以前、私の講演のあと、ヤンキー先生こと義家さんの講演があったことがありました。ちょうど議員になる前で、話題の人でしたので、その講演を聞いてみました。確かにヤンキーだった頃から更正して教師になったのはかなりの努力があったでしょう。その努力にはとても頭が下がります。また、教師になった後も、ヤンキーといわれる子どもたちとぶつかり合い、ふれあい、理解し、立ち直らせることができるのは、もとヤンキーだったことが役に立つかもしれません。ヤンキーたちの気持ちがわかるからでしょう。しかし、講演を聴いているときに、何度か首をかしげることがありました。ヤンキーといわれる、他人を信用せず、自分を誇示して見せていた青年時代を自ら送り、また、そのような子どもを相手にしている毎日の中で、どうも本当の道ということがずれている気がしたのです。ほとんどの高校生がタバコをすっていると思い、誰が父親かわからない子を妊娠してしまうようなことが、今の時代の女子高校生ですといいます。そういう高校生もいるかもしれません。しかし、ほとんどの高校生は、真面目ですし、地震などがあるとボランティアとして支援するために飛んでいく子もいます。義家さんが、テレビに出演したり、教育再生会議のメンバーになるのは、現在がよい教師であるとか、教師として素晴らしい実践をしたとかで判断すべきであり、過去にヤンキーだったということは、それだけでは価値はないのです。過去にヤンキーだったことを生かして、素晴らしい教育実践をしたというならわかるのですが。亀田選手騒動について、和田秀樹さんが、公式 HIDEKIWADA.COMマガジンの中で面白いことを書いています。「少年時代は多少の悪だったほうがいいという識者もいる(その多くは、自分が少年時代はまじめだった人か、せいぜい学生運動をしていたという程度の人である)。そのような反抗期があったほうが、心の成長にもメンタルヘルスにもいいという主張だ。アメリカでも、そのような考えが根強かった。フロイトの娘であるアンナ・フロイトや、彼女が可愛がったピーター・ブロスという思春期の専門家は、少年時代の激しい反抗期の必要性を強く説き、その時代はなるべく自由放埓にしてやれというアメリカ教育の理論的支柱になった。しかし、アメリカのこの自由教育は、逆に少年非行や、少年のドラッグ漬け、さらに少年の自殺の激増を誘発した。実は、60年代にすでに、その理論に疑問を呈し、大規模なアンケート調査から、アメリカでも、思春期に激しい反抗期に陥る子どものほうがずっと少数派で(約5分の1だったという)、激しい反抗期のあった子どものほうが、将来、犯罪者になる確率も精神障害に陥る確率もずっと高いことを示した学者がいた。シカゴ大学精神科教授ダニエル・オファーである。オファーの提起は、アメリカ教育界から無視され、80年代に少年犯罪の激増の結果、やっと方向性が改められた。しかし、日本では、それに20年遅れて、やっとゆとり教育が見直されたが、いまだに少年のワルをヒーロー視して、亀田を持ち上げる(バッシング前は完全にその構図だった)。まっとうに生きる人間のほうが、不良に走らない少年のほうが、得だし、ずっといいのだということを正当に論じられる環境は、いつ日本で現実のものになるのだろうか?(今更テレビのコメンテーターに返り咲きたいと思わないが、このような言説を唱えたコメンテーターは皆無だった)」確かに、悪かった人が立派になるというのは、大変な努力を要するでしょう。しかし、悪かった過去を持つのは本人の問題です。貧しいながら努力をして立派になったというのはわかりますが、悪いことをしたから立派になったというのは変ですね。しかし、それがもてはやされることがありますし、過去が悪かったということを自慢する人がいます。それだけならいいのですが、悪かったからこそ立派になったというと、子どもたちにはよい影響は与えません。悪いことをしてもいいんだ、悪いことをしたほうがいいのだ、悪いことぐらいしないと偉くなれないのだと思ってしまうからです。親も、わが子が悪くても、そのほうが将来偉くなるのだとか、あんな偉い人だって、子どものころは悪かったのだということで悪さをすることを認めてしまったり、奨励さえする傾向があります。和田さんは、そうではないことを研究データで示しています。やはり、人としてしてはいけないことは、誰でも、どんなときでもしてはいけないのです。
