鏡の日

今日11月30日は「いい(11)ミラー(30)」の語呂合せで「鏡の日」です。鏡を大切にすることで、健康で美しい生活を目指す日だそうです。ナルシスと鏡の関係についてはブログで書いたので、今日は少し違う観点で考えてみたいと思います。それは、レッジオ エミリオ教育はじめ、保育に鏡が重要な意味を持つことが多いのですが、どうしてかを考えてみました。それについての文献等を私は読んだことがないので、あまり的を得ていないかもしれませんが。よく、動物の知能を測るために鏡が用いられることが多いのは、鏡に映った自分を自分と認識できる能力である「鏡映認知」を持っているかということのようです。それは、鏡に映る姿が自己であることを知るのは、自己認識の第一歩であるとされているからです。人をはじめ、様々な動物は、生きるためには自分を襲う他の動物を認識する必要があります。それは、ほとんどは自分とは違う種であることが多いでしょうが、同じ種でもメスを取り合ったりするときなどは自分を襲う敵になります。しかし、どちらにしても、自分の姿を認知したり、認識する必要はない気がします。では、自分の姿を見て、なんの役に立つのでしょうか。チンパンジーなどにおいては、鏡に映る姿を自分自身として認識し、毛繕いのときに役立てるというように、ひとつのモデリングとして自分を見ることはある気がしますが、鏡によって客観的に映し出される、自分自身の姿は、どのように映ったのでしょうか。昔の人は、鏡に映像が「映る」という現象は、とても神秘的なものとしてとらえられたでしょうね。ですから、鏡は、自分の姿を見るというよりも、三種の神器にあるように、祭祀の道具としての性格を帯びていたのです。そして、鏡の面が、単に光線を反射する平面ではなく、世界の「こちら側」と「あちら側」を分けるレンズのようなものと捉えられ、鏡の向こうにもう一つの世界がある、という観念は通文化的に存在し、その見方は、世界各地で見られます。古代の哲学などにおいては、鏡像はおぼろげなイメージに過ぎないとされました。また、鏡は鑑とも書き、人間としての模範・規範を意味します。「あの人は、日本人としての鑑である。」というような使い方をします。また、手本とじっくり照らし合わせることを鑑みる(かんがみる)というのも、ここから来ています。古墳時代、邪馬台国の女王卑弥呼が魏の王より銅鏡(この時代を研究する考古学者にとっては、「鏡」という語はすなわち銅鏡(神獣鏡、三角縁神獣鏡)を意味する)を贈られた故事はあまりに有名ですが、これは彼女がシャーマン的な支配者であったことと関係があり、その小道具として鏡が重要な役目を持っていたと考えられています。このように、鏡は宗教と関係が深かったようです。神道や天皇制では、三種の神器のひとつが八咫鏡ですし、キリスト教を禁止した江戸時代に隠れ切支丹鏡という魔鏡が作られています。また、霊力を特別に持った鏡は、事物の真の姿を映し出すともされた。地獄の支配者閻魔大王の隣には浄玻璃の鏡という鏡があり、それは、大王の前に引き出された人間の罪業を暴き出したといわれます。また、鏡が割れると不吉としたり、鏡台にカバーをかけた習慣は、鏡の霊力に対する観念が広く生活習慣の中にも根を下ろしていたことを表していると言われています。鏡の語源はカゲミ(影見)、あるいはカカメ(カカとは蛇の古語。つまり蛇の目)であると言われているように、鏡に自分の姿を映し、それを眺めるという機能と、鏡の持つ神秘性を感じたようです。その神秘性ゆえに、子どもにとって、環境として意味のあるものとして利用されているのでしょうね。

