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2007年11月30日 [記念日]
鏡の日
今日11月30日は「いい(11)ミラー(30)」の語呂合せで「鏡の日」です。鏡を大切にすることで、健康で美しい生活を目指す日だそうです。ナルシスと鏡の関係についてはブログで書いたので、今日は少し違う観点で考えてみたいと思います。それは、レッジオ エミリオ教育はじめ、保育に鏡が重要な意味を持つことが多いのですが、どうしてかを考えてみました。それについての文献等を私は読んだことがないので、あまり的を得ていないかもしれませんが。よく、動物の知能を測るために鏡が用いられることが多いのは、鏡に映った自分を自分と認識できる能力である「鏡映認知」を持っているかということのようです。それは、鏡に映る姿が自己であることを知るのは、自己認識の第一歩であるとされているからです。人をはじめ、様々な動物は、生きるためには自分を襲う他の動物を認識する必要があります。それは、ほとんどは自分とは違う種であることが多いでしょうが、同じ種でもメスを取り合ったりするときなどは自分を襲う敵になります。しかし、どちらにしても、自分の姿を認知したり、認識する必要はない気がします。では、自分の姿を見て、なんの役に立つのでしょうか。チンパンジーなどにおいては、鏡に映る姿を自分自身として認識し、毛繕いのときに役立てるというように、ひとつのモデリングとして自分を見ることはある気がしますが、鏡によって客観的に映し出される、自分自身の姿は、どのように映ったのでしょうか。昔の人は、鏡に映像が「映る」という現象は、とても神秘的なものとしてとらえられたでしょうね。ですから、鏡は、自分の姿を見るというよりも、三種の神器にあるように、祭祀の道具としての性格を帯びていたのです。そして、鏡の面が、単に光線を反射する平面ではなく、世界の「こちら側」と「あちら側」を分けるレンズのようなものと捉えられ、鏡の向こうにもう一つの世界がある、という観念は通文化的に存在し、その見方は、世界各地で見られます。古代の哲学などにおいては、鏡像はおぼろげなイメージに過ぎないとされました。また、鏡は鑑とも書き、人間としての模範・規範を意味します。「あの人は、日本人としての鑑である。」というような使い方をします。また、手本とじっくり照らし合わせることを鑑みる(かんがみる)というのも、ここから来ています。古墳時代、邪馬台国の女王卑弥呼が魏の王より銅鏡(この時代を研究する考古学者にとっては、「鏡」という語はすなわち銅鏡(神獣鏡、三角縁神獣鏡)を意味する)を贈られた故事はあまりに有名ですが、これは彼女がシャーマン的な支配者であったことと関係があり、その小道具として鏡が重要な役目を持っていたと考えられています。このように、鏡は宗教と関係が深かったようです。神道や天皇制では、三種の神器のひとつが八咫鏡ですし、キリスト教を禁止した江戸時代に隠れ切支丹鏡という魔鏡が作られています。また、霊力を特別に持った鏡は、事物の真の姿を映し出すともされた。地獄の支配者閻魔大王の隣には浄玻璃の鏡という鏡があり、それは、大王の前に引き出された人間の罪業を暴き出したといわれます。また、鏡が割れると不吉としたり、鏡台にカバーをかけた習慣は、鏡の霊力に対する観念が広く生活習慣の中にも根を下ろしていたことを表していると言われています。鏡の語源はカゲミ(影見)、あるいはカカメ(カカとは蛇の古語。つまり蛇の目)であると言われているように、鏡に自分の姿を映し、それを眺めるという機能と、鏡の持つ神秘性を感じたようです。その神秘性ゆえに、子どもにとって、環境として意味のあるものとして利用されているのでしょうね。
投稿者 fujimori : 23:34 | コメント (4)
2007年11月29日 [新聞記事より]
ちから
よくブログに書きますが、携帯電話はどこまで進化するかわからないほど日々進化しています。私は講演でよく話していることがあります。それは、最近の英語熱に関して、「これからの時代は、グローバルな時代になるので英語教育は確かに必要です。しかし、何が英語教育かというと、今熱心に行われていることが、将来本当に役に立つでしょうか。たとえば、りんごをアップルと言えても、それは今パソコンの翻訳ソフトですぐに出てきますし、携帯電話の辞書機能に「りんご」と書いたら「apple」と出てきますし、その逆も可能です。それが、今後、それが、もしニーズがあったとしたら、携帯電話に日本語で話しかけたら、英語に訳してくれるだろう。」という内容の講演です。先日の11月27日の新聞に、「ケータイに話せば英語へ翻訳 ドコモが新サービス開始」という記事が出ていました。携帯電話に向かって日本語を話すと、翻訳された英語が数秒後にディスプレー画面に表れるサービスが始まったという内容です。逆に、英語で話せば日本語にも翻訳してくれます。この携帯電話による音声自動翻訳サービスは世界で初めてだそうです。今までなかなか実現しなかったのは、周囲のノイズを多く拾う携帯電話は、音声による自動翻訳ができるほど正確に声だけを認識することが難しかったからです。しかし、携帯電話本体にノイズを取り除く仕組みをつくり、音声の特徴を抽出し、音声がもつ情報量を30分の1ほどに圧縮してからサーバーに送信します。そのサーバーで、音声のデータを翻訳して携帯電話に送り返し、ディスプレー画面には、元の文と翻訳の文が表示されます。旅行英会話でよく使われる約7万5000の単語を登録し、約100万の文例をもとに翻訳ソフトをつくり、英検準1級程度の能力があるといいます。しかも、その利用料が、月157円です。近く日中翻訳のサービスも始めるそうですが、こんなに早く実現するとは思いませんでした。
また、今日に日経新聞に「ソニーなど5社、「フェリカ」技術用途開拓へ新会社」という記事が掲載されていました。フェリカは、ソニーが開発した非接触ICカード技術のことです。非接触ICカードとは、読み取り端末に接触させなくても処理が可能なICカードで、振動やほこりが多い環境での運用に適しているだけでなく、カードを抜き差しする手間がないため、高速な処理が必要な鉄道・バスの決済処理には非接触式カードが使われています。たとえば、JR東日本のプリペイドICカード「Suica」や、ビットワレットの電子マネー「Edy」などで採用されています。そのフェリカ機能を携帯電話に内蔵し、切符や財布の代わりとして使えるようになっています。それが、電子マネーや交通乗車券だけでなく、小売り・飲食店などの会員証、ポイントカード、クーポン券など八つの機能を1枚に盛り込める次世代機能の普及を促し、効果的な広告・誘客手段として売り込むために、来年1月に新会社「フェリカポケットマーケティング」を設立するというニュースです。現在のフェリカ搭載カードでは、決済や会員証など複数の機能を併せ持つことができていないのが、可能になるのです。このように科学が進み、いろいろな物が開発されていく世の中で、これから身に付けなければならない「ちから」が何なのかわかってくると思います。それは、人間にしかできないことです。何が、人間しかできないことなのか、人間だからこそできることなのかをしっかり見つめて、それを子どもたちに伝えていく必要があります。
投稿者 fujimori : 23:06 | コメント (4)
2007年11月28日 [近頃思うこと]
なつかしのアニメ
いまや、日本は世界で評価が高いアニメ文化を持っています。しかし、私が子どものころは、TVアニメはアメリカ製のものがほとんどでした。その中で有名なものはもちろんミッキーマウスを持っているディズニーアニメです。確か、毎週金曜日の8時から、隔週でディズニー特集とプロレス中継が放送されていました。もちろん子どものころでしたから、ディズニー特集の週は楽しみでした。そして、その中でも冒険の国という実写版の動物や自然物のときと、ファンタジーの週はアニメでした。そのほかの番組で楽しみだったのが、毎日6時50分から10分だけ放送されていたアニメです。当時は、それほど子ども番組がありませんでしたので、たった10分の番組でも楽しみでした。ただ、この記憶も定かではありませんが、わたしが印象としておぼえていることを思い出してみます。その10分では、色々なキャラクターが登場しました。印象に残っているキャラクターのひとつは、「マイティマウス」という、テリーテューンズが生み出したネズミのキャラクターです。

これは、最初、1942年に「スーパーマウス」として誕生したことでもわかるように、スーパーマンのねずみ版で、スーパーマンのようにマントを翻らせて、空を猛スピードで飛んできて悪者をやっつけ、いろいろな人(動物?)を窮地から救い出すというヒーローです。しかも、ギリギリまで窮地に追い詰められること、いろいろ妨害にあって、いつも危機一髪!という勧善懲悪の決まりきったストーリーでしたが、子どものころは一緒にハラハラし、助け出されてホッとし、そのストーリーを楽しんでいたようです。名前も、1943年には「マイティマウス」に改名しています。日本では、TBSで、1957年にTVアニメデビューし、放映された初期のカラーアニメとしてアメリカ同様、ブームが巻き起こりました。2羽のお喋りでイタズラもののカラス(本当はカササギ)が主人公のヘッケルとジャッケルも同じテリーテューンズのキャラクターです。ほかに、今日乗った飛行機の機体に描かれていた「ウッドペッカー」があります。
ウッドペッカーとはキツツキのことで、正しくはキツツキのウッディーといいます。あの独特の鳴き声である「ゥアアアーアー、ゥアアアーアー、ゥアアアアアアアアアアアアア!」という甲高い陽気な笑い声は、プロデューサーの奥さんの声をテープで速回ししたものだそうです。日本では1961年9月23日から1964年7月9日まで日本テレビで「ウッドペッカー」というタイトルで放送されました。また、「フェリックスの冒険」は、1960年からアメリカ各地方局に登場した6分半のアニメ・シリーズですが、日本では1960年7月からNHKで、1963年からはフジテレビで放映されていたイタズラ好きの黒ネコが主人公で、いつも黄色いカバンを持っていました。

しかし、そのキャラクターの誕生は、1919年ですから、随分古いですね。1922年以後はニューヨーク・ヤンキーズ球団のマスコットにもなりました。「♪フェリックスちゃんお利口猫ちゃん、いつでも黄色いかばんを持ってる…♪」という主題歌はペギー葉山が歌っており、今でもそのメロディーが浮かんできます。そして、その日の話しの完結は、フェリックスがいつも「アハハハハ・・・」と大笑いして終わっていました。子ども番組が少なかったために、その番組が待遠しく、見ていた番組が今でも印象深いものとして心に残っており、その思い出を同世代の人と共感できます。多いだけが幸せではないと思います。
投稿者 fujimori : 20:59 | コメント (5)
2007年11月27日 [近頃思うこと]
健診
11月26日号のAERAで「1歳半健診が怖い母親」という特集をしていました。サブタイトルに「言葉が遅い、指さしせず・・・もしかして」ということで、「法整備しても自治体まかせの健診、密室育児追いつめるネガティブ情報」という記事です。乳幼児健康診査は、母子保健法により市町村が乳幼児に対して行う健康診査のことです。母子保健法には、「満1歳6か月を超え満2歳に達しない幼児」と「満3歳を超え満4歳に達しない幼児」に対して行うことを義務付け、そのほかにも市町村は、必要に応じ妊産婦又は乳児若しくは幼児に対して、健康診査を行い、又は健康診査を受けることを勧奨しなければならないとされています。そして、健康検査項目として、 1歳6ヶ月を超え満2歳に達しない幼児は、「身体発育状況」「栄養状態」「脊柱及び胸郭の疾病及び異常の有無」「皮膚の疾病の有無」「歯及び口腔の疾病及び異常の有無」「四肢運動障害の有無」「精神発達の状況」「言語障害の有無」「予防接種の実施状況」「育児上問題となる事項」「その他の疾病及び異常の有無」と書かれています。満3歳を超え満4歳に達しない幼児に対する健康診査になると、「眼の疾病及び異常の有無 」「耳、鼻及び咽頭の疾病及び異常の有無」が付け加わります。これらの検査の中で、保護者が心配するのは、「精神発達の状況」「言語障害の有無」です。これが、AERAで特集されている記事の内容です。育児不安が「発達障害かも」という不安につながっていっているといいます。1歳時半健診では、たとえば、靴やティッシュなど六つの絵を見せて、指示したものの「指さし」でコミュニケーションの様子を見るという検査です。他人とのかかわりが難しいなどの自閉症の特徴は、1歳半から3歳ごろまでに現れます。横浜市総合リハビリテーションセンターの調査では、自閉症と診断された子の約8割が、1歳半健診で何らかの指摘をされていたのです。自閉症、アスペルガー症候群を含む広汎性発達障害、学習障害(LD)、注意欠陥・多動性障害(ADHD)などは「発達障害」といわれ、脳機能の障害であることが知られてきました。横浜市の健診の「指さし」は、決して発達障害を見つけ出すためだけのテストではないと、市は強調しています。しかし、親としては気になるところです。というのは、そうは言っても指さしなどの結果、言葉や発音の遅れが疑われる子の親には、「様子を見ましょう」と伝えられるからです。当然、様子を見るといっても親としてはどうしてよいかわからないでしょうし、心配だけが増してくるからです。2005年4月に施行された発達障害者支援法では、早期発見、療育を行政の責務とし、1歳半と3歳の健診で「発達障害の早期発見に十分留意しなければならない」と定めているのです。確かに、発達障害は幼児期に行動が定着すると修正が難しいとされ、周囲が理解せず不適切な対応をとることで、パニックや脅迫症状などの二次障害を引き起こすこともあり、就学後はいじめや不登校につながりかねないとAERAの記事では書いています。しかし、現在の健診では、「様子を見ましょう」というある意味での宣告は、周囲が理解せず不適切な対応のような気がします。しかも、園現場から見ると、指さしができるかどうかよりも、子どもがどれだけ他の子とかかわっているか、その中でどのようなかかわりを子どもがしようとするかのほうに問題が多いような気がします。母親だけに育児を負担させ、親子関係からだけでの様子を見るより、もっと、1歳半ぐらいから、他の子どもとかかわる体験を多くさせる場を用意してあげることが必要な気がします。
