たぬきときつねが、温泉に浸かっているのを見て、温泉を見つけたという話があるのであれば、当然他の動物が見つけた話しは全国に多いでしょう。そのように各地の温泉場には、由来すなわち源泉の発見について、古くからいろいろな興味ある伝説が残されています。たとえば、よく行く道後温泉は、白鷺の伝説があります。ですから、白鷺は道後温泉のシンボルの一つともなっており、道後温泉本館の周囲の柵にも白鷺をモチーフとした意匠がみられます。また、鷺谷という地名が残っています。「足に傷を負い苦しんでいた一羽の白鷺が岩間から噴出する温泉を見つけ、毎日飛んできてその中に足を浸していたところ、傷は完全に癒えてしまい、元気に飛び去ったというものです。これを見た人たちは大変不思議に思い、入浴してみると、爽快で疲労を回復することもでき、また、病人もいつのまにか全快したことから、盛んに利用されるようになりました。」という伝説です。このように白鷺と温泉の縁は深く、各地の温泉の発見物語に白鷺が登場します。有名な下呂温泉もそうです。「一羽の傷ついた白鷺が村人の頭上で弧を描きながら河原に舞い降りた。村人が河原の大きな岩からのぞいてみると河原に湯気が立ちのぼっていて、白鷺は温泉の中に入ってじっとしていた。村人は、これは温泉だ、白鷺は傷を治しているのだと思った。白鷺は村人を誘うように山の中腹の松の木の下で休んでいた。村人が行ってみると松の木の根元に光り輝く薬師如来像が鎮座しておられた。この薬師如来像が温泉寺の本尊である。」また、少し前、熊本に行ったときに泊まった1300年という長い歴史を誇る玉名温泉にも、傷ついた白鷺がこの温泉で傷を癒したという伝説が残っています。また、名古屋駅・米原駅発着の北陸本線エル特急には「しらさぎ」という愛称がついていますが、これは、石川県の山中温泉は、傷を負った白鷺が傷を癒しているところから発見し、あらためて掘ってみたところ温泉が湧き出たと言われています。また、同じ鳥でも、コウノトリが傷を癒した伝説があるのは、多くの文人も訪れているという兵庫県の城崎温泉です。他にもコウノトリ伝説のある温泉地がいくつかあるようです。他の鳥で多いのは、やはり「鶴」かもしれません。有名なところでは、佐賀県の嬉野温泉です。神功皇后が西征からの帰途に白鶴を見付けます。しかし、傷を負っていて心配していたところ、河原に舞い降りて湯浴みをすれば、再び元気に去っていくのを見て「あなうれしの」と感想を述べたといわれています。この「あなうれし」ということから嬉野という地名ができたといわれています。鶴といえば、やはり何回か泊まったことのある福岡県の原鶴温泉があります。その名のとおり、川原で鶴が湯浴みしているところを発見したと伝えられています。温泉の由来を調べると歴史の古い温泉ほど、動物が湯につかり傷を治していたのを見つけて発見したというものの他、神話に基づくもの、弘法大師のような高僧や武将が発見したとか、夢の中で神様のお告げがあったなど、温泉の発見についてさまざまな言い伝えがあります。神話によるものとしては、大国主命と少彦名命によるものが多く、僧侶・武将・偉人による発見は行基、一遍、弘法大師による発見などの言い伝えが各地に残っています。特に行基が発見したものは北陸をはじめ、各地に多く、東北地方では、坂上田村麻呂による発見伝説が多く残されています。私は最近、講演のときは、温泉に泊まることが多いのですが、その温泉の開湯伝説を調べてみると、また違った楽しみが生まれるかもしれません。
月別アーカイブ: 11月 2007
きつねとたぬき
先日、山口県でソバ屋に入りました。そして、注文するときに面白いことを聞きました。連れの人が「たぬき」を頼んだのですが、出てきたのは、そばの上に油揚げが乗っています。私は、「あれっ?たぬきを頼んだんじゃなかったっけ?」とその人に聞いてみたのです。私は、油揚げが乗っているのは「きつね」で、「たぬき」は天かすが乗っていると思ったからです。じつは、大阪では油揚げを乗せたうどんを「きつね」と言い、「たぬき」とは、油揚げを乗せたそばのことを言うのだそうです。皆さんは、どうでしょうか。大阪では、いわゆる油揚げ=「きつね」ではないため、「きつねうどん」「きつねそば」という表現はもともと無いようです。「きつね」と「たぬき」と呼ぶのは、この二つを対として考える発想と、「きつね」のうどんがそばに化けたのが「たぬき」だという説が有力です。京都ではきざんだ油揚げの上から葛あんをかけたものを「たぬきうどん」「たぬきそば」と呼ぶのだそうです。