11月3日文化の日の読売新聞のコラム「編集手帳」に教育・保育に参考になるいい話が書かれていました。「仲代達矢さん(74)は黒沢明監督「七人の侍」に通行人役で5秒間ほど登場する。映画に仲代さんの名前はない。20歳、俳優座養成所に通う無名のころである◆監督に絞られた逸話は知られている。歩いては叱(しか)られ、歩いては叱られ、昼食抜きの歩行練習をひとり命じられた。朝9時のテスト開始から午後3時の本番まで歩き続けたという◆仲代さんの足跡をたどった高橋豊さんの評伝、「幻を追って」(毎日新聞社刊)に後日談がある。7年後、映画「用心棒」で今度は準主役に起用されたとき、「監督、ぼくを覚えていますか」と尋ねた。黒沢監督は答えた。「覚えているから使うんじゃないか」◆黒沢氏は仲代青年のなかに素質の原石を見て、少々手荒く磨いてくれたものらしい。光を放つのが何年先であれ、磨く労を惜しまない。」私たちが保育している幼児の姿は、何度も何度も歩いている姿です。その歩き方は、ヨチヨチであり、未だしっかりと腕も振られていないかもしれません。しかし、それはそのあと、自分の足で歩き始めるときのための練習でもあるのです。また、その未熟の歩き方からも、その子の将来の見通しを立てていかなければなりません。ただ、この編集手帳に書かれているような手荒いやり方は子どもには向いていないと思いますが、それでも歩いていれば転ぶこともありますし、何かにぶつかることもあります。転ばないように石をどけてしまうとか、転んではいけないと思ってすぐに抱き上げてしまっては、歩くことを学んでいることにはなりません。転んでも手をつくことができるようになったり、障害物を乗り越えて歩くことができるようになることが、何年か先に自分だけで歩くなったときに必要な知恵なのです。「光を放つのが何年先であれ、磨く労を惜しまない。」という考え方は、教育者は学ぶべきことです。特に、幼児教育者は、子どもという石が、何年か先に光を放つようになるために磨くのです。また、今、光っていないからダメだとか、今、光らせるためにニスを塗って表面だけ光らせると、表面がはがれ、その光は次第に鈍くなり、何年か先には光らなくなってしまいます。自らその光を放つようにならないといけないのです。先日、子どもたちが作った「泥団子」を見せてもらいました。きれいに丸くなったぴかぴかに光った泥団子を作るためにまず必要なのは、泥だんごの芯を作ることです。ここをいい加減にしてしまうと、出来上がりはちがってきます。そのコツは、粒子の大きい土(砂でもよい)と粒子の小さい土と水を混ぜることです。そして、手で握り締め 水を出しながら、泥だんごの芯(出来るだけ丸く)を作ります。この芯をしっかりつくるためには、大きい粒子と小さい粒子が水の膜を仲介として、強く絡め合い、手で握り締めることで水が無くなり崩れなくなります。そのあと、乾いた色々な大きさの粒子を含んだ土をたっぷり振りかけ、表面に載った土を払い落としながら、表面を球形になぜていきます。芯を作るときにも、表面をなぜるときにも、様々な大きさの粒子が必要です。それぞれの大きさの粒子は、それぞれの役目を持っているのです。子どもにも、様々な年齢の子との関わり、様々な特性を持った子たちのかかわりでしっかりした芯を作ることができるのです。編集手帳は、こう締めています。「厳しい手に磨かれた原石は宝石となったのち、みずからが手となって若い原石を磨く。映画に限らず文化とは、恩を受けては返す長い鎖をいうのかも知れない。」私たちも、保育という仕事を通して、人の生き方をつないで行かなければなりません。
「今、光らせるためにニスを塗って表面だけ光らせる」。日本の教育界のあらゆるところで目にする光景です。「表面だけ」ですからやがて「その光は次第に鈍くなり、何年か先には光らなくなってしまい」ます。本当はいつまでも光っていられるはずなのに残念な現象です。仲代達也さんは好きな俳優さんのひとりです。演技が真に迫る。黒澤明監督の『乱』の仲代さんの演技には感動しました。仲代さんは「無名塾」を主宰しています。「恩を受けては返す長い鎖」づくりに励まれているのでしょう。そして「みずからが手となって若い原石を磨く。」藤森先生が仰るとおり「保育という仕事を通して、人の生き方をつないで」いくとはまさにその通りです。子どもも大人もその器において光を放ち続けていられる社会の創造に寄与したいものだと今日のブログを読みながら思いました。
今回のブログは、とても反省させられる内容でした。まず、私は子どもの目の前にある石を転ばないようにどけていました。それは、もちろん転ばないように、怪我をしないようにと思ってやってあげていましたが、それは子どもの将来を思っているなら良くないことなんだと気づきました。
子どもというのは全てダイヤモンドの原石であり、ダイヤモンドの光り方というのは、磨き方によって様々な光り方です。保育士がそれぞれの子どもの光り方をちゃんと分かってあげて、磨いてあげないといけないのですね。
今回の光というタイトルから何が連想できるかと思って開いてみると、素質の原石は磨かれて光を放つというものでした。5秒間の登場に6時間の練習をし、その間も長い期間原石が磨かれたのでしょうそれが7年後には準主役に抜擢されたとはまさしく役者魂を感じることができました。人は努力を惜しまずやる気があればいつかは光を放つことができると思いました。いつかは光放つ子どものために私たちは子どもよく見極め、資質の向上をめざし保育していかなければならないと思いました。
「光を放つのが何年先であれ、磨く労を惜しまない。」というのは、大事な考えです。大事なことや物事の根本の部分というのは、どんなことでもそうですが、本当にシンプルですね。簡単ではないでしょうが、大事な部分をしっかりつかんで手を抜かずに行い続ければいいだけなんでしょうね。磨き続ける、生き方をつないでいく。ひとつずつ確実に実行していこうと思いました。