乳母

 子守りという幼い女子が子どもをおんぶして子どもをあやしたというように、必ずしも実の母親だけが育児していたとは限りません。しかし、生まれたての赤ちゃんに授乳するのは、母親だけができる特権かと思えば、それも違うようです。赤ちゃんが生まれて初めて授乳するのは、同じ頃に出産し、すでに授乳中の女性に頼んで乳を与えていたようです。これを「乳付け」とか「乳合わせ」といっていました。それは、初めての乳を,すでに授乳している他人からもらうとよく育つとしていたからです。今は、初乳にはとても栄養があるといわれているのに、変ですね。初乳には、免疫物質の濃度が通常の母乳の10?20倍も含まれています。しかも、免疫系で力を合わせて外敵を打ち負かす「生体防御機能」を果たすリンパ球をはじめとする免疫細胞群も、初乳に高濃度で含まれています。それほど、初乳の免疫力は、強力なものなのですが、多くの場合、母乳は、出産3日後ぐらいから、少しずつ出始めるために、それまでは母乳を与えることが実質的に無理です。ですから、初めての乳は他人からもらったのかもしれません。また、その乳を与えた人は、「乳親」(ちおや)といい、音では、父親に通じます。他にも、乳飲み親・チアンマとも呼ばれました。そして、男には女の子を持つ母親に頼み、女の子にはその逆にするのがしきたりで、そうすることによって、丈夫な子に育ち、縁組が早いといわれていました。そのしきたりは、その乳付けを縁として、その後も何かと親を支える共同体になっていったのでしょう。この習慣は、なんと「古事記」や「日本書紀」にも書かれているようです。そのほかにも、子どもが生まれるとその子を実の親だけで育てるのは大変だったようで、様々な親を持ち、それらみんなで支えていたようです。たとえば、「取りあげ親」は、「フスツナギウヤ」といい、臍の緒を切ってくれた産婆さん(コズエババ)のことを言います。「拾い親」というのは、赤子を橋のたもとや道の辻や家の前に捨てる真似をし、あらかじめ頼んでおいた人に拾ってもらい,その人を仮親とするものです。捨てるのは,子がよく育たない家の子や父母の厄年に生まれた子で,また子が病気や怪我をしたとき,女児ばかり生まれる家に珍しく男児が生まれたときなどにもみられ、捨てるのに、たらいや箕に入れたり、拾うときは、箒で掃き込む真似をしたり、宗教的な儀式のようでした。また、「名付け親」は,七夜のころ、他人に名前を付けてもらうことによって結ばれるもので、名親・名添え親などとも呼ばれます。名は生命の象徴であり、名を与える人は他人でも生命の生みの親であるというほど、名は尊いものと考えられており、出生時の名づけ親と成年式の改名の名づけ親があります。そして、「養い親」という親がいました。それは、病弱な子のためにとる仮の親のことで,里親や養親とは異なり、神官・僧侶・祈祷師などに頼み、あるいは氏神をはじめいろいろな神と取り親・取り子関係を結ぶ習俗も各地に分布しています。このように、育児は様々な人の共同作業であったようですが、なかでも「乳母」という存在は格別のようです。その存在は、母乳が出ない母親に代わって乳を与えただけではなく、身分の高い人間は子育てのような雑事を自分ですべきではないという考えや、他のしっかりとした女性に任せたほうが教育上も良いとの考えから、乳離れした後も、母親に代わって子育てをしていたようです。特に、平安時代から戦国時代にかけて、上層階級では、公家・武家を問わず、育ての親である「乳母」の存在が不可欠で、教育者としての重い任務を持っていました。中世の社会には、他人の子どもでも「社会全体の子ども」として、大事に育てていこうという気概があったようです。

乳母” への6件のコメント

  1. 知らない言葉ばかり登場してきました。様々な役割の親が子どもに関わり、「社会全体の子ども」と考える社会があったんですね。共同・協働ということがこれからもっと大切にされないといけないと思います。多くの人に支えてもらっていることを自覚し、子どもたちのために協働する社会を目指していくことが大切だと、最近特に感じています。

  2.  他人が子どもに乳を与えるのは今ではあり得ない光景ですね。その他、教育に関しても他の人が関わっているのは、いかに子どもを大切にしていこうという行動が見られます。子育てをするにあたって他人との関わりは大切だと思いますが、そのように大事に育てられた子ども達は子ども同士の関わりというのはあったのかな?と思います。しかし、子どもを大事に育てていこうという考えは今でもとても大切な事です。ブログに書いてある「社会全体の子ども」というのは今の時代だからこそ必要な言葉だと思いました。

  3. 時代劇をみてますと、「殿、そのようなことをしてはなりませぬ」と若君を諫めている年配のお女中がよく登場しますが、中世では、子育て経験が豊かで家柄も良い女性が養育係として重用されたようです。織田信長には家臣の池田恒興の母・養徳院という乳母がいましたし、有名な春日局は徳川家光の乳母ですね。それだけお家の将来を担う「お世継ぎ」を大事にしたということですね。日本の国も「国家のお世継ぎ」である子供たちの養育のためにもっと社会全体で取り組んでいかないといけないと思います。

  4. わが子が生まれた時、多くのご親戚がお祝いしてくれました。実にさまざまな大人や子どもがわが子の誕生早々に関わってくれた、ということです。やがて6歳の誕生日を迎えますが、親である私たちといるとき、他の大人の前ではシャイですね。ところが、私たちがいないところでは、親以外の大人と結構コミュニケーションをとっているようです。そうしたわが子の姿を聞くにつけ、どうやら生まれてこの方、さまざまな大人との触れ合いを経験してきた賜物か、と嬉しくなります。いろいろな大人と関わることはさまざまな人の側面を経験することになるのでしょう。そして、このいろいろさまざまな経験がやがて多様な子どもたちとの関わりを保障することにつながるのかな、と考えます。乳児の時からいろいろな人と関わることがその子どものの社会性の醸成に資することを今日のブログから学びました。

  5. 子育てにはそんなにも多くの人が関わっていたのですね。取り上げ親、拾い親などがあったことには驚きました。その他にも養い親、名付け親と本当に多くの人が子どもを中心に様々な関わりを生んでいたのですね。それを考えると現代は子どもと母親だけの関係というのが日本の伝統的な子育てからすると不自然な状況であるということを感じます。「社会全体の子ども」という意識は自分は自分だけという狭い考え方ではなく、自分と他者との境が明確にはないように感じます。そのような意識を多くの人が持てるような関係性の生まれる保育を実践していかなければなりませんね。

  6. 「子どもが生まれるとその子を実の親だけで育てるのは大変だったようで、様々な親を持ち、それらみんなで支えていた」という部分から、今の子育て環境との違いを感じますね。大変だから、別の手段をとって協力していたにも関わらず、大変さが減ったということでもないのに、協力する傾向が増々なくなっていくというのは、難しい問題ですね。また、「乳親」「拾い親」「名付け親」など、現代では聞かないような育児単語がありました。現代では、それらはすべて本当の親の仕事として定着してしまっていますね。育児に協力してもらうためには、生まれる前からのサポート、そして様々な役割を周囲の人に担ってもらっていたということが理解できました。

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