなく、スライド式のタイプもあります。つぎに「ベルト式・チェーン式・ワイヤー式・プレート式」という、家具と壁をそれぞれネジ止めした金具をベルト、金属チェーン、ワイヤー、金属プレートなどで結んだタイプのものがあります。また、背の高い家具で、壁などにねじなどを開けたくない場合は、「ポール式(つっぱり棒式)」という、家具と天井の隙間に棒状の物を設置するやり方があり、これは、ネジ止めが不必要なタイプです。そして、神戸などで意外と効果が高かったものに、「ストッパー式」という、家具の前下部にくさび状に挟み込み、家具を壁側に傾斜させるタイプのものがあります。転倒するというのは、その家具の重心が底面から外れる場合ですので、その重心を後ろのほうにしておくと、家具がかなり揺れても重心が底面から外れにくくなり、転送しにくくなるからです。「マット式(粘着マット式)」は、よく、園で使用するタイプのものです。粘着性のゲル状のもので、家具の底面と床面を接着させるタイプの器具です。これには、どのくらいの重さをかけてもはがれないかの表示があり、少しくらいゆれてもはがれません。地震は、必ず来るといわれています。少しでも普段から対策を練っておくと随分と被害が少なくなるようです。

旬の魚

先週末、富山に行ったときにこの地方の旬の魚をいただきました。今の時期、なんと言ってもおいしいのは、「寒ブリ」です。冬に入ると、北陸では猛烈な風が吹き荒れ、雷が激しく鳴るようになります。これを富山湾では”鰤起し(ぶりおこし)” と呼んでいるそうです。それは、冬のブリ漁が始まる合図で、12月から翌年の3月まで、脂ののった最高のブリがあがります。ブリの名前の由来は貝原益軒によると「あぶら多き魚という意味で、”あ”の字を略してブリと呼ばれる」ようになったそうです。いただいた寒ブリは、その名の通り12月~2月までの厳寒期が旬です。氷見ブリ、能登ブリ、佐渡ブリなど、北陸が名産地です。そして、関西から北陸にかけては、正月に食べる歳取り魚として重要な縁起物として扱われます。また、ブリは関東地方ではワカシ(20cm前後)>イナダ(40cm前後)>ワラサ(60cm前後)>ブリ(80cm以上)。 関西ではツバス>ハマチ>メバル(メジロ)>ブリと名前が変わります。昔の武将は出世する度に名前を変える習慣があったので、成長につれて名前の変わるこのブリの様な魚は出世魚と言われて縁起物扱いされました。この寒ブリを刺身でいただいたのですが、ブリの旨みは脂肪分が筋肉組織の中に入り込んでいる所にあり、醤油をはじくほど脂の多い寒ブリを刺身で食べても、 脂っこさ感じません。また、刺身でいただいてとてもおいしかった魚は、「カワハギ」でした。この魚は、全国で、また、四季を通じてまずい時期はありませんが、やはり旬は、身も太る秋から冬にかけてであり、肝を乗せて食べる味はなんともおいしいものでした。この淡白な味は、幼児食や病人食としてもよく利用されます。カワハギという名前は、その名の示す通り、皮が非常に堅くザラザラしており、皮を剥でから料理するところからつけられたといわれています。その皮は戦中戦後、サンドペーパーの代用品になっていました。同じようにザラザラの皮を鮫が持っているためにザラザラな肌を鮫肌といいますが、「和漢三才図会」にはカワハギのことを「形状は大変醜く頭は方頭魚(くずな)に似、体はほぼ鮫に似ている」とあり「鮫の属であろうか」と推察しています。また、この時期おいしい魚に、「タチウオ」があります。5歳児が、なんと粘土でこの魚を作っていました。
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この作品をタチウオの図と比べるとそっくりなのですが、作った本人はあまりそんなことを思っていないようです。
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この魚も、1年中獲れますが、秋から初冬が旬です。その外観が太刀に似ていることから、太刀魚と名づけられたとする説や、立ち泳ぎすることより、立魚(タチウオ)と名付けられた説もあります。尾はヒモのような糸状になっており、歯は鋭くて大きい。上下のあごの先端には、奥に向かって返しのついた犬馬があり、ちょっとふれただけでもカミソリで切ったように血が止まらないそうです。あごの中には予備の歯があり、前列の歯が欠けるとすぐに生え変わることから、「タチウオは歯を大事にする」と漁師たちは褒めます。今の時期にとてもおいしいものに、直接魚ではありませんが、「白子」があります。これは、内湾に産卵にくるのを刺し網でとったタラの雄の精巣です。真鱈やスケソウダラの白子は細かいヒダが菊の花のようなので、菊子と呼ばれています。ネットリとした質感で濃い旨みがあり、ポン酢、モミジオロシとワケギで食べるとほのかな甘味もあって大変おいしかったです。その地域、その季節に旬のものがあり、それを食する楽しみも地方に行く楽しみです。