投稿者 fujimori : 23:25 | コメント (3)
2007年11月26日 [近頃思うこと]
伝統と文化
中央教育審議会初等中等教育分科会教育課程部会では、学習指導要領の改訂に向けて審議を行っていました。11月8日、教育課程部会において、これまでの審議を「教育課程部会におけるこれまでの審議のまとめ」としてとりまとめ、公表しています。今回の改訂における改善点として挙げられているものに、「言語活動の充実」「伝統文化に関する教育の充実」「社会の変化への対応の観点」などがあります。改善の具体的な事項では、これらの全体の基本方針を受け、小学校社会全般にかかわる改善について次のように整理しています。「生活科の学習を踏まえ、児童の発達の段階に応じて、地域社会やわが国の国土、歴史などに対する理解と愛情を深め、社会的な見方や考え方を養い、身につけた知識、概念や技能などを活用し、よりよい社会の形成に参画する資質や能力の基礎を培うことを重視して改善を図る。」とあります。これを受けて整理された2本柱のひとつにこうあります。「我が国の歴史や文化を大切にし、日本人としての自覚を持つようにするとともに、持続可能な社会の実現など、よりよい社会の形成に参画する資質や能力の基礎を養うことを重視して改善を図る。」とあり、たとえば「縄文土器が使われていたころの人々の暮らしに関する内容を新たに加えたり、歴史的事象との関連で取り上げる代表的な文化遺産を例示したりするなど、伝統や文化に関する内容の充実を図ることなどが示されています。日本の伝統や文化を見直し、それをどう進化させ、今の日本に活用し、世界に貢献していくかを考えることはとても重要なことです。今、世界でも日本の文化が再評価されています。それは、物だけではなく、行き方、生活の仕方なども再評価されているのです。環境保護、エコ、リサイクルに対する考え方、生活の知恵なども「もったいない」で表される日本人の考え方が注目を浴びています。しかし、私は、子どもたちに「日本の伝統、文化を勉強するように!」という前に、もっと、日本の伝統的な教育のあり方、学習のやり方なども検証してほしいと思います。どうも、世界で1960年代から改革され、オルタナティブといわれるような先進的に行われている教育は、日本の伝統的な教育と同じような気がします。先日行われたオランダのイエナプランのプレゼンテーションにしても、京都で参加していた文科省の人はコメントで日本では異学年制は取り入れないと言っていますが、江戸時代までの藩校、寺子屋は異学年制であり、上の子が下の子を教えるというスタイルでした。薩摩の郷中教育というのはまさにそのような形態であり、「教わるよりも教えるほうが学べる」といったイエナプランの考え方がすでに日本では行われていたということになります。また、建物にしても、よくブログでも書きますが、海外では最近、教室はオープンであり、学習によって集団を構成し、それに空間を合わせるという考え方は、やはり日本の障子、襖で仕切る発想と同じであり、デッキをめぐらすという発想も、縁側という内と外を有機的に結びつけるという発想が、すでに日本では行われていました。それ以上に、日本が世界に先駆けて取り組める考え方があります。何年か前にドイツミュンヘンで行われた世界保育大会に参加したときのテーマが「インクルージョン」でした。そのときに次の課題は、「コーヒージョン」だといっていました。これはまさに「関係性の構築」です。個々を認め、大人が子ども個々と関わる教育、保育から、子ども同士が関わることで、教育、保育をしていくという考え方です。農耕民族であった日本の考え方がせっかくこれからの世界の教育の中心になっていくのに、なんで明治以降の教育、保育にこだわるのでしょうか。
投稿者 fujimori : 23:07 | コメント (4)
2007年11月25日 [近頃思うこと]
3山
最近話題になっていることばのひとつに「ミシュラン」という言葉があります。これはフランスのタイヤメーカーです。そのメーカーが、自社のタイヤを買ってもらうためにミシュランガイドという旅行ガイドブックを出版しました。購読者に車で各地に旅行をしてもらい、始めたガイド本です。その中で、赤い装丁のものがギド・ルージュ、またはレッド・ミシュラン、赤ミシュランとも呼ばれ、レストラン・ホテルの格付けの権威であるギド・ミシュランの看板的なガイドブックです。特にレストランを星印の数で評価することで有名です。また、緑の装丁のギド・ヴェール、またはグリーン・ミシュラン、緑ミシュランと呼ばれるものは、地域の歴史や地理・名所旧跡の解説が詳しいもので、自動車の運転者向けの地図二十万分の一自動車旅行地図シリーズです。そのミシュラン東京版で、山として最高ランクの「三つ星」の観光地に選出されているのが、富士山と高尾山です。この高尾山は、それほどの評価なのか不思議な気がしますが、東京の人はほとんど知っていますし、東京の小学校の遠足では必ずといってよいほど遠足に行きます。私も小学校が台東区、中学校が千代田区でしたが、どちらでも高尾山が遠足の場所でした。その高尾山は、関東山地の東縁に位置する山のひとつで、明治の森高尾国定公園に指定されており、大阪の明治の森箕面国定公園との間に整備されている東海自然歩道の起点になっています。ケーブルカーに乗って着いたところの中腹には、薬王院があり、山頂には展望台や高尾ビジターセンターがあります。しかし、もともとは、修験道の霊場であり、天然の森林が守られてきました。中世には、八王子城主北条氏照による「本山の竹木の伐採を禁じる」という制札が薬王院に残されており、江戸時代にも幕府直轄領となり、その後も帝室御料林、国有林と常に保護されてきたために貴重な自然が残っています。東京近郊には、同じようにケーブルカーで上り、その中腹や山頂に寺院がある場所がほかにもあります。そのひとつが、先日訪れた大山です。この山は、標高1,252 mあり、丹沢山などの丹沢の山々ともに丹沢大山国定公園を形成し、神奈川県有数の観光地のひとつになっていますが、古くから庶民の山岳信仰の対象とされました。山頂に阿夫利神社本社、中腹に阿夫利神社下社、大山寺が建っています。
大山は、高尾山同様に、古来よりたびたび神意が現れ、天狗の来住する神山であるとも言われています。もう一箇所が御岳山です。ここにも夏に訪れました。そのときは、少し時期は外れていましたが、5万株といわれるレンゲショウマの花が咲いていました。この御岳山にもやはりケーブルカーに乗って山頂にいくと、紀元前90年創建の武蔵御嶽神社があり、そこを中心に、古くから栄えた御岳山は、山の自然と、歴史ある建物、街並みの残る場所です。奥に鋸山があり、その奥に大岳山があります。この山容は、山頂がとがっていて、自宅からも良く見えます。武蔵御嶽神社は、崇神天皇が創建したと伝わる関東一の霊場ですが、日本武尊が東征の際、深山の邪神の放った深い妖霧に道を見失い、万事に陥ったのを白狼に導かれました。以来、魔除け、火難除けの神として「お犬様」の霊験の信仰が始まりました。日本武尊は、関東を中心に様々なものを各地に残しました。というより、意味づけに使われたのでしょう。また、山での事故が起きました。昔から山岳信仰、修験道の中心として、山は神秘的な崇高さと、恐れを併せ持った存在として人々の心に訴えてきたのでしょうね。
投稿者 fujimori : 21:47 | コメント (3)
2007年11月24日 [近頃思うこと]
コマ
今年の勤労感謝の日はとても天気がいいので、紅葉真っ盛りの伊勢原の大山に行ってみました。参道の土産物屋をのぞいていて目に付くのは、「大山コマ」です。
このコマは、江戸時代中期頃、大山信仰と結びついて発達してきたといわれています。俗にコマは、よく回ることから金運がついてまわるといわれ、家内安全、商売繁盛、五穀豊穣を祈る縁起物でもありました。大山コマは恵まれた木材と、3300年の伝統が受け継がれ、昔ながらの技法が今も守られている勝れた木地玩具です。端正さ重厚さ、そして民芸的な色彩の線模様がよく木の肌合いと調和した昔ながら技法がなお守られている数少ない郷土玩具の傑作の一つです。大山は、材料のミズキが豊富であったため 木地師の仕事場として最適だったようです。コマの上にはいろいろな色が塗られています。それは、コマが廻る時にとても綺麗に見えることから塗られているのだと思っていましたが,実は健康を願ってのようです。赤い色は心臓、黒い色は腎臓、黄色は肝臓、緑色は膵臓、白い色は肺、それぞれ体の部分の健康を意味しているそうです。この参道でいくつかのコマを買ったのですが、それは、ひとつにはもうすぐ正月が来るので、子どもたちに遊んでもらおうというつもりです。
しかし、改めて考えると、どうしてお正月近くになるとみんな独楽をまわし始めたのでしょうか。本当はおかしい気がします。もともとコマという遊びは、戸外で遊ぶものです。しかも、あまり体の温まる遊びではありません。ですから、コマで遊ぶのは、冬には向いていないような気がします。ところが、コマがお正月の遊びの代表とされるようになったのは、おもちゃ屋の陰謀のようです。ほかの季節は戸外での遊びも多いし、玩具も多いですが、冬に売るものが少ないので、おもちゃ屋さんは作戦を練りました。「心棒(辛抱)は金(お金)」「一本立ち(一人前になる)」等、縁起的な感じがするので、それを売りにして正月にだけ売るようになりました。その後、「お正月にはタコ揚げて、こまをまわして遊びましょう」の歌が作られ、新聞やテレビ等が、この時期に多く取り上げたために、コマは冬の遊びとして定着してしまったのです。コマとは、軸を中心として回転させる玩具です。その回転によって遊ぶ他、吉凶を占う道具 および、さいころの代わりとして止まった方向で勝負したりした道具でもあります。
もともとは、自然の一種で、世界中に分布しています。現在残っている最古のこまはエジプトから出土した紀元前2000年~前1400年の木製の物といいます。コマは世界各地でみられ、英語では top または spinning top、ドイツ語では Kreiselと呼ばれ、日本で使われる「独楽」という字は中国語表記です。日本では古くはコマツブリまたは古末都玖利(コマツクリ)と呼ばれました。江戸の子どもたちは巻貝を加工した小さな独楽の回しっこをしていた事が伝えられており、これが明治中期に金属となって現在のベーゴマになったといわれています。今上映中の話題の映画「続・三丁目の夕日」にはこのベーゴマを子ども達が路地で廻しているシーンが何度も出てきます。
しかし、最近は、これら投げゴマはすたれてしまっています。それは恐らく、子どもが外で遊ばなくなり、また、戸外でコマを回す環境が成立しなくなったためとではないかといわれています。代わって室内で機械式の回転装置をもつコマがよく見掛けられます。その代表的な物が、ベイブレードですが、それら最近のコマはとても廻しやすい構造になっており、廻す工夫、技術はそれほど必要ないようです。便利さは、子どもの世界からも工夫や改良などの知恵も奪ってしまっているようです。
投稿者 fujimori : 21:26 | コメント (4)
2007年11月23日 [由来]
酉の市
少し前のブログで、八王子城の落城の話を書きましたが、そのときに、甲州街道の中の八王子にあった宿場の八王子三宿の横山・八日市・八幡は現在の場所に移ったのです。それが今の横山町であり、八日町、八幡町です。もちろん、八日市宿ではその名のとおり8の日に市が開かれたのですが、横山宿では毎月4日に市が開かれ、賑わったそうです。そして、この市の平穏無事と人々の幸せを願って市守神社が建てられました。そして、この神社が、江戸時代中期になって,授福開運の神を合祀したのが 大鳥神社です。ですから、この神社では二つの例祭が行われます。市守神社の例祭は,初牛祭で2月の初牛の日に行われます。もうひとつ大鳥神社の例祭は、11月の酉の日行われる大鳥祭です。俗に「お酉様」とか「酉の市」と呼ばれ, 縁起物の熊手や八頭が売られます。今日、駅に向かう途中、このあたりがとても賑わっていて、屋台店が立ち並んでいました。今日が、今年二度目の酉の市だったのです。