ちから

 よくブログに書きますが、携帯電話はどこまで進化するかわからないほど日々進化しています。私は講演でよく話していることがあります。それは、最近の英語熱に関して、「これからの時代は、グローバルな時代になるので英語教育は確かに必要です。しかし、何が英語教育かというと、今熱心に行われていることが、将来本当に役に立つでしょうか。たとえば、りんごをアップルと言えても、それは今パソコンの翻訳ソフトですぐに出てきますし、携帯電話の辞書機能に「りんご」と書いたら「apple」と出てきますし、その逆も可能です。それが、今後、それが、もしニーズがあったとしたら、携帯電話に日本語で話しかけたら、英語に訳してくれるだろう。」という内容の講演です。先日の11月27日の新聞に、「ケータイに話せば英語へ翻訳 ドコモが新サービス開始」という記事が出ていました。携帯電話に向かって日本語を話すと、翻訳された英語が数秒後にディスプレー画面に表れるサービスが始まったという内容です。逆に、英語で話せば日本語にも翻訳してくれます。この携帯電話による音声自動翻訳サービスは世界で初めてだそうです。今までなかなか実現しなかったのは、周囲のノイズを多く拾う携帯電話は、音声による自動翻訳ができるほど正確に声だけを認識することが難しかったからです。しかし、携帯電話本体にノイズを取り除く仕組みをつくり、音声の特徴を抽出し、音声がもつ情報量を30分の1ほどに圧縮してからサーバーに送信します。そのサーバーで、音声のデータを翻訳して携帯電話に送り返し、ディスプレー画面には、元の文と翻訳の文が表示されます。旅行英会話でよく使われる約7万5000の単語を登録し、約100万の文例をもとに翻訳ソフトをつくり、英検準1級程度の能力があるといいます。しかも、その利用料が、月157円です。近く日中翻訳のサービスも始めるそうですが、こんなに早く実現するとは思いませんでした。
 また、今日に日経新聞に「ソニーなど5社、「フェリカ」技術用途開拓へ新会社」という記事が掲載されていました。フェリカは、ソニーが開発した非接触ICカード技術のことです。非接触ICカードとは、読み取り端末に接触させなくても処理が可能なICカードで、振動やほこりが多い環境での運用に適しているだけでなく、カードを抜き差しする手間がないため、高速な処理が必要な鉄道・バスの決済処理には非接触式カードが使われています。たとえば、JR東日本のプリペイドICカード「Suica」や、ビットワレットの電子マネー「Edy」などで採用されています。そのフェリカ機能を携帯電話に内蔵し、切符や財布の代わりとして使えるようになっています。それが、電子マネーや交通乗車券だけでなく、小売り・飲食店などの会員証、ポイントカード、クーポン券など八つの機能を1枚に盛り込める次世代機能の普及を促し、効果的な広告・誘客手段として売り込むために、来年1月に新会社「フェリカポケットマーケティング」を設立するというニュースです。現在のフェリカ搭載カードでは、決済や会員証など複数の機能を併せ持つことができていないのが、可能になるのです。このように科学が進み、いろいろな物が開発されていく世の中で、これから身に付けなければならない「ちから」が何なのかわかってくると思います。それは、人間にしかできないことです。何が、人間しかできないことなのか、人間だからこそできることなのかをしっかり見つめて、それを子どもたちに伝えていく必要があります。

なつかしのアニメ

 いまや、日本は世界で評価が高いアニメ文化を持っています。しかし、私が子どものころは、TVアニメはアメリカ製のものがほとんどでした。その中で有名なものはもちろんミッキーマウスを持っているディズニーアニメです。確か、毎週金曜日の8時から、隔週でディズニー特集とプロレス中継が放送されていました。もちろん子どものころでしたから、ディズニー特集の週は楽しみでした。そして、その中でも冒険の国という実写版の動物や自然物のときと、ファンタジーの週はアニメでした。そのほかの番組で楽しみだったのが、毎日6時50分から10分だけ放送されていたアニメです。当時は、それほど子ども番組がありませんでしたので、たった10分の番組でも楽しみでした。ただ、この記憶も定かではありませんが、わたしが印象としておぼえていることを思い出してみます。その10分では、色々なキャラクターが登場しました。印象に残っているキャラクターのひとつは、「マイティマウス」という、テリーテューンズが生み出したネズミのキャラクターです。
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 これは、最初、1942年に「スーパーマウス」として誕生したことでもわかるように、スーパーマンのねずみ版で、スーパーマンのようにマントを翻らせて、空を猛スピードで飛んできて悪者をやっつけ、いろいろな人(動物?)を窮地から救い出すというヒーローです。しかも、ギリギリまで窮地に追い詰められること、いろいろ妨害にあって、いつも危機一髪!という勧善懲悪の決まりきったストーリーでしたが、子どものころは一緒にハラハラし、助け出されてホッとし、そのストーリーを楽しんでいたようです。名前も、1943年には「マイティマウス」に改名しています。日本では、TBSで、1957年にTVアニメデビューし、放映された初期のカラーアニメとしてアメリカ同様、ブームが巻き起こりました。2羽のお喋りでイタズラもののカラス(本当はカササギ)が主人公のヘッケルとジャッケルも同じテリーテューンズのキャラクターです。ほかに、今日乗った飛行機の機体に描かれていた「ウッドペッカー」があります。
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 ウッドペッカーとはキツツキのことで、正しくはキツツキのウッディーといいます。あの独特の鳴き声である「ゥアアアーアー、ゥアアアーアー、ゥアアアアアアアアアアアアア!」という甲高い陽気な笑い声は、プロデューサーの奥さんの声をテープで速回ししたものだそうです。日本では1961年9月23日から1964年7月9日まで日本テレビで「ウッドペッカー」というタイトルで放送されました。また、「フェリックスの冒険」は、1960年からアメリカ各地方局に登場した6分半のアニメ・シリーズですが、日本では1960年7月からNHKで、1963年からはフジテレビで放映されていたイタズラ好きの黒ネコが主人公で、いつも黄色いカバンを持っていました。
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 しかし、そのキャラクターの誕生は、1919年ですから、随分古いですね。1922年以後はニューヨーク・ヤンキーズ球団のマスコットにもなりました。「♪フェリックスちゃんお利口猫ちゃん、いつでも黄色いかばんを持ってる…♪」という主題歌はペギー葉山が歌っており、今でもそのメロディーが浮かんできます。そして、その日の話しの完結は、フェリックスがいつも「アハハハハ・・・」と大笑いして終わっていました。子ども番組が少なかったために、その番組が待遠しく、見ていた番組が今でも印象深いものとして心に残っており、その思い出を同世代の人と共感できます。多いだけが幸せではないと思います。