関東では天かす(天ぷらのかす、「揚げ玉」ともいう)のみを乗せたものを「たぬきうどん」「たぬきそば」と呼びますが、それは、天かすには「タネ」が無い、つまり「タネ抜き」が訛って「たぬき」となったとされています。揚げ玉と油揚げの両方を入れたものを「むじなうどん」「むじなそば」と呼びます。名前の由来は「たぬき」でも「きつね」でもない「おばけ」ということ、そして小泉八雲の『怪談』に登場する「ムジナ」(のっぺらぼうの妖怪が営む蕎麦屋の屋台が登場する)から来ていると考えられます。では、なぜ油揚げが乗っているのがきつねかというと、いなり寿司と同様、もちろん、きつねの好物が油揚げだとされていることに由来しますが、油揚げの色・形が、きつねがうずくまる姿に似ているからだともいう説もあります。1893年創業の大阪・船場のうどん屋、松葉家がいなり寿司から着想を得て考案したと伝えられています。また、名古屋などでは、油揚げの乗っているそば、うどんを、信太の葛の葉狐にちなんでしのだうどん、しのだそばとも呼びます。カップ麺のマルちゃん「緑のたぬき」は、小エビの入ったかき揚げのような天ぷらが入っています。こんなきつねとたぬきですが、やはり山口県に「湯田温泉」があります。この温泉に泊まってみました。その町を歩くと、いたるところに狐の石造があります。湯田温泉駅には大きなきつねの像が置いてあります。それは、こんな逸話があります。
「1504年~1521年のころ、湯田には、唯一「温泉山、竜泉寺」という真言宗の寺がありました。ある日、住職が、月明かりに照らし出された池の畔に目をこらすと、一匹の年老いた狐が片方の足を痛めていて、痛めた足を池の中に浸けてじっとしていました。その狐は、七日間現れ、その後は来なくなりましたが、住職は、老狐が痛めた足を浸けていた池に手を入れてみると、池の水は暖かく、深く掘り進むと、さらに豊かな温水が湧き出てきました。」それが湯田温泉です。そんな伝説があるからか、いたるところに足湯があり、どこででも、たぶん観光客ではない地域の人とか、学生たちが足を浸けていました。
温泉には、様々な動物が見つけたものが多くあります。きつねがあるので、たぬきもあります。たとえば、同じ島根県の温泉津温泉(1月に行く予定です)は、傷ついた狸が暖かい湯に浸かって療養している所を人が見つけたと伝えられていますし、神奈川県の湯河原温泉は、ケガをした狸がこの温泉を発見して傷を治し、その後、人に化けて旅人を温泉に導いたと伝えられています。各地には、同じものでも、その名前や言い伝えや習慣が違いますが、伝言ゲームのように伝わる途中で変わってきたものもあるでしょうね。
サーカス
山口県は、8人の首相を輩出しているなど、維新以後、長州藩としての遺跡が多くある県です。しかし、現在にとって印象の深い、しかし、早世した詩人が生まれた県でもあります。その一人は、「金子みすヾ」で、1903年、山口県大津郡仙崎村(今の長門市)に生まれています。しかし、大正末期、すぐれた作品を発表し、西條八十に『若き童謡詩人の巨星』とまで称賛されながら、1930年、26歳の若さで世を去りました。もう一人、わが国の文学史上に大きな足跡を残した詩人「中原中也」も、1907年に山口市湯田温泉に生まれました。そして、詩に捧げた彼の人生は、30年という短い期間であり、生前は充分な評価を得ることのないまま、志半ばにして異郷の地で没しました。その中原中也記念館を訪れてみました。

この建物は、彼の生誕地に建っており、設計は全国公開設計競技により優秀賞に選ばれた宮崎浩氏の作品です。また、平成10年には公共建築百選にも選ばれています。この記念館では、外の風景や柔らかい光を取り入れたり、吹抜を設けることで限られた空間に拡がりと奥行を与えると共に、回遊性を持った空間構成により繰返し中也と出会うことができるように計画されています。中原の詩の中で特に印象深いのは、いろいろな人に歌われている「サーカス」です。「幾時代かがありまして 茶色い戦争がありました 幾時代かがありまして 冬は疾風吹きました 幾時代かがありまして 今夜此処でのひと盛り 今夜此処でのひと盛り サーカス小屋は高い梁 そこに一つのブランコだ 見えるともないブランコだ 頭倒(さか)さに手を垂れて 汚れた木綿の屋根のもと ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん それの近くの白い灯が 安値(やす)いリボンと息を吐き 観客様はみな鰯 咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻(かきがら)と ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん 屋外(やがい)は真ッ暗 暗(くら)の暗(くら) 夜は劫々(こうこう)と更けまする 落下傘奴(らっかがさめ)のノスタルジアと ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん。」