学級編成

このブログで何回か紹介しましたが、先日の10月29日の朝日新聞に、「オランダで実践されている「イエナプラン教育」について考えるシンポジウム(朝日新聞社など後援)が11月、京都と東京で開かれる。現地から専門家を招き、自発的な学びを重視した取り組みを紹介する。」という記事が掲載されていました。東京で行われるシンポに私も少しの時間ですが、プレゼンテーションに対してのコメントと1,2の質問をすることになっています。このイエナプランの実践からはいろいろと学ぶところも多いのですが、学級編成にも特徴があります。日本における学級編成は、4月2日生まれから、翌年の4月1日生まれの子を同一学年として編成します。これは、一斉になにかを教えるような授業では、ほぼ発達が近い集団にということで便宜上そのように決めたものです。これが当たり前のように幼児教育の場でもその様なわけ方のよる集団編成にするところがほとんどです。しかし、このように生年月日による学級編成は、世界ではとても珍しいことです。たとえばフランスの母親学級では、子どもの発達に応じて、年齢ではなく段階として、子どもたちの成長を、2歳から小学校最終年までを3つのサイクルで考えています。就学前は1つ目のサイクル、5歳 から2年生までは2つ目のサイクル、3年生から5年生までは3つ目のサイ クルです。このようなわけ方は、英語圏での幼児教育でのインファントとかトドラーというようなわけ方に似ています。インファントという言葉は、言葉を話さない人という意味ですし、トドラーというのは、よちよち歩く人という意味です。すなわち、年齢ではなく、発達で分けるというやり方です。オランダのイエナプラン校の学級編成は、マルチエイジグループが基本です。通常、3つの年齢のグループ(4?6歳児グループ、6?9歳児グループ、9?12歳児グループ)から構成されます。子どもたちは、3年間を同じ教室の同じグループリーダーの下で年少・年中・年長の三つの立場を経験しながらすごし、それを繰り返しながら小学校を卒業するのです。つまり、一人の子どもは、低学年グループの年少、年長を経て、中学年グループの、年少、年中、年長を経、再び、高学年グループの年少、年中、年長を経験することができるのです。こうすることによって、家族の兄弟関係に似た、年齢差による立場の違いを体験できます。これを、イエナプランでは、将来、社会に出たときに相手の立場を理解して行動するための準備、と考えているからです。また、こうすることによって、同年齢学年性に起こりがちな、できる子・できない子の固定化を防ぎ、子どもの個性や真の意味のリーダーシップが生まれる、という利点も指摘しています。よく、園で3,4,5歳児を一緒に活動させると、3歳児は5歳児に強く出られて思うとおりに行動できないのではないかという心配をする人がいますが、実は、おなじ3歳児の集団の中で、力が強く、体の大きな人に強く出られて萎縮してしまうことのほうが多いのです。しかも、この力の上下関係は、学校を卒業するまで固定化してしまう可能性があります。いじめなども、主に同学年の中での力関係から起きることのほうが多いのです。3歳児の中で弱かった子も、4歳になると3歳児が入ってきますし、5歳になるとふたつ年下の3歳児が一緒になります。子どもは、様々な立場を経験し、自分を見つめるようになります。いま、教育界で問題になっているいじめ、落ちこぼれ、学級崩壊などは生年月日で機械的に学級編成をしていることに原因があることが多いのかもしれません。

