入学

 年末が押し迫ってきましたというと、未だ少し早い気がしますが、年長児さんは、そろそろ1年生になることを意識し始めます。それは、1年生になると必要なものを買い揃え始めるからです。その中で代表的なものに二つあります。ひとつは勉強机で、もうひとつがランドセルです。これがなぜ今なのかというと、それらを祖父母がクリマスプレゼントなどで買い与えるケースが多いからです。そして、年が明けるころから次に気になり始めるのは、学習面です。文字を読めるようにしなければならないのでは、字を書けるようにする必要があるなのか、数を数えることはどうなのかなどです。このように小学校に入学するころの心配は、どの国でもあるようです。しかし、他の国の多くでは、上の文章の中で大きくちがうところがあります。ひとつは、「年が明けるころから」というところです。それは、ほとんどの人が知っていることですが、外国では、9月に新学期が始まることが多いということです。いつがよいのかはよく議論されることですが、今のところ日本では4月から年度が始まります。もうひとつ、意外と知られていない音があります。上の文章の中で、「年長児さんは」というところです。多くの国では、小学校入学は、「子どもの成長に合わせて早く入れたり遅く入れたりは流動的に許されるので、就学時期は親によってもいろいろある」というのが普通のようです。ドイツでも、就学時期は保護者が決められるので、年長さんが必ずしも次の年に小学校に入学するとは限りません。しかも、時期を早めようとするよりも、時期を遅らせようとする保護者が多いそうです。特にインテリといわれる保護者にそういう傾向があるようです。それは、まず、学校では、日本でいう「飛び級」と「落第」があるからです。みえなどで早く学校に入学しても、途中で落第をしてしまっては意味がありませんし、ドイツでは、4年生の成績で大体将来が決まってしまいます。大学まで行くか、専門学校か、職人かなどが決まってしまいますので、1年遅らせるのでしょう。あとは、大体どの国でもおなじような風景が展開されます。イスタンブール在住で、トルコ語通訳兼撮影コーディネーターである高谷一美さんが、特派員ブログでこう報告しています。「1年生なのだから、いろいろ文房具もいるだろう。8月の終わりから、スーパーやデパートではBACK TO SCHOOLフェアがいたるところで開かれる。トルコでは文房具は高い。だいたいトイレットペーパーが高いことでもわかるけれど、紙が高いから、教科書も問題集もノートも、質の割には本当に高いのだ。だから普段はあまり売れないのか、時期はずれには安いノート類を探すのに苦労することもある。今ならノートは、野菜と一緒にキロ単位ではかり売りだ。こんなに文房具やかばんなど学校グッズが安いものから高いものまで出そろうのは、このシーズンだけなのだ。」このトルコだけでなく、世界には様々な国があり、高価な高級な皮のランドセルが買えるのは一部の階層だけであることを知る必要があります。また、子どもに、赤ちゃんを含めて高級ブランドの服を着せるのも、日本人の特徴のように言われています。子どもを大切にすること、子どもに愛情を注ぐことはとても大切なことですが、それは高価なものを与えたり、手取り足取りすべて与えることではなく、本人がいろいろと工夫する余地を残しておくことも脳を活性化するために必要なことなのです。

入学” への6件のコメント

  1. 私が小学生の時、両親が離婚して母の手一つで育てられましたので、豊かな生活とは縁遠い家庭でした。それでも、子どもたちに恥ずかしい思いをさせまいと、母親は入学の時にランドセルと勉強机は一番安いものを買い揃えてくれました。おかげで、兄妹二人、私立の大学を卒業し、どうにか一人前の家庭も持つことができました。「経済格差と学力は比例する」などと言われるたびに、いや、我が家に限ってそんなことは無いと心のなかで叫びたい気持ちです。藤森先生のおっしゃるとおり、親の愛情は子供にかけたお金の金額で決まるものではないと思います。

  2. いつものブログは割りと気軽?にコメントができているのですが、今日のブログの「入学」となるとそうわいきません。我が家の1人息子(娘はいません)が来年4月には小学校に「入学」することになっているからです。ドイツのように「就学時期」を私たち親で決められてたらどんなに楽か。選択できないタイムリミットを持たせられるのはなんだか嫌ですね。4月にはいらなければならない。せめて9月くらいにしてもらえないものか、と思ったりします。「本人がいろいろと工夫する余地を残しておくこと・・・」はまさにその通りだなと思っています。一斉一律が今日の教育界の問題であることは言うを待ちません。もういい加減やめてもらえないのでしょうか。

  3.  今回のブログを読んで、小学校1年生のときに黒いピカピカのランドセルと学習机を買ってもらったことを思い出しました。そのときは誰もが6歳になれば小学1年生になれると思っていましたが、世界は違うのですね。ドイツでは小学校4年生で将来が決まるのであれば、確かに1年くらい遅らせて入学させるかもしれませんね。日本もそういう制度にすればいいと思うのですが…かなり先の話になりそうですね。むしろ無理なのでしょうか。
     自分の赤ちゃんに高級ブランドの服を着せるのは日本人の特徴のような気がします。何を思ってそうするのか私には全く理解できません。私には親が見栄を張ってるようにしか思えないのですが。高級な服を着させ、何でも買い与えるのが愛情を注ぐというのは、とんだ勘違いのような気がします。

  4. 入学時期を子どもによって変えられることが当たり前の国と一律に決められている国とでは、そのスタート地点の違いから、その後が大きく違ってくることが容易に想像できます。子どもの今だけでなく、先を見ることや広く見ることは、私たちの持つべき力だと思います。子どもたちが大きくなって同じことで悩まなくてもいいように、少しずつでも変えていきたいです。

  5. 日本のように6歳になった次の4月から全員小学校に入学するということと、外国の小学校入学時期が流動的なのは、子どもに合わせるか、そうでないのかということを象徴しているようです。ある決められた目標にむかって子どもたちを何とか向かわそうとすると無理も生じてしまいます。そうではなく、その子の発達を理解した上で、その子にあったペースで目標を設定していくことの方が本当の意味での平等のようにも思えます。日本には誰にでも同じようにという平等意識がありますが、それはその人に応じてということではないことが多く、本当の意味でも平等ではないのかもしれませんね。子どもへの本当の意味での愛情のかけかたも考えなかればいけませんね。子どものためと思っていながら、実は親のためになってしまっているということはあるように思います。「誰のためなのか」ということを考えなくても自然とできるようになりたいです。

  6. 全てではありませんが、「高級ブランド」というと高品質・高機能というイメージがあります。大人は、そのような魅力によって購入するということであれば、子どもにとっての高品質・高機能という部分を考え直さなければいけませんね。それが、本文に書かれていた「本人がいろいろと工夫する余地を残しておくこと」である気がしました。汗を勝手に吸収してべたつき感を感じないもので毎日を過ごしている場合には、自分が汗をかいて気持ち悪いとか服を着替えようとする意欲が育まれないという状況が生まれてしまうかもしれません。子どもにとっては、べたつきを感じて不快な思いを感じることができる物が「高品質・高機能」になる場合もあるかもしれません。ひとつの区切りとしてある「入学」は、そのような考えを振り返るきっかけとなっているのかもしれないとも思いました。

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