伊丹

先日、松山市にある「伊丹十三記念館」へ連れて行ってもらいました。私は動物占いで「人気者のゾウ」ですが、「伊丹も同じゾウということで、どうですか?」と、動物占い認定講師の人から言われたのです。この建物は、中村好文氏の設計ですが、外壁に真っ黒に塗った杉板を使い、中庭をぐるりと囲むように真角に作られた箱型建築です。全体としては、同じ松山にある「坂の上の雲ミュージアム」に比べて、こじんまりとしていますが、こんな保育園があったらいいなあと思えるような建物です。
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 館内の展示は、十三の名にちなんで、13のコーナーにわけて伊丹十三を紹介しています。そこでは、少年時代、音楽愛好家、商業デザイナー、俳優、エッセイスト、イラストレーター、料理好き、乗り物マニア、テレビマン、猫好き、精神分析啓蒙家、CM作家、映画監督など、様々な顔を持つ伊丹十三の業績や人柄を辿るようになっています。京都生まれの伊丹十三記念館が、なぜ松山にあるかというと、高校時代を愛媛県松山市で過ごしているからです。ですから、松山名物の一六タルトのCMにも出演していました。しかし、彼の印象が松山と結びつくのは、彼の父親の映画監督の伊丹万作が松山出身だからかもしれません。伊丹万作は、挿絵画家から片岡千恵蔵プロダクションに助監督兼シナリオライターで入社します。息子に受け継がれている諷刺や諧謔を武器に様々な映画の監督をし、日本映画界随一の知性派といわれました。しかし、病臥し、その後はシナリオに専念します。この作品には、とても一生に残っている作品があります。そのひとつは、何度も映画化されていますが、その最初の作品で阪東妻三郎が主演した「無法松の一生」(43)です。
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 明治時代の北九州・小倉を舞台に繰り広げられる、人力車夫・富島松五郎の生き様と、陸軍大尉の未亡人とその息子との人間的な触れ合い、そして未亡人への秘められた思慕の情がみずみずしく描かれ、全体主義を映画は無言で批判しました。戦争一色の時代ゆえ、世の中でしたから、小さきものや弱きものへの愛情が、そのまま時代へのレジスタンスとなったこの作品は、何度も検閲によって、カットされています。もうひとつの作品は、この夏に妻と見た「手をつなぐ子等」(48)の脚本です。この映画は、知恵遅れで他の生徒にとけ込めない少年寛太が、ようやく親身に世話を焼いてくれる先生に巡り会うことができ、先生の指導で周囲の子供たちは寛太を優しく見守り、彼の友達として仲良く遊ぶようになりますが、金三という悪たれ坊主が転入してきて、寛太に何かと意地悪をしたりイジメたりするようになり、それらの児童を先生が、どう導いていくかという話です。この映画では先生が子供たちをすべて理解し、一段高いところから優しく厳しい眼差しを向けて熱心な指導をすることで、寛太は見違えるような成長ぶりを見せ、金三の固くいじけた心もほぐれていくというものですが、「子どもは見守っているだけではダメです。」という教育委員会の考えに対して、あくまでも子どもを信じ、見守っていくことで子ども自ら立ち直っていくという話は、出来すぎではなく、そんな姿勢は今でも必要だという思いを強くしました。そんな作品のシナリオを書いた伊丹万作の息子が伊丹十三で、娘は大江健三郎と結婚します。伊丹十三の出演作品も、年配者しか分からないでしょうが、「コメットさん」(九重佑三子主演)がお手伝いさんとして住み込んでいる家の父親役とか、NHK大河ドラマ「峠の群像」での吉良上野介もはまり役でした。彼の突然の投身自殺は、何かの糸が切れたのでしょうね。