健診

 11月26日号のAERAで「1歳半健診が怖い母親」という特集をしていました。サブタイトルに「言葉が遅い、指さしせず・・・もしかして」ということで、「法整備しても自治体まかせの健診、密室育児追いつめるネガティブ情報」という記事です。乳幼児健康診査は、母子保健法により市町村が乳幼児に対して行う健康診査のことです。母子保健法には、「満1歳6か月を超え満2歳に達しない幼児」と「満3歳を超え満4歳に達しない幼児」に対して行うことを義務付け、そのほかにも市町村は、必要に応じ妊産婦又は乳児若しくは幼児に対して、健康診査を行い、又は健康診査を受けることを勧奨しなければならないとされています。そして、健康検査項目として、 1歳6ヶ月を超え満2歳に達しない幼児は、「身体発育状況」「栄養状態」「脊柱及び胸郭の疾病及び異常の有無」「皮膚の疾病の有無」「歯及び口腔の疾病及び異常の有無」「四肢運動障害の有無」「精神発達の状況」「言語障害の有無」「予防接種の実施状況」「育児上問題となる事項」「その他の疾病及び異常の有無」と書かれています。満3歳を超え満4歳に達しない幼児に対する健康診査になると、「眼の疾病及び異常の有無 」「耳、鼻及び咽頭の疾病及び異常の有無」が付け加わります。これらの検査の中で、保護者が心配するのは、「精神発達の状況」「言語障害の有無」です。これが、AERAで特集されている記事の内容です。育児不安が「発達障害かも」という不安につながっていっているといいます。1歳時半健診では、たとえば、靴やティッシュなど六つの絵を見せて、指示したものの「指さし」でコミュニケーションの様子を見るという検査です。他人とのかかわりが難しいなどの自閉症の特徴は、1歳半から3歳ごろまでに現れます。横浜市総合リハビリテーションセンターの調査では、自閉症と診断された子の約8割が、1歳半健診で何らかの指摘をされていたのです。自閉症、アスペルガー症候群を含む広汎性発達障害、学習障害(LD)、注意欠陥・多動性障害(ADHD)などは「発達障害」といわれ、脳機能の障害であることが知られてきました。横浜市の健診の「指さし」は、決して発達障害を見つけ出すためだけのテストではないと、市は強調しています。しかし、親としては気になるところです。というのは、そうは言っても指さしなどの結果、言葉や発音の遅れが疑われる子の親には、「様子を見ましょう」と伝えられるからです。当然、様子を見るといっても親としてはどうしてよいかわからないでしょうし、心配だけが増してくるからです。2005年4月に施行された発達障害者支援法では、早期発見、療育を行政の責務とし、1歳半と3歳の健診で「発達障害の早期発見に十分留意しなければならない」と定めているのです。確かに、発達障害は幼児期に行動が定着すると修正が難しいとされ、周囲が理解せず不適切な対応をとることで、パニックや脅迫症状などの二次障害を引き起こすこともあり、就学後はいじめや不登校につながりかねないとAERAの記事では書いています。しかし、現在の健診では、「様子を見ましょう」というある意味での宣告は、周囲が理解せず不適切な対応のような気がします。しかも、園現場から見ると、指さしができるかどうかよりも、子どもがどれだけ他の子とかかわっているか、その中でどのようなかかわりを子どもがしようとするかのほうに問題が多いような気がします。母親だけに育児を負担させ、親子関係からだけでの様子を見るより、もっと、1歳半ぐらいから、他の子どもとかかわる体験を多くさせる場を用意してあげることが必要な気がします。