岩木山

先週末、弘前に行ったときに、津軽地方に入るときれいな三角の山が見えました。この山が「岩木山」です。
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この岩木山は青森県弘前市および西津軽郡鰺ヶ沢町に位置する標高1625mの成層火山(コニーデ型)で、その円錐形の山の形から「津軽富士」と呼ばれています。山頂部は、岩木山・鳥海山・厳鬼山(岩鬼山)の3つの峰で形成され、全国ふるさと富士人気投票で第1位に輝いています。富士山同様、周りには山が見えず、突然、津軽平野に湧出したように聳え立っています。この山の魅力に取り付かれ、登山をする人が多いようですが、この山の登山にも悲しい歴史があります。この経緯が、田沢拓也著の「空と山のあいだ―岩木山遭難・大館鳳鳴高生の五日間」 (角川文庫)という小説に書かれています。昭和39年1月、青森県の岩木山で秋田県大館鳳鳴高校の山岳部員5人が遭難、連日の大がかりな捜索にもかかわらず、5人の行方はわからず、そのうち4人が死亡する事故が起きました。標高わずか1625メートルの単独峰の岩木山で一体、5人に何が起きていたのかということを、ただ一人の生還者の証言をもとに、地元の関係者、捜索隊、警察などの状況を丹念に取材し、猛吹雪のなかをさまよいながらも、最後までお互いをかばい合う5人の生と死の軌跡を悲劇の5日間として描き出している感動のノンフィクション小説です。この作品は、第8回開高健賞受賞しています。
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この青森の山岳遭難としては、八甲田山死の彷徨という世界山岳史上最大とも言われる山岳遭難事故があります。それを題材として新田次郎が山岳小説を執筆しています。この小説は映画化もされているので知っている人は多いでしょうが、日露戦争直前の1902年に、ロシアとの戦争に備えた寒冷地における戦闘の予行演習として、また陸奥湾沿いの青森から弘前への補給路をロシアの艦砲射撃によって破壊された場合を想定して、日本陸軍が八甲田山で行った雪中行軍の演習中に、参加部隊が記録的な寒波に由来する吹雪に遭遇し210名中199名が凍死した八甲田雪中行軍遭難事件を題材にした山岳小説です。しかし、ノンフィクション小説として扱われる事も多いのですが、実際には、事実を題材としながらも作者自身の解釈や創作が含まれるフィクションのようです。それに引き換え、「空と山のあいだ」という小説に書かれた岩木山遭難事故は本当にあった話です。当時、昭和31年5月の日本隊のマナスル初登頂の快挙に刺激され、わが国にも空前の大衆登山ブームが訪れました。そのために、38年1月には愛知大学山岳部員13名が北アルプスの薬師岳で遭難したのをはじめとして、昭和30年代後半に、山岳遭難が頻発しています。遭難の原因は高校生たちの経験不足,準備不足、未熟さによるものではあり、メンバーに本格的冬山経験者は誰もおらず、5人のメンバーにアイゼンは3足、ちょっとした集合時の行き違いから半日近い行動の遅れを生じたり、吹雪の中の下山早々、磁石を2つとも吹き飛ばされたり、冬山で焚火をする初歩的な技術さえもありませんでした。また、遭難が明らかになってからの対策本部の対応も非常にお粗末だったようです。冬山に熟知した地元山岳関係者たちの意見に耳を傾けず、二重遭難を恐れる余りのおざなりな捜索活動、所轄警察署間の軋轢があり、学校関係者も責任回避の言動に終始します。これは今もあまり変わりがないかもしれません。事故は起こるものですし、未然に防げないことが多いかもしれません。しかし、たぶんに人災的なことも関係してくるのですね。