酉の市は、各地の鷲神社(おおとりじんじゃ)の祭礼で、古くは酉の祭と呼ばれ、大酉祭、お酉様とも呼ばれます。酉の市で縁起物を買う風習は、関東地方特有の年中行事です。八王子にある大鳥神社は、「鷲神社」とは書かないのがどうしてか分かりませんが、本来の鷲神社は、日本武尊を祀り、東征からの帰還の際、同地で戦勝を祝したとされているので、武運長久、開運、商売繁盛の神として信仰されている神社ですが、関西に本社がある大鳥大社との関係は明らかではないようです。「おおとり」という呼び方を「鷲」と書くのは、江戸時代に、大鷲神社の本尊(本地)は鷲の背に乗った釈迦とされているからです。神社の本尊が釈迦とは面白いですね。この酉の市の由来も神道と仏教と違っているようです。神道では、大酉祭の日に立った市を、酉の市の起源としています大鳥神社(鷲神社)の祭神である日本武尊が亡くなった日とされる11月の酉の日に大酉祭が行われます。また、浅草・鷲神社の社伝では、日本武尊が鷲神社に戦勝のお礼参りをしたのが11月の酉の日であり、その際、社前の松に武具の熊手を立て掛けたことから、大酉祭を行い、熊手を縁起物とするとしています。仏教のほうの由来では、鷲妙見大菩薩の開帳日に立った市を酉の市の起源としています。1265年11月の酉の日、日蓮上人が、上総国鷲巣(現・千葉県茂原市)の小早川家(現・大本山鷲山寺)に滞在の折、国家平穏を祈ったところ、金星が明るく輝きだし、鷲妙見大菩薩が現れ出ました。これにちなみ、浅草の長国寺では、創建以来、11月の酉の日に鷲山寺から鷲妙見大菩薩の出開帳が行われています。しかし、どうも実際は、花又の鷲大明神の近在農民による収穫祭が江戸酉の市の発端といわれているようです。「酉の市」の立つ日には、おかめや招福の縁起物を飾った「縁起熊手」を売る露店が立ち並びます。また、市を開催する寺社からは小さな竹熊手に稲穂や札をつけた「熊手守り」が授与されます。この熊手は、鷲が獲物をわしづかみすることになぞらえ、その爪を模したともいわれ、福徳をかき集める、鷲づかむという意味が込められています。この酉の市が開かれる「酉の日」は、毎日に十干十二支を当てて定める日付け法で、「酉」に当たる日のことで、12日おきに巡ってきます。ですから、日の巡り合わせにより、11月の酉の日は2回の年と3回の年があります。初酉を「一の酉」、次を「二の酉」、3番目を「三の酉」と言い、「三の酉」まである年は火事が多いとの俗説がありますが、今年は二の酉までしかありません。しかし、火事には気をつけたほうがいいでしょうね。
投稿者 fujimori : 20:24 | コメント (4)
2007年11月22日 [新聞記事より]
積み木
そろそろ、クリスマスプレゼントで、何にするかを考える頃になりました。11月20日の 読売新聞に子どものおもちゃの中で昔から人気のある「積み木」の魅力について書かれていました。NPO法人日本グッド・トイ委員会のおもちゃコンサルタント、石井今日子さんは、「飾りのないシンプルな形だからこそ、逆に様々な遊びに使えるのです」と指摘しています。また、東京・北青山にある「クレヨンハウス」のおもちゃ売り場担当、小島ちふみさんは、「木の手触りや香りも積み木の魅力です。手のひらにのせると、しっかりとした重さを感じます。木の魅力を味わいながら遊んでほしいです。」と話しています。私の園でも、積み木は子どもたちには人気のあるおもちゃです。
いつまでも飽きずに遊んでいることもあります。保護者は、よく、子どもが同じ遊びしかしない場合、いつまでも同じおもちゃで遊んでいるときに「大丈夫かしら。たまには違う遊びもしたらいいのに。」「子どもには、いろいろなことを経験させたいので、先生から、違う遊びにもさそってください。」と心配したり、要望したりします。しかし、積み木は、遊び方は決まっていませんし、積み木で作れるものは無限にあります。しかも、簡単な物から、大人でもやっと作れる難しいものまで様々な物が作れます。子どもが遊びに飽きるときの大きな理由は、そのおもちゃで遊ぶときに、それが簡単すぎるときや、難しすぎるときです。当然、子どもはそのおもちゃで遊んでいると、次第に慣れてきて、簡単になってきます。そのときにそのおもちゃに飽きるのです。しかし、子どもが簡単にできるようになると、そのおもちゃが、もっと難しいものも作れるようなものであれば、子どもは飽きません。すなわち、子どもの習熟にあわせて、そのおもちゃもそれに対応できるようであれば、長くそのおもちゃで遊ぶことができるのです。その代表的な物が「積み木」の気がします。それは、一人の子の習熟に合わせるだけでなく、子どもの成長によっても対応できます。読売新聞には、こう書かれています。「赤ちゃんは、まず握ったりしゃぶったりして遊び始めます。落としたり、ポンと投げたりするのも楽しい遊びです。1歳近くになると、両手に握ってカチカチとぶつけて遊ぶこともあります。音が出るのが面白いようです。積んでは崩すことも赤ちゃんは大好きです。さらに3歳ごろになると、想像を膨らませて、四角い積み木を車、丸い積み木を動物と見立てて遊ぶこともできるようになります。」ですから、ヨーロッパでは、親子2代にわたって積み木を受け継ぐ家庭も珍しくないそうです。積み木だけでなく、おもちゃには様々な役割があります。それは、一人で遊ぶときの有効性だけでなく、人とかかわる力もつけていきます。同じ読売新聞の11月13日には、「おもちゃ遊びを通じて、赤ちゃんは友達との関係やルールなど、様々なことを少しずつ学んでいきます。」という記事が書かれていました。1~2歳のころは、面白そうなおもちゃを見つけると、周りにお構いなしに突進し自分のものにしてしまうことがよくあります。そんなときに、こどもの城(東京)小児保健部部長で臨床心理士の井口由子さんは「1~2歳の子供は、その場ですぐに理解できないかもしれませんが、『それは友達のなんだよ』と言い聞かせていくことも大切です。取られた子供に対しても『びっくりしたね』『いやだったね』などと気持ちに寄り添うように言葉かけしましょう」と話しています。どの年齢の子でも楽しめ、いつまでも飽きず、一人でも複数でも楽しめるような、子ども主体的に遊べるおもちゃが「いいおもちゃ」と言えるのかもしれません。
投稿者 fujimori : 23:39 | コメント (4)
2007年11月21日 [近頃思うこと]
多重塔
先週末、山口を訪れたときに瑠璃光寺に行ってみました。ここは、曹洞宗の寺院で、国宝の五重塔を中心として、境内は香山公園と呼ばれ、桜や梅の名所にもなっています。大内氏全盛期の文化を伝える寺院であり、「西の京・山口」を代表する観光名所となっています。今の時期は、うめや桜の時期ではありませんでしたが、真っ赤に紅葉したもみじと、それを映し出す池を前景としての五重塔は、澄み渡った青い空を背景としてとても美しい姿を見せてくれました。
この五重塔は、室町時代に建立され、屋外にある五重塔としては日本で10番目に古く、京都の醍醐寺・奈良の法隆寺のものとならび日本三名塔の一つに数えられています。高さ 31.2m で屋根は檜皮葺となっており、二層にのみ回縁がついているのが特徴で、建築様式は和様ですが、一部に禅宗様(唐様)も採り入れられています。塔身は上層ほど間を縮め、塔の胴を細く見せ、とてもすっきりみえます。これに対して初重の丈が高く、柱が太く二重目には廻縁・高欄があるので安定感が強く感じられます。全国には三重塔や五重塔など数多くの木造の塔があり、かつては七重や九重のものもあったといわれます。少し前に妻と訪れた安楽寺には、鎌倉末期の建立された国宝である八角三重塔があります。この塔は、中国の宋時代の様式で、日本で唯一の八角の塔です。
やはり妻と訪れた薬師寺の塔も、六重に見えて三重の塔です。
また、奈良には法隆寺のほか、とても美しい興福寺の塔は五重塔です。
このように各地にある塔は、他の建物に比べて意外と古い時代に建立されたものが多く残っています。不思議なことにそれらの塔が地震で倒壊したという記録はほとんど見当たりません。1995年の阪神・淡路大震災でも、兵庫県内にある塔は一つも倒れませんでした。なぜ寺の木塔が地震に強いのでしょうか。その一つは「積み上げ構造」という建築方法であるとされています。つまり五重塔を建てる場合、重ごとに軸部や軒を組み上げ、それらを鉛筆のキャップを重ねるように順々に積み上げてあるのです。それぞれの部材は主に木材同士の特殊な切り組み方法によって接合されていて、堅固に結合していないため「柔構造」になります。「柔構造」の塔は、コンクリート造りの一体化した「剛構造」と違って、地震が起きても各重が互い違いに振動して「揺れ」を吸収します。このような、建物の揺れの効用を認め、その揺れによって地震力を吸収させる「柔構造」の理論は、近年、日本はもちろん世界の超高層建築に採用されています。伝統的な木造建築の知恵が最先端の建築技術に生かされているのです。また多くの塔の内部に立っている「心柱」は、こうした振動を減衰させる「かんぬき」のような働きをするといわれています。さらに各重の柱が長さの割に太いことや、組物がしっかり組まれ水平に変形しないことも地震に強い要因とされています。法隆寺五重塔は約1300年と長い歴史を持ち、日本を代表する木材である『ヒノキ』で造られていてい、日本で初めて世界文化遺産に登録された世界最古の木造建築群ですが、約1,300年もの長い年月、地震に耐えてきたのは、「積み上げ構造」という建築方法であるとされています。香川県善通寺の場合、塔の中心を貫く心柱が鎖でつり下げられ、礎石から約6センチ浮いた「懸垂工法」で、全国でもあまり施工例のない珍しい木造塔だといわれています。
時代は進んだといわれていますが、意外と進んでいないのかもしれません。
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2007年11月20日 [講演先にて]
開湯伝説
たぬきときつねが、温泉に浸かっているのを見て、温泉を見つけたという話があるのであれば、当然他の動物が見つけた話しは全国に多いでしょう。そのように各地の温泉場には、由来すなわち源泉の発見について、古くからいろいろな興味ある伝説が残されています。たとえば、よく行く道後温泉は、白鷺の伝説があります。ですから、白鷺は道後温泉のシンボルの一つともなっており、道後温泉本館の周囲の柵にも白鷺をモチーフとした意匠がみられます。また、鷺谷という地名が残っています。「足に傷を負い苦しんでいた一羽の白鷺が岩間から噴出する温泉を見つけ、毎日飛んできてその中に足を浸していたところ、傷は完全に癒えてしまい、元気に飛び去ったというものです。これを見た人たちは大変不思議に思い、入浴してみると、爽快で疲労を回復することもでき、また、病人もいつのまにか全快したことから、盛んに利用されるようになりました。」という伝説です。このように白鷺と温泉の縁は深く、各地の温泉の発見物語に白鷺が登場します。有名な下呂温泉もそうです。「一羽の傷ついた白鷺が村人の頭上で弧を描きながら河原に舞い降りた。村人が河原の大きな岩からのぞいてみると河原に湯気が立ちのぼっていて、白鷺は温泉の中に入ってじっとしていた。村人は、これは温泉だ、白鷺は傷を治しているのだと思った。白鷺は村人を誘うように山の中腹の松の木の下で休んでいた。村人が行ってみると松の木の根元に光り輝く薬師如来像が鎮座しておられた。この薬師如来像が温泉寺の本尊である。」また、少し前、熊本に行ったときに泊まった1300年という長い歴史を誇る玉名温泉にも、傷ついた白鷺がこの温泉で傷を癒したという伝説が残っています。また、名古屋駅・米原駅発着の北陸本線エル特急には「しらさぎ」という愛称がついていますが、これは、石川県の山中温泉は、傷を負った白鷺が傷を癒しているところから発見し、あらためて掘ってみたところ温泉が湧き出たと言われています。また、同じ鳥でも、コウノトリが傷を癒した伝説があるのは、多くの文人も訪れているという兵庫県の城崎温泉です。他にもコウノトリ伝説のある温泉地がいくつかあるようです。他の鳥で多いのは、やはり「鶴」かもしれません。有名なところでは、佐賀県の嬉野温泉です。神功皇后が西征からの帰途に白鶴を見付けます。しかし、傷を負っていて心配していたところ、河原に舞い降りて湯浴みをすれば、再び元気に去っていくのを見て「あなうれしの」と感想を述べたといわれています。この「あなうれし」ということから嬉野という地名ができたといわれています。鶴といえば、やはり何回か泊まったことのある福岡県の原鶴温泉があります。その名のとおり、川原で鶴が湯浴みしているところを発見したと伝えられています。温泉の由来を調べると歴史の古い温泉ほど、動物が湯につかり傷を治していたのを見つけて発見したというものの他、神話に基づくもの、弘法大師のような高僧や武将が発見したとか、夢の中で神様のお告げがあったなど、温泉の発見についてさまざまな言い伝えがあります。神話によるものとしては、大国主命と少彦名命によるものが多く、僧侶・武将・偉人による発見は行基、一遍、弘法大師による発見などの言い伝えが各地に残っています。特に行基が発見したものは北陸をはじめ、各地に多く、東北地方では、坂上田村麻呂による発見伝説が多く残されています。私は最近、講演のときは、温泉に泊まることが多いのですが、その温泉の開湯伝説を調べてみると、また違った楽しみが生まれるかもしれません。
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2007年11月19日 [講演先にて]
きつねとたぬき
先日、山口県でソバ屋に入りました。そして、注文するときに面白いことを聞きました。連れの人が「たぬき」を頼んだのですが、出てきたのは、そばの上に油揚げが乗っています。私は、「あれっ?たぬきを頼んだんじゃなかったっけ?」とその人に聞いてみたのです。私は、油揚げが乗っているのは「きつね」で、「たぬき」は天かすが乗っていると思ったからです。じつは、大阪では油揚げを乗せたうどんを「きつね」と言い、「たぬき」とは、油揚げを乗せたそばのことを言うのだそうです。皆さんは、どうでしょうか。大阪では、いわゆる油揚げ=「きつね」ではないため、「きつねうどん」「きつねそば」という表現はもともと無いようです。「きつね」と「たぬき」と呼ぶのは、この二つを対として考える発想と、「きつね」のうどんがそばに化けたのが「たぬき」だという説が有力です。京都ではきざんだ油揚げの上から葛あんをかけたものを「たぬきうどん」「たぬきそば」と呼ぶのだそうです。関東では天かす(天ぷらのかす、「揚げ玉」ともいう)のみを乗せたものを「たぬきうどん」「たぬきそば」と呼びますが、それは、天かすには「タネ」が無い、つまり「タネ抜き」が訛って「たぬき」となったとされています。揚げ玉と油揚げの両方を入れたものを「むじなうどん」「むじなそば」と呼びます。名前の由来は「たぬき」でも「きつね」でもない「おばけ」ということ、そして小泉八雲の『怪談』に登場する「ムジナ」(のっぺらぼうの妖怪が営む蕎麦屋の屋台が登場する)から来ていると考えられます。では、なぜ油揚げが乗っているのがきつねかというと、いなり寿司と同様、もちろん、きつねの好物が油揚げだとされていることに由来しますが、油揚げの色・形が、きつねがうずくまる姿に似ているからだともいう説もあります。1893年創業の大阪・船場のうどん屋、松葉家がいなり寿司から着想を得て考案したと伝えられています。また、名古屋などでは、油揚げの乗っているそば、うどんを、信太の葛の葉狐にちなんでしのだうどん、しのだそばとも呼びます。カップ麺のマルちゃん「緑のたぬき」は、小エビの入ったかき揚げのような天ぷらが入っています。こんなきつねとたぬきですが、やはり山口県に「湯田温泉」があります。この温泉に泊まってみました。その町を歩くと、いたるところに狐の石造があります。湯田温泉駅には大きなきつねの像が置いてあります。それは、こんな逸話があります。