伝統と文化

中央教育審議会初等中等教育分科会教育課程部会では、学習指導要領の改訂に向けて審議を行っていました。11月8日、教育課程部会において、これまでの審議を「教育課程部会におけるこれまでの審議のまとめ」としてとりまとめ、公表しています。今回の改訂における改善点として挙げられているものに、「言語活動の充実」「伝統文化に関する教育の充実」「社会の変化への対応の観点」などがあります。改善の具体的な事項では、これらの全体の基本方針を受け、小学校社会全般にかかわる改善について次のように整理しています。「生活科の学習を踏まえ、児童の発達の段階に応じて、地域社会やわが国の国土、歴史などに対する理解と愛情を深め、社会的な見方や考え方を養い、身につけた知識、概念や技能などを活用し、よりよい社会の形成に参画する資質や能力の基礎を培うことを重視して改善を図る。」とあります。これを受けて整理された2本柱のひとつにこうあります。「我が国の歴史や文化を大切にし、日本人としての自覚を持つようにするとともに、持続可能な社会の実現など、よりよい社会の形成に参画する資質や能力の基礎を養うことを重視して改善を図る。」とあり、たとえば「縄文土器が使われていたころの人々の暮らしに関する内容を新たに加えたり、歴史的事象との関連で取り上げる代表的な文化遺産を例示したりするなど、伝統や文化に関する内容の充実を図ることなどが示されています。日本の伝統や文化を見直し、それをどう進化させ、今の日本に活用し、世界に貢献していくかを考えることはとても重要なことです。今、世界でも日本の文化が再評価されています。それは、物だけではなく、行き方、生活の仕方なども再評価されているのです。環境保護、エコ、リサイクルに対する考え方、生活の知恵なども「もったいない」で表される日本人の考え方が注目を浴びています。しかし、私は、子どもたちに「日本の伝統、文化を勉強するように!」という前に、もっと、日本の伝統的な教育のあり方、学習のやり方なども検証してほしいと思います。どうも、世界で1960年代から改革され、オルタナティブといわれるような先進的に行われている教育は、日本の伝統的な教育と同じような気がします。先日行われたオランダのイエナプランのプレゼンテーションにしても、京都で参加していた文科省の人はコメントで日本では異学年制は取り入れないと言っていますが、江戸時代までの藩校、寺子屋は異学年制であり、上の子が下の子を教えるというスタイルでした。薩摩の郷中教育というのはまさにそのような形態であり、「教わるよりも教えるほうが学べる」といったイエナプランの考え方がすでに日本では行われていたということになります。また、建物にしても、よくブログでも書きますが、海外では最近、教室はオープンであり、学習によって集団を構成し、それに空間を合わせるという考え方は、やはり日本の障子、襖で仕切る発想と同じであり、デッキをめぐらすという発想も、縁側という内と外を有機的に結びつけるという発想が、すでに日本では行われていました。それ以上に、日本が世界に先駆けて取り組める考え方があります。何年か前にドイツミュンヘンで行われた世界保育大会に参加したときのテーマが「インクルージョン」でした。そのときに次の課題は、「コーヒージョン」だといっていました。これはまさに「関係性の構築」です。個々を認め、大人が子ども個々と関わる教育、保育から、子ども同士が関わることで、教育、保育をしていくという考え方です。農耕民族であった日本の考え方がせっかくこれからの世界の教育の中心になっていくのに、なんで明治以降の教育、保育にこだわるのでしょうか。