優先席

昨日のテレビで、社会的責任度のテストとして「シルバーシートに座っていて、目の前にお年寄りが来たときに寝た振りをしたことがあるか」という質問がありました。確かに疲れているときなど座っていたいことがあります。しかし、私の年になると、ここに座っていると困ることがいくつかあります。まず、目の前に立った人が私より年上なのか、席を譲ってあげたほうがよい人なのか迷うことが多いからです。あるとき、電車で中年の女性グループの人たちが乗り込みました。そして、私が座っている周りを取り囲んで座ったので、私は席を譲ってあげたこところ、「ぼく、ありがとうね。」と、明らかに私より若いであろう女性から声をかけられて戸惑ってしまったことがありました。また、これから高い山に登りに行くであろう装備をした中年の女性が、必死に席を奪おうとしたところを見ると、登山でかなりハードな運動量をあえてしようとする人なのに、席に座ることを必死に求めるほど疲れているのだろうかと思ってしまいます。そんなことをあれこれ考えるのがいやなので、私は、よほどすいている時でなければ出来るだけ優先席には座らないようにしています。この優先席について、最近また話題になっています。このシルバーシートは、1973年の敬老の日、国鉄が首都圏の中央快速線の快速、特別快速電車にそのような座席を設置するにあたり、銀色の布地(新幹線普通車座席用の布地を転用したもの)を用いて座席を区別し、「シルバーシート」と名づけたことが始まりです。このことをきっかけに、高齢者を指すときに「シルバー」という言葉を使うようになったと言われています。このシートは、全国のJRおよび一部私鉄で使用されていましたが、1993年頃、京王電鉄がシルバーシートを「優先席」に改称し、1997年には、JR東日本も「優先席」に改称し、その後、関東地方の大手私鉄も順次シルバーシートを「優先席」に改称しています。このシートは、利用対象を高齢者や身体障害者以外にも、怪我人、妊婦、乳幼児連れなど、一時的に何らかのハンディキャップを持つ人に拡大するためです。そして、今は、心臓ペースメーカーなどを装着した人への配慮のため、この優先席付近では携帯電話の電源をオフにするように呼び掛けています。ペースメーカーに携帯電話からの電波を当て続けると、まれに作動が不安定になる事が実験で確かめられているからです。しかし、では、優先席でない席に座っているときに前にお年寄りが立っているときには譲らないかというと、そうではありません。前に妊婦や乳幼児連れなどにも席を譲ります。ということで、阪急東宝グループの阪急電鉄および能勢電鉄・神戸電鉄では、1999年4月1日より優先座席を廃止し、全車両の全座席が優先座席と同様に扱われるよう乗客のモラル向上を呼び掛けました。それは、実質的には区分のみを廃し、全座席を優先座席化するものです。これは優先座席を利用すべき対象者(高齢者・身体障害者・怪我人・妊婦・乳幼児連れなど)が事業者により設定された場所に追いやられる形は好ましくなく、本当に必要な人が間近の席でも利用できるように、との性善説にそった思考への転換によるものでした。それが、実施後8年が経過した今年、阪急電鉄は株主総会で「座席を譲ってもらえない」との意見が出たことをきっかけに再検討し、先日の10月29日から再び優先座席の区分を用いる方針へと転換しました。このニュースを聞いたときに、なぜか悲しい気持ちになりました。人への思いやりとは、そんなものだったのですかね。

ペーパーレス

 園では、毎日たくさんのごみが出ます。その多くは紙です。しかし、そのごみとしての紙は、子どもの作品や、子どもが使った残りの紙ではなく、事務的に使った紙が多い気がします。連絡事項、打ち合わせ事項、様々な案などにも使われています。しかし、最近、その文面は、手書きでのメモではなく、パソコンで作成したものがほとんどです。というのは、各クラスに1台ずつパソコンが用意され、園の中のどこでもインターネットが出来るように無線ランが組まれています。また、職員室のパソコンのなかに、すべてのパソコンの情報を保存できるようになっており、どのパソコンからでも見ることが出来るようになっています。ですから、私は「これから、話し合いのときは、原案などはパソコンで作っているのだから、それを紙に打ち出さないで、みんなパソコンを持ち寄って、その画面を見ながら会議をしたらどうか。そうすれば、紙のごみを出さなくなるのではないか。」と提案しています。何年か前に、コンピューターの発達によって紙の使用量が減ると言われた時代がありました。しかし実際には、いまだに、電子メール、電子商取引、そしてあらゆるオンライン上のテキストを、多くの人々はプリントアウトしているようです。総務省が出している日本統計年鑑をみると、国内で生産される印刷・情報用紙は、平成2(1990)年では年間921万8,000トン、平成12(2000)年には1,174万1,000トン、そして平成16(2004)年では1,137万2,000トンとなっています。ちなみに、国内で生産される紙の種別は、「新聞巻取紙」「印刷・情報用紙」「衛生用紙」「包装用紙」などですが、その中で、印刷・情報用紙は紙全体の約6割の生産量を占めるそうです。統計からは、オフィスの書類等で使われる印刷・情報用紙の生産量は平成12年をピークにして、ようやく増加傾向に歯止めがかかっているようですが、依然、紙は高水準で生産され続けています。なぜ、紙の量が減らないのでしょうか?IT化によって紙が減らせるのではないかと言われてきたのが、逆に、IT技術の発達は、同時に情報を爆発的に増加もさせており、情報バックアップのための印刷物を新たに生じさせているのです。情報の表示をパソコンモニターからよりも、印刷物のもつメリットが依然大きいままであり、紙の書類は根強く残っているのです。それは、紙に印刷された情報は、手軽に持ち運びが可能で、視読性に優れ、手書きのメモが書き込めるなどの優位性があり、そこまでパソコンを使いこなすことは出来ないからでしょう。いくらIT化が進んでも、やはりアナログのほうが使いやすいですね。しかし、簡単に折りたため、薄く軽量で、広げて読むことができる紙による本の世界が最近少し変わってきているように思います。電子ペーパー、もしくはペーパーライク・ディスプレーと呼ばれる電子デバイスの開発は急速に進展してきています。ペーパーレス化への取り組みは、地球環境のためにといった大義だけでなく、仕事の仕方の見直し、効率化、省力化、また、ビジネスマナー・ルールとしても意味を持ち始めています。IT技術は、人の生活を変えました。随分と便利になりました。朝、机に向かってまずする仕事は、今までは届けられた郵便物の封を開けることから始まりましたが、今は、メールをチャックすることから始まります。また、逆に、それによって失われたものも多くあります。また、メールになって、届く情報が増えて、見るのに多くの時間を費やすようになりました。もう一度、ペーパーレスということから、IT技術を考え直してもいいかもしれません。

