プラモデル

 来年は国産プラモデル50周年だそうです。マルサンという会社が、プラスチック製玩具の研究を行い、日本最初のプラモデルを1958(昭和33年)年12月に発売して全国流通させました。ということで来年50年目に当たるのです。私も、子どものころプラモデルに凝ったことがありました。プラモデルは玩具の一種ですが、女の子はあまり夢中になった時期はないかもしれませんが、男の子は夢中になったものです。正式には「プラスチックモデルキット」と言いますが、プラスチック製の模型などを指定商品として、日本プラモデル工業協同組合が所有する登録商標であり、プラスチックモデルという普通名称の略称ではなく、和製英語です。もともとは、日本で始めて売り出したマルサンが翌年に商標登録したために、他のメーカーは「プラ模型」「プラキット」などといわなければなりませんでした。その後、商標権はマルサン倒産(1968年)に際し大手問屋の三ツ星商店に売却され、1975年日本プラスチックモデル工業協同組合に移譲されたのです。今は、各社自由に使ってかまわないことになっています。キットと呼ばれる組み立てることができるプラスチックの部品と、組み立て説明書とを紙箱に詰めたセット状態で売られていることがほとんどでしたが、小型のものの場合は、ブリスターパックやビニール袋に入れて売られている場合もありました。呼び方も、プラモデルというのを略して、「プラモ」と呼ばれることもありました。もともとは、1936年にイギリスのフロッグというライトプレーンメーカーが発売したのが始まりと言われています。シリーズ名はペンギンでイギリスの戦闘機や爆撃機が1/72スケールで発売されました。なぜ、ペンギンと呼ばれたかというと、それまでの飛行機の模型は、ゴム動力で飛びましたが、このプラモデルの飛行機は、飛ぶことが出来ないために、鳥なのに飛ばないペンギンと呼ばれたのです。そして、第二次世界大戦後、アメリカでブームとなりました。イギリスでは、飛行機中心でしたが、アメリカでは艦船や自動車もプラモデル化されました。そのころ、日本では、ブリキや木材やセルロイドでできていた玩具や模型でした。とくに、模型は加工しやすく強度もある木材が主構成材でした。その模型は、日本軍の戦闘機を中心とした航空機が人気でした。しかし、戦時中、天然素材に依存していたゴムが不足し、ゴムを動力源にして動くタイプの模型は作れなくなりました。また、戦後の1954年、ニューヨーク市消防局が日本製のセルロイド製玩具は発火性が高く危険と声明を出したため、市場からセルロイドが姿を消します。当時のマルサンはセルロイド製玩具、光学玩具、ブリキ玩具を主力商品として扱っていた会社でしたが、プラスチック製玩具の研究を行い、それに乗り換えたのです。そのころ、私が夢中になったプラモデルは、「戦艦大和」はじめ、様々な戦艦や、戦闘機が多かったような気がします。それは、それが戦艦というよりも、細かいパーツがたくさんあり、その出来上がりがとても美しかったからです。それが次第に、金閣寺とか、姫路城とか建物の美しさに惹かれるようになり、面白いものとしては、ドラムセットとか、机の上の装飾的なものになってきました。私が、模型に興味を失ったころ、1980年(昭和55年)、バンダイよりガンダムのプラモデル(以降ガンプラ)が発売されると、それは大人気となり、出荷後すぐに店頭から消えるという慢性的な品薄状態となりました。まさしく、模型業界において1980年代はリアルロボットアニメとそのキャラクターモデル発展の時代でした。それに反して、実物の縮小物の模型は姿を消していったのです。私は、やはり模型は、その実物をよく知るために、その縮小されたものを忠実に再現することによって、そのものの理解を深めるためのもののような気がしますが、古いのですかね。

