育児相談

 新聞などで、毎日どこかに身の上相談が掲載され、それに各界の著名人がそれについての回答を述べています。その相談欄では、その相談内容にびっくりすることがあったり、共感したり、同じように悩んでいる人がいると安心したり、時代がわかったりと色々と感じるところがありますが、その回答でも、答えている人の人柄や考え方などがわかります。また、回答を、レギュラーではなく、ネット環境の中では、読者が回答するようなことが最近多くなりました。先日、こんな相談がありました。「学校がつらく、早く死にたいと言う高校1年の男子の親が、親は見守るしかないのでしょうか?」というものです。私は、よく「見守る」という日本語を大切にすることを訴えていますので、その言葉が使われている記事を読むと、すぐ反応していしまいます。この相談内容に二人の人が回答していました。簡単に要約してみると、その一人は、担任の先生や、教育相談担当の先生やスクールカウンセラーに相談したり、自治体の教育相談窓口などを利用することをすすめています。もう一人も、親御さんとしては様子を見ているだけではなく、なるべくなら学校にも相談し、早いうちに一度病院で受診することを勧めています。私も、相談の「親は見守るしかないのでしょうか。」という言葉が気になります。その質問は、もしかしたら「親はただ見ているしかないのでしょうか。」と言うべきではないかと思います。「見守る」のであれば、子どもの様子を見て、子どもを守るべき行動を起こさないといけないと思うからです。「見て」「守る」から「見守る」のです。ですから、この相談に答えている人の回答内容になるのです。しかし、子育ての中では、どこまで見ていて、どこから守ってあげればよいかの判断がとても難しいものです。それは、いくら幼児でも、すぐに守ってしまうのではなく、まず、子どもをよく見る必要があります。私がある本でのQ&Aコーナーで、「子ども同士で遊ばせると、喧嘩をするかもしれないし、意地悪をされるかもしれないと心配です。」という質問に対して、答えとして、次のように書きました。「最近、世界中で子どもの学力に対する考え方が変わってきています。子どもたちに必要な力として「何を知っているか」「何を覚えているか」から、「問題解決能力」が一番に上げられています。ところが、この少子化で、子どもが困難にぶつかったとき、親が代わりに解決してあげたり、原因を取り除いてあげるなど、困難な状況自体を封じる傾向にあります。そのため、今の子どもには自ら困難に立ち向かい、それを乗り越える力が欠けてしまっています。子どもたちは、成長する過程でさまざまな問題にぶつかります。それを大人が取り除いてしまうのではなく、子ども自ら乗り越えられるように援助してあげましょう。初めて体験する子ども同士の関わりの中で必要なことは、愛情深い保護者に見守られているという安心感です。子ども同士のトラブルが起きても、危険がない限り、未然に防いでしまっては自らそれを乗り越える力がつきません。ただ、ここで見ていてあげるよというサインを送ることが大切なのです。」このように、子どもを守るということは、ただガードするというだけではなく、同時に自らそれを乗り切る力をつけていくことも必要になるのです。それについて、翌月には次のような解答を書きました。「ドイツなどでは、「わが子にどうなって欲しいか?」という問いかけを親にすると、ほとんどの親は「自立」と答えるそうです。親が、子どもと十分に関わり、子どもの世話をするのは、次第に子どもが自立していくことを望んでいるからです。早く手放したり、自分でやることを強制したりすると、かえって自立を遅らせるからです。自立していくときには、愛情豊かな、思慮深い大人に見守られているという信頼関係がしっかりと築けていることが必要です。手を出すことよりも、ここで見てあげているよというサインを送ることが必要なのです。そして、いつでも困ったら、助けてもらえるという安心感が自ら行動することになるのです。何もできないのが子どもなのだとか、何も知らないのが子どもだとか思うのではなく、もっと子どもを信じてあげましょう。子どもは、たくさんの自ら育とうとする力を秘めています。その力を引き出すために、ちょっと手伝ってあげればいいのです。」子どもを放任してしまう親が多いと同時に、少子社会になると、そうしても子どもに対して過干渉になりがちな親も増えてきます。どうすることが「見守る」ことなのかを、もう一度考えたいものです。