科学する力

 最近、世界でも科学する力が衰えてきていることを心配して、その教育に力を入れ始めています。ドイツに行くと、幼児教育の場面でも、保育室に設定されたコーナーには必ずといってよいほど「科学コーナー」があります。OECDでは、生徒の学習到達度調査(PISA2003)での国際数学・理科教育動向調査(TIMSS2003)について国際数学・理科教育動向調査(TIMSS2003)を国際教育到達度評価学会(IEA)が実施しました。日本の児童生徒の学力は、国際的に見て上位ですが、小学校理科、中学校数学は前回より得点が低下しています。また、理科と数学(算数)の勉強が「楽しい」と答えた子どもは、世界最低レベルでした。また、ベネッセの教育研究所が中学校の教務主任、理科/社会を指導している教員を対象に行なった「中学校の学習指導に関する実態調査報告書(2005年)」によると、理科の先生のうち約4割が「子どもたちの『理科離れ』がすすんでいる」と感じています。そこで、文部科学省では、将来の国際的な科学技術系人材を育成することを目指し、理数教育に重点を置いた研究開発を行う「スーパーサイエンスハイスクール(SSH)」事業を平成14年度から実施しています。「科学する心・力」は、なぜ必要なのでしょうか。自然科学の学問体系は、多様な自然現象の背後に潜む規則性・法則の探求を通して形成されてきました。そこで重要な役割を果たすのは、「観測(見る、触れる)」に基づいて普遍的な「モデル(仮説)」を立て、それらを「測定(測る)」によって確かめるという、論理的・実証的なサイクルを伴う知的好奇心、すなわち「科学する心・力」です。この論理的に物事を組み立てていく力が数学力なのです。その力の不足が、今後生きていく上で大切な「問題解決能力」の低下につながっているのです。それは、中等教育および大学における自然科学の教育現場で、人的・時間的にもコストの掛かる自然現象理解のプロセスを省き、いまだに既存の学問体系を単なる知識として教え込む傾向が見直されていないことが主な原因ではないかと思います。その結果、知識は豊富ですが「科学する力(心)」に欠如した学生が大多数を占める危機的な状況になってしまっています。もともと日本人は、科学する力に長けていました。幕末の頃、「ヘボン式ローマ字」として有名なヘボンが日本人に英語を教えていたときの感想にこんなくだりが「花神」に書かれています。「ヘボンにとって意外なことは、かれらは英語ができないくせに、数学がよくできるのである。かれらはみな、二次方程式をふくむ代数や平面三角法、球面三角法などといったものによく通じていた。」という感想を持つほど、彼のところに英語を習いに来ていた日本人はどの人物もそういうものをスラスラと解いてしまうのです。そのことを「花神」の中では、こう分析しています。西洋人にとっては、文明か文明でないかは、キリスト教文明を持っているかどうかが基準であったが、いまひとつの基準は数学や物理学が普及しているかどうかということであったのです。それが奇妙な国日本では、神の教えが存在しないのに、球面三角法までこの青年たちはできるので驚くのです。その驚きをヘボンは、「米国聖公会雑誌」のこう書き送っています。「実際のところ、アメリカの大学卒業生でもこれらの若い日本人を負かすことはできないであろう」「まったく驚くべき国民である」と言い、日本と同じ条件化におかれたどの国のどの民族でもこういう奇跡はありえないとまで言っています。そんな日本人の最近の数学、理科の力の低下は、文明の低下とつながっているのかもしれませんね。