3山

 最近話題になっていることばのひとつに「ミシュラン」という言葉があります。これはフランスのタイヤメーカーです。そのメーカーが、自社のタイヤを買ってもらうためにミシュランガイドという旅行ガイドブックを出版しました。購読者に車で各地に旅行をしてもらい、始めたガイド本です。その中で、赤い装丁のものがギド・ルージュ、またはレッド・ミシュラン、赤ミシュランとも呼ばれ、レストラン・ホテルの格付けの権威であるギド・ミシュランの看板的なガイドブックです。特にレストランを星印の数で評価することで有名です。また、緑の装丁のギド・ヴェール、またはグリーン・ミシュラン、緑ミシュランと呼ばれるものは、地域の歴史や地理・名所旧跡の解説が詳しいもので、自動車の運転者向けの地図二十万分の一自動車旅行地図シリーズです。そのミシュラン東京版で、山として最高ランクの「三つ星」の観光地に選出されているのが、富士山と高尾山です。この高尾山は、それほどの評価なのか不思議な気がしますが、東京の人はほとんど知っていますし、東京の小学校の遠足では必ずといってよいほど遠足に行きます。私も小学校が台東区、中学校が千代田区でしたが、どちらでも高尾山が遠足の場所でした。その高尾山は、関東山地の東縁に位置する山のひとつで、明治の森高尾国定公園に指定されており、大阪の明治の森箕面国定公園との間に整備されている東海自然歩道の起点になっています。ケーブルカーに乗って着いたところの中腹には、薬王院があり、山頂には展望台や高尾ビジターセンターがあります。しかし、もともとは、修験道の霊場であり、天然の森林が守られてきました。中世には、八王子城主北条氏照による「本山の竹木の伐採を禁じる」という制札が薬王院に残されており、江戸時代にも幕府直轄領となり、その後も帝室御料林、国有林と常に保護されてきたために貴重な自然が残っています。東京近郊には、同じようにケーブルカーで上り、その中腹や山頂に寺院がある場所がほかにもあります。そのひとつが、先日訪れた大山です。この山は、標高1,252 mあり、丹沢山などの丹沢の山々ともに丹沢大山国定公園を形成し、神奈川県有数の観光地のひとつになっていますが、古くから庶民の山岳信仰の対象とされました。山頂に阿夫利神社本社、中腹に阿夫利神社下社、大山寺が建っています。
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大山は、高尾山同様に、古来よりたびたび神意が現れ、天狗の来住する神山であるとも言われています。もう一箇所が御岳山です。ここにも夏に訪れました。そのときは、少し時期は外れていましたが、5万株といわれるレンゲショウマの花が咲いていました。この御岳山にもやはりケーブルカーに乗って山頂にいくと、紀元前90年創建の武蔵御嶽神社があり、そこを中心に、古くから栄えた御岳山は、山の自然と、歴史ある建物、街並みの残る場所です。奥に鋸山があり、その奥に大岳山があります。この山容は、山頂がとがっていて、自宅からも良く見えます。武蔵御嶽神社は、崇神天皇が創建したと伝わる関東一の霊場ですが、日本武尊が東征の際、深山の邪神の放った深い妖霧に道を見失い、万事に陥ったのを白狼に導かれました。以来、魔除け、火難除けの神として「お犬様」の霊験の信仰が始まりました。日本武尊は、関東を中心に様々なものを各地に残しました。というより、意味づけに使われたのでしょう。また、山での事故が起きました。昔から山岳信仰、修験道の中心として、山は神秘的な崇高さと、恐れを併せ持った存在として人々の心に訴えてきたのでしょうね。