アンテナショップ

 よく、東京の人は東京タワーには登ったことがないといいます。それぞれの地域には、それぞれの観光名所がありますが、意外とその地域の人はそこを訪れる事が少ないようです。私がある地域を訪れるときに、時間があったら行きたい場所を調べていくことがあり、「どこか、行きたい所がありますか?」と聞かれて答えると、その地域の人が知らないことがあります。また、食べるものでも、その地域の名産品は、その地域の人でも知らないことがあります。私も、東京名物「東京ばなな」は食べたことはありませんでした。そこで、地方から見えた方にリクエストをして、一度買ってきてもらったことがありました。逆に、自分の出身地でよく食べていたものを無性に食べたくなることがあります。ドイツに行っていると、意外とラーメンとか、焼きソバが食べたくなります。寿司とかは最近どこでもあるのですが、おいしいラーメンは日本しかない気がします。夏にドイツから高校生が来ていたときに、いろいろなところに食べに連れて行ったのですが、余り食欲がありませんでした。ふと気がついて、最後の晩にドイツ料理に連れて行ったところ、喜んでたくさん食べていました。日本に来たからといって、気を使って日本独特ものや、日本らしい食べ物のところばかり連れて行かれていたようです。そんなことで、それぞれの地域の特産品を紹介したり、また、ふるさとの味を楽しんだりするために各地に、各地のアンテナショップがあります。特に、東京には、全国のアンテナショップが人が多く集まるいい場所に作られています。今週の「メトロガイド」では、その特集が組まれていました。そこに掲載されている特産品を、その地域の人は知っているでしょうか。たとえば、「いわて銀河プラザ」(銀座)では、「田老かりんとう」「盛岡冷麺」「金のヨーグルト」「じゃじゃ麺肉味噌付き」が紹介されています。「かごしま遊楽館」(有楽町)では、「いも焼酎」「もろみ酢紫いも」「さつまいも天」が紹介され、併設のレストランでは、「黒豚しゃぶコース」が食べられます。「いきいき富山館」(有楽町)では、「ます寿司」「ビアンコ・マンジャーレ」です。「銀座わしたショップ」(銀座)では、「仕次ぎの酒」「あぐーの餃子」、「滋賀県東京観光物産情報センター」(有楽町)では、「ひこにゃんぬいぐるみ」「鮎のやわらか煮」、「表参道・新潟館ネオパス」(神宮前)では、「栃尾の油揚げ」「魚沼かぐら辛っ子」「梅エキス」「純米吟醸八海山」「笹団子」で、レストランで、新潟産コシヒカリや、栃尾の油揚げ2種が食べられます。「サテライトショップふくしま」(上野)では、「桃ジュース」「会津磐梯ハスカップ」、「越前・若狭の特産館ふくい南青山291」では、「地酒」、「日本橋島根館」(日本橋)では、「セミドライ干いちじくたきのささやき」「松江地ビールビアへるん」「出西生姜」「頑固親父のこだわりキムチ」「葉楽koto特選Green Tea」で、レストランでは、「桶盛り海鮮がいな丼」が食べられます。「広島ゆめてらす」(新宿)では、「ふるさとレモン」「尾道佃煮特上しそ昆布」「かき炭火焼」で、レストランでは、「ピリ辛つけめん」が食べられます。「新宿みやざき館KONNE」(新宿)では、「東国原」(いも焼酎)「日向夏ドレッシング」「赤どりプレミアム」「ひや汁」で、「チキン南蛮」が食べられます。「香川・愛媛せとうち旬菜館」では、「まめや高瀬緑茶ケーキ」「御栗タルト」で、「おいでませ山口館では、「ふくの白雪づくり」「うに伝説」です。まだまだあるのですが、逆輸入ではありませんが、私も「東京愛らんど」にある「赤イカ塩辛」「ラム酒」や多摩酪農家発の「東京牛乳」などは一度も食したことはありません。

