羽根つき

 先日のブログでコマのことを書きましたが、男の子がお正月にコマ回しや凧揚げに興じているときに女の子は「羽根つき」や「鞠つき」に興じていました。江戸時代に子どもが遊んでいる姿を描いている絵を見ると、そのような姿が書かれていることが多いようです。園にある浮世絵にも描かれています。
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また、東くめ作詞、滝廉太郎作曲の「お正月」という歌の歌詞の1番は、「お正月には 凧あげて こまをまわして 遊びましょう」という男の遊びが歌われており、2番は、「お正月には まりついて おいばねついて 遊びましょう」と女の子の遊びが歌われています。私が子どものころは、羽根つきは特に女の子の遊びというわけではなく、今のバドミントンのように遊び、また、打ちそこなった場合は失点とされ、顔に墨でバツ印などの落書きをされる罰が与えられることで、テレビなどのバラエティ番組でもよくやります。1544年に一条兼良・兼冬によって書かれ、1663年に京都で出版したものに「世諺問答」(せげんもんどう)という書物があります。この本には、日本で古くから行なわれている四季折々のならわしの起源や意味などを、老人に質問し、答えてもらうという問答形式で記した解説書です。その中で、こんな質問をしています。「正月 おさなきわらはのこきのこのこといひてつき侍るは、いかなることぞや」お正月に子どもたちが羽根つきをどうしてするようになったのでしょうかという質問です。それに老人がこう答えています。「これはおさなきものゝ、蚊にくはれぬまじなひ事なり、秋のはじめに、蜻蜒といふむし出できては、蚊をとりくふ物なり、こきのこといふは、木連子などを、とんばうがしらにして、はねをつけたり、これをいたにてつきあぐれば、おつる時とんばうがへりのやうなり、さて蚊をおそれしめんために、こきのことてつき侍るなり」それは、子どもたちが蚊に食われないためのおまじないであるとされています。つまり、秋の初めに、トンボという病気を運ぶ蚊を食べる虫が出てきますが、ムクロジ(木連子)の種子に3枚の羽根をつけると、そのトンボに似ますが、それを板で突くと、羽が落ちる様子はとんぼ返りのようで、蚊をよけるようになるということを言っています。それが正しいかはわかりませんが、羽根突きの起源、その意味付けには諸説あります。少なくとも、今でも、口承で、羽子板は厄を「羽根」のける縁起の良いものと伝えられています。また、同じ室町時代には、後花園天皇の実父にあたる伏見宮貞成親王が3年間宮中のことを記録した「看聞御日記」に羽根つきの記録があります。この記録には公家や女官が男組と女組に別れて、「こぎの子勝負」を行い、負けた組が酒を振舞ったとの記録があります。「こぎ」は「胡鬼」と書き、ここでは「羽子」が「胡鬼の子」と呼ばれていました。また、当時の足利将軍家が年末に、宮中に羽子板を贈った事が記されています。中国の14世紀ころに硬貨をつけ錘とした羽根を蹴る遊びがあり、室町時代にこれが日本へ伝来、これが羽根つきの起源とされています。戦国時代から羽根つきに厄払いの想いがあり、江戸時代は年末に邪気よけとして羽子板を贈ったとのことです。 今も女児の初正月に羽子板を贈る習慣が残っています。羽子板で突く羽根に付いている黒くて堅い玉のムクロジは、木連子と書きますが、「 無患子」と書くことがあります。この字は、読んでの ごとく「子が患わ無い」(子がわずらわない)という意味で、お正月に羽子板を飾ったり、女の子の初正月に羽子板を 贈るのは、魔除け・厄被いの意味があります。園には、お正月に飾る凧とコマはあるのですが、今度、羽子板も買ってこなければと思っています。