主任セミナー

 先週、主任セミナーが開催されました。そのセミナーに定員60名のところ、83目に参加者が、全国から集まりました。組織には、様々な立場の人がおり、それぞれの役目があります。園には、よく主任という立場の人がいます。その言葉はなんだか中間管理職というイメージがありますが、園長という施設長という運営管理という仕事を、保育という現場につなげていくという役目をしているところが多いようです。ですから、現場の中ではリーダーであり、リーダーシップが必要とされます。私が、最近ある本で、「リーダーシップ」という項を受け持って原稿を書きました。どうもこういう項目は苦手です。もともとは私は、リーダーたるものは、人格を高めることが必要であると思っていますので、マニュアル的なものがないからです。しかし、原稿の中で「検討すべきポイント・視点」を整理してみました。そのリーダーは、本当は主任というよりは施設長であったり、理事長であったりしますが、副園長や主任という立場の人にも必要な事柄です。「園が、それぞれの施設の保育理念・保育目標等に基づき、園としての多様な機能を、組織体として果たすことが求められます。したがって、「組織として」というところにはリーダーが存在し、その役割が求められます。」それぞれの立場の人が絡み合って組織をつくっていきます。ですから、リーダーは必要ですが、「リーダーとは単なる肩書きではなく、リーダーとしての資質が必要になってきます。それがリーダーシップです。」リーダーは決して肩書き、地位ではないのです。リーダーとして何をするかが大切なのです。だからといって、「リーダーとしての資質が備わっていても、職員がそのリーダーについていかなければ意味がありません。また、ついていきたいと思うリーダーでなければ、その使命を全うすることは難しくなります。そのためにどんな資質が必要なのでしょうか。」ということが課題になります。よく、学校や園では、教諭や保育士だった人がリーダーになることがありますが、そうすると、どうしても経験がある分だけ自分でやったほうが早いとか、自分のほうがもっとよくできるとかと思うことが多いのですが、「リーダーは、自ら直接職務に携わることは少なく、職員を通してその使命を果たすことになります。複数の職員をいかにコーディネートすることができるかという資質も必要になってきます。」そのために、自分だけでなく、「リーダーは自らの質を高める努力とともに、直接子どもと関わる職員の質向上のための環境づくりもしていかなければなりません。それが、園としての質の向上につながるからです。」もちろん、リーダーはその組織のために存在するのですが、保育や教育という仕事は、必ずしも園のためにだけする仕事ではないのです。ですから、「時代は変化をしていきます。その時代をよく見つめ、広い視野の中から園の改革を行っていかなければなりません。その改革には、単にその園の存続の問題だけではなく、次世代を担う子どもたちの育成の視点が必要になってきます。使命としての認識を、私心を捨てて持つ必要があります。」このように考えると、園が公立であろうが私立であろうが、共に仕事はパブリックなものでなければならないのです。そのために「その職務の意義を自覚し、見識を高め、園を取り巻く社会情勢を踏まえ、その専門性の向上に努めなければならない。」のです。やはり、教育、保育という仕事を、「サービス」という言葉で表してはいけないのです。

