子守唄3

 子守唄の歴史は、育児の歴史でもあります。よく子守唄の種類には、「寝やせ唄」という、赤ちゃんを寝かしつけるときに歌ってあげる唄と、「遊ばせ唄」という、赤ちゃんをあやすときなどに歌う歌があります。これらの唄は世界共通ですが、日本独特な子守唄としては、赤ちゃんを対象として歌ってあげるための歌ではなく、子守りが自ら慰めるために歌った子守唄があります。それは、子守りという存在が独特な環境にあったからでしょう。たとえば、日本人が好きな歌のベスト3に入る歌に「赤とんぼ」(作詞三木露風、作曲山田耕筰)があります。この歌詞の中で、よく小さいころに意味を間違って歌っていた箇所に1番の「おわれて」というところがあります。これは、赤とんぼが「追われて」というイメージでしたが、本当は「負われて」という、「子守りに負ぶされて(おんぶされて)」という意味です。ですから、「1 夕焼小焼の赤とんぼ 負われて見たのは いつの日か」は、子守りにおんぶされているときに見た、夕焼け空に飛んでいる赤とんぼを思い出したのです。そう思ってもう一度赤とんぼの歌詞を見てみると、違ったものが見えてきます。「2 山の畑の桑の実を 小かごに摘んだは まぼろしか 3 十五でねえやは嫁にゆき お里のたよりも 絶えはてた 4 夕焼小焼の赤とんぼ とまっているよ 竿の先」この歌詞を見ると、突然、赤とんぼはいつ見ただろうかと思い出したのではなく、4番にあるように、竿の先にとまった赤とんぼを見て、いつ見たのだろうと思い出したのが1番です。そのときおんぶをしていた「ねえや」は、大家に雇われて、その家の幼い子どもたちの面倒を見た子守りだったのでしょう。また、この子守りは15歳でお嫁に行きますので、それ以下の年の子です。ですから、子守りは、年少の女の子の労働だったのでしょう。しかし、テレビの時代劇を見ると、赤ちゃんを井戸端や畑仕事をしながら負ぶっているのは、母親以外では、乳母や下女や老女であり、子どもではない場合が多いようです。子どもが子守りとしての労働をするようになったのは16世紀末頃からのようです。赤坂憲雄著「子守唄の誕生」(講談社学術文庫)には、五木の子守唄のなぞの解明から、近代の精神史を描いています。その本の中に16世紀末に宣教師をして日本で布教活動をしたフロイトが、「ヨーロッパ文化と日本文化」という本にこんなことが書かれていると紹介しています。「われわれのあいだでは普通大人女性が赤児を首のところに抱いて連れていく。日本ではごく幼い少女が、ほとんどいつでも赤児を背に付けていく」赤ちゃんをおんぶして子守りするのが少女であるという姿は、どうもヨーロッパにはないようです。しかも、子守りはいやなものだったようです。同書に志摩地方の子守唄が紹介されています。「勤めしょうとも子守りはいやよ お主にゃ叱られ子にゃせがまれて 間に無き名を立てらるる」子守りという労働は、主人には叱られ、おんぶしている子にはいじめられ、いわれの無いうわさを立てられるので、いやだったようです。これが高知に行くと、最後のフレーズが「人には楽なよに思われて」となりますが、なんだか子どもと関わっている職業をしているものとしては、人ごとに思えません。赤松啓介著「女の歴史と民族」という本の中に、子守り女の出現を分析しています。そこでは、奉公子守りの女たちを、近代の「働く女性」の先駆として見定めていますし、近世の封建制社会の内部に胎動し始めた、資本主義的な要素が産んだ子どもであると言っています。子育てというものを、もっと子守唄から分析することも必要かもしれません。