この詩は、「山羊の歌」の「初期詩編」に収められています。私は、サーカスという響きを聞くと、なんだか胸が締め付けられるような、切ないような、もの悲しい気がします。それは、子どものころによく「そんな悪いことをすると、サーカスに売られてしまうよ」と言われてきた怖さと、なんとなくノスタルジックな憧れが交錯するからでしょう。また、幕間を受け持つ「ピエロ」「道化」は、中也の詩の中で、観客を笑わせ嘲ったりする日常生活とは断ち切られた悲しい存在です。そして、実生活で破綻していた中也にとって、観客(読者)とサーカス(詩的別世界)をむすぶ存在であり、中也そのものであったようです。この詩の最後の「ゆあ-ん ゆよ-ん ゆやゆよん」という擬音は、悲しげな旋律を奏で、いろいろな地を転々としながらサーカス興行をして歩く姿は、一瞬の火花のようなものであり、その興行が終わると、再び明日からは暗い生活に戻るという佗しさに満ちています。同じ感情が湧く歌として、私が好きなものに古賀政男作曲、西條八十作詞の「サーカスの唄」があります。サーカス小屋からは聴こえてくるクラリネットの音色、もの哀しい「天然の美」の歌と相まって、サーカス暮らしになぞらえて人生そのものを感じます。「1.旅のつばくろ 淋しかないか おれもさみしい サーカス暮らし とんぼがえりで 今年もくれて 知らぬ他国の 花を見た 2.昨日市場で ちょいと見た娘 色は色白 すんなり腰よ 鞭の振りよで 獅子さえなびくに 可愛いあの娘は うす情 3.あの娘住む町 恋しい町を 遠くはなれて テントで暮らしゃ 月も冴えます 心も冴える 馬の寝息で ねむられぬ 4.朝は朝霧 夕べは夜霧 泣いちゃいけない クラリオネット ながれながれる 浮藻の花は 明日も咲きましょ あの町で」私がよく口ずさむ歌のひとつです。
ハプニング
講演に出かけるときには、主催者側に迷惑をかけてしまうことがあるので、できるだけあらゆるハプニングを想定し、それを回避するようなとっさの判断が必要になります。最近は、かなりその訓練をする場が多いために余り予定を変更したことはありません。島根に行くときに、台風が来るという予報があったために、急いで、前日の夜行で行ったところ、やはり予定の飛行機は欠航になってしまい、そのままですとキャンセルしてしまうことになってしまったところでした。そのほかにも台風では、何度かきわどいことがありました。京都乗換えで福井に行ったときは、関が原での大雪で新幹線がかなり遅れて予定の乗り継ぎができず、1時間後の電車になるために、先方での知っている人に、遅れる1時間代わりに話してもらうように頼んだこともありました。一度、こんな大変なことがありました。釧路で講演をしたときです。手配をしたところからの指示で、「講演が終わってから、夜の懇親会に出て、ホテルの部屋で夜11時くらいまで休んで、札幌行きの夜行に乗って、途中の南千歳まで移動してください。朝5時に降りたら千歳空港までタクシーで行き、始発便で羽田まで飛行機で行って、そこで乗り換えて松山空港まで行ってください。着いたら、午後1時から講演です。」ということでした。普段は、そんなハードな予定は組まないのですが、どうしてもということで、たまにはそんな経験も面白いかなと承知したのですが、大変でした。まず、途中の南千歳では寝過ごさないか心配でしたので、車掌さんに起こしてもらうように頼んでおきました。そこで、予定通り、南千歳でタクシーに乗り、千歳空港まで行ったところ、空港がまだ閉まっていて、中にも入れません。仕方ないので、もう一度タクシーで南千歳に戻ってもらい、駅構内のベンチで、仮眠しました。朝になって空港に行って、羽田まで行こうとしたところ、なんと、羽田が大雪で、羽田離発着すべてが欠航だというのです。松山空港まで他の空港経由の便がないか探してもらいましたが、ありません。空港で3時間ほど待っていると、アナウンスがあり、私が乗る予定の便だけが、とりあえず、羽田に向かって飛んでみるというのです。