猿と幼児

 今日の朝日新聞に、とても興味深い記事が掲載されていました。そのタイトルは、「問題解決法のまね、2歳児が猿に圧勝 独・研究所が調査」というものです。この調査を行ったのは、独マックス・プランク研究所というところです。マックス・プランク研究所とはマックス・プランク協会が維持・運営するドイツを代表する学術研究機関の冠名称です。戦前のカイザー・ヴィルヘルム協会の後継機関ですが、このころは、米国亡命する前のアインシュタインがベルリン・カイザー・ヴィルヘルム化学・物理学研究所の所長を務めていたことでも有名です。最近、ドイツの幼児教育者がよく子どもの発達を言うときに脳にとってどうなのかをいうことがありますが、どうも、この研究所の研究からの報告のようです。今回の調査も、「人と類人猿の知能の差はどこにあるのか――。」ということで、これまでになく大規模で多様な知能テストを実施して、幼児と類人猿を比べたようです。その結果、ほとんど差がない分野も多かったのですが、人のまねをして問題を解決するといった社会的な学習能力では、幼児が類人猿を圧倒したということです。その調査結果の論文が、米科学誌サイエンスに掲載されました。どんな結果かというと、「2歳半の幼児105人、3?21歳のチンパンジー106頭とオランウータン32頭を対象に、多数の課題で知能テストをしたところ、三つのコップのうち二つに食べ物を入れてコップを選ばせるなどして調べた空間記憶や、数量や因果関係に関する認知能力では、幼児とチンパンジーの成績はほぼ同じでした。また、オランウータンも空間記憶と因果関係の認知能力では劣ったのですが、数量に関する認知能力では幼児と差がありませんでした。ところが、プラスチックチューブの中身を出すところを見せると、幼児は上手にまねするが、類人猿はチューブをかんで壊そうとした。問題解決法のまね、他者の意図の理解など、社会的な学習能力は幼児の方が圧倒的に高かったのです。」今までも、少数を比べて「チンパンジーは幼児並みの知能」などとする研究はこれまでもありましたが、これだけ大規模な比較は初めてだそうです。「人の脳は能力全般が高くなったのではなく、社会的な学習能力が突出して進化し、文化的適応が可能になったとする説を支持する結果だ。」この結果では、私は、記憶や因果関係などの認知的な作用は、脳の後頭葉が主につかさどっており、その後頭葉は、チンパンジーなどの動物でも持っていますが、社会的な学習、他者を理解する力などの人とかかわる力をつかさどっている前頭葉は、人間しか持っていません。ですから、たとえ2歳児であろうが、類人猿とその能力に差が出るのは当然だといえます。この研究所は、2004年にも動物と人間の能力の比較をしています。それは、「犬は基礎的な言語能力を備えている」というものです。犬が「お座り」や「お手」、その他いくつかの言葉を理解することは私たちも経験的に分かります。いったいどれくらいの言語能力を持っているのかをこの研究所で調べた結果、何と、ものにはすべて名前があることを理解したうえで、200種類もの名前を記憶したそうです。3歳の幼児と同じ程度とのこと。そのときに、松井智子・国際基督教大学準教授(言語学)は「幼児の方が語彙が圧倒的に多いなど、人との差は大きいが、犬にも高い言語能力があると示した点で面白い」と話していますが、やはり、物を覚える後頭葉は、犬も持っています。これからは、人間らしさを発揮するためには、物を覚えるというよりも、問題解決、他者の意図の理解など、社会的な学習能力が必要になってきます。

