よくブログで書きますが、私は今定期的に愛媛に講演に行っています。講演というよりも、勉強会です。保育という仕事は、様々なことが絡んできます。単に子どもを保育するといっても、保護者との関係、行事のあり方、書類の作り方、環境の用意、職員のチームワークなどの課題があり、よく他の講演にあるような子どもの発達や子どもの心理というだけではありません。ですから1回だけの講演とか勉強会では無理で、連続的にやることが必要になってきます。愛媛には昨年度は二月に1回行っていました。場所は、松山の近くの松前町と大洲町と交互で行いました。そして、宿泊は道後温泉です。研修は夜19時から21時なので、園に午前中いて、午後出発し、夜、話をし、次の日の朝出てくれば園に昼ごろ着きます。随分と日本も狭くなったものです。この松山から大洲への道のりを通るたびに思い出す小説があります。それは、周防の村医から一転して討幕軍の総司令官となり、維新の渦中で非業の死をとげたわが国近代兵制の創始者である大村益次郎の波乱の生涯描いた長編小説「花神」(司馬遼太郎著)です。かれが、村医から大きな転機を迎えるのは、宇和島藩に招かれたときです。そのとき松山から大洲を通って宇和島に行くのですが、道中の出来事が彼の人生の特徴を現しています。彼の若いころは村田蔵六といいましたが、生涯の特徴は、人間とのめぐり合いの運に恵まれていたことであったようです。途中の旅籠で、蔵六は若い医師の夫婦と相部屋になります。この夫婦は、かなりみすぼらしく、経済的にも苦しい中、長崎に修行に行った帰りのようです。その夫婦は、蔵六に宿泊料の立て替えを頼みます。蔵六はさっさと帳場に行って支払ってあげます。そのあと、松山第一の医者のところまで同行してもらうことで、そこまでの交通費、宿代も頼みます。その申し出を蔵六は笑って、遠慮することはないといって松山まで連れて行きます。松山に着くと、もちろんその松山の医者は感激して家にも泊め、宇和島まで同行してくれることになります。途中の大洲では、伊予の医師仲間の顔役である医者もとても喜んで、一緒に宇和島までついてくれることになります。これで、蔵六は、松山第一の名医と大洲第一の名医が先導してくれて宇和島に乗り込んでいくことになります。これが随分と幸いします。この逸話を見ると、蔵六は必ずしも人とのめぐり会いにおいて運がよいのではなく、めぐり会うだけのことを蔵六はしているのです。人との出会いは偶然であることが多いでしょう。しかし、その出会いをどのようなものにするのかは、やはり本人によるのだと思います。私はもう15年ほど前になりますが、入院をしたことがありました。そのときに本当にお世話になった人たちは、地位でつながっている人でもなく、お金でつながっている人ではなく、かつて、いろいろなところで世話をしたり、面倒を見たりした人や、教え子たちでした。数日前のブログで「種まく人」を書いたときのコメントで、いつからが刈り取るときかという内容がありましたが、私はこのときに、そろそろまいた種を刈り取るときが来たことを実感しました。今、いろいろなことに苦情を言ったり、人の意見に突っかかっていったり、人を悪く言ったりする人が多いような気がしますが、その人たちは、刈り取るときが来るのでしょうか。種をまき、草をむしったり、害虫から守ってあげたりしてそれを丹念に育てていくことで、実を結び、刈り取る時期がやがて来るのではないでしょうか。
人とのめぐり合いというのは本当に面白いものだなぁと時々思います。私の今までの人生というのは大きな障害というのはほとんどなく、高校受験、大学受験、就職とスムーズに進んできました。そのスムーズに進んできた影には人との出会いというのが大きく影響しています。とくに、今まで担任の先生や部活の顧問の先生との出会いが良かったのかもしれません。よく親には「アンタは先生にとっても恵まれているね」と言われます。本当にそう通りだなといつも思うと同時に運がいいのかな?と感じます。しかしそれは偶然でもなく自分がそのチャンスを逃さなかったのかなとブログを読んで思いました。自分にも実を刈り取る時期がいつかは来るのでしょうか??
村田蔵六こと大村益次郎の生涯については、今日のブログで紹介されている司馬遼太郎の長編小説『花神』を読み、またNHKの大河ドラマで中村梅之助さんが演じた大村益次郎によって記憶されています。16,7歳の頃でした。その時は高校の吹奏楽部の一員で、毎年定期演奏会の曲目選びの時はNHK大河ドラマのテーマ曲を提案していましたが、林光さん作曲の『花神』のテーマ曲をやっと演目の一つに加えていただきました。このメロディーはいまだに口をついて出てきます。司馬さんの小説を読み終えて、大村益次郎が維新を待たずに他界したことが何とも惜しまれてなりませんでした。その時、人の生のはかなさ、のようなものを感じました。大村益次郎は「刈り取り」の時期を経てあの世に旅立ったのか。高杉晋作の騎兵隊の存在に己が実りを感じたか。「刈り取る時期」は「種を播く」時期と同様、それとして見極めなければならない大切な時でしょう。そしてその期間こそが今、という時、と自覚すれば、どうでしょう。本当はこの、今、ここ、が重要なのに、すぐに忘れてしまう己が煩悩に今日もうな垂れます。
藤森先生と初めてお会いしたのは、確か6年前のお台場のホテルでの講演会だったですね。
あの時、先生の講演に鳥肌が立つような衝撃をうけ、帰ってから早速お話の要旨を
自分でまとめて親しい先生に配りながら少しずつ見守る保育の話を始めました。
思えばあれが「種まき」のはじまりでしたね。
毎年のように先生をお迎えして開いてきたセミナーも今年で5回目。
そろそろ「刈り取り」の時期を迎えつつあるのかなと今日のブログを読みながら感じました。
司馬遼太郎の小説は学生時代ほとんど読みましたね。
「花神」はテレビでは中村梅之助さんが村田蔵六を演じていたのを覚えています。
連続的に、しかもいろんな角度から勉強をしなければ、バランス感覚が悪くなると思っています。ですから、島根県でも連続して勉強できる機会を与えてもらっていることに感謝しています。
人との出会いは財産だと、ようやく、少しずつですが実感できるようになってきました。そんな風に自分の気持ちが変わってくると、出会える人も少しずつ変化してくるような、そんな気さえしています。今は出会った人が持っている情熱や思いから本当に多くの刺激をもらっています。その刺激を自分をつくっていくエネルギーに変え、行動していかなければいけないと思います。今はまだがむしゃらでいいのかもしれないと思っています。刈り取る時期がきたと実感できるときが来るのが楽しみです。
わたくしも6年前のお台場で鳥肌をたてた一人です。
わたくしの地元は「花神」で描かれた第二次長州征伐のときの大村益次郎が作戦を担当した石州口の戦いの激戦地です。
小説にも出てくる、村田蔵六が屋根に上がって渡河作戦を指揮した場所にある保育所様で来月第4回目の勉強会をお願いするのも何かのご縁でしょうか?
しかも、定期的勉強会の開催地が、松山と石見。
花神や坂の上の雲でも重要な繋がりがございますね?
たいへん興味深くブログを拝見いたしました。
いつもながら本当に感動します。種を蒔き育てて実る人と人との素晴らしいご縁と邂逅を噛み締めて生きる。まさにこれは藤森先生の真玉の言葉だと思いました。いつも言葉より背中で教えていただけることに深く感謝して自らの行動と実践で学び続けたいと思います。
どうしても書きたくなりました。ブログも有り難うございます。