行ってみて、もしダメであれば引き返すということでしたが、少しの可能性に期待して、東京へ行く人がみんな乗り込みました。羽田近くで着陸しようとしばらく旋回していましたが、機内アナウンスがあり、思い切って着陸に挑戦して見ますと言います。乗客はみんな心配しましたが、何とか無事羽田に着きました。今度は、松山行きです。どの飛行機も飛び立とうとしません。私たちは、とりあえず、天候を見ながらチャンスを待つということで、機内で数時間待っていました。また、運よく、この便だけが何とか飛び立ちました。しかし、松山に着いたときは、13時からの講演でしたが、15時を回っていました。これは、もうだめだと思って空港を降りたら、あちこちに貼紙がしてあって、「講演は、都合により15時半から始めます」と書いてあります。松山は、ありがたいことに、空港から市内はとても近いので急いで駆けつけると、「皆さん、待っていますから、すぐ講演をしてください」と言われ、そのまま壇上に立ったのでした。前日の夜行から、そのままの顔で、ひげをそっていないどころか、顔も洗っていず、おきたままという姿で講演をしました。なんとも面白い経験をしたものです。ハプニングも、過ぎてみれば良い思い出です。ハプニングが、人生にメリハリを与えてくれているのかもしれません。
出かけるとき
よく講演などに出かけるときに妻は、「何時に家を出るの?」と聞きます。妻としては、何時の電車に乗るとか、何時の飛行機に乗るとか、何時から会議があるのかというより、何時に家を出るかが重要です。それは、食事をどうするのか、何時から支度をすればよいのかなどが重要だからです。そんな時、私は「まだ、計算していない。」と答えることが多いです。それは、もちろんそこまでかかる時間が違うからですが、それよりも何をするかで、どのくらい前につく必要があるのかが違うからです。そこまでどのくらい時間がかかるのかの計算は、最近とても楽になりました。それは、携帯電話で乗り換え検索ができるからです。何時にどの駅に着きたいかを検索すると、どの駅で何時の電車に乗ればよいかがすぐにわかるからです。この検索は、よく使います。電車に乗っているときでも、この電車で行くと、目的地に何時に着くのかも調べます。あるとき、園から東北新幹線に乗るために大宮に行こうとして検索し、最短時間のルートを選び、その電車に乗ろうとしたところ、その路線が事故でしばらく動かないという放送を聴いて、急いで違うルートを検索し、そのルートに変更しました。しかし、それでは大宮には新幹線の出発時刻3分前に着くことになってしまうようなので、階段付近に乗り、ドアが開くか開かないかで急いで飛び出し、思い切り走って何とか予定の新幹線に飛び乗れたことがありました。東京では、すぐに次の電車が来ますし、目的地まで行くのにいくつかのルートがあって助かるのですが、事故や電車の遅れが多くて困ります。ですから、八王子からですと目的地まで距離がある場合が多いので、途中でのハプニングが起きる可能性は高くなります。その分早く出かけます。飛行機の場合はかなり前に空港に着いておかなければなりません。しかも、羽田空港は広く、搭乗口まで遠い場合もありますし、バスで移動となるとかなり前に締め切ってしまいます。そんなわけで、羽田空港出発の場合は、大体出発時刻の3時間前には家を出ます。ですから、朝7時30分発のような場合は、先方では簡単にその便でお願いしますと言いますが、私は家を4時半に出ないとならないのです。そんなときは空港の近くで前泊します。また、大切な講演ですと、何かトラブルがあるといけないので、前日入りをします。北に行くときは、冬などは雪が降ると空港は閉鎖されてしまいますし、南にいくときは、夏は台風が心配です。そんな配慮で、今まで講演に遅れたり、欠席したりしたことはあまりありません。意外と、遅刻してしまう場合は、近いところであったり、ルートに慣れているところの場合が多いような気がします。近いところですと、かなり細かく時間が読めるので、ギリギリに出てしまうことがあるからです。ですから、ちょっと電車が遅れただけでも遅刻してしまいます。また、よく知っているルートも、かかる時間が読めるので、少しの誤差も影響してしまうからです。ある時、保育者の職員の結婚式の祝辞で私はこう言ったことがあります。その式場は自宅からとても近くて行きなれた道でいけるため、車で行ったところ危うく遅刻しそうになりました。「よく知った道を行くときは、手馴れているのでタカをくくってしまい、失敗してしまうことがあります。保育者は、子ども相手の仕事ゆえに育児は手馴れていると思ってタカをくくってしまうと、失敗することがあるので、気をつけるように。」という祝辞でした。いくらベテランになったからといっても、いつでも、新鮮な気持ちで、真摯な態度で仕事に取り組まなければならないと思います。