意欲

 最近の学力調査で、基礎学力はまあまあでしたが、考える力がおとろえてきたことが問題になっていますが、それよりも取り組まなければならない問題は、今の子どもたちは、「主体的な活動」をしなくなり、「学ぶ意欲」が、世界の中でとても低いことです。数年前のPISAの学力調査の中で、日本の子どもの意欲が調査対象各国の中で最低だったそうです。物が豊富になると、そのものの有難さを感じなくなり、欲しいとか、何とか手に入れたいと思う気持ちは薄れてきます。また、もうすでに手に入れているので意欲がなくなるというだけではなく、欲しいものを手に入ることでよりよい生活なり、生きていく上でメリットを感じないという、あきらめに近い感情から意欲がないということもあります。どうせやってもというような「どうせ」という感情があって、意欲がない場合もあります。また、大人が先廻っていろいろと考え、欲しがるより先に与えようとしてしまうことで意欲がなくなるということもあります。フランスの0?2歳児の保育園の報告で、こんな内容がありました。「手を伸ばして何かを取ろうとして取れないときは、すっと近くに持っていってあげるということはするわけです。だけど、たぶんこの子は欲しいんだろうなと先回りして渡すことはしません。あくまでも、子どもが取ろうとする努力をしなければ手を出しません。してほしければ自分から言いなさい、主張しなさい、待っていても何もしてあげないわよっていうことを、結局は教えているわけです。」今年の6月30日、日教組のシンクタンク国民教育文化総合研究所の「学びの論理と文化」研究委員会が、中間報告をまとめました。そのなかで、「教員が教えてやり、子どもが学ばされる縦の関係が、学ぶ意欲の低下の背景にあり、今後は、子どもの「主体性」を育てることが重要」と強調しています。教える、教えられるという近代学校教育システムが、子どもたちの学びたい意欲に答えていないことに問題があるとしています。子どもに、学ばせるのではなく、教員も子どもと一緒に学ぶスタイルに転換していくことが必要などとして、学びのコミュニティーの再生を求めています。よく、外国語には「学ばせる」とか「育てる」という言葉はないと聞きます。「学び」とか、「育ち」は周りから「させる」ものではなく、自らの行動、発達なのです。ですから、意欲が大切になるのです。そして、意欲があると何とかしようとするために「工夫」が生まれてきます。昨年12月の四国新聞に評論家の芹沢俊介氏がこんな記事を書いていました。「教育は嫌いだ、というより怖い。どこが怖いかというと、教育は(させる)を基本としておりその姿勢が「個」としての私の存在をおびえさせるのだ。(させられる)のはごめんだ。」本来のエディケーションとは引き出すという意味が語源と聞きます。教えるとか、させるという意味ではないのが、堂勘違いしてきたのでしょうか。教育基本法が改正された条文を読んで、こんな感想も述べています。「これまでに比べ、内容に(させる)の比率がぐんと高くなっている。ますます子どもの「個」が圧迫されるであろうことが、いまから予測される。」「すくなくとも「教育を受ける」と受身性を反転することができるだろう。「教育を受ける」という記述には、「教育を与える」という姿勢が対応している。「与える・受ける」の関係は容易に「させる・させられる」の関係に移行する。教育には自己教育しかないと考える私にとって、教育は与えられるものではない。必要に応じて与えられた学習の機会を利用して、自ら身につけるものだ。」最後に「自律の精神は、主体的な学習を通じた自立によってのみ得られるものだ。」と結んでいます。しかし、その主体的な学習は、意欲がないと成り立たないですね。

