数日前のブログで、怪談について書いていたときに、今の若い人たちは「四谷怪談」とか「番町皿屋敷」など三大怪談といわれている物語を知っているだろうかという疑問を持ちました。私の歳でも、それらの話はいわゆるライブで知っているわけではありません。また、テレビや映画などで再放送するとか、リメイクされた映画も見たとかで知っているわけではありません。知ったのは、親からの話などで伝承されてきたというイメージがあります。他にさしたる娯楽がなかったこともありますが、親の話に聞き入ったものでした。今の若い人が知らないということは、私たちの世代が伝承を途絶えさせたということになります。しかし、だからといって若い人がそれに興味を持つとは限りませんし、伝承する意味もないのかもしれません。伝承が途切れそうな同じような話に、いわゆる昔のメロドラマといわれているものがあります。たとえば、「君の名は」などです。この話は、リメイクされているので、知っている人もいるかもしれません。同じように、最近、ちょっと設定を変えて、松本清張の推理ものの「黒皮の手帳」とか「けものみち」などがリメイクされてはやりました。古いところで、菊池寛の小説の「真珠夫人」なども話題を呼びました。ストーリーが、現代にも通じるものがあるとか、逆にノスタルジー的なものがあったりするからでしょうが、もうひとつ、それらの話を知っていると、いろいろなところに出かけるときに、「ああ、これがそうか!」とか納得することがあります。また、持っている知識が、思わぬところで結びついたり、そこで知ったことを深めることがあります。日本最古の温泉地である別所温泉に行った時に、北向き観音に行ってみました。
通常、寺院は南に向いているのですが、この寺院は北に向いていることから北向観音と呼ばれています。どうして北を向いているのかというと、善光寺と向き合っているからとされ、「裏善光寺」と呼ばれることもあります。善光寺が来世の利益、北向観音が現世の利益をもたらすということで善光寺のみの参拝では「片参り」になってしまうと言われています。愛染堂の近くに当地方では稀にみる大きなカツラの木があります。この木は、樹高22m、目通り5.5m、枝張り14mで、見上げてみていると圧倒されそうです。
この木は、北向厄除観音の霊木とされていますが、そこの立て札には、こう書かれています。「樹齢1200年の老木で、境内にある愛染堂とこのカツラの木にちなんで川口松太郎が名作「愛染かつら」を書かれたことはあまりにも有名です。若い人たちからは、縁結びの霊木として親しまれている」こう書かれていても「愛染かつら」とは何かを知っている人は少なくなっているでしょうね。ただ、松竹映画「愛染かつら」の主題歌である「旅の夜風」は知っているでしょう。作詞・西條八十、作曲・万城目正、霧島昇とミス・コロムビアが歌い、嵐のような勢いで当時ヒットしました。1番の歌詞は、「花も嵐も 踏み越えて 行くが男の 生きる途 泣いてくれるな ほろほろ鳥よ 月の比叡を 独り行く」というものです。原作は川口松太郎が「婦人倶楽部」に連載した小説です。当時のお決まりである「すれ違い」で、読者ははらはらしたものですが、今は、携帯電話で連絡を取りあえばすむので、イライラするでしょうね。1番の歌詞は、主人公の津村浩三が愛人の看護婦高石かつ枝と別れて京都へ行ったときの心境を花も嵐も踏み越えて雄々しく生きる男の人生にたとえてはみたものの、寂しい心情は隠し切れない思いを西條八十は、哀しい声を鳥の声にしようと「ほろほろ鳥」を出したのですが、京都には「ほろほろ鳥」がいないという物議をかもしたものです。
最近は娯楽がちょっと多すぎる気がします。娯楽が産業になり、より刺激的になったため、昔からの文化を伝承するような娯楽では物足りなく感じてしまうのは仕方がないことだと思います。でもそういった刺激に負けて伝えるべきものが途絶えてしまうのはよくないと思うので、意味を知ることや選び取ることをするために、伝承されてきたものにスポットをあてることも大事なことではないかと思っています。
今日紹介されているメロドラマの類についてはほとんど知識がありません。完全に伝承が途切れてしまっています。知らないことがまだまだたくさんあることを知らされました。でも知らないことが多いということは、知ったときの喜びを味わう可能性が残されているということで、そう考えると知らないのもいいもんだと思うようにします。
別所温泉と北向観音については何かで読んだことがあり、行ってみたいと思っておりましたが「裏善光寺」とは知りませんでした。なるほどお寺が北向きというのは珍しいですね。さて「愛染かつら」についてはあまり馴染みがない、というよりほとんど知りません。但し、今日のブログで紹介されていて「♪花も嵐も・・・♪」は聞き知っていましたが、それと北向観音の「愛染かつら」とは一致せず、何故か清朝最後の皇帝の家「愛新覚羅」家と混同していて・・・いけませんね、誤解もいいところです。ところで「旅の夜風」の詩はいいですね。流石、西条八十氏。「泣いてくれるな」とくれば「ほろほろ鳥」と来ることに自然さを感じます。京都にいるかいないか、を詮索するのはちょいと野暮という感を否めません。