男女差
今日、地下鉄に乗っていて前の座っている女性を見ると、L25という雑誌を見ていました。以前のブログでR25という雑誌を紹介しましたが、このシリーズの女の子版として、あれもこれも欲しい女の子たちが、会話豊富で余裕のある大人になれることを意識して編集されている雑誌がL25です。このL25も、毎週木曜発行のフリーマガジンです。首都圏エリアの私鉄・地下鉄ラックや書店・コンビニなどで約40万部配本しているそうです。R25 は、世間では「元気がない」なんていわれて、ちょっと悔しいこの世代の男性に向けて「オトコ視点」で編集されていましたが、L25は、大人っぽさも、かわいらしさも、自分らしさも、すべて大切にしていきたいという欲張りな女性たちを応援するフリーマガジンといわれています。その中での特集記事や連載は、「大人力」+「女子力」+「自分力」=「L25力」として、それぞれのバランスが取れた大人の女性になるために問いとされています。ちょっと、私も中身を見てみました。女性が好きそうな内容です。さすがよく研究されています。私も女性が多い職場ですので、この中の話題を持っているといいかもしれません。まず、「Connect×Review特集」ということで、どの雑誌や番組で、どんな情報が提供されているのか、世の中では何が流行っているのかがひとめでわかるようなレビュー記事です。そして、「WEEKLYイベントカレンダー」ということで、一週間のイベントや新商品開発などのホットなトピックスを政治・経済からエンタメ情報まで幅広くピックアップされています。「L25女子力検定」もとても面白い企画で、テーマに沿った5問で「女子力」を検定しています。「男と女はどーしてわかりあえないか研究所」も面白いです。毎号、男女に同じテーマを投げかけ、男女はどのくらい考え方が違うのか?ということがリアルにわかる特集です。そのほかに、「今週の推薦状」「自分力BOOK」などがあります。この内容で、具体的にどのようなことが書かれているかとても興味が湧きますね。今週号に「電車のマナーはどこまでOK?ビックリエピソード目撃選手権」というのがありました。電車の中でお化粧をするなんていうのはもう古い話で、私が目撃してびっくりしたのは、座っている私の前に立っていた女性が、紙袋から買ってきた水着を出して、試着を始めたのにはびっくりしました。地下鉄でしたから、窓ガラスが鏡のように姿を映していたからでしょう。L25 に掲載されていたエピソードは、「ゆでた上海ガニを袋から取り出し、一心不乱に食べ始めたおばさん。みそもしっかりすすってました。」「ラッシュ時に歯磨きをしている女性。何度か見かけますが、いつくちをすすいでいるのか気になります。」「混雑気味の車内にて、T字カミソリでヒゲソリを始めた30歳くらいの男性。しかも鏡を見ず、シェービングクリームもナシ。」「つり革にハンモックをかけて寝ている外国人を目撃。車内の人もア然としてしまい、当人はおとがめナシのまま下車。」これらの目撃情報を見ると、「最近の若い人は!」とか「最近の女性は!」というようには言えないくらい、男性であろうが、女性であろうが、若かろうが年配であろうが、日本人であろうが外国人であろうが、マナーの悪い人は様々です。「男子の“美容ケア”ってどこまで許せる? 許せない?」という特集でも、動機として、「最近、よく見る眉毛を異様に細くしていたり、爪がピカピカの男子。私はちょっと違和感あるんですよね~。そこで、男子のお手入れについてどう思うか」なんていうことを見ると、やはり、男女差という刷り込みが、いまや全く間違いだったことに気がつきます。
授業のリーダー2