「1504年~1521年のころ、湯田には、唯一「温泉山、竜泉寺」という真言宗の寺がありました。ある日、住職が、月明かりに照らし出された池の畔に目をこらすと、一匹の年老いた狐が片方の足を痛めていて、痛めた足を池の中に浸けてじっとしていました。その狐は、七日間現れ、その後は来なくなりましたが、住職は、老狐が痛めた足を浸けていた池に手を入れてみると、池の水は暖かく、深く掘り進むと、さらに豊かな温水が湧き出てきました。」それが湯田温泉です。そんな伝説があるからか、いたるところに足湯があり、どこででも、たぶん観光客ではない地域の人とか、学生たちが足を浸けていました。
温泉には、様々な動物が見つけたものが多くあります。きつねがあるので、たぬきもあります。たとえば、同じ島根県の温泉津温泉(1月に行く予定です)は、傷ついた狸が暖かい湯に浸かって療養している所を人が見つけたと伝えられていますし、神奈川県の湯河原温泉は、ケガをした狸がこの温泉を発見して傷を治し、その後、人に化けて旅人を温泉に導いたと伝えられています。各地には、同じものでも、その名前や言い伝えや習慣が違いますが、伝言ゲームのように伝わる途中で変わってきたものもあるでしょうね。
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2007年11月18日 [講演先にて]
サーカス
山口県は、8人の首相を輩出しているなど、維新以後、長州藩としての遺跡が多くある県です。しかし、現在にとって印象の深い、しかし、早世した詩人が生まれた県でもあります。その一人は、「金子みすヾ」で、1903年、山口県大津郡仙崎村(今の長門市)に生まれています。しかし、大正末期、すぐれた作品を発表し、西條八十に『若き童謡詩人の巨星』とまで称賛されながら、1930年、26歳の若さで世を去りました。もう一人、わが国の文学史上に大きな足跡を残した詩人「中原中也」も、1907年に山口市湯田温泉に生まれました。そして、詩に捧げた彼の人生は、30年という短い期間であり、生前は充分な評価を得ることのないまま、志半ばにして異郷の地で没しました。その中原中也記念館を訪れてみました。

この建物は、彼の生誕地に建っており、設計は全国公開設計競技により優秀賞に選ばれた宮崎浩氏の作品です。また、平成10年には公共建築百選にも選ばれています。この記念館では、外の風景や柔らかい光を取り入れたり、吹抜を設けることで限られた空間に拡がりと奥行を与えると共に、回遊性を持った空間構成により繰返し中也と出会うことができるように計画されています。中原の詩の中で特に印象深いのは、いろいろな人に歌われている「サーカス」です。「幾時代かがありまして 茶色い戦争がありました 幾時代かがありまして 冬は疾風吹きました 幾時代かがありまして 今夜此処でのひと盛り 今夜此処でのひと盛り サーカス小屋は高い梁 そこに一つのブランコだ 見えるともないブランコだ 頭倒(さか)さに手を垂れて 汚れた木綿の屋根のもと ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん それの近くの白い灯が 安値(やす)いリボンと息を吐き 観客様はみな鰯 咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻(かきがら)と ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん 屋外(やがい)は真ッ暗 暗(くら)の暗(くら) 夜は劫々(こうこう)と更けまする 落下傘奴(らっかがさめ)のノスタルジアと ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん。」この詩は、「山羊の歌」の「初期詩編」に収められています。私は、サーカスという響きを聞くと、なんだか胸が締め付けられるような、切ないような、もの悲しい気がします。それは、子どものころによく「そんな悪いことをすると、サーカスに売られてしまうよ」と言われてきた怖さと、なんとなくノスタルジックな憧れが交錯するからでしょう。また、幕間を受け持つ「ピエロ」「道化」は、中也の詩の中で、観客を笑わせ嘲ったりする日常生活とは断ち切られた悲しい存在です。そして、実生活で破綻していた中也にとって、観客(読者)とサーカス(詩的別世界)をむすぶ存在であり、中也そのものであったようです。この詩の最後の「ゆあ-ん ゆよ-ん ゆやゆよん」という擬音は、悲しげな旋律を奏で、いろいろな地を転々としながらサーカス興行をして歩く姿は、一瞬の火花のようなものであり、その興行が終わると、再び明日からは暗い生活に戻るという佗しさに満ちています。同じ感情が湧く歌として、私が好きなものに古賀政男作曲、西條八十作詞の「サーカスの唄」があります。サーカス小屋からは聴こえてくるクラリネットの音色、もの哀しい「天然の美」の歌と相まって、サーカス暮らしになぞらえて人生そのものを感じます。「1.旅のつばくろ 淋しかないか おれもさみしい サーカス暮らし とんぼがえりで 今年もくれて 知らぬ他国の 花を見た 2.昨日市場で ちょいと見た娘 色は色白 すんなり腰よ 鞭の振りよで 獅子さえなびくに 可愛いあの娘は うす情 3.あの娘住む町 恋しい町を 遠くはなれて テントで暮らしゃ 月も冴えます 心も冴える 馬の寝息で ねむられぬ 4.朝は朝霧 夕べは夜霧 泣いちゃいけない クラリオネット ながれながれる 浮藻の花は 明日も咲きましょ あの町で」私がよく口ずさむ歌のひとつです。
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2007年11月17日 [講演先にて]
ハプニング
講演に出かけるときには、主催者側に迷惑をかけてしまうことがあるので、できるだけあらゆるハプニングを想定し、それを回避するようなとっさの判断が必要になります。最近は、かなりその訓練をする場が多いために余り予定を変更したことはありません。島根に行くときに、台風が来るという予報があったために、急いで、前日の夜行で行ったところ、やはり予定の飛行機は欠航になってしまい、そのままですとキャンセルしてしまうことになってしまったところでした。そのほかにも台風では、何度かきわどいことがありました。京都乗換えで福井に行ったときは、関が原での大雪で新幹線がかなり遅れて予定の乗り継ぎができず、1時間後の電車になるために、先方での知っている人に、遅れる1時間代わりに話してもらうように頼んだこともありました。一度、こんな大変なことがありました。釧路で講演をしたときです。手配をしたところからの指示で、「講演が終わってから、夜の懇親会に出て、ホテルの部屋で夜11時くらいまで休んで、札幌行きの夜行に乗って、途中の南千歳まで移動してください。朝5時に降りたら千歳空港までタクシーで行き、始発便で羽田まで飛行機で行って、そこで乗り換えて松山空港まで行ってください。着いたら、午後1時から講演です。」ということでした。普段は、そんなハードな予定は組まないのですが、どうしてもということで、たまにはそんな経験も面白いかなと承知したのですが、大変でした。まず、途中の南千歳では寝過ごさないか心配でしたので、車掌さんに起こしてもらうように頼んでおきました。そこで、予定通り、南千歳でタクシーに乗り、千歳空港まで行ったところ、空港がまだ閉まっていて、中にも入れません。仕方ないので、もう一度タクシーで南千歳に戻ってもらい、駅構内のベンチで、仮眠しました。朝になって空港に行って、羽田まで行こうとしたところ、なんと、羽田が大雪で、羽田離発着すべてが欠航だというのです。松山空港まで他の空港経由の便がないか探してもらいましたが、ありません。空港で3時間ほど待っていると、アナウンスがあり、私が乗る予定の便だけが、とりあえず、羽田に向かって飛んでみるというのです。行ってみて、もしダメであれば引き返すということでしたが、少しの可能性に期待して、東京へ行く人がみんな乗り込みました。羽田近くで着陸しようとしばらく旋回していましたが、機内アナウンスがあり、思い切って着陸に挑戦して見ますと言います。乗客はみんな心配しましたが、何とか無事羽田に着きました。今度は、松山行きです。どの飛行機も飛び立とうとしません。私たちは、とりあえず、天候を見ながらチャンスを待つということで、機内で数時間待っていました。また、運よく、この便だけが何とか飛び立ちました。しかし、松山に着いたときは、13時からの講演でしたが、15時を回っていました。これは、もうだめだと思って空港を降りたら、あちこちに貼紙がしてあって、「講演は、都合により15時半から始めます」と書いてあります。松山は、ありがたいことに、空港から市内はとても近いので急いで駆けつけると、「皆さん、待っていますから、すぐ講演をしてください」と言われ、そのまま壇上に立ったのでした。前日の夜行から、そのままの顔で、ひげをそっていないどころか、顔も洗っていず、おきたままという姿で講演をしました。なんとも面白い経験をしたものです。ハプニングも、過ぎてみれば良い思い出です。ハプニングが、人生にメリハリを与えてくれているのかもしれません。
投稿者 fujimori : 22:22 | コメント (3)
2007年11月16日 [近頃思うこと]
出かけるとき
よく講演などに出かけるときに妻は、「何時に家を出るの?」と聞きます。妻としては、何時の電車に乗るとか、何時の飛行機に乗るとか、何時から会議があるのかというより、何時に家を出るかが重要です。それは、食事をどうするのか、何時から支度をすればよいのかなどが重要だからです。そんな時、私は「まだ、計算していない。」と答えることが多いです。それは、もちろんそこまでかかる時間が違うからですが、それよりも何をするかで、どのくらい前につく必要があるのかが違うからです。そこまでどのくらい時間がかかるのかの計算は、最近とても楽になりました。それは、携帯電話で乗り換え検索ができるからです。何時にどの駅に着きたいかを検索すると、どの駅で何時の電車に乗ればよいかがすぐにわかるからです。この検索は、よく使います。電車に乗っているときでも、この電車で行くと、目的地に何時に着くのかも調べます。あるとき、園から東北新幹線に乗るために大宮に行こうとして検索し、最短時間のルートを選び、その電車に乗ろうとしたところ、その路線が事故でしばらく動かないという放送を聴いて、急いで違うルートを検索し、そのルートに変更しました。しかし、それでは大宮には新幹線の出発時刻3分前に着くことになってしまうようなので、階段付近に乗り、ドアが開くか開かないかで急いで飛び出し、思い切り走って何とか予定の新幹線に飛び乗れたことがありました。東京では、すぐに次の電車が来ますし、目的地まで行くのにいくつかのルートがあって助かるのですが、事故や電車の遅れが多くて困ります。ですから、八王子からですと目的地まで距離がある場合が多いので、途中でのハプニングが起きる可能性は高くなります。その分早く出かけます。飛行機の場合はかなり前に空港に着いておかなければなりません。しかも、羽田空港は広く、搭乗口まで遠い場合もありますし、バスで移動となるとかなり前に締め切ってしまいます。そんなわけで、羽田空港出発の場合は、大体出発時刻の3時間前には家を出ます。ですから、朝7時30分発のような場合は、先方では簡単にその便でお願いしますと言いますが、私は家を4時半に出ないとならないのです。そんなときは空港の近くで前泊します。また、大切な講演ですと、何かトラブルがあるといけないので、前日入りをします。北に行くときは、冬などは雪が降ると空港は閉鎖されてしまいますし、南にいくときは、夏は台風が心配です。そんな配慮で、今まで講演に遅れたり、欠席したりしたことはあまりありません。意外と、遅刻してしまう場合は、近いところであったり、ルートに慣れているところの場合が多いような気がします。近いところですと、かなり細かく時間が読めるので、ギリギリに出てしまうことがあるからです。ですから、ちょっと電車が遅れただけでも遅刻してしまいます。また、よく知っているルートも、かかる時間が読めるので、少しの誤差も影響してしまうからです。ある時、保育者の職員の結婚式の祝辞で私はこう言ったことがあります。その式場は自宅からとても近くて行きなれた道でいけるため、車で行ったところ危うく遅刻しそうになりました。「よく知った道を行くときは、手馴れているのでタカをくくってしまい、失敗してしまうことがあります。保育者は、子ども相手の仕事ゆえに育児は手馴れていると思ってタカをくくってしまうと、失敗することがあるので、気をつけるように。」という祝辞でした。いくらベテランになったからといっても、いつでも、新鮮な気持ちで、真摯な態度で仕事に取り組まなければならないと思います。
投稿者 fujimori : 20:33 | コメント (6)
2007年11月15日 [近頃思うこと]
男女差