ニュートンとシーラカンス

 今日、昼食を食べにラーメン屋に入ったときです。そこにおいてあった雑誌が「ニュートン」でした。この雑誌は、ニュートンプレスから刊行されている月刊科学雑誌ですが、当時、東京大学教授を退官した竹内均氏を編集長として創刊されました。竹内氏は、私は、アポロが始めて月面着陸をしたときの解説者をしていたという印象があります。彼は、「正しい科学知識を日本国民に広め日本の科学水準を上げる」ということで、さまざまなラジオ・テレビ・新聞などのメディアを使い、啓蒙活動を続けていたからです。特に彼が重視したのは「子ども」です。「科学的素養は子供のうちにつけておかなければならない」という信念の元、満を持してつくったのが科学雑誌『Newton』なのです。この精神は、今の編集長である水谷 仁氏に受け継がれています。彼は、こう言っています。「科学は日進月歩でとどまるところを知らない。日々これまで謎であったものがときあかされ,また新しい謎が生まれている。これまで常識だったものが,新しい常識にとってかわられようとしている。科学の世界はまさにダイナミックな変化をとげている。ニュートンはこのような発展する科学を読者に紹介し,新しい自然観を共有したいと考えている。」私たちは、常識と思っていたことが、そうではないことが常識になっていることになかなか気づきません。特に、科学と違って心の中の変化は、意識して見ていかないとわかりません。しかし、科学の分野のように目に見える変化でさえも、なかなか他人には理解をしてもらえず、かつてからの常識が真実を見る眼を曇らせるようです。今日見たこのニュートンという雑誌の特集は「撮影成功!洞窟にひそむシーラカンス」(2006年9月号)というもので、2006年5月30日に水中で撮影されたシーラカンスの様子をドキュメンタリー形式で伝えています。撮影に成功したのは、「アクアマリンふくしま」のスタッフで、インドネシア スラウェシ島北部沿岸水深100?300mの海域を、自走式水中カメラを用いてのことでした。これは、世界では2例目で、日本ではじめてとなる水中撮影成功であり、4例、のべ7個体の撮影に成功しました。そして、その年の12月にも3例、のべ3個体の撮影に成功しました。この恐竜と共に絶滅した古代魚だと思われていたシーラカンスが始めて発見されたときも随分と劇的なことでした。このヒレの数が全部で8枚あるシーラカンスの模型を、少し前に島根の水族館で見ました。
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 そこには、模型と一緒に発見された時のことが書かれていました。発見されたのは、偶然の出来事でした。たまたま現地で捕らえられた魚を写生して他の専門家に鑑定を依頼したのです。しかし、それは、エセ学者だ、見間違いだ、売名行為のハッタリだと無視されました。見つけることも、それを認めることもなかなか難しいことです。模型の横に書かれてあった文字を写真に撮ってきたのですが、一部しか写っていませんでした。それを紹介します。「漁船が運んできた見慣れぬ生き物が実は、6500万年前に絶滅したはずの化石として知られていた魚類の仲間だったのです。この発見は、単なる偶然ではなく、発見者の普段から何にでも興味を持つ強い好奇心と細かなことも見逃さない観察力があったからです。科学が発達した現代でも、海の中には未だ人に知られていない生き物がたくさんいます。身の回りの見慣れたものでもよく観察す」ここまでですが、言いたいことはわかりますね。ただの偶然というものはないのかもしれません。

縦横比

 ブログでも何回か書いたかもしれませんが、「今日は何の日」というのがあり、その理由が記念日であることはわかるのですが、語呂合わせで決められているのは、余り意味はないようですが、その日を覚えているにはいいかもしれません。そんなことで、今日の9月16日が「ハイビジョンの日」というのは、どうしてだと思いますか?この日は、通商産業省(現在の経済産業省)が制定したものですが、ハイビジョンの画面の縦横の比率が9:16であることから決められています。この画面の縦横比(アスペクト比)は、人間の視野に合わせて決められています。ちなみに従来の標準は、3:4です。アナログ放送の画像は、横に走る多数の線により構成されています。それを[走査線]といいますが、この走査線をブラウン管のビーム銃は、横向きに左から右へと首振りしながら再現し、右端まで行ったら次の走査線の左端に戻ります(水平帰線)。そして一番下の右端まで行くと一番上の左端に戻ります(垂直帰線)。その走査線の数が、従来のアナログ放送では、525本でしたので1125本にすると約倍の解像度が得られ、美しい画面を見ることができるということで、ハイビジョンの規格で走査線の数を1125本に決めました。ということで、11月25日が郵政省(現在の総務省)とNHKが制定した「ハイビジョンの日」となっています。しかし、この1125本アナログのハイビジョンは全く普及しないまま2007年で終了し、現在は、それに代わってデジタルハイビジョンの実験放送が始まっています。これはパソコンの画面と同様に画像を線ではなくドットで表現する方式であり、1080iという方式と720Pという方式がありますが、1080iの方が標準となっています。1080iというのはインターレース方式で、1920×1080ドット、720Pはプログレッシブ方式で、1280×720ドット、となっています。
縦横比といってもっと身近に思い出すものに紙の大きさがあります。紙には、大きさを表すものにA4とかB5というように、AとBがありますが、ともに縦横比は、1:ルート2です。そして、記号の次の数字が1つ増えるごとに、長い方の辺を二つ折りにしたものです。例えばB4版の紙を二つ折りにすると、B5版になります。逆にA5版の紙をふたつ並べるとA4版のサイズになります。そして短辺と長辺のこの比率は、何回二つ折にしても縦横の比率が変わらないように考案されたものです。また、A原版(A0版)は、面積が1平方メートルになるように設定されたものです。そしてこれが国際的な標準規格になっています。それに対してB原版(B0版)は、面積が1.5平方メートルになるように設定されたものです。これは日本特有の規格で、美濃半紙に由来しています。ですから、以前はB版を使うことが多く、ノートやファイルなどこれに対応していましたが、このよく見るB5サイズの大学ノートやレポート用紙など、海外では見かけません。最近は、A版が多くなりました。B版の基になった美濃判は、江戸時代に徳川御三家のみが使用を許されていた由緒正しい規格で、明治になってから一般に普及したものです。洋紙が使われるようになると、日本の印刷方式に合った用紙として、美濃判の約8倍の大きさの「大八ツ判」という紙が出回りました。このサイズの全紙を32面取りして裁ったものが四六判で(つまり美濃判の4分の1の大きさ)、寸法が昔の単位で言うところの四寸二分×六寸二分になるところから「四六判」と呼ばれました。 随分と比率は、ややこしい決め方をしたものですね。