学校での授業中のリーダーは誰でしょうか。それは教師です。もちろん主役は子どもですが、その子どもを導き、学力をつける援助をするのは教師ですから当然です。しかし、そのリーダーのあり方が近年変わってきているのです。かつてのリーダーは、みんなの前に立ち、みんなを引っ張っていくというものでした。企業でもリーダーという考え方が変わってきています。最近話題の書籍に「ヒトデはクモよりなぜ強い」(オリ・ブラフマン、ロッド・A・ベックストローム著)があります。とても意表をつく題名ですが、内容は、「ナップスター、オープンソース開発者、アル・カイダに共通するものとは何か?それは、リーダーがいない分権型の組織であり、強靭な生命力で拡大を続け、社会に大きな影響を与えたことである。」というものです。サブタイトルとして、「21世紀はリーダーなき組織が勝つ」と書かれています。本書ではそのような組織を「ヒトデ」にたとえています。ヒトデは、真っ二つに切られても、死なずに分裂して2匹のヒトデになります。21世紀に生き残るためには、このヒトデにならなければならないといいます。「従来型のトップダウン構造をもつ「クモ型」の組織には、勝ち目はないのだ。ヒトデの要素を取り入れた、アマゾン、eBay、トヨタといった勝ち組に戦略を学ぶ、斬新な視点の経営組織論。」と解説に書かれています。企業と教育とは少しちがいますが、あとがきに訳者である糸井恵さんがこう書いています。「翻訳をすすめるうちに、ビジネスにおけるヒントに加え、人間性についての深い洞察があることに感心させられた。権限を分散するためには、組織を構成するメンバーへの信頼が必要だ。」最後に「強いリーダーシップだけでなく、適度な分権を取り入れること、つまり、人を信頼することが、これからの勝ち組における条件の一つかもしれない。」と結んでいます。よく私は、「見守る保育」「見守る育児」ということを言いますが、これは、子どもを信じること、子どもの存在を信じ、子ども自ら伸びようとする力を持っているということを信じることから始まると思っています。かつて、子どもはなにも知らない存在だ、何もできない存在だということで、教えてあげよう、やってあげようとしました。また、そんな存在ゆえに、大人と子どもの関係を強固にしようとし、子ども自らの活動、子ども同士の関わりは、その次にされていました。そのために大人は、子どもにとって強いリーダーである必要があったのです。イエナプラン教育では、教師と生徒との関係を、ひとつの社会として見ています。大人と子どもの社会としてみているということで、先生が前に立って生徒との関係に懸隔を保って授業をする、という場面をなるべく避けようとしています。これは他のオルタナティブスクールにも言えることのようです。ですから、低学年の教室は、ひとクラスの部屋の中に創造的な活動、積み木とか工作をするような「創造コーナー」、それから人形をなどを置いてロールプレイをする「お人形コーナー」、それから理科の教材とか資料集を置いて自分のプロジェクトに従って資料を探す「資料コーナー」、クッションなどを置いて寝転びながら本を読むための「読書コーナー」、小さなキッチンを置いて、家の中の仕事を少し模倣的にやる「キッチンコーナー」、5つくらいのコーナーをクラスの中に設けています。こういう低学年の教室にコーナーを設けるやり方は、すでにオルタナティブスクールに限ったことではなくて、一般校でほとんど採用しています。そこでは、教師は子どもを引っ張るリーダーではなく、子どもを見守っているスタンスでいるのです。
授業のリーダー1
先日、主任セミナーのときにリーダーシップというものを考えてみました。そのときにその質について考えましたが、そのスタンスのあり方は、近年変わってきているように思います。先日、オランダのイエナプラン教育シンポジウムが、JAS(イエナプラン・アドバイス&スクーリング)という、現職教員のための研修・コーチングサービスを専門に行っている私企業の共同経営者2名とアドバイザー1名によって行われました。解説・日本語通訳は、日本にイエナプランを紹介した書籍を書いたリヒテルズ直子さんが担当しました。その中で、ほんの少しの時間ですが、私がコメンテーターとして、コメントと質疑をしました。そのシンポジウムでは、写真を含めたスライドと、ビデオで「イエナプラン教育とは何か」「イエナプラン教育の学校空間:生と学びの共同体のための環境」「イエナプラン校の実際」というテーマで行われました。その中でのコメントで、とても面白いフレーズがありました。「皆さん、この写真で何が見えますか?先生が立っていますね。この先生は何をしているのでしょう?そう、彼は手をポケットに入れています。それでも受身ではないでしょう。少し前に傾いた姿勢で、何かに目を向けていますね。彼は明らかに子どもたちと子どもたちがしていることを興味深く見ています。これは、ヤン・リヒトハルトという有名なオランダの教育家です。よい学校では校長は何もしません。先生が少し、そして、子ども達が何でもやります。学ぶのはやさしい。記憶するのは大変です。しかし、手綱を緩めるのが一番難しい。」また、別の写真を見ながらこんなコメントを言いました。