1年生

昨日のブログで紹介した高谷一美さんの報告の中で、こんなこともありました。「新1年生の最初の仕事といったらなんだろうか?持ち物に名前を書くこと?それとも鉛筆を削ること?いえいえ、トルコではそれは、あらゆる教科書にブックカバーをつけること、だ。女の子用のバーニー人形模様、男の子用のヒーロー模様、それはそれはいろとりどりの包装紙が文房具売り場の中心にドカンと置かれて売られている。誕生日プレゼントを包装しようとするとき、なかなか包装紙が売っていなくて困ることがあるが、ここでは包装紙といえば教科書のブックカバー専用であるから、この時期しか売れない季節物の学校グッズであったのだ。とりあえずランドセル代わりの大きなリュックをおばあちゃんに買ってもらい、まるでかばんが歩いているような姿ながら、スクールバスに乗り込むようになった息子。しかし、実はうちの学校では文房具は一切いらなかった。これから先はどうなのか知らないが、9月3日から始まった新学期、今のところ教科書どころかノートも鉛筆もいらないので、彼の大きなかばんはいつもからっぽである。これもねだって買ってもらったブックカバー用の包装紙も出番がない。宿題用のプリント集も、スパイラルとじだったので、カバーなし。私立ではこういった文房具はすべて学校で共有するというシステムを導入するところも増えているらしい。」日本では、1年生になる前に親としてまずしなければならないことの大きな仕事は、すべての持ち物に名前を書くことです。今はどうかわかりませんが、かつて、1年生が「算数セット」を使っていましたので、その中に入っている小物一つ一つに名前を書くのは大変でした。特に、計算棒は、楊枝ほどの棒一本一本に名前を書くのはまさに職人芸です。また、かつてはシャープペンの使用は禁止で、鉛筆を使っていましたから上のほうを少し削って、そこに名前を書きました。私が、学校建築を研究するために少し小学校に勤めたときに、1年生を担任した最初は、ランドセルから教科書やノートを出して、机にしまうことを何度も練習しました。その作業の中でも、ある子が、下敷きがなくなったと大泣きをして困った経験があります。ただ、本の間に挟まっていただけでしたが、入学当初の1年生はそれほど緊張していたのでしょう。それにしても、あの重いランドセルを背負っての通学は1年生にとっては大変でしょうね。ランドセルの歴史は、古くは江戸時代にさかのぼるようです。幕末の日本に西洋式の軍隊制度が導入された際、布製の背のうも同時に輪入され、軍用に供されました。これが日本のランドセルの事初めのようです。明治時代になり、10年10月に開校した学習院は、8年後の明治18年になって生徒の馬車や人力車での通学を禁止するとともに、軍用の背のうに学用品類を詰めて通学させることになりました。この背のうがオランダ語で“ランセル”と呼ばれていたことから、やがて“ランドセル”という言葉が生まれ、それは通学用の背負いカバンを意味するようになり、それが現在に至るまで受け継がれています。これが現在の形でのランドセルのルーツです。当時のランドセルは今のリュックサックに近いものでしたが、現在のようなしっかりとした箱型ランドセルの誕生は早く、学習院で“ランセル”が採用された2年後の明治20年、時の内閣総理大臣、伊藤博文が大正天皇の学習院入学を祝して特注で作らせたものを献上したのがその始まりとされています。全国的にランドセル通学が普及し、日本の小学生にランドセルは欠かせないものとなったのは昭和30年代以降です。ほんの短い歴史しかなく、日本にしかないランドセルを持つことが、当たり前かのように思っているのは、なんだか変ですね。

入学

 年末が押し迫ってきましたというと、未だ少し早い気がしますが、年長児さんは、そろそろ1年生になることを意識し始めます。それは、1年生になると必要なものを買い揃え始めるからです。その中で代表的なものに二つあります。ひとつは勉強机で、もうひとつがランドセルです。これがなぜ今なのかというと、それらを祖父母がクリマスプレゼントなどで買い与えるケースが多いからです。そして、年が明けるころから次に気になり始めるのは、学習面です。文字を読めるようにしなければならないのでは、字を書けるようにする必要があるなのか、数を数えることはどうなのかなどです。このように小学校に入学するころの心配は、どの国でもあるようです。しかし、他の国の多くでは、上の文章の中で大きくちがうところがあります。ひとつは、「年が明けるころから」というところです。それは、ほとんどの人が知っていることですが、外国では、9月に新学期が始まることが多いということです。いつがよいのかはよく議論されることですが、今のところ日本では4月から年度が始まります。もうひとつ、意外と知られていない音があります。上の文章の中で、「年長児さんは」というところです。多くの国では、小学校入学は、「子どもの成長に合わせて早く入れたり遅く入れたりは流動的に許されるので、就学時期は親によってもいろいろある」というのが普通のようです。ドイツでも、就学時期は保護者が決められるので、年長さんが必ずしも次の年に小学校に入学するとは限りません。しかも、時期を早めようとするよりも、時期を遅らせようとする保護者が多いそうです。特にインテリといわれる保護者にそういう傾向があるようです。それは、まず、学校では、日本でいう「飛び級」と「落第」があるからです。みえなどで早く学校に入学しても、途中で落第をしてしまっては意味がありませんし、ドイツでは、4年生の成績で大体将来が決まってしまいます。大学まで行くか、専門学校か、職人かなどが決まってしまいますので、1年遅らせるのでしょう。あとは、大体どの国でもおなじような風景が展開されます。イスタンブール在住で、トルコ語通訳兼撮影コーディネーターである高谷一美さんが、特派員ブログでこう報告しています。「1年生なのだから、いろいろ文房具もいるだろう。8月の終わりから、スーパーやデパートではBACK TO SCHOOLフェアがいたるところで開かれる。トルコでは文房具は高い。だいたいトイレットペーパーが高いことでもわかるけれど、紙が高いから、教科書も問題集もノートも、質の割には本当に高いのだ。だから普段はあまり売れないのか、時期はずれには安いノート類を探すのに苦労することもある。今ならノートは、野菜と一緒にキロ単位ではかり売りだ。こんなに文房具やかばんなど学校グッズが安いものから高いものまで出そろうのは、このシーズンだけなのだ。」このトルコだけでなく、世界には様々な国があり、高価な高級な皮のランドセルが買えるのは一部の階層だけであることを知る必要があります。また、子どもに、赤ちゃんを含めて高級ブランドの服を着せるのも、日本人の特徴のように言われています。子どもを大切にすること、子どもに愛情を注ぐことはとても大切なことですが、それは高価なものを与えたり、手取り足取りすべて与えることではなく、本人がいろいろと工夫する余地を残しておくことも脳を活性化するために必要なことなのです。