テレビの影響で義家さんの事は不良から更正し教師になり、今では議員にも選出されたので立派だな、と思った事は確かにありました。それに、子どもの頃に多少は悪だった方が将来は立派になれるという考えも少しは持っていましたが、冷静に考えると二つとも認めるのは根本的におかしな事ですよね。まず悪い事というのはそもそもしてはいけないし、保育園でも子どもが友達を傷つけたり、悪いことをしたら怒ります。そこで「この子は少しは悪いほうが将来は立派になる」とは一つも思いません。
今の若者達は、ほとんどが私と同じ考えを持っていると思います。結局、それはテレビの影響だと思います。しかし、今回のブログをじっくり読んで私の考えは変わりました。「悪=将来立派」という方程式は、全くおかしいです。
結局、個を認めてもらえてない人達が悪さを繰り返していくのでしょうね。「自分」という個を認めてもらえる世の中ならば、悪いことはしなくても済むんですものね。
過去に悪かった人が、今では立派な人だという話はよくありますが、それは、過去に悪かったからではなく、悪いことをしたことで、人を傷つけ、自分を傷つけたことを自らが悟り、このままではいけないと自分なりに変わろうと思って努力した結果、自分を振り返ることを積み重ねて立派になったのであって、悪=将来立派ではないのですよね。
自分を振り返ることができない人は、悪さをしたらその上に悪さを重ねて、悪循環になっていくばかりです。
小さいうちから個を認めてもらえる環境で育つ子どもがもっと増えれば、変な悪さはもっと減ると思うのですが・・・。
悪さにもいろんな質があると思います。
いけないことはいけませんが、ただ、ダメだというばかりでなく、代替案を差し出すことで、止められる悪さもたくさんあると思います。
そのためには、やはり、子どもを取り囲むおとなが変わらないといけませんね。
子どもは環境次第でよくもわるくもなりますからね。
私は義家さんは、本当は昔も今もおとなを恨んでいるような気がします。自分が理解されなかったから、せめて自分はヤンキーの気持ちを理解してあげようという気持ちが強いのでしょう。確かに過去にヤンキーだったから、その気持ちが分かるのだと思いますが、せっかく分かるんだったら、どうしてその悪さを肯定するのではなく、子どもをそういう風にしてしまう様なおとなにだけは絶対になるな、と諭してやらないんでしょうか?自分がしてきた悪さを、相談してくる子どもたちへのアドバイスを通して、肯定しているようにしか聞こえません。プラスに考えることと、自分のしてきた悪さを肯定してしまうことは違うと思います。
その行為がいいか悪いかは、ドラマ性を抜きにして議論し答えを出す必要が今は特に求められているように思います。メディアでかっこよく取り上げられることが、不確かな基準で評価を高めることにつながってしまっている現状は良くないです。メディアに振り回されずに、いいことはいい、悪いことは悪いと判断できなければいい方向に進んでいけないのは、教育だけでなく政治なんかも同じだと思っています。子どもたちには正しいことを伝えないといけないですね。
思春期頃いわゆる「ワル」であって、その後事業か何かで成功したといわれる人の話を耳にすることがありますが、そうしたケースはそんなに多くないような気がします。「ワル」の度合いにもよるのでしょうが、大人になってもそのまま「ワル」であったり、若い頃の「ワル」が祟ってなかなか思うとおりにいかなかったり、そうした事例が多いのではないでしょうか。私の同級生たちを見回しても「ワル」が成人して功なり名を遂げている例は寡聞にして知りません。「ワル」があたかも発達段階の「反抗期」と思われている向きがあります。それゆえ「ワル」の存在を是認して憚らない人々がいます。「ワル」は「ワル」であって決して称揚される存在ではないことを私たち大人たちはしっかりと認識する必要があります。今日のブログで紹介されたヤンキー先生について、そのヤンキーぶりを私はよくはわかりませんが、何とか再生会議とかいうミーティングの座長だかなんだかしている時は確かに「ヤンキー」だなとの感じました。