今日、地下鉄に乗っていて前の座っている女性を見ると、L25という雑誌を見ていました。以前のブログでR25という雑誌を紹介しましたが、このシリーズの女の子版として、あれもこれも欲しい女の子たちが、会話豊富で余裕のある大人になれることを意識して編集されている雑誌がL25です。このL25も、毎週木曜発行のフリーマガジンです。首都圏エリアの私鉄・地下鉄ラックや書店・コンビニなどで約40万部配本しているそうです。R25 は、世間では「元気がない」なんていわれて、ちょっと悔しいこの世代の男性に向けて「オトコ視点」で編集されていましたが、L25は、大人っぽさも、かわいらしさも、自分らしさも、すべて大切にしていきたいという欲張りな女性たちを応援するフリーマガジンといわれています。その中での特集記事や連載は、「大人力」+「女子力」+「自分力」=「L25力」として、それぞれのバランスが取れた大人の女性になるために問いとされています。ちょっと、私も中身を見てみました。女性が好きそうな内容です。さすがよく研究されています。私も女性が多い職場ですので、この中の話題を持っているといいかもしれません。まず、「Connect×Review特集」ということで、どの雑誌や番組で、どんな情報が提供されているのか、世の中では何が流行っているのかがひとめでわかるようなレビュー記事です。そして、「WEEKLYイベントカレンダー」ということで、一週間のイベントや新商品開発などのホットなトピックスを政治・経済からエンタメ情報まで幅広くピックアップされています。「L25女子力検定」もとても面白い企画で、テーマに沿った5問で「女子力」を検定しています。「男と女はどーしてわかりあえないか研究所」も面白いです。毎号、男女に同じテーマを投げかけ、男女はどのくらい考え方が違うのか?ということがリアルにわかる特集です。そのほかに、「今週の推薦状」「自分力BOOK」などがあります。この内容で、具体的にどのようなことが書かれているかとても興味が湧きますね。今週号に「電車のマナーはどこまでOK?ビックリエピソード目撃選手権」というのがありました。電車の中でお化粧をするなんていうのはもう古い話で、私が目撃してびっくりしたのは、座っている私の前に立っていた女性が、紙袋から買ってきた水着を出して、試着を始めたのにはびっくりしました。地下鉄でしたから、窓ガラスが鏡のように姿を映していたからでしょう。L25 に掲載されていたエピソードは、「ゆでた上海ガニを袋から取り出し、一心不乱に食べ始めたおばさん。みそもしっかりすすってました。」「ラッシュ時に歯磨きをしている女性。何度か見かけますが、いつくちをすすいでいるのか気になります。」「混雑気味の車内にて、T字カミソリでヒゲソリを始めた30歳くらいの男性。しかも鏡を見ず、シェービングクリームもナシ。」「つり革にハンモックをかけて寝ている外国人を目撃。車内の人もア然としてしまい、当人はおとがめナシのまま下車。」これらの目撃情報を見ると、「最近の若い人は!」とか「最近の女性は!」というようには言えないくらい、男性であろうが、女性であろうが、若かろうが年配であろうが、日本人であろうが外国人であろうが、マナーの悪い人は様々です。「男子の“美容ケア”ってどこまで許せる? 許せない?」という特集でも、動機として、「最近、よく見る眉毛を異様に細くしていたり、爪がピカピカの男子。私はちょっと違和感あるんですよね~。そこで、男子のお手入れについてどう思うか」なんていうことを見ると、やはり、男女差という刷り込みが、いまや全く間違いだったことに気がつきます。
投稿者 fujimori : 22:45 | コメント (2)
2007年11月14日 [近頃思うこと]
授業のリーダー2
学校での授業中のリーダーは誰でしょうか。それは教師です。もちろん主役は子どもですが、その子どもを導き、学力をつける援助をするのは教師ですから当然です。しかし、そのリーダーのあり方が近年変わってきているのです。かつてのリーダーは、みんなの前に立ち、みんなを引っ張っていくというものでした。企業でもリーダーという考え方が変わってきています。最近話題の書籍に「ヒトデはクモよりなぜ強い」(オリ・ブラフマン、ロッド・A・ベックストローム著)があります。とても意表をつく題名ですが、内容は、「ナップスター、オープンソース開発者、アル・カイダに共通するものとは何か?それは、リーダーがいない分権型の組織であり、強靭な生命力で拡大を続け、社会に大きな影響を与えたことである。」というものです。サブタイトルとして、「21世紀はリーダーなき組織が勝つ」と書かれています。本書ではそのような組織を「ヒトデ」にたとえています。ヒトデは、真っ二つに切られても、死なずに分裂して2匹のヒトデになります。21世紀に生き残るためには、このヒトデにならなければならないといいます。「従来型のトップダウン構造をもつ「クモ型」の組織には、勝ち目はないのだ。ヒトデの要素を取り入れた、アマゾン、eBay、トヨタといった勝ち組に戦略を学ぶ、斬新な視点の経営組織論。」と解説に書かれています。企業と教育とは少しちがいますが、あとがきに訳者である糸井恵さんがこう書いています。「翻訳をすすめるうちに、ビジネスにおけるヒントに加え、人間性についての深い洞察があることに感心させられた。権限を分散するためには、組織を構成するメンバーへの信頼が必要だ。」最後に「強いリーダーシップだけでなく、適度な分権を取り入れること、つまり、人を信頼することが、これからの勝ち組における条件の一つかもしれない。」と結んでいます。よく私は、「見守る保育」「見守る育児」ということを言いますが、これは、子どもを信じること、子どもの存在を信じ、子ども自ら伸びようとする力を持っているということを信じることから始まると思っています。かつて、子どもはなにも知らない存在だ、何もできない存在だということで、教えてあげよう、やってあげようとしました。また、そんな存在ゆえに、大人と子どもの関係を強固にしようとし、子ども自らの活動、子ども同士の関わりは、その次にされていました。そのために大人は、子どもにとって強いリーダーである必要があったのです。イエナプラン教育では、教師と生徒との関係を、ひとつの社会として見ています。大人と子どもの社会としてみているということで、先生が前に立って生徒との関係に懸隔を保って授業をする、という場面をなるべく避けようとしています。これは他のオルタナティブスクールにも言えることのようです。ですから、低学年の教室は、ひとクラスの部屋の中に創造的な活動、積み木とか工作をするような「創造コーナー」、それから人形をなどを置いてロールプレイをする「お人形コーナー」、それから理科の教材とか資料集を置いて自分のプロジェクトに従って資料を探す「資料コーナー」、クッションなどを置いて寝転びながら本を読むための「読書コーナー」、小さなキッチンを置いて、家の中の仕事を少し模倣的にやる「キッチンコーナー」、5つくらいのコーナーをクラスの中に設けています。こういう低学年の教室にコーナーを設けるやり方は、すでにオルタナティブスクールに限ったことではなくて、一般校でほとんど採用しています。そこでは、教師は子どもを引っ張るリーダーではなく、子どもを見守っているスタンスでいるのです。
投稿者 fujimori : 23:12 | コメント (4)
2007年11月13日 [研修]
授業のリーダー1
先日、主任セミナーのときにリーダーシップというものを考えてみました。そのときにその質について考えましたが、そのスタンスのあり方は、近年変わってきているように思います。先日、オランダのイエナプラン教育シンポジウムが、JAS(イエナプラン・アドバイス&スクーリング)という、現職教員のための研修・コーチングサービスを専門に行っている私企業の共同経営者2名とアドバイザー1名によって行われました。解説・日本語通訳は、日本にイエナプランを紹介した書籍を書いたリヒテルズ直子さんが担当しました。その中で、ほんの少しの時間ですが、私がコメンテーターとして、コメントと質疑をしました。そのシンポジウムでは、写真を含めたスライドと、ビデオで「イエナプラン教育とは何か」「イエナプラン教育の学校空間:生と学びの共同体のための環境」「イエナプラン校の実際」というテーマで行われました。その中でのコメントで、とても面白いフレーズがありました。「皆さん、この写真で何が見えますか?先生が立っていますね。この先生は何をしているのでしょう?そう、彼は手をポケットに入れています。それでも受身ではないでしょう。少し前に傾いた姿勢で、何かに目を向けていますね。彼は明らかに子どもたちと子どもたちがしていることを興味深く見ています。これは、ヤン・リヒトハルトという有名なオランダの教育家です。よい学校では校長は何もしません。先生が少し、そして、子ども達が何でもやります。学ぶのはやさしい。記憶するのは大変です。しかし、手綱を緩めるのが一番難しい。」また、別の写真を見ながらこんなコメントを言いました。「協働することを子どもたちは学ばなくてはなりません。それは自然にできることではありません。学校はそれを学ぶために場所としてますます重要になってきています。学校以外ではどこでそれをまだ学べるでしょうか。家族はだんだん小さくなり同じ趣旨を持つ人が集まって何か活動をする機会も減ってきています。私の子どもたちはますます多くの時間をコンピューターの前で過ごすようになってきます。昔なら友達と外で遊んでいた時間が、今はコンピューターに割かれています。けれども、協働するということは共に生きるということのための練習でもあるのです。私たちはお互いを必要としています。もっと言えば、他の人がいなかったらあなたは今のあなたでありえないのです。人は互いを必要としています。だからこそ共に生きなくてはいけないのです。」(リヒテルズ直子訳)このような理念の下、イエナプラン教育では、子ども達同士の学び合いが中心になります。教えることこそ最良の学びであるというのです。先日、テレビで学力が日本でトップだった秋田県の試みを放送していました。その秘訣の1は、インターネットの活用です。これは、子どもたちがインターネットを活用して、様々な課題に取り組むことかと持ったら、そうではなく、定期的に教育委員会からインターネットを通じてワークが送られてくるものをプリントアウトして、子どもたちにやらせるというものです。秘訣その2は、教師の教育力です。教師が子どもを前に一斉に教えるテクニックを学んでいきます。その3は、家庭学習の充実です。子どもたちは家でワークに自ら取り組んでいます。この実践はとても感心しますし、一生懸命で頭が下がりますが、ここにはどこにも子ども同士の関わりの中から学ぶ姿はありません。テストというペーパーでの学力は確かに上がるでしょうが、将来、子どもに必要な力はどうなのでしょうか。
投稿者 fujimori : 23:36 | コメント (5)
2007年11月12日 [近頃思うこと]
水耕栽培
今、私の園でひとつの実験をしています。それは、部屋の押入れで野菜を育てる「水耕栽培」です。
どの園にも、花壇があり、季節ごとの色とりどりの花が咲きます。もし場所があれば畑があるところもあると思います。そこでは、いろいろな野菜を育てているようです。今までの園では、畑では小松菜、トマト、なす、きゅうり、サツマイモなど地域のお年寄りの指導のもと作っていました。しかし、今の園は新宿の街中にあり、なかなか畑を作るだけの場所がありません。そこで水耕栽培を試みているのですが、この栽培は、養分の入った水と、蛍光灯のひかりで野菜を育てるので、土や太陽を使いません。最初、やはり、子どもたちには土に触れ、太陽の光を浴びることが必要だと思っていました。しかし、土が周りにたくさんあり、畑で野菜を育てている園では、日常、子ども達は土に触れ、畑の野菜を日常見ているのでしょうか。逆に、都内の子どもたちは、土と触れる経験はありません。すると、性格がねじれるのでしょうか。私は、子どものころ、都内の下町で育ちました。毎日の生活の中では土に触れることはありませんでした。今、話題になっている三丁目の夕日の映画の中の小学生がまさに私と同じ年齢であり、育った環境と同じで、あの映画の中の世界が日常でした。その世界では、土に触れることはありません。では、性格がねじれるのでしょうか。そんなことはありません。また、最近の環境とは、エコとか、自然環境保護という問題ですので、毎日触れるというよりも、どのような環境教育をするかということに意味があるのです。まず、水耕栽培ですと、土を使わないために農薬は使いません。子どもが生の野菜をそのまま食べることができます。また、育つ過程を身近で毎日見ることが出来ます。見ようと思えば、根も見ることが出来ます。また、タイマーで夜中の12時から昼の12時まで明かりをつけて、そのほかは暗くしてありますので、子どもたちは、野菜が育つために昼と夜が必要なのかを見ることが出来ます。また、12時間明るくするために、レタスですと、ほぼ20~30日で食べることができるほど育ちますので、1年に何種類かの野菜を育てることができます。このシステムは、遠洋漁業の人たちにも野菜を食べさせようと開発されたものであり、宇宙ロケットにも積み込まれているそうです。最近、都内のビルの地下で野菜を育てたり、農家でもこのような育て方が普及しようとしています。もうひとつ、「野菜の栽培セット、静かなブーム 癒しを求める男性も…」という記事が、先日の11月10日の新聞に特集されていました。「そら豆、水菜、春菊……。水を与えるだけで簡単に室内で育つ野菜の栽培セットが、静かなブームになっている。製造しているのは愛知県瀬戸市の小さな陶磁器会社。遊び心から生まれたユニークな商品だが、成長の過程を観察し、もちろん収穫後は食べられる。大手雑貨専門店によると、癒やしを求める女性のほか、植物に無縁と思われがちな20、30代の若い男性も購入していくという。」という記事です。この秋から販売が始まった「そらまめ栽培セット」は、ビールジョッキそっくりの鉢に栽培用の土と種を入れ、水を与えるだけでよく、今ごろの時期から育てると来年の春ごろには実がなるもので1050円だそうです。もう一つの人気商品は「なべ野菜栽培セット」というもので、鍋料理に欠かせない春菊と水菜を、直径約15センチの土鍋風の鉢で育てるもので、こちらは1カ月ほどでシャキッとした歯ごたえの野菜ができるというもので、いずれも水を与えるだけで室内でも十分に育つのが特徴だそうです。収穫した野菜が本当に食べられ、品種は丈夫で育てやすいものを選び、無消毒種を使って安全面にも配慮していることが人気の秘密だそうです。