寝転ぶ

 昨日のブログを書いていて、ホッとする時ということで、思い出したことがありました。ずいぶん前のことになりますが、盛岡城に行ったとき、そこにある石川啄木の歌碑を思い出しました。そこにある歌は、「不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし十五の心」というものです。
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 不来方(こずかた)城とは南部藩の盛岡城のことです。この歌碑は市民の憩いの場になっている盛岡城趾公園の一角にあり、その石に刻まれた書は、同郷の友で著名な言語学者の金田一京助のものだそうです。この内容は、啄木が、この城から200メートルほどしか離れていない所にあった盛岡中学に在学していた時、しばしば教室の窓から逃げ出して城にやってきて、草の上に寝ころんで文学書や哲学書を読みあさり、昼寝の夢を結んだというときのことを詠んだものです。草の上に寝転ぶというのは、なんとも開放感があります。真上を向いて寝るので、目に映るものは大きく広がった空だけです。目の前に大きく広がる空を眺めていると、まさに、「空に吸われし」という気がしますし、特に、あの狭い、拘束されている教室から抜け出して寝転ぶと、よりそのような気分になるでしょうね。寝転ぶことは、草の上だけでなく、人を開放感に浸らせます。5年位前に、人間型ロボットによる起き上がったり・寝転んだりする動作に世界で初めて成功したという報道がありました。仰向け(うつ伏せ)状態から起き上がって直立状態へスムーズに遷移したり、さらに、直立状態から仰向け(うつ伏せ)状態にスムーズに遷移することを可能としたというのです。この動作をさせようと思ったのは、まさか、ロボットが寝転んで瞑想にふけるためではなく、たとえ倒れても起き上がり、作業が継続できるという、働く人間型ロボットの必須条件の実現に大きく前進したことになるということのようです。また、さらに、これまでの一度の失敗も許されない「如何に倒れないように歩くか」一辺倒であった人間型ロボットの運動制御の技術開発方針を、「失敗を許容してそこからどのように回復するか」という方向に大きく転換させるものでもあるそうです。これは、とても面白いと思います。というのは、もしかしたら、人間も寝転ぶというのは、人生を如何に失敗しないように生きるかという一辺倒な考え方から、失敗を許容して、そこからどのように回復するかということが大切かを気づかせる行為かもしれません。しかも、草の上に寝転ぶというのは、果てしない大空を眺め、そこに流れる雲と対話をするわけですから、人間の失敗の小ささを、より実感することが出来るのでしょう。このロボットの開発のポイントに「“転んだらおしまい”という人間型ロボットの弱点克服に大きく前進した。」あります。確かに、人間の弱点は、転んだらおしまいと感じてしまうことであり、逆にそこから起き上がることが出来るのも人間なのでしょう。

