教科書

 今日、「日本軍によって集団自決に追い込まれた。そうした表現が沖縄戦をめぐる高校日本史の教科書検定で復活した。」というニュースが流れました。それは、教科書会社から出されていた訂正申請が文部科学省に承認されたということです。このようなときに、文科省は訂正申請の是非を検定調査審議会に諮って、審議します。教科書検定審議会の正式名称は、「教科用図書検定調査審議会」といい、出版社が申請した教科書について、学習指導要領に沿った客観的で中立公正な記述かを学術的見地から審査する専門機関です。そして、ここで審議された内容を答申し、文科相がその答申を基に合否を決定します。しかし、江戸時代の教科書は、7000種類もあったようです。子どもたちは、5歳から8歳頃寺子屋に入ります。まず、覚えるのは文字で、いわゆる「いろは」を習うのです。この教科書は、師匠の書く手本です。その手本を見ながら、子どもたちは「手習草子」という半紙を綴じた練習帳で練習します。その後は、以前のブログで紹介した貝原益軒が江戸時代に書いた「和俗童子訓」などが、寺子屋での教育に強い影響を与えたとされていますが、他にも興味深い書が教科書として使われました。そのひとつが、「庭訓往来」という、習字や読本として使用された初級の教科書です。これは、南北朝時代末期から室町時代前期に書かれたとされていますが、本当のことはわかっていません。著者も僧玄恵とされていますが、やはり確証はないようです。この内容は、往来物(往復の手紙)の形式をとり、擬漢文体で書かれ、衣食住から職業や政治、病気、犯罪など多岐にわたる一般常識を内容となっています。それは、時代を超えて普遍的な社会常識も多く扱ったために江戸時代に入っても寺子屋などの教科書として用いられています。庭訓とは、「論語」季子篇の中にある故事です。孔子が庭を走る息子を呼び止め、詩や礼を学ぶよう諭したというものです。ここから、父から子への教訓や家庭教育を、庭での訓戒というところから、「庭訓」というようになりました。また、往来物とは、主に寺子屋で使用された初歩教科書の総称です。その多くは、貴族子弟の学習用に編まれた往復書簡(模範文)で、手紙文の行き来(往来)の意から「○○往来」という呼称が一般化しました。庭訓往来の内容は、1月から12月まで25通の書簡からできています。風林火山で今年のヒーローの一人であった武田信玄も、8歳で長禅寺で手習い、学問を学びましたが、その手本の中に『庭訓往来』が加わっていたそうです。そのほかに、往来物といっても、種類は沢山あったようです。たとえば、「商売往来」というものがありました。この往来には、証文など商売の取引きに必要な文字・数字・日記の類・大判・小判から銭までの貨幣の名称、貫・分・厘・毛などの、天秤・分銅の基準、米・粟・ひえなどの雑穀類の名称の他、商店で扱う様々な商品の名称が記されていました。また、商売の心得として、「浪費をせずに、高利をむさぼらず、店舗をきれいにして、柔和に応答し、家業第一とする者は、富貴繁盛子孫栄華となることは疑いない。」と教えています。これは、何も商売をする人だけでなく、農家でも必要でしたし、生きていく上での知識ともなるために、子どもの手習い教科書として、各地でよく読まれ、使用されていたようです。これに対して、「百姓往来」という農業用語を説いた書もありました。「みだりに山林の竹木を伐採せず、隠田をいたさず、正直第一とすれば、子孫富貴繁盛家門平生となり神仏の冥利に叶う。」という教えは、今での通じるところがありますね。どんなものが、教科書としていいのでしょうね。

教科書” への6件のコメント

  1. 江戸時代に教科書が7000種類もあったなんて今では考えられません。どれが一番良い教科書なのか分かりませんが、種類が多い分色々な知識や考え方があるわけであって色んな観点から勉強できたのではないかな?と思います。逆に今の時代は教科書の江戸時代に比べて種類はそにまで多くありませんし、内容も統一されていると思います。今の時代でどのような教科書が良いのかはっきりと分かりませんが、数学の公式や英語の文法などがつらつら書かれている教科書も大事ですが、将来に役立つ事が書いてある教科書もあればいいかな?と思います。

  2. 大学を卒業してはじめて入社したのがある教科書会社でした。九州で小・中・高の教科書の営業をやっていましたが、金とコネと政治力がものをいう世界に嫌気がさして4年で辞めて、生まれ故郷に帰ってきました。それでも、新聞などで教科書問題が取りあげられると思わず目がいってしまいます。今回の沖縄戦での集団自決についての問題で、国家が歴史の真実を歪曲しようとしたことへの検証と検定制度そのものの在り方を見直すきっかけにして欲しいと思います。教育の世界にも、もっと自由が必要な気がします。

  3. 集団自決の問題で沖縄の人々がどのような思いにさせられたか、多くの撤回の訴えからも想像できます。教科書に一部の大人の都合を反映することのできる制度は、どう考えてもおかしいと思います。子どもたちの力を伸ばしたいと本気で思える大人はいないのかと思ってしまいます。

  4. 昭和時代に学生として「教科書」にお世話になった1人として、そしてこれからわが子が入学して「教科書」にお世話になるだろう親の1人として、今日のブログを読みながらいろいろなことを思いました。検定教科書の存在は教育の統制であることに間違いはなく、本来ある明確な国家的目標達成のため、であることにもまた間違いはなく、・・・しかし、学生時分の自分も含めてどれほどの学生がこの「検定教科書」について知って考えることができただろうか、とトリプルクエスチョンマークもつき、そもそも現在の「検定教科書」が日本国民形成にどれだけ役立っているかを考えることができる、文部科学省や学者を除いた、日本国民が何人いることやら、と訝しくなります。唐突ですが、ウィキペディアも立派な「教科書」になるのに。何も「検定」しなくてもいいのに。自立と自律が必要なのは、子どもたちよりもむしろ国家のほうだと徒然なるままに思ったところです。

  5. 江戸時代の寺子屋での教科書の話を知ると、何か「これ」という書物を読めばいいとか、「これ」という教科書をつかって学べばいいというような単純なものではないように思います。ただただ覚えればいいという内容の勉強であれば、総合的に見て正しいように思える内容の教科書を作ることが求められるのかもしれません。しかし、それは本当の意味での勉強、学びではありませんね。様々な考え方を知り、様々な分野のことに興味を持って知ることで、何が正しいと思うのか、どう感じるのかということを自分自身で考えることができる力というのが必要なのではないかと感じました。それはきっと江戸時代の寺子屋の教育ではできていたのかもしれません。しかし、日本の今の教育はどうもそうではない方向を向いているのかもしれません。もっとあらゆる方面から学びを深めれるような形になれば、教科書の内容もまた変わってくるのかもしれませんね。

  6. 「どんなものが、教科書としていいのでしょうね」という言葉を聞いて、学生時代の教科書を思い出してみましたが、内容はほとんど思い出す事が出来ませんでした。きっと、記憶には残っていなくても、私の思考を助ける部分として、体に残っているということでしょうか。当然のように、子どもたち自身で教科書を決めるということはできません。そうなると、大人が決めるという事になるのですが、実際に教科を教える人が決める事ができれば、もっと楽しい授業になりそうな予感はしますが、そのような過程は難しいでしょうね。といっても、「何も商売をする人だけでなく、農家でも必要でしたし、生きていく上での知識」が教えられる教科書が良いですね。

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