鳥瞰型教育学

 子どもたちはいつも水平に物を見ていることが多いようです。それは、背が低いということが主な原因だと思うのですが、それだけでなく、思考的にも物事を水平に見ることをするようです。そこで、日常的な体験として、見下ろす体験とか、物を鳥瞰的に見る体験をすることで脳のシナプスが増えるということを以前のブログで書きました。鳥瞰的というのは、その字の通りに「瞰」は見おろす意から、鳥が上空から見おろすように全体を広く見渡すさまのことを言い、その意味のままでなく、全体を見渡すことにも使います。たとえば、「世界情勢全体を鳥瞰する」とか、「学界の現況を鳥瞰的に論ずる」とかというように使われます。このようなものの見方をすることが、さまざまな分野でも必要とされています。そして、そのようなものの見方ができるということは、今までの認知的な学問だけでなく、予想するとか、あらゆるところから総合的に判断するとか、先を見る力とかが必要になってきます。そういう意味で、最近特に注目されているのが「環境」への取り組みです。9月19日のEcolomyでは、国際連合大学副学長、東京大学名誉教授の安井至氏が、「企業や国の存続に不可欠な『鳥瞰型環境学』」ということを述べています。環境問題で、この視点が必要なのは、環境問題は、非常に多岐に及んでおり、これらの問題を個々の問題として取り扱うことも勿論必要ですが、それだけでは十分でなく、多様な複数のリスクを鳥瞰的な視点で見る「鳥瞰型環境学」が必要なのです。たとえば、彼は、「身近な水の環境問題を鳥瞰的な視点から考える」と称して、こういっています。「水というものは、ヒトどころか地球上のあらゆる生命にとって生存の必須要素であるが、「身近な水」を考えるとき、健康・安全のためにミネラルウォーターを飲めば良い、といった観点では、余りにも近視眼的である。将来、日本にも水不足が来るかもしれない、といった危険性や、温暖化が進行することによって一瞬の洪水で命を落とす可能性もある、といった理解も必要である。」このように、物事を一面的に見るのではなく、もっと立体的に見る必要があるということです。「鳥瞰的に見るという問題意識は何か。それは、人類という集合体が地球上でできるだけ長期間、健全に生存すること、という見方である。これは、個々人がどれほど長期間安全に生存するか、ということと50%ぐらいは同義なのだが、50%ぐらいは違う。なぜならば、個々人には、生命というものの本質として、寿命というものがあり、個々人を長期間生存させることだけを目標とすると、人類といった集合体の健全性が損なわれる可能性があるからである。集合体としての人類の生存リスクとは何か。例えば、集合体としての日本人の生存リスクとは何か。もちろん、個々人の生存リスクがその基礎である。しかし、集団としてのリスクを考慮するということは、個々人のリスクだけを考えることとは若干違う。何が違うのか。こんなリスクを定量的に考えることが、鳥瞰型環境学というものの1つのアプローチである。」私は、保育、教育問題というのは、環境問題同様にやはり、鳥瞰的に考える必要があると思います。それは、教育問題は、集団的リスクの問題だからです。ある個人が、勉強ができるようになるとか、どの自治体の成績がよくなるとかの問題ではないはずです。そして、その問題にはさまざまな要因が絡んできています。ですから、「鳥瞰型教育学」が必要だと思うのですが。

鳥瞰型教育学” への3件のコメント

  1.  物事を上から見下ろすこと、鳥瞰的に見ることによって脳のシナプスが増えるのは初耳です。そう考えると、子どもを高く抱き上げるのは良い行動なんですね。しかし、体力の限界はありますが・・・。
     問題を解決するには、その問題の中心だけを考えて解決するのではなく、色々な視点から見て考える必要があるのですね。「鳥瞰型教育学」は必要な教育学だというのは確かにそうだと思いましたが、その教育学お教えるにはどのようにして指導すれば良いのでしょうか。普段から物事を見る前に、水平で見るのではなく、鳥瞰的に立体的に見ることを癖にさせればいいのですかね?

  2. 今日のブログで紹介された「鳥瞰型環境学」ということには興味をそそられます。確かに「水問題」といっても様々な要素と連関します。教育を「鳥瞰」的に取り上げる「鳥瞰型教育学」というのもおもしろい、と思いました。教育は、藤森先生ご指摘の通り、すべからく「集団的リスク問題」だと思います。ところが現在日本で行われている教育は「個人」のために限定されているような気がします。鳥瞰的に観た時、すべては立体化して把握されるはずですから、その教育の影響を受ける個々人の集合体であるところの「集団」が問題視されるのでは、と考えます。「鳥瞰型教育学」はまさに私たち日本の教育界に必要です。こうした教育学が主流になれば「教育環境」、すなわち教育における人的物的空間的環境の重要性がクローズアップされてくると思います。平面的世界が充満しているので立体的鳥瞰的にモノゴトを考えず、結局「環境」の真の意味がわからないまま薄っぺらな教育が行われているのがわが国の現状かと自虐観に捕らわれてしまいます。

  3. 鳥瞰的に物事を見る習慣をつけることで、問題の捉え方が変わるように思います。どんなことにおいても必要なことだと思います。個人がよければ、ある集団の問題が解決すれば、といった考えではなく、広く立体的に見ることで様々な分野の問題が関係ある問題へと変わってきます。そして全てが関係のあることに変わると思います。この世の中に関係のないことなどないと考えると、問題に直面したとき鳥瞰的に見なければ、本当の意味で前に進んでいく道をみつけられないように思います。

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