言葉

 今日の読売新聞に「広辞苑」という国語辞書が10年ぶりに改訂されたというニュースが掲載されていました。今回で第6版だそうです。私が小学校に入学したころに第1版が発行され、家庭の必需品でした。茶の間に置かれ、テレビを見たり、家族で会話をしたりしたりする中で、解らない言葉があるとすぐにこの広辞苑で調べたものでした。そこに掲載されている言葉は、前回の版より1万項目増えて24万項目あるそうです。改訂するごとに顕著に増えてきているのがカタカナ語です。確かに、巷ではカタカナ語が多く使われるようになりましたし、外国でないとうまくニュアンスが伝わらない言葉も多くなりました。今回の改訂では,カタカナ語が新収項目の38%を占めるそうです。しかし、本来の外国語ではなく、いわゆる和製英語のように外国語を日本でアレンジしてできた言葉が増えたのも今回の特徴の一つです。ですから、気をつけないと、その言葉を外国に行って使っても通じません。たとえば、外国語の単語を日本で組み合わせて作った単語である「スケールメリット」「タッチキー」「チャイルドシート」「マイナスイメージ」などがあります。また、一見,本来の英語のように見えるものとして「バブリー」「プルサーマル」「プレゼンテーター」などがありますが、まったく日本人による新語です。もうひとつ、増えた単語の特徴がインターネットの急激な普及で使われるようになった言葉です。「インターネット」「ホームページ」「HTML」などは、前回の改訂で入りましたが、今回の改訂では、「検索エンジン」「SNS」「HTTP」「SSL」「ドメイン」などが収録されています。困る使われ方の言葉として、「なりすまし」「迷惑メール」「フィッシング」などもあります。携帯電話関係では、「着メロ」「顔文字」「ワンセグ」などが新たに収録されています。世相を反映したものとして、「メタボリック症候群」「うざい」などや、私がここで書いている「ブログ」も今回入りました。そのほかに主なものとして「癒(いや)し系」「クレーマー」「ニート」「敵対的企業買収」「京都議定書」このように、改訂されるたびに収録されてきた言葉を見ると、時代がよくわかります。それは、言葉の意味や使い方は不変ではないからです。しかし、その変化を言葉の乱れと感じるか、時代の変化とするかは難しいところです。この嘆きは、「近ごろの言葉遣いは聞き苦しい」と『枕草子』にも『徒然草』にも見られます。また、同様に生活様式や価値観が変わることで、その意味が変わっていくものにことわざがあります。たとえば、「犬も歩けば棒に当たる」ということわざも、広辞苑では二通りの解釈が書かれています。ひとつは、「自分のよく知っている世界から外に出ないことが生きていく上での知恵である」という解釈と、最近の解釈である「新しいことを試みる積極性に価値を認める」という内容です。この広辞苑の第1版は、1955年5月25日に刊行されました。その基になるものとして新村出氏が「普遍的にしてかつ軽便な中型国語辞書」として編纂され、1935年(昭和10)に博文館から刊行された「辞苑」があります。これを全面的に改訂・増補して作られた「広辞苑」は、当初、百科事典を兼ねた20万語収載の国語辞典として、装丁を洋画家安井曾太郎氏の手により発刊されたのです。この初版以来の累計部数は,1100万部になり、積み上げると880キロメートル、成層圏を遥かに超えて大気の極端に薄くなった場所に届き、東海道線・山陽線の線路に並べていくと,東京から広島までの距離になるそうです。この広辞苑は、解らない言葉を調べるだけでなく、百科事典のように暇なときに開いて読んだりもしますが、もし、毎日1ページずつ読もうとすると,8年以上かかることになります。人は、そんな言葉を一部にしても自由に使いこなしているのですね。