コマ

 今年の勤労感謝の日はとても天気がいいので、紅葉真っ盛りの伊勢原の大山に行ってみました。参道の土産物屋をのぞいていて目に付くのは、「大山コマ」です。
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このコマは、江戸時代中期頃、大山信仰と結びついて発達してきたといわれています。俗にコマは、よく回ることから金運がついてまわるといわれ、家内安全、商売繁盛、五穀豊穣を祈る縁起物でもありました。大山コマは恵まれた木材と、3300年の伝統が受け継がれ、昔ながらの技法が今も守られている勝れた木地玩具です。端正さ重厚さ、そして民芸的な色彩の線模様がよく木の肌合いと調和した昔ながら技法がなお守られている数少ない郷土玩具の傑作の一つです。大山は、材料のミズキが豊富であったため 木地師の仕事場として最適だったようです。コマの上にはいろいろな色が塗られています。それは、コマが廻る時にとても綺麗に見えることから塗られているのだと思っていましたが,実は健康を願ってのようです。赤い色は心臓、黒い色は腎臓、黄色は肝臓、緑色は膵臓、白い色は肺、それぞれ体の部分の健康を意味しているそうです。この参道でいくつかのコマを買ったのですが、それは、ひとつにはもうすぐ正月が来るので、子どもたちに遊んでもらおうというつもりです。
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しかし、改めて考えると、どうしてお正月近くになるとみんな独楽をまわし始めたのでしょうか。本当はおかしい気がします。もともとコマという遊びは、戸外で遊ぶものです。しかも、あまり体の温まる遊びではありません。ですから、コマで遊ぶのは、冬には向いていないような気がします。ところが、コマがお正月の遊びの代表とされるようになったのは、おもちゃ屋の陰謀のようです。ほかの季節は戸外での遊びも多いし、玩具も多いですが、冬に売るものが少ないので、おもちゃ屋さんは作戦を練りました。「心棒(辛抱)は金(お金)」「一本立ち(一人前になる)」等、縁起的な感じがするので、それを売りにして正月にだけ売るようになりました。その後、「お正月にはタコ揚げて、こまをまわして遊びましょう」の歌が作られ、新聞やテレビ等が、この時期に多く取り上げたために、コマは冬の遊びとして定着してしまったのです。コマとは、軸を中心として回転させる玩具です。その回転によって遊ぶ他、吉凶を占う道具 および、さいころの代わりとして止まった方向で勝負したりした道具でもあります。
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もともとは、自然の一種で、世界中に分布しています。現在残っている最古のこまはエジプトから出土した紀元前2000年?前1400年の木製の物といいます。コマは世界各地でみられ、英語では top または spinning top、ドイツ語では Kreiselと呼ばれ、日本で使われる「独楽」という字は中国語表記です。日本では古くはコマツブリまたは古末都玖利(コマツクリ)と呼ばれました。江戸の子どもたちは巻貝を加工した小さな独楽の回しっこをしていた事が伝えられており、これが明治中期に金属となって現在のベーゴマになったといわれています。今上映中の話題の映画「続・三丁目の夕日」にはこのベーゴマを子ども達が路地で廻しているシーンが何度も出てきます。
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しかし、最近は、これら投げゴマはすたれてしまっています。それは恐らく、子どもが外で遊ばなくなり、また、戸外でコマを回す環境が成立しなくなったためとではないかといわれています。代わって室内で機械式の回転装置をもつコマがよく見掛けられます。その代表的な物が、ベイブレードですが、それら最近のコマはとても廻しやすい構造になっており、廻す工夫、技術はそれほど必要ないようです。便利さは、子どもの世界からも工夫や改良などの知恵も奪ってしまっているようです。

酉の市

少し前のブログで、八王子城の落城の話を書きましたが、そのときに、甲州街道の中の八王子にあった宿場の八王子三宿の横山・八日市・八幡は現在の場所に移ったのです。それが今の横山町であり、八日町、八幡町です。もちろん、八日市宿ではその名のとおり8の日に市が開かれたのですが、横山宿では毎月4日に市が開かれ、賑わったそうです。そして、この市の平穏無事と人々の幸せを願って市守神社が建てられました。そして、この神社が、江戸時代中期になって,授福開運の神を合祀したのが 大鳥神社です。ですから、この神社では二つの例祭が行われます。市守神社の例祭は,初牛祭で2月の初牛の日に行われます。もうひとつ大鳥神社の例祭は、11月の酉の日行われる大鳥祭です。俗に「お酉様」とか「酉の市」と呼ばれ, 縁起物の熊手や八頭が売られます。今日、駅に向かう途中、このあたりがとても賑わっていて、屋台店が立ち並んでいました。今日が、今年二度目の酉の市だったのです。
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酉の市は、各地の鷲神社(おおとりじんじゃ)の祭礼で、古くは酉の祭と呼ばれ、大酉祭、お酉様とも呼ばれます。酉の市で縁起物を買う風習は、関東地方特有の年中行事です。八王子にある大鳥神社は、「鷲神社」とは書かないのがどうしてか分かりませんが、本来の鷲神社は、日本武尊を祀り、東征からの帰還の際、同地で戦勝を祝したとされているので、武運長久、開運、商売繁盛の神として信仰されている神社ですが、関西に本社がある大鳥大社との関係は明らかではないようです。「おおとり」という呼び方を「鷲」と書くのは、江戸時代に、大鷲神社の本尊(本地)は鷲の背に乗った釈迦とされているからです。神社の本尊が釈迦とは面白いですね。この酉の市の由来も神道と仏教と違っているようです。神道では、大酉祭の日に立った市を、酉の市の起源としています大鳥神社(鷲神社)の祭神である日本武尊が亡くなった日とされる11月の酉の日に大酉祭が行われます。また、浅草・鷲神社の社伝では、日本武尊が鷲神社に戦勝のお礼参りをしたのが11月の酉の日であり、その際、社前の松に武具の熊手を立て掛けたことから、大酉祭を行い、熊手を縁起物とするとしています。仏教のほうの由来では、鷲妙見大菩薩の開帳日に立った市を酉の市の起源としています。1265年11月の酉の日、日蓮上人が、上総国鷲巣(現・千葉県茂原市)の小早川家(現・大本山鷲山寺)に滞在の折、国家平穏を祈ったところ、金星が明るく輝きだし、鷲妙見大菩薩が現れ出ました。これにちなみ、浅草の長国寺では、創建以来、11月の酉の日に鷲山寺から鷲妙見大菩薩の出開帳が行われています。しかし、どうも実際は、花又の鷲大明神の近在農民による収穫祭が江戸酉の市の発端といわれているようです。「酉の市」の立つ日には、おかめや招福の縁起物を飾った「縁起熊手」を売る露店が立ち並びます。また、市を開催する寺社からは小さな竹熊手に稲穂や札をつけた「熊手守り」が授与されます。この熊手は、鷲が獲物をわしづかみすることになぞらえ、その爪を模したともいわれ、福徳をかき集める、鷲づかむという意味が込められています。この酉の市が開かれる「酉の日」は、毎日に十干十二支を当てて定める日付け法で、「酉」に当たる日のことで、12日おきに巡ってきます。ですから、日の巡り合わせにより、11月の酉の日は2回の年と3回の年があります。初酉を「一の酉」、次を「二の酉」、3番目を「三の酉」と言い、「三の酉」まである年は火事が多いとの俗説がありますが、今年は二の酉までしかありません。しかし、火事には気をつけたほうがいいでしょうね。