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2007年11月11日 [近頃思うこと]
赤ちゃん2
小西行郎さんといえば、「日本赤ちゃん学会」の理事長を務めていることでも知られています。「日本赤ちゃん学会」とは、赤ちゃんを総合的にとらえ、医療、工学、心理学、社会学など多面的な視点から、「赤ちゃんを中心とした赤ちゃん学」という21世紀の学問領域の構築を目指し、2001年に設立されました。その設立記念総会会長も務めた小西さんは、そのときの記念にこんなことを言っています。「エレン・ケイによって「児童の世紀」と名付けられた20世紀は、進化論に基づく科学の時代でもありました。人は日々進化の道を歩み続けていると考えられ、そのなかでとりわけ子どもは未来に向かって成長発達するものであるから、これを科学の対象として研究したり、その成長発達を支援することは疑う余地のないプラスの価値として考えられたのです。しかし、20世紀末の子どもの現状はこうした楽天的な思想に大きな疑問を投げかけています。一方、最近の神経科学の進歩は、「神経ダ-ウイニズム」という、脳は遺伝子で作られた粗い組織から無駄なものを削り取る2つの過程を経て成長するのではないかという概念を生み出し、また、発達心理や複雑系の研究では周囲からの刺激によって動くという原始反射は決して、新生児の行動の基本ではなく、新生児を自ら自発的に周囲に働きかける存在として捉えるべきではないかという研究が増えています。こうしたいくつかの新しい考え方や所見は21世紀の「子ども観」を新たに構築するのに十分な可能性を持っていると考えられるのです。20世紀末に見られた、育児不安や虐待あるいは学級崩壊やキレる子供達の問題が20世紀の「子ども観」の結果として生み出されたものであるのであれば我々は早急に、21世紀の「子ども観」を新たに構築しなければならないとおもいます。そのためには子どもに関係する研究を行なうすべてのものが一同に介し、研究協力や討論を行なうべきであると思うのです。そこに本学会の設立の意味があるのではないかと私は思っています。」このような考え方で研究されたことは、保育界を含めて子どもに関係ある仕事をする人たちからは必ずしも受け入れられないことが多いようです。しかし、現場で実際に子どもを見ていると、確かにかつてから言い伝えられた子どもの発達が現実の姿と違う事があるような気がします。そのひとつが、0歳児の社会性です。0歳児は、大人との関係が主に論じられますが、すでに1982年にMartin とClarkによって、「新生児において、自分の泣き声の音声テープを聞いても泣き出すことはないが、他の新生児の泣き声を聞くと泣き始める」ことが紹介されています。また、Fogelが、1979年に、生後5~14週の乳児が他の乳児と対面したときの反応は、母親と対面したときと比べると注意喚起的な傾向があったという指摘がなされています。そのほかにも、集団保育の場面での乳児の相互交渉場面の観察から得られた知見では、3ヶ月児では他児への、見る・発声する・さわるといった行動が見られ、4~5ヶ月児では保育者に抱かれたまま、他児に手をのばしたり、服をつかんだりという行動が見られるようになります。6ヶ月を過ぎると互いに見つめあって何らかのかかわりをもとうとするしぐさを示すようになり、9ヶ月児になると、這って接近をしていったり、相手の発声に微笑んだり、物を介したやりとりをするようになるといいます。そして1歳前後になると物を介したかかわりが多く出現し、「物の取りあい」も生じてきます。このような他児との関わりの必要性を、少子社会ではもっと論じられないといけないと思います。
投稿者 fujimori : 22:15 | コメント (3)
2007年11月10日 [近頃思うこと]
赤ちゃん
先日、小西行郎さんご夫妻と一緒に食事をする機会がありました。小西さんは、「赤ちゃんと脳科学」(集英社新書)という著作で有名ですが、現在は、東京女子医科大学教授であり、日本乳児行動発達研究会、日本赤ちゃん学会事務局長も勤められています。そして、脳科学、発達行動学の立場から小児科学に新風を吹き込んでいます。この食事会はとても楽しく、時間がたつのも忘れるほどでした。それは、「知っておきたい子育てのウソ・ホント50―最新赤ちゃん学が教える子育ての新常識」(海竜社)にも書かれている様な内容が、直接赤ちゃんを見ている現場では頷けることが多いからです。たとえば、「育児は母親が専念すべき」「3歳までは母親の手で育てなければならない(3歳児神話)」「母乳で育てられないのは愛情不足」「抱き癖はつけないほうがいい」「指しゃぶりや爪かみは欲求不満の現れ」「0歳からでは遅すぎる(胎教のすすめ)」「天才は3歳までにつくられる(早期教育のすすめ)」など、科学的根拠はないそうです。感情論によって確たる根拠なく語られがちな育児情報のなかで、現代の科学でどこまでが解明され、どれが根拠のない論なのかを明らかにし、無力だと思われがちだった赤ちゃんの秘めたる能力を明かす必要があるという思いは、私が、今、取り組み始めていることと同じです。小西さんは、今年の1月に放映された「世界一受けたい授業」で、「最新「赤ちゃん学」が解き明かす人体の神秘」ということで、「あなたの知らない0歳の世界」を解明して見せました。まず、赤ちゃんは言葉を話さないだけで実は大人以上の能力を持っているというのです。赤ちゃんは、言葉が話せませんが別の方法でコミュニケーションをとります。例えば人の表情の真似、これもコミュニケーションの一つです。また「笑う」というのもその一つで、お母さんの愛情を引き出すための力、作戦のようなものです。生後2ヶ月くらいからお母さんの表情がわかります。赤ちゃんを驚かせるのは表情がない状態です。ですから表情を動かす事が大事で、それがコミュニケーションになります。赤ちゃんはそれで安心するといいます。それが7、8ヶ月の赤ちゃんは、表情がない人を前にした時に笑いかけるようになります。関係を修復しようとする力だそうです。また、赤ちゃんは、驚く程の能力を持っています。自分の力でぶら下がれる手の力、母乳の匂いを嗅ぎ分ける嗅覚、直感的にものを見分ける視覚など非常に能力が高いようです。その高かった能力は、脳の発達とともに変化していきます。視覚野の脳内のシナプスに関して言えば、8ヶ月をピークに減っていき、3歳くらいでほぼ大人と同じ数になってしまいます。また、お腹の中にいる赤ちゃんにも味覚はあって、羊水の味がわかります。羊水の中に甘いものを入れるとよく飲みますし、苦いものを入れた時は飲みません。甘いものというのは糖分が高く、体に必要なものですから、それがわかっているという赤ちゃんのことをよく見てあげる事も大事ですが、邪魔をしないという事も大切です。環境と相互作用して育っていくのは赤ちゃんです。一方的に与えるばかりではなく、たまには与えない事も必要だと力説します。「早期教育を!」ではなく、自分でものを考える存在だということを認識しましょう。大事なことは、親が子どもの成長を邪魔しないことです。子どもは育つ力を持っています。ですから、「発達は子ども自身がするもの。 親は教え込むのではなく、見守ることが重要」ということは、全く同感です。
投稿者 fujimori : 22:35 | コメント (3)
2007年11月09日 [新聞記事より]
新しいコミュニティ
先日、若い職員からミクシィを見せてもらいました。若い人が電車内で携帯電話を見ている姿をよく見かけます。何を見ているのだろうと思っていたのですが、その何人かはミクシィを見ているようです。私は、他の人よりは携帯電話を活用しているほうですが、ミクシィは名前だけは聞いたことがありますが、参加はしていません。ミクシィmixiとは、2004年2月に開始した日本初のソーシャル・ネットワーキング サービス(SNS)です。運営しているのは株式会社ミクシィで、9月末の交流サイトの会員数は1190万人で、数十万のコミュニティ、1日2億ページビュー以上のアクセスがあるそうです。このmixiには参加者からの招待がないと加入できないサービスで、加入自体は無料です。ブラウザだけで利用できる日記機能や、参加者間でメールが送受信できるメッセージ機能、自分の聞いている曲をリアルタイムにリスト化して公開できる「mixiミュージック」、主要なメディアから配信されるニュースを一覧でき、関連した日記を書くことができる「mixiニュース」、携帯電話からmixiが利用できる「mixiモバイル」、テーマに沿って参加者が集まるコミュニティ機能などがあります。また、親しい友人・知人を登録する「マイミクシィ」(マイミク)と呼ばれる機能があり、ここに登録するとお互いのプロフィール画面に相手がマイミクであることが表示されるほか、相手を紹介する文章を相手のページに掲載することができ、相手の日記の新着書き込みなどが自分のページに表示されるようになります。この「mixi」という名称の由来は、公式見解によると「mix」(混ぜる、交流する)と「i」(人)の造語のようです。株式会社ミクシィは、もともと株式会社イー・マーキュリーという社名だったそうですが、mixiが事業の柱に育ち、同社サービスの中でも群を抜いて知名度が高くなったことから、2006年2月にミクシィに改名しています。今日のニュースに、「ミクシィ、単独営業利益2.1倍・9月中間、広告収入伸びる」というものがありました。今月発表の単独決算は、営業利益が前年同期比2.1倍の18億1300万円だったそうです。携帯電話向けを中心にサイト閲覧数が増え、広告収入を大きく伸ばし、税引き利益は2.2倍の9億8200万円でした。利用も8―9月には携帯からのサイト閲覧件数がパソコンからを上回ったそうです。もうひとつ、今日のニュースで「ミクシィから生まれたカップめん・エースコックが12月発売 」というのがありました。エースコックが、ミクシィの公認コミュニティ「カップめん開発オーディション」で、新商品アイデアを募集し、商品化したものです。コミュニティには、735件ものアイデアが寄せられ、その中から、ユーザーとの活発な意見交流によって商品内容を決定したようです。その結果、ひとつは、「カレーラクサ春雨」です。マレーシアの麺料理「ラクサ」をヒントにしたカレー風味のカップ春雨で、価格は150円です。もう一品は、230円の価格設定をした「黒石・つゆ焼きそば」です。これは、B級グルメとして注目されている青森県黒石市のご当地メニューをカップめんで再現したものです。乾燥麺の入ったカップに熱湯を注いで切った後にソースを加えて、ソース焼きそばを作るというものです。今回の消費者参加型の商品開発方法について「従来型の話題作りや広告の一媒体にとどまらない、真のWeb 2.0型プロジェクト」と語っています。この世界では、新しいコミュニティの形が次々と生まれています。まだ、人生をリタイアしない気持ちがある人は、よくわからないと言うのではなく、積極的に知ろうとする意識が大切かもしれません。
投稿者 fujimori : 21:23 | コメント (4)
2007年11月08日 [近頃思うこと]
ジャパネスク
海外では、今の日本の若者の評価が非常に低く、将来に日本は世界で活躍する人がいなくなるのではないかと言われています。また、日本に対しての興味も、インドや中国に比べて薄れつつあります。一方、よくブログで書きますが、海外で、日本の文化が見直されています。「akariあかり」は、もはや「もったいない」同様、世界的に認知され始めています。他にもどんな日本の文化が海外で受け入れはじめているのでしょうか。asahi.comでの記事の中で、「 世界のウチ」と言う連載があるのですが、先月から今月の初めにかけて「海の向こうのジャパネスク」という特集記事が掲載されています。各国のレポーターが記事を書いています。「アメリカ人も恋するKOIポンド」は、11月7日にアメリカから片瀬ケイさんがレポートしています。それは、最近、アメリカではプール付きの家から、裏庭に心安らぐ空間をつくるために蝶が訪れる花壇だけでなく、水辺を設けたウォーター・ガーデンが流行っているという記事です。その池には、ポンプを活用して噴水をつけたり、石を積み上げて小さなウォーター・フォール(滝)を作ったりしています。そして、最近人気急上昇なのがコイ・ポンドだそうです。家を売るときにセールスポイントに、最近よく聞くのは、「コイ・ポンド付きの裏庭」だそうですし、「コイ・ポンドのあるホテルでくつろぎを」といった広告もあるそうです。「コイ・ポンド」とは、コイ=鯉、ポンド=池で、鯉がいる池のことです。家だけではなく、庭の改造を考えている人のために、各地でウォーター・ガーデン&コイ・ポンド・ショーといった展示会も開かれています。フランスではどうでしょうか。「ハンパじゃないぞ、フレンチ盆栽野郎」ということで、10月31日に小笠原めいさんが記事を書いています。フランスでは「ボンザイ」と発音される「盆栽」、ここ数年ですっかりフランス社会に浸透してきているそうです。パリはもちろん、地方都市の園芸店や大型スーパーマーケットでも売っていて、月並みな花束よりはヒネリの効いた手みやげを好む人や、ZENなインテリアアイテムを求める人が買って行くそうです。石造りの暖炉あり、可愛らしいプロバンス風のキッチンあり、色鮮やかなソファーありの「典型的はフレンチ若夫婦のお宅」の中に「床の間」が置かれ、そこだけ唐突にジャポネスク臭を放っています。日本のほこりだらけになっている床の間に比べて、「床の間のエスプリ」も大事にされていることは疑う余地もないと報告しています。また、同じフランスからの報告を「頭とfutonは使いよう」ということで、10月20日、夏樹さんが書いています。内容は、futonという名称の、ふとんに似て非なるものがフランスで流行り始めて、はや10年にもなるようです。「日本人はfutonの上で寝るから腰痛にならない」というまことしやかな説に惑わされて買う人もいれば、インテリアとして日本風にまとめたいから、という人もいるようです。今、パリでは東京都おなじように住宅難のようです。狭い部屋では、日本の知恵が生きるようです。ちゃぶ台にしても、襖にしても、同じ部屋を用途によって変える知恵です。パリでも、独立した寝室がなく、サロンにソファーベッド(昼間はソファー、夜はベッドに変身)をおいて、そこで毎晩寝ている人もけっこういるようになりました。ですから、最近はソファーfutonというのがはやり始めています。それは、たたんでソファーにして、夜は広げて寝具にするときに布団は便利なようです。確かに、布団というものは、狭い部屋を寝室だけでなく、違う用途と兼用するときには便利なものです。癒しの時代、エコの時代になると、より日本文化が見直されてくるでしょう。
