先日の新聞に「中学で武道必修化へ 中教審体育部会 「伝統文化」重視で」という記事が掲載されていました。これは、中学校の体育で選択制の武道を必修化する方針を決めたというようです。それは、礼儀や公正な態度など、日本の伝統文化に触れる機会を広げるのが狙いです。武道というのは、柔道と剣道、相撲の3種目が指導要領に明記されています。次の日の産経新聞の「主張」には、そのことについて「青少年の間に武道が根付いて、しっかりと根を張るならば、礼節を重んじる日本の国柄の再生に寄与するところは決して小さくないはずだ。」と書かれています。この記事について、考えてしまうのが、今日「山下氏、国際柔連理事選で大敗 執行部から日本人消える」という記事です。これは、国際柔道連盟(IJF)の総会で、教育コーチング理事選挙で再選を目指した現職の山下泰裕・全日本柔道連盟理事が落選し、IJF理事11人の中に日本人が一人もいなくなったということのようです。しかも、理事の座を競ったアルジェリアのモハメド・メリジャ候補に61―123の大差で敗れたのです。そうなると、今後、カラー柔道着や「ゴールデンスコア方式」導入など、欧州主導のルール改正などの傾向が加速しそうだと憂えています。しかし、会長のビゼール氏は「『一本』など、日本語の競技用語を変えるつもりはない」としつつ「観客に分かりやすいようにルールを変える」と明言し、「日本の考えは世界の考えと平行線だ」とも強調しました。私は、このニュースを聞いてまず思い出すのが、東京オリンピックの柔道無差別級決勝戦で、アントン・ヘーシンクに袈裟固めで神永昭夫が破れた瞬間です。私は、中学生でしたが、柔道は日本の競技であり、日本人が勝って当たり前だという認識がありました。他の階級では、思っていたように日本人が金メダルを取ってきたのですが、最後の試合で日本が敗れたのです。これが、日本柔道、日本武道の一大転機だったのです。そのとき「柔道」が「JUDO」になったともいわれています。それなのに、いまだに柔道は、日本の武道だと思っているようです。今回理事を落選した山下氏にしても、文藝春秋の2006年5月特別号で、こんなことを言っています。「このところ私は、国際柔道連盟の仕事などで、年間100日ぐらいは日本を離れて世界を歩いている。外国人との交流も多いが、彼らと話せば話すほど、「日本は世界の人に正しく理解されていないのではないか」という気持ちを抱いてしまう。日本のことをもっと知ってほしい。そのために私は、柔道を通して国際交流を進めてきた。柔道では 「レイ(礼)」、「ハジメ(始め)」、「ヒキワケ(引き分け)」など、試合はすべて日本語で進められる。外国人は最初、まったく意味が理解できないだろうが、柔道を続けていくうちに、次第に言葉の意味に興味が出てくる。そこから更に日本語そのものや日本文化に興味を抱く人も少なくないという。」日本人は、よく日本文化について、「外国人には理解されない」とか「日本人こそ礼を重んじる」とかいいます。今回の武道中学校必修にしても、「礼節を重んじる日本の国柄の再生」というように、礼節は日本人だけの特質かのように思っています。しかし、そんなことを思っているうちに、外国での評価は、日本が大切にしてきてものが、かえって日本人のものではなくなってきているようです。もっと世界に目を向け、世界での動向をきちんと見ていかないと、気がつくと、世界から日本が取り残されてしまっているということになってしまいかねません。
「ゆとり」教育がおおむね否定され代わりに「授業時数」が増えた、というニュースを知った時には、相変わらず「質より量」なんだな、とわが国教育界の、どーしようもない実態にがっかりしたものでした。もっともこの「授業時数」増加問題は百歩譲って妥協しても、今日のブログで紹介されていた「武道」の「必修化」には唖然としました。柔道、剣道、相撲の「選択性」にも困り果てた経験をもつ私としては「必修化」とは、何をかいわんや、言語道断ツツジの心境です。おそらく我が子がその年齢になる頃には武道それ自体が他の教科との「選択性」になっているのでしょうが、これから「武道」を「必修化」されて嫌々ながら単位のために取り組まなければならない学生諸君のことを思うと、嫌なものを無理にやらされては「礼節」もへったくれもないような気がします。日本を嫌いな日本人をますます増やすだけだと私は思います。やれやれ。
武道を必修化にすることによって、中学生の中でしかっりと根を張れば礼節を重んじる事は少しは出来るかもしれまんせが、根が張るのにはどれくらいの時間がかかるのか気になります。
礼節を日本人だけの特質というのは違うような気がします。武道に限らず対人競技のスポーツの試合が始まる前には必ず選手同士が礼をしてから始まります。なので「礼節」というのは世界共通したものではないかな?と思います。
礼節は武道を通してのみ身につくものではないと思うので、武道中学校必修については「?」という思いです。これを決めた人たちは、どこまで現在の教育の状況を客観的に把握しているんでしょうか。武道をするにしても教える側が武道の心を掴んでいなければ「礼節」は子どもたちには伝わらないでしょう。何よりも怖いのは、これが上手くいかなければ「武道必修はやめて次のこと」という風に次々と教育が変わってしまうことです。世界に取り残されない、しっかりとした教育の軸を作ってもらいたいと思います。