積み木

そろそろ、クリスマスプレゼントで、何にするかを考える頃になりました。11月20日の 読売新聞に子どものおもちゃの中で昔から人気のある「積み木」の魅力について書かれていました。NPO法人日本グッド・トイ委員会のおもちゃコンサルタント、石井今日子さんは、「飾りのないシンプルな形だからこそ、逆に様々な遊びに使えるのです」と指摘しています。また、東京・北青山にある「クレヨンハウス」のおもちゃ売り場担当、小島ちふみさんは、「木の手触りや香りも積み木の魅力です。手のひらにのせると、しっかりとした重さを感じます。木の魅力を味わいながら遊んでほしいです。」と話しています。私の園でも、積み木は子どもたちには人気のあるおもちゃです。
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いつまでも飽きずに遊んでいることもあります。保護者は、よく、子どもが同じ遊びしかしない場合、いつまでも同じおもちゃで遊んでいるときに「大丈夫かしら。たまには違う遊びもしたらいいのに。」「子どもには、いろいろなことを経験させたいので、先生から、違う遊びにもさそってください。」と心配したり、要望したりします。しかし、積み木は、遊び方は決まっていませんし、積み木で作れるものは無限にあります。しかも、簡単な物から、大人でもやっと作れる難しいものまで様々な物が作れます。子どもが遊びに飽きるときの大きな理由は、そのおもちゃで遊ぶときに、それが簡単すぎるときや、難しすぎるときです。当然、子どもはそのおもちゃで遊んでいると、次第に慣れてきて、簡単になってきます。そのときにそのおもちゃに飽きるのです。しかし、子どもが簡単にできるようになると、そのおもちゃが、もっと難しいものも作れるようなものであれば、子どもは飽きません。すなわち、子どもの習熟にあわせて、そのおもちゃもそれに対応できるようであれば、長くそのおもちゃで遊ぶことができるのです。その代表的な物が「積み木」の気がします。それは、一人の子の習熟に合わせるだけでなく、子どもの成長によっても対応できます。読売新聞には、こう書かれています。「赤ちゃんは、まず握ったりしゃぶったりして遊び始めます。落としたり、ポンと投げたりするのも楽しい遊びです。1歳近くになると、両手に握ってカチカチとぶつけて遊ぶこともあります。音が出るのが面白いようです。積んでは崩すことも赤ちゃんは大好きです。さらに3歳ごろになると、想像を膨らませて、四角い積み木を車、丸い積み木を動物と見立てて遊ぶこともできるようになります。」ですから、ヨーロッパでは、親子2代にわたって積み木を受け継ぐ家庭も珍しくないそうです。積み木だけでなく、おもちゃには様々な役割があります。それは、一人で遊ぶときの有効性だけでなく、人とかかわる力もつけていきます。同じ読売新聞の11月13日には、「おもちゃ遊びを通じて、赤ちゃんは友達との関係やルールなど、様々なことを少しずつ学んでいきます。」という記事が書かれていました。1?2歳のころは、面白そうなおもちゃを見つけると、周りにお構いなしに突進し自分のものにしてしまうことがよくあります。そんなときに、こどもの城(東京)小児保健部部長で臨床心理士の井口由子さんは「1?2歳の子供は、その場ですぐに理解できないかもしれませんが、『それは友達のなんだよ』と言い聞かせていくことも大切です。取られた子供に対しても『びっくりしたね』『いやだったね』などと気持ちに寄り添うように言葉かけしましょう」と話しています。どの年齢の子でも楽しめ、いつまでも飽きず、一人でも複数でも楽しめるような、子ども主体的に遊べるおもちゃが「いいおもちゃ」と言えるのかもしれません。