気分転換

 よく、私の園に来て、3,4,5歳児の保育室に行って子どもたちのたくさんいる中でじっと座っている人がいます。なぜかというと、そこにいると心が落ち着くのだと言います。また、以前、障害を持った男子高校生が私の園に来て、実習をしたことがありました。その人が実習をした初日、家に帰ったときに母親からこう言われました。「初めての日だから、疲れたでしょう。」そのときに彼は、こう答えたそうです。「疲れるどころか、普段の疲れが吹っ飛んだよ。だって、人って、子どもといることは自然なことだから。」また、こんなこともありました。高校に入学した直後から不登校になって、学校を辞めた青年が、ボランティアで保育園に来て、子どもと遊んでいるうちに、高校にもう一度行ってみたいと思うようになって、翌年高校に入り直して、生徒会長になりました。私も、出張から園に帰ってくると、まず、保育室に行って、子どもの顔を見ます。ホッとするからです。仕事で疲れて家に帰って、子どもの寝顔を見ると疲れが飛んでしまう人も多いと聞きます。子どもには、そんな癒しを与える力がある気がします。疲れたとき、何かにいやになったとき、子どもの顔を見たり、子どもと触れ合うことで癒されてくるのを感じます。しかし、最近、子どもと一緒にいることで癒しを感じるよりも、ストレスを感じる人が多くなってきた気がします。オリコンが「あなたのプチ休憩所」についてのアンケート調査を実施しました。仕事を思いきりサボるほど時間はないけど、ちょっとだけ気分転換したい時に、そんな場所をどこに求めるかという問いにどこと答えたのでしょう。総合1位には「トイレ」が選ばれました。トイレという場所は、どうも社会人にとっては用をたすだけではなく、トイレの中でいろんな形で気分転換を図っているようです。なぜトイレかというと、「個室の中でなんとなく落ち着く」(大阪府/20代/男性)、「喜怒哀楽を他人から見られずに済む」(愛知県/30代/女性)、「1人になれる」(大阪府/30代/男性)と、完全に1人きりになりたい時にトイレに行くという人が多いようですし、また、「眠い時、少し寝ます」(東京都/30代/女性)、「広いしトイレも鏡もあり、ちょっとした自分空間」(大阪府/20代/女性)など、自分の部屋さながらにリラックスする女性も多いようです。総合2位は「喫煙所」です。この場所は、男性からの圧倒的な支持を得たそうです。「仕事と関わらない人と話ができる」(兵庫県/40代/男性)、「タバコで一度気持ちをリセットできる」(愛知県/20代/男性)など、タバコや雑談でリフレッシュするという、気分転換のために利用する人が多いようです。なかには、タバコを吸うかどうかは別として「喫煙所しか休憩できるところがない」(東京都/20代/女性)という人もいたそうです。逆に女性から大人気だったのが総合3位の「給湯室」です。「上司に見られなくて人の邪魔にならない場所だから」(東京都/20代/女性)と、上司や先輩、男性社員など、特定の人たちから離れられるところであり、「コーヒーブレイクを楽しんでいます」(大阪府/30代/女性)と、自分だけのためにお湯を沸かしている人もいるようです。休憩をする理由として多かったのは、「1人になれる」、「わずらわしいことから離れられる」などのようですが、子どもがストレスの原因であるという人は、どうも、子どもという存在が、自分一人でいることを邪魔する存在と感じる人のようです。いつから、人が一人でいることが好きになったのでしょうか。