あかりの問題

 昨日は「あかりの日」でしたが、「電気の日」は3月25日です。この日は、1878年に日本で最初にアーク灯がともった日です。1821年に発明されたアーク灯も火を使わないあかりでしたが、点灯するのに技術が必要な上、電極の消耗が激しいので絶えず電極間の距離を調整してやる必要がありました。そこで、エジソンが白熱電球を発明したのです。この電球の寿命を長く持たせることで、フィラメントの素材として何がよいかが、その後の課題になります。エジソンが考えたもっとも長く持つものは、偉人伝に出てきますが、日本京都産の「竹」でした。ちょうどそのころ、その頃、日本の東芝もフィラメントの材料を探していたらしいのですが、エジソンが京都産の竹を使ったと聞き、こんな身近にあったとして「灯台もと暗し」とショックになったと聞いています。この東芝は、昔テレビのNHKで放送されたことがあり、私の大好きな番組のひとつであったカラクリ儀右衛門(田中久重)の会社(当時は東京電気)ですが、エジソンが作った会社(現在のGE(General Electric)社)と独自に開発してきた白熱電球に関する技術を持った東芝が提携して得られた技術をもとに安定した電球を製造、これに「マツダ・ランプ」の名前を付けます。この「マツダ」は人の苗字ではなく、ゾロアスター教の神「アフラ・マヅダ」からとられたものです。この東芝はこのマツダランプに改良を加え、1925年電球の内面にツヤ消しを施したまぶしくない電球を開発、これが現在の電球の基本です。そして、電球と勢力を2分する蛍光灯がGE社のノイマンにより1938年に発明されました。蛍光灯はエネルギーの光への転換効率が良いのが長所で、白熱電球に比べてずっと小さい電力で同量の光を出すことができます。しかし放電により発光させているため、単位の光のチラツキが出るため、長時間作業をすると目を悪くするという深刻な問題がありました。これを改良したのがインバーターです。次の問題は、電球や蛍光灯もだいたい半年あるいは2?3年の寿命です。切れないことを前提にしたあかりが一部で使われ始めています。それがLED(light Emitting Diode)です。次の問題は、「あかり」の地球環境にもたらす影響と、人間の体にもたらす影響です。地球環境の問題は、太陽や月や星からとっていたあかりを、人工的に作るとなると廃棄物や、排気ガスなどの問題も出てきます。もうひとつ、体への影響を、昨日12日付の専門誌「ネイチャー・ジェネティクス」電子版に理化学研究所などの研究チームが発表しました。それは、「真夜中に光を浴びると眠れなくなるのは、細胞に組み込まれている体内時計が光の刺激でバラバラになり、機能停止に陥るのが原因である」というものです。この内容は、すでにブログでも書きましたが、「正常なら細胞群は朝方光り、夜は消えるはずだが、真夜中に光を当てると、朝の発光が少なくなり、体内時計の働きが弱まった。真夜中に光を3時間続けて当てると、体内時計の機能の一部が停止し、個々の細胞がバラバラに光るようになった。」という実験結果です。テレビで、真夜中にコンビニに行ったり、テレビを見たりすると、体内時計のリズムが狂ってしまい、さまざまな体や脳への障害が出てくる可能性が高くなったとコメントしていました。以前から、「寝る前にテレビや蛍光灯の光が目に入っていると、交感神経が優位になり、スムーズに睡眠に移行できません。寝る1時間前にはテレビを消して、照明も暗くして、リラックスするようにすると、メラトニンというホルモンが分泌され、自然と眠くなります」と助言されています。