投稿者 fujimori : 21:00 | コメント (3)
2007年11月07日 [近頃思うこと]
進化
一昨年のブログで紹介しましたが、今年も「東京デザイナーズウィーク」に行ってきました。このイベントは、 今年で22年目を迎えるデザインイベントです。 昨年は一般来場者、デザイン関係の来場者を合わせて7万人余りの人が訪れたそうですが、今年も入り口にはチケットを買う人で長い行列ができていました。会場は、明治神宮外苑です。今年は、「LOVE」をテーマで、訴求テーマとして「地球を愛す」「人を愛す」「モノを愛す」ということで、様々なイベントを同時開催していました。
その中で、私の興味を引いたのは、「チカラミナギル!日本のデザインパワーを再発見!!」というコーナーです。日本における最近の環境が、あまりにもアメリカチックになりすぎている気がします。そんな風潮の中で、中小企業庁が日本全国の地域の伝統的な技術や素材を活かし、世界に通用するブランド確立へのプロジェクを支援する「JAPAN ブランド育成支援事業」を平成16年に立ち上げました。この事業には、今、北海道から沖縄まで全国各地の商工会議所、商工会を中心として、108件にのぼるプロジェクトが参加しています。今回、興味を引いたのは、その展覧会です。日本の各地では、ものづくりの伝統や技術・技能が育まれ、また独特の美意識と知恵に裏打ちされた生活が営まれています。そして、地域の中小企業は、ものづくりと地域に対する愛着、誇り、責任感があります。これらを地域の中小企業が時代と国境を越えて発揮できる「強み」や「志」と捉え、「地域の中小企業ならではの価値」として三つの提案をしています。一つ目は、「匠の品質」ということで、「地域で育まれてきた伝統や現代に息づく職人の技。そこには、豊かな自然と職人の手のぬくもりがあり、自らのこだわりと研鑽は、匠の品質を生み出します。」二つ目が「用の美」ということで、「日本人が日々の実用の中で鍛え上げた美しさ。この用の美と、使う人の喜びを願う作り手のまごころは、時代と国境を越えて、人々の暮らしに新鮮な彩りを添えます。」三つ目は、「地域の志」ということで、「日本各地の多様な自然、伝統、文化、暮らし。地域の中小企業は、自らの事業を通じてそれらを支え、誇りをもって次の世代、そして世界の人々と共有していきます。」です。これは、目指すべき保育の姿でもある気がします。保育という仕事も、地域ではぐくまれてきた伝統。豊かな自然と手のぬくもり。自らのこだわりと研鑽。それらが保育の質の向上につながります。また、保育者の真心は、時代と国境を越えて、人々の暮らしに新鮮な彩を添えます。保育という仕事に誇りを持ち、次の世代、そして世界の人々と共有していきます。物事の本質は、どの分野でも変わることはありません。そして、変化する市場の中で、絶えず「進化」させていかねばならないことを謳っています。「進化」の方向として、「新しい伝統の創造」です。伝統は、そのままの形を維持することではなく、進化していかなければならないのです。変わらないことを、「伝統を守る」とよく言います。先日も、ある保育園で、「太鼓を子どもたちに教えているのは、伝統ですから。」と言われましたが、私は、「いつからの伝統ですか?」と聞きましたが、きっと、どこかの時期に、ある理念を持って始めたはずです。私は、「理念を大切にしてください。それが、伝統ですから。」と答えました。日本の文化を守るためには、進化が必要なのです。「匠の品質」「用の美」「地域の志」の三つの価値を進化することによって、現代の日本や世界の市場で通用する「新しい伝統の創造」が生まれるのです。
投稿者 fujimori : 21:16 | コメント (4)
2007年11月06日 [近頃思うこと]
悪かった過去
以前、私の講演のあと、ヤンキー先生こと義家さんの講演があったことがありました。ちょうど議員になる前で、話題の人でしたので、その講演を聞いてみました。確かにヤンキーだった頃から更正して教師になったのはかなりの努力があったでしょう。その努力にはとても頭が下がります。また、教師になった後も、ヤンキーといわれる子どもたちとぶつかり合い、ふれあい、理解し、立ち直らせることができるのは、もとヤンキーだったことが役に立つかもしれません。ヤンキーたちの気持ちがわかるからでしょう。しかし、講演を聴いているときに、何度か首をかしげることがありました。ヤンキーといわれる、他人を信用せず、自分を誇示して見せていた青年時代を自ら送り、また、そのような子どもを相手にしている毎日の中で、どうも本当の道ということがずれている気がしたのです。ほとんどの高校生がタバコをすっていると思い、誰が父親かわからない子を妊娠してしまうようなことが、今の時代の女子高校生ですといいます。そういう高校生もいるかもしれません。しかし、ほとんどの高校生は、真面目ですし、地震などがあるとボランティアとして支援するために飛んでいく子もいます。義家さんが、テレビに出演したり、教育再生会議のメンバーになるのは、現在がよい教師であるとか、教師として素晴らしい実践をしたとかで判断すべきであり、過去にヤンキーだったということは、それだけでは価値はないのです。過去にヤンキーだったことを生かして、素晴らしい教育実践をしたというならわかるのですが。亀田選手騒動について、和田秀樹さんが、公式 HIDEKIWADA.COMマガジンの中で面白いことを書いています。「少年時代は多少の悪だったほうがいいという識者もいる(その多くは、自分が少年時代はまじめだった人か、せいぜい学生運動をしていたという程度の人である)。そのような反抗期があったほうが、心の成長にもメンタルヘルスにもいいという主張だ。アメリカでも、そのような考えが根強かった。フロイトの娘であるアンナ・フロイトや、彼女が可愛がったピーター・ブロスという思春期の専門家は、少年時代の激しい反抗期の必要性を強く説き、その時代はなるべく自由放埓にしてやれというアメリカ教育の理論的支柱になった。しかし、アメリカのこの自由教育は、逆に少年非行や、少年のドラッグ漬け、さらに少年の自殺の激増を誘発した。実は、60年代にすでに、その理論に疑問を呈し、大規模なアンケート調査から、アメリカでも、思春期に激しい反抗期に陥る子どものほうがずっと少数派で(約5分の1だったという)、激しい反抗期のあった子どものほうが、将来、犯罪者になる確率も精神障害に陥る確率もずっと高いことを示した学者がいた。シカゴ大学精神科教授ダニエル・オファーである。オファーの提起は、アメリカ教育界から無視され、80年代に少年犯罪の激増の結果、やっと方向性が改められた。しかし、日本では、それに20年遅れて、やっとゆとり教育が見直されたが、いまだに少年のワルをヒーロー視して、亀田を持ち上げる(バッシング前は完全にその構図だった)。まっとうに生きる人間のほうが、不良に走らない少年のほうが、得だし、ずっといいのだということを正当に論じられる環境は、いつ日本で現実のものになるのだろうか?(今更テレビのコメンテーターに返り咲きたいと思わないが、このような言説を唱えたコメンテーターは皆無だった)」確かに、悪かった人が立派になるというのは、大変な努力を要するでしょう。しかし、悪かった過去を持つのは本人の問題です。貧しいながら努力をして立派になったというのはわかりますが、悪いことをしたから立派になったというのは変ですね。しかし、それがもてはやされることがありますし、過去が悪かったということを自慢する人がいます。それだけならいいのですが、悪かったからこそ立派になったというと、子どもたちにはよい影響は与えません。悪いことをしてもいいんだ、悪いことをしたほうがいいのだ、悪いことぐらいしないと偉くなれないのだと思ってしまうからです。親も、わが子が悪くても、そのほうが将来偉くなるのだとか、あんな偉い人だって、子どものころは悪かったのだということで悪さをすることを認めてしまったり、奨励さえする傾向があります。和田さんは、そうではないことを研究データで示しています。やはり、人としてしてはいけないことは、誰でも、どんなときでもしてはいけないのです。
投稿者 fujimori : 23:49 | コメント (4)
2007年11月05日 [近頃思うこと]
流行色
無料情報誌「R25」の11月1日号に「オトコの「流行色」は 誰がどうやって決めているの?」という特集が組まれていました。その記事は、流行色情報センター広報・大野礼子さんが書いているものですが、今年の秋冬メンズファッションは黒やブラキッシュカラー(パッと見は黒だけどよく見ると色味がある色)+グレー、アクセントとして赤みのあるピンクや強いブルー…以上の色が今年のはやりなのだそうです。「流行色は、その年の約2年前から検討を重ね、1年半前に発表します。『インターカラー』という国際的に流行色を検討する場があるのですが、そこで協議された結果を受け、さらに日本の状況と照らし合わせたうえで、日本の流行色を市場に提案しているんです。色を決める際は、ファッションやインテリア、自動車の色の動向、百貨店の色別売り上げ、そして政治や経済の状況などを考慮に入れ、単一色ではなく色の組み合わせとして予測いたします」と書かれています。日本で流行色を決めているのは、「JAFCA(ジャフカ)」という、生活のあらゆる分野での流行色を予測し、会員に発信する、我が国唯一の公益法人の色彩情報機関です。この機関の沿革はとても古く、昭和28年(1953)9月4日に「社団法人日本流行色協会」として発足しています。しかし、今年の流行色というと、鶏と卵ではありませんが、今年はこの色がはやるという情報を流して、新しいものを買わせるという業界の作戦なのか、消費者がそのような色を好んで買うようになって、その色が流行になるのかよくわかりません。語源を見ると、「物事が河の流れる様のごとく世間に流布する」という意味を表わす漢語で、徳の広まることや、はやり病(疫病)が広まることを指しました。日本ではどうも、「流行」と「はやる」が混同されているようです。はやるというのを「流行る」とも書くことがあります。しかし、JAFCAで流行色を決める上の重要な基準になるものとして、3つのファクターがあります。その1が、雑誌にかかれてある「インターカラー(国際流行色委員会)」からの情報です。世界のファッションカラーに関する研究団体など各国の代表が集まり、 生活意識の流れや、今後求められるテイスト(雰囲気)を提案、検討し、世界的な共通認識に立ったトレンドカラーを選定しています。2として、現在の生活者の意識やライフスタイルに調和するであろうカラーを、デザイナー、マーケッター等現場担当者の予測、生活情報、専門家へのアンケートなどを行い、専門委員会での検討を経て選定されます。そして、メイクアップカラー嗜好色調査、自動車メーカーに対して行っている自動車車体色調査、また、百貨店の売れ筋動向についてのアンケート(婦人服・紳士服・インテリア・家電等)も行っているそうです。ちなみに、ここで出されたメンズウェアカラーは記事に書かれていたので、「2007年秋冬JAFCAレディスウェアカラー」をお教えします。カラーテーマは、「Be・witching-謎めいて、魅せる」というBewitching「魅惑する、うっとりさせる、魂を奪うような」と、be witch「魔女である、妖婦である」を、be とwitchの間に中黒を入れて結びつけた造語です。カラーグループの特徴は、「魔女の黒」と「女性らしさの匂う鮮やかなディープトーン(深みのある色)」のクチュールカラーです。また、今シーズン重視されるグレー系バリエーションで、カラードグレーと女性らしい粉白粉をイメージさせる淡いパステルカラーと迷彩色(カモフラージュカラー)からイメージされるブラウンとオリーブのアースカラーだそうです。しかし、私は流行色で服を買い換えるのではなく、体型の変化で買い換えるほうが多いようです。
投稿者 fujimori : 22:51 | コメント (4)
2007年11月04日 [新聞記事より]
光