「協働することを子どもたちは学ばなくてはなりません。それは自然にできることではありません。学校はそれを学ぶために場所としてますます重要になってきています。学校以外ではどこでそれをまだ学べるでしょうか。家族はだんだん小さくなり同じ趣旨を持つ人が集まって何か活動をする機会も減ってきています。私の子どもたちはますます多くの時間をコンピューターの前で過ごすようになってきます。昔なら友達と外で遊んでいた時間が、今はコンピューターに割かれています。けれども、協働するということは共に生きるということのための練習でもあるのです。私たちはお互いを必要としています。もっと言えば、他の人がいなかったらあなたは今のあなたでありえないのです。人は互いを必要としています。だからこそ共に生きなくてはいけないのです。」(リヒテルズ直子訳)このような理念の下、イエナプラン教育では、子ども達同士の学び合いが中心になります。教えることこそ最良の学びであるというのです。先日、テレビで学力が日本でトップだった秋田県の試みを放送していました。その秘訣の1は、インターネットの活用です。これは、子どもたちがインターネットを活用して、様々な課題に取り組むことかと持ったら、そうではなく、定期的に教育委員会からインターネットを通じてワークが送られてくるものをプリントアウトして、子どもたちにやらせるというものです。秘訣その2は、教師の教育力です。教師が子どもを前に一斉に教えるテクニックを学んでいきます。その3は、家庭学習の充実です。子どもたちは家でワークに自ら取り組んでいます。この実践はとても感心しますし、一生懸命で頭が下がりますが、ここにはどこにも子ども同士の関わりの中から学ぶ姿はありません。テストというペーパーでの学力は確かに上がるでしょうが、将来、子どもに必要な力はどうなのでしょうか。
水耕栽培
今、私の園でひとつの実験をしています。それは、部屋の押入れで野菜を育てる「水耕栽培」です。
どの園にも、花壇があり、季節ごとの色とりどりの花が咲きます。もし場所があれば畑があるところもあると思います。そこでは、いろいろな野菜を育てているようです。今までの園では、畑では小松菜、トマト、なす、きゅうり、サツマイモなど地域のお年寄りの指導のもと作っていました。しかし、今の園は新宿の街中にあり、なかなか畑を作るだけの場所がありません。そこで水耕栽培を試みているのですが、この栽培は、養分の入った水と、蛍光灯のひかりで野菜を育てるので、土や太陽を使いません。最初、やはり、子どもたちには土に触れ、太陽の光を浴びることが必要だと思っていました。しかし、土が周りにたくさんあり、畑で野菜を育てている園では、日常、子ども達は土に触れ、畑の野菜を日常見ているのでしょうか。逆に、都内の子どもたちは、土と触れる経験はありません。すると、性格がねじれるのでしょうか。私は、子どものころ、都内の下町で育ちました。毎日の生活の中では土に触れることはありませんでした。今、話題になっている三丁目の夕日の映画の中の小学生がまさに私と同じ年齢であり、育った環境と同じで、あの映画の中の世界が日常でした。その世界では、土に触れることはありません。では、性格がねじれるのでしょうか。そんなことはありません。また、最近の環境とは、エコとか、自然環境保護という問題ですので、毎日触れるというよりも、どのような環境教育をするかということに意味があるのです。まず、水耕栽培ですと、土を使わないために農薬は使いません。子どもが生の野菜をそのまま食べることができます。また、育つ過程を身近で毎日見ることが出来ます。見ようと思えば、根も見ることが出来ます。また、タイマーで夜中の12時から昼の12時まで明かりをつけて、そのほかは暗くしてありますので、子どもたちは、野菜が育つために昼と夜が必要なのかを見ることが出来ます。また、12時間明るくするために、レタスですと、ほぼ20~30日で食べることができるほど育ちますので、1年に何種類かの野菜を育てることができます。このシステムは、遠洋漁業の人たちにも野菜を食べさせようと開発されたものであり、宇宙ロケットにも積み込まれているそうです。最近、都内のビルの地下で野菜を育てたり、農家でもこのような育て方が普及しようとしています。もうひとつ、「野菜の栽培セット、静かなブーム 癒しを求める男性も…」という記事が、先日の11月10日の新聞に特集されていました。「そら豆、水菜、春菊……。水を与えるだけで簡単に室内で育つ野菜の栽培セットが、静かなブームになっている。