多重塔

 先週末、山口を訪れたときに瑠璃光寺に行ってみました。ここは、曹洞宗の寺院で、国宝の五重塔を中心として、境内は香山公園と呼ばれ、桜や梅の名所にもなっています。大内氏全盛期の文化を伝える寺院であり、「西の京・山口」を代表する観光名所となっています。今の時期は、うめや桜の時期ではありませんでしたが、真っ赤に紅葉したもみじと、それを映し出す池を前景としての五重塔は、澄み渡った青い空を背景としてとても美しい姿を見せてくれました。
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 この五重塔は、室町時代に建立され、屋外にある五重塔としては日本で10番目に古く、京都の醍醐寺・奈良の法隆寺のものとならび日本三名塔の一つに数えられています。高さ 31.2m で屋根は檜皮葺となっており、二層にのみ回縁がついているのが特徴で、建築様式は和様ですが、一部に禅宗様(唐様)も採り入れられています。塔身は上層ほど間を縮め、塔の胴を細く見せ、とてもすっきりみえます。これに対して初重の丈が高く、柱が太く二重目には廻縁・高欄があるので安定感が強く感じられます。全国には三重塔や五重塔など数多くの木造の塔があり、かつては七重や九重のものもあったといわれます。少し前に妻と訪れた安楽寺には、鎌倉末期の建立された国宝である八角三重塔があります。この塔は、中国の宋時代の様式で、日本で唯一の八角の塔です。
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やはり妻と訪れた薬師寺の塔も、六重に見えて三重の塔です。
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 また、奈良には法隆寺のほか、とても美しい興福寺の塔は五重塔です。
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 このように各地にある塔は、他の建物に比べて意外と古い時代に建立されたものが多く残っています。不思議なことにそれらの塔が地震で倒壊したという記録はほとんど見当たりません。1995年の阪神・淡路大震災でも、兵庫県内にある塔は一つも倒れませんでした。なぜ寺の木塔が地震に強いのでしょうか。その一つは「積み上げ構造」という建築方法であるとされています。つまり五重塔を建てる場合、重ごとに軸部や軒を組み上げ、それらを鉛筆のキャップを重ねるように順々に積み上げてあるのです。それぞれの部材は主に木材同士の特殊な切り組み方法によって接合されていて、堅固に結合していないため「柔構造」になります。「柔構造」の塔は、コンクリート造りの一体化した「剛構造」と違って、地震が起きても各重が互い違いに振動して「揺れ」を吸収します。このような、建物の揺れの効用を認め、その揺れによって地震力を吸収させる「柔構造」の理論は、近年、日本はもちろん世界の超高層建築に採用されています。伝統的な木造建築の知恵が最先端の建築技術に生かされているのです。また多くの塔の内部に立っている「心柱」は、こうした振動を減衰させる「かんぬき」のような働きをするといわれています。さらに各重の柱が長さの割に太いことや、組物がしっかり組まれ水平に変形しないことも地震に強い要因とされています。法隆寺五重塔は約1300年と長い歴史を持ち、日本を代表する木材である『ヒノキ』で造られていてい、日本で初めて世界文化遺産に登録された世界最古の木造建築群ですが、約1,300年もの長い年月、地震に耐えてきたのは、「積み上げ構造」という建築方法であるとされています。香川県善通寺の場合、塔の中心を貫く心柱が鎖でつり下げられ、礎石から約6センチ浮いた「懸垂工法」で、全国でもあまり施工例のない珍しい木造塔だといわれています。
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 時代は進んだといわれていますが、意外と進んでいないのかもしれません。