11月3日文化の日の読売新聞のコラム「編集手帳」に教育・保育に参考になるいい話が書かれていました。「仲代達矢さん(74)は黒沢明監督「七人の侍」に通行人役で5秒間ほど登場する。映画に仲代さんの名前はない。20歳、俳優座養成所に通う無名のころである◆監督に絞られた逸話は知られている。歩いては叱(しか)られ、歩いては叱られ、昼食抜きの歩行練習をひとり命じられた。朝9時のテスト開始から午後3時の本番まで歩き続けたという◆仲代さんの足跡をたどった高橋豊さんの評伝、「幻を追って」(毎日新聞社刊)に後日談がある。7年後、映画「用心棒」で今度は準主役に起用されたとき、「監督、ぼくを覚えていますか」と尋ねた。黒沢監督は答えた。「覚えているから使うんじゃないか」◆黒沢氏は仲代青年のなかに素質の原石を見て、少々手荒く磨いてくれたものらしい。光を放つのが何年先であれ、磨く労を惜しまない。」私たちが保育している幼児の姿は、何度も何度も歩いている姿です。その歩き方は、ヨチヨチであり、未だしっかりと腕も振られていないかもしれません。しかし、それはそのあと、自分の足で歩き始めるときのための練習でもあるのです。また、その未熟の歩き方からも、その子の将来の見通しを立てていかなければなりません。ただ、この編集手帳に書かれているような手荒いやり方は子どもには向いていないと思いますが、それでも歩いていれば転ぶこともありますし、何かにぶつかることもあります。転ばないように石をどけてしまうとか、転んではいけないと思ってすぐに抱き上げてしまっては、歩くことを学んでいることにはなりません。転んでも手をつくことができるようになったり、障害物を乗り越えて歩くことができるようになることが、何年か先に自分だけで歩くなったときに必要な知恵なのです。「光を放つのが何年先であれ、磨く労を惜しまない。」という考え方は、教育者は学ぶべきことです。特に、幼児教育者は、子どもという石が、何年か先に光を放つようになるために磨くのです。また、今、光っていないからダメだとか、今、光らせるためにニスを塗って表面だけ光らせると、表面がはがれ、その光は次第に鈍くなり、何年か先には光らなくなってしまいます。自らその光を放つようにならないといけないのです。先日、子どもたちが作った「泥団子」を見せてもらいました。きれいに丸くなったぴかぴかに光った泥団子を作るためにまず必要なのは、泥だんごの芯を作ることです。ここをいい加減にしてしまうと、出来上がりはちがってきます。そのコツは、粒子の大きい土(砂でもよい)と粒子の小さい土と水を混ぜることです。そして、手で握り締め 水を出しながら、泥だんごの芯(出来るだけ丸く)を作ります。この芯をしっかりつくるためには、大きい粒子と小さい粒子が水の膜を仲介として、強く絡め合い、手で握り締めることで水が無くなり崩れなくなります。そのあと、乾いた色々な大きさの粒子を含んだ土をたっぷり振りかけ、表面に載った土を払い落としながら、表面を球形になぜていきます。芯を作るときにも、表面をなぜるときにも、様々な大きさの粒子が必要です。それぞれの大きさの粒子は、それぞれの役目を持っているのです。子どもにも、様々な年齢の子との関わり、様々な特性を持った子たちのかかわりでしっかりした芯を作ることができるのです。編集手帳は、こう締めています。「厳しい手に磨かれた原石は宝石となったのち、みずからが手となって若い原石を磨く。映画に限らず文化とは、恩を受けては返す長い鎖をいうのかも知れない。」私たちも、保育という仕事を通して、人の生き方をつないで行かなければなりません。
投稿者 fujimori : 20:00 | コメント (4)
2007年11月03日 [散歩]
歴史と地理
今日は久しぶりに秋空が広がり、風が心地よい日なので、地元八王子の「風林火山」関連の史跡を歩いてみました。NHK大河ドラマも大詰めに差し掛かっています。まず、八王子城を目指しました。高尾駅から、ダラダラとした登り坂を歩いていると、街路樹に桜の花をつけた木を見つけました。
このあたりは多摩森林科学園があり、その園内にはサクラ保存林があります。ここは、各地の著名なサクラの遺伝子を保存するために昭和41年に設置が決まりました。現在約8haの面積に江戸時代から伝わる栽培品種や国の天然記念物に指定されたサクラのクローンなど、全国各地からのサクラ約1,700本が植えられています。ですから、桜の花をつけた木は、今年の気候がおかしいので、狂い咲きの桜か、二度咲きの桜の冬桜かと思いました。しかし、そこにかけられて札を見ると、「コブクザクラ」と書かれています。コブクザクラとは、「子福桜」と書き、一つの花から実が二つ以上できる子宝に恵まれるサクラだからということで命名されました。ジュウガツザクラとシナミザクラとの雑種だそうで,秋にも咲くDNAを持っているそうです。原木は、熱海市相の原、石井氏の庭にあったもので、調査を共にした熱海市多賀の角田氏が命名し、熱海市の町中のコブクザクラは、12月初旬に満開を迎えるそうです。そのあと、八王子城につきました。この城は、小田原に本拠をおいた後北条氏の三代目、氏康の次男、北条氏照が築いた山城です。当初、氏照は同じ八王子にある滝山城にいました。小田原攻撃に向かう武田信玄軍は、まず滝山城を攻めました。北条方は廿里で迎撃しましたが一蹴され(廿里古戦場)、滝山城三の丸まで攻め込まれ、落城寸前に追い込まれます。しかし、なんとか凌ぎますが、滝山城の防御体制が不十分であり、滝は落ちるという縁起から、八王子城を築城し、移転します。
その城も、1590年、豊臣秀吉の関東制圧の一環で、前田利家・上杉景勝軍に攻められて落城しました。このとき、以前のブログで取り上げた「赤いくし」という絵本に書かれているように、「御主殿の滝」に落城時に城内の女がここから身を投げ、城山川が三日間、赤く染まったと言われています。
氏照はこの時、小田原に籠城中で、開城後、兄の氏政とともに城下で切腹しました。この城は、戦国の山城としての状態を良く残していることなどから平成18年4月に日本城郭協会より「日本100名城」に選定されています。そのあと、松姫を開基とした信松院に行ってみました。
信松院というのは、武田信玄の6女の松姫のことです。松姫は、尾張の織田信長の嫡男(奇妙丸)信忠に嫁ぐことになり、武田家、織田家の間で婚約の結納をします。そして、文通をして恋仲になりますが、遠江三方が原合戦を機に武田信玄は織田信長と断交してしまいます。そして、武田信玄の死去によって、婚約は解消されます。長篠合戦に敗れた武田勝頼が次第に織田信長・徳川家康の連合軍に追いつめられると、勝頼は盛信を南信濃の防衛の為に高遠城主に任じ、松姫も一緒に高遠城に入ります。しかし高遠城は陥落して盛信が自刃し、勝頼が天目山で滅びると、大菩薩峠を越えて武州に入ります。ここには敵方の北条氏照の城下町でしたが、勝頼の妻はこの氏照の妹だったので見逃してくれます。その後、八王子に戻った松姫は心源院の住職の計らいで甲州街道沿いに草庵を結んで、自活の道を探ります。出家した松姫は、この地方に絹織物の技術を広めたりして、多大な貢献をします。歴史は、地理と密接なつながりがあります。そんなつながりの中で「地理」「歴史」「政治経済」を教えてもらっていたらよかったのに、学年で分けて教わったのは残念な気がします。
投稿者 fujimori : 20:04 | コメント (4)
2007年11月02日 [新聞記事より]
脳弁
今日の新聞の各紙に「疲れた脳を弁当で活性化 高松でコンテスト」というようなニュースが流れました。この企画は、高松国際ホテルなどを運営する穴吹エンタープライズ(高松市)が企画したもので、ホテルの会議利用が多いことを受け、脳を活性化して活発な議論をしてもらおうと、全社員から企画を募ったのです。同社は、経営理念として、1、お客様に対しては、「お客様が期待する以上のサービスを提供することで「安心」と「満足」と「感動」を追求します。」2、社員に対しては、「主体性や創造性が発揮できる自由な風土を創り、社員1人1人の能力を最大限に発揮します。」とあります。その理念のもと、新商品である脳を活性化する会議弁当(通称:脳弁/のうべん)の企画開発にあたり、全社員からアイデアを募りコンテストを開催したのです。最優秀賞を受賞したのは、集中力向上が期待できるドコサヘキサエン酸、脳を活性化するというレシチンなどの成分を含む42の食材を使用しています。まず、「視覚的要素」です。弁当を目にしたときに飛び込んでくるのが斬新な「パッケージデザイン」 そして、弁当箱の上蓋を開けると、弁当のメニューが目に続けて飛び込んできます。次に「触覚的要素」です。弁当箱は、手触りもよく、脳にリラックス効果をあたえる木製のものを採用しています。次は、「味覚と嗅覚」です。料理に使用している食材は、脳に良いとされる「子羊肉」「抹茶」「大豆」をふんだんに盛り込んでいます。「食後」にも気を使います。その後の会議のために、リフレッシュした脳を再起動させるために、脳を鍛える「脳トレ」流行の脳を活性化させる問題が印刷されたカードが、食後にできるように付いています。このように、脳に良いとされる食材をふんだんに使用してだけでなく、弁当を食べるというシーンのひとつずつにストーリーを持たせています。以前から、緑黄色野菜(β-カロテン)と一緒に魚料理(DHA)を食べると、記憶力アップにより効果的だといわれています。魚のDHA(不飽和脂肪酸)は、記憶力を高める効果がありますが、酸素の影響を受けると酸化されて本来の作用を失ってしまいます。 そこで緑黄色野菜を一緒に食べることで、緑黄色野菜に含まれるβ-カロテンの酸化を防いでしまうのです。 アジやいわし、さばなどのDHAを多く含んだ魚料理と一緒には、かぼちゃの煮物や、にんじんのグラッセ、ほうれん草のバター炒め、などを食べるのがよいと言われています。また、野菜、特に緑色の葉野菜を1日3皿食べると、脳が5歳若くなるとも言われています。また、野菜を食べることは、高齢者における知的な能力の低下を遅くするのに役立つことがわかっています。これは、米国のラッシュ大学メディカルセンター助教授のマーサ・クレア・モリス氏らが、Neurology 誌に発表したものです。緑黄色野菜に対する厚生労働省の定義では「新鮮な野菜100g中にベータカロチンを600マイクログラム(μg) 以上含んでいるもの)とされています。またベータカロチンの含有量が600μg以下であっても、一般的に広く食べられている、トマトやピーマン等は緑黄色野菜に含められています。具体的には、にんじん、ほうれん草、パセリ、しゅんぎく、こまつな、にら、かぼちゃ、ブロッコリー、さやえんどう、しその葉、アスパラガス、ピーマン、トマトなどのことをいいます。また、ベータカロチンの量が600μg(マイクログラム) 以下の野菜は”淡色野菜”と呼ばれています。淡色野菜の仲間は、なす、きゅうり、オクラ、レタス等です。弁当を脳と結びつけたアイデアは気が利いていますね。いろいろなものと脳との関係が今後わかってくるでしょう。
投稿者 fujimori : 23:26 | コメント (4)
2007年11月01日 [近頃思うこと]
科学する力
最近、世界でも科学する力が衰えてきていることを心配して、その教育に力を入れ始めています。ドイツに行くと、幼児教育の場面でも、保育室に設定されたコーナーには必ずといってよいほど「科学コーナー」があります。OECDでは、生徒の学習到達度調査(PISA2003)での国際数学・理科教育動向調査(TIMSS2003)について国際数学・理科教育動向調査(TIMSS2003)を国際教育到達度評価学会(IEA)が実施しました。日本の児童生徒の学力は、国際的に見て上位ですが、小学校理科、中学校数学は前回より得点が低下しています。また、理科と数学(算数)の勉強が「楽しい」と答えた子どもは、世界最低レベルでした。また、ベネッセの教育研究所が中学校の教務主任、理科/社会を指導している教員を対象に行なった「中学校の学習指導に関する実態調査報告書(2005年)」によると、理科の先生のうち約4割が「子どもたちの『理科離れ』がすすんでいる」と感じています。そこで、文部科学省では、将来の国際的な科学技術系人材を育成することを目指し、理数教育に重点を置いた研究開発を行う「スーパーサイエンスハイスクール(SSH)」事業を平成14年度から実施しています。「科学する心・力」は、なぜ必要なのでしょうか。自然科学の学問体系は、多様な自然現象の背後に潜む規則性・法則の探求を通して形成されてきました。そこで重要な役割を果たすのは、「観測(見る、触れる)」に基づいて普遍的な「モデル(仮説)」を立て、それらを「測定(測る)」によって確かめるという、論理的・実証的なサイクルを伴う知的好奇心、すなわち「科学する心・力」です。この論理的に物事を組み立てていく力が数学力なのです。その力の不足が、今後生きていく上で大切な「問題解決能力」の低下につながっているのです。それは、中等教育および大学における自然科学の教育現場で、人的・時間的にもコストの掛かる自然現象理解のプロセスを省き、いまだに既存の学問体系を単なる知識として教え込む傾向が見直されていないことが主な原因ではないかと思います。その結果、知識は豊富ですが「科学する力(心)」に欠如した学生が大多数を占める危機的な状況になってしまっています。もともと日本人は、科学する力に長けていました。幕末の頃、「ヘボン式ローマ字」として有名なヘボンが日本人に英語を教えていたときの感想にこんなくだりが「花神」に書かれています。「ヘボンにとって意外なことは、かれらは英語ができないくせに、数学がよくできるのである。かれらはみな、二次方程式をふくむ代数や平面三角法、球面三角法などといったものによく通じていた。」という感想を持つほど、彼のところに英語を習いに来ていた日本人はどの人物もそういうものをスラスラと解いてしまうのです。そのことを「花神」の中では、こう分析しています。西洋人にとっては、文明か文明でないかは、キリスト教文明を持っているかどうかが基準であったが、いまひとつの基準は数学や物理学が普及しているかどうかということであったのです。それが奇妙な国日本では、神の教えが存在しないのに、球面三角法までこの青年たちはできるので驚くのです。その驚きをヘボンは、「米国聖公会雑誌」のこう書き送っています。「実際のところ、アメリカの大学卒業生でもこれらの若い日本人を負かすことはできないであろう」「まったく驚くべき国民である」と言い、日本と同じ条件化におかれたどの国のどの民族でもこういう奇跡はありえないとまで言っています。そんな日本人の最近の数学、理科の力の低下は、文明の低下とつながっているのかもしれませんね。