製造しているのは愛知県瀬戸市の小さな陶磁器会社。遊び心から生まれたユニークな商品だが、成長の過程を観察し、もちろん収穫後は食べられる。大手雑貨専門店によると、癒やしを求める女性のほか、植物に無縁と思われがちな20、30代の若い男性も購入していくという。」という記事です。この秋から販売が始まった「そらまめ栽培セット」は、ビールジョッキそっくりの鉢に栽培用の土と種を入れ、水を与えるだけでよく、今ごろの時期から育てると来年の春ごろには実がなるもので1050円だそうです。もう一つの人気商品は「なべ野菜栽培セット」というもので、鍋料理に欠かせない春菊と水菜を、直径約15センチの土鍋風の鉢で育てるもので、こちらは1カ月ほどでシャキッとした歯ごたえの野菜ができるというもので、いずれも水を与えるだけで室内でも十分に育つのが特徴だそうです。収穫した野菜が本当に食べられ、品種は丈夫で育てやすいものを選び、無消毒種を使って安全面にも配慮していることが人気の秘密だそうです。
赤ちゃん2
小西行郎さんといえば、「日本赤ちゃん学会」の理事長を務めていることでも知られています。「日本赤ちゃん学会」とは、赤ちゃんを総合的にとらえ、医療、工学、心理学、社会学など多面的な視点から、「赤ちゃんを中心とした赤ちゃん学」という21世紀の学問領域の構築を目指し、2001年に設立されました。その設立記念総会会長も務めた小西さんは、そのときの記念にこんなことを言っています。「エレン・ケイによって「児童の世紀」と名付けられた20世紀は、進化論に基づく科学の時代でもありました。人は日々進化の道を歩み続けていると考えられ、そのなかでとりわけ子どもは未来に向かって成長発達するものであるから、これを科学の対象として研究したり、その成長発達を支援することは疑う余地のないプラスの価値として考えられたのです。しかし、20世紀末の子どもの現状はこうした楽天的な思想に大きな疑問を投げかけています。一方、最近の神経科学の進歩は、「神経ダ-ウイニズム」という、脳は遺伝子で作られた粗い組織から無駄なものを削り取る2つの過程を経て成長するのではないかという概念を生み出し、また、発達心理や複雑系の研究では周囲からの刺激によって動くという原始反射は決して、新生児の行動の基本ではなく、新生児を自ら自発的に周囲に働きかける存在として捉えるべきではないかという研究が増えています。こうしたいくつかの新しい考え方や所見は21世紀の「子ども観」を新たに構築するのに十分な可能性を持っていると考えられるのです。20世紀末に見られた、育児不安や虐待あるいは学級崩壊やキレる子供達の問題が20世紀の「子ども観」の結果として生み出されたものであるのであれば我々は早急に、21世紀の「子ども観」を新たに構築しなければならないとおもいます。そのためには子どもに関係する研究を行なうすべてのものが一同に介し、研究協力や討論を行なうべきであると思うのです。そこに本学会の設立の意味があるのではないかと私は思っています。」このような考え方で研究されたことは、保育界を含めて子どもに関係ある仕事をする人たちからは必ずしも受け入れられないことが多いようです。しかし、現場で実際に子どもを見ていると、確かにかつてから言い伝えられた子どもの発達が現実の姿と違う事があるような気がします。そのひとつが、0歳児の社会性です。0歳児は、大人との関係が主に論じられますが、すでに1982年にMartin とClarkによって、「新生児において、自分の泣き声の音声テープを聞いても泣き出すことはないが、他の新生児の泣き声を聞くと泣き始める」ことが紹介されています。また、Fogelが、1979年に、生後5~14週の乳児が他の乳児と対面したときの反応は、母親と対面したときと比べると注意喚起的な傾向があったという指摘がなされています。そのほかにも、集団保育の場面での乳児の相互交渉場面の観察から得られた知見では、3ヶ月児では他児への、見る・発声する・さわるといった行動が見られ、4~5ヶ月児では保育者に抱かれたまま、他児に手をのばしたり、服をつかんだりという行動が見られるようになります。6ヶ月を過ぎると互いに見つめあって何らかのかかわりをもとうとするしぐさを示すようになり、9ヶ月児になると、這って接近をしていったり、相手の発声に微笑んだり、物を介したやりとりをするようになるといいます。そして1歳前後になると物を介したかかわりが多く出現し、「物の取りあい」も生じてきます。このような他児との関わりの必要性を、少子社会ではもっと論じられないといけないと思います。