R25

 今、駅構内やコンビニなどに無料の雑誌が置かれています。その多くは、住宅情報のようなものと、就職情報のようなものなのですが、その中で、若者の間で人気のある雑誌が、「R25(あーるにじゅうご)」という、リクルートが発行するフリーペーパー週刊誌があります。この週刊誌は2004年7月1日に創刊しました。今は、毎週木曜日に約55万部が発行されているそうです。ただ、残念なことに東京圏(東京、神奈川、千葉、埼玉)にしか置かれていないようです。R25の「R」とはよく映画などにR指定というのがありますが、このRと同じ意味で、リストリクト(Restrict:制限)という意味です。つまり、R25とは25禁の雑誌で、25歳から団塊ジュニア層の30代までの男性という、従来型総合週刊誌の購読者より若い年齢層をターゲットにしています。編集部では、「世間では「元気がない」なんていわれて、ちょっと悔しいこの世代の男性に向けて「オトコ視点」で編集しています(女性の方ゴメンナサイ)。またレビュー記事が25個あるので「レビュー25」という意味もアリ。」と言っています。その年齢を対象に、政治や社会などの時事情勢の解説、著名人へのインタビューなどの記事で構成されています。通常40~50ページと通勤時の電車内でちょうど読みきれる程度のボリュームで、各記事も一駅分ほどのコンパクトさにまとめる方針がとられています。また、この類の雑誌は、特に無料となると本文よりも広告のほうが多いくらいで、結局は宣伝かとがっかりすることが多いのですが、このR25は、余り広告が目立ちません。それは、俗にナショナルクライアントと呼ばれる大手広告主からの広告を収益源としているからのようです。また、この企画はリクルートの社内新規事業提案コンテスト「RING」で、20代社員が提案し受賞した企画が事業化の出発点となったといわれています。なぜ、25歳をターゲットにしているかと言うと、やはり編集部では、「今年、25歳になる人が生まれたのは1979年。東京サミットが開催され、英国では先進国初の女性首相となるサッチャー首相が誕生した年です。この年にはインベーダーゲームが流行し、そして機動戦士ガンダムが放映されました。当誌メイン読者のM1世代(20?34歳の男性)は首都圏で300万人(独自調べ)ほど。 成人してから早数年。社会や仕事先でも責任ある立場になりつつあり、情報の理解やコミュニケーションに苦労することも多いのでは?そんなあなたを応援するつもりで、私たちはR25を作っています。」この雑誌が面白いのは、もちろん対象の25~30歳代の人だけではなく、私の年代が読んでも面白いのは、若い人の考えとか、興味があるものを知ることが出来るからです。今週号の最初に記事では、「R25世代が選んだ“ぼくらの機械遺産”とは?」でいうことで、若い人たちが機械遺産に認定したいアイテムのベスト5が掲載されています。1位ファミリーコンピューター(任天堂) 2位ウォークマン(ソニー) 3位ウォシュレット(TOTO) 4位AIBO(ソニー) 5位QV-10(カシオ計算機/デジタルカメラ)だそうです。なるほどと思いますね。しかし、本当の「機械遺産」とは、日本機械学会が創立110周年の記念事業の一環として、歴史に残る機械技術関連遺産を大切に保存し、文化的遺産として次世代に伝えることを目的に、日本国内の機械技術面で歴史的意義のあるものを「機械遺産」として認定したものです。ちなみに第1号は「小菅修船場跡の曳揚げ装置」、第2号は「熊本大学の旧機械実験工場と文化財工作機械群」だそうです。こちらのほうを、なるほどと思えるほど私はインテリではなさそうです

かぐや

 明日の予定が、明後日に変更になりました。それは何かというと、安部総理に辞任ではなく、三菱重工業の大型ロケット「H2A」13号機が、鹿児島県の種子島宇宙センターから打ち上げられる予定です。この月探査機「かぐや」は、1960~70年代の米国アポロ計画以来の本格的な月探査を行う宇宙航空研究開発機構の月周回衛星です。打ち上げ予定は、今のところ、14日午前10時31分01秒です。「かぐや」の打ち上げは、当初8月16日でしたが、電子部品の取り付けミスにより明日に予定されていたものです。1969年、アポロ11号が人類史上初めて月面に降り立ったときには、世界中がテレビの前に集まったものです。長い歴史の中で、人類は月を眺めてきました。その明るさや、形が変わる満ち欠け、ぼんやりと映る影などから様々な歌や絵に描かれ、昔話に登場し、想像力を掻き立ててきました。アポロは、その月に降り立ち、石などを持ち帰りました。しかし、当時は人を月に送ることが目的だったため、普段、地球から見ることができない月裏側の様子や、鉱物の存在など多くの未解明な部分が残っています。今回の探索機の探査能力は、世界のこれまでの探査衛星の中ではトップクラスであり、月の起源や進化の謎が解明され、ウランなど新資源が発掘されることなどに夢と期待が膨らんでいます。また、ハイビジョンカメラを使い、月の地平線から地球が昇る、日の出ならぬ「地球の出」も撮影する計画だそうです。この探査機の「かぐや」の名称は一般公募で決まりました。月というと、なにをイメージするかというと、応募総数1万1595件のうち、「かぐや」が最多の1701件だったそうです。それは、もちろん「かぐや姫」にちなんでいます。それほど人気があり、みんなが知っている昔話であるのに、私は、その話を全部を知っている人は少ないのではないかと思います。その話の「竹取物語」「竹取翁の物語」は、日本最古とされる物語で、作者成立年不詳、仮名で書かれています。書かれたのは平安時代の前期と考えられていますが、はっきりとはわかっていません。あらすじとしてみんなが知っているのは、「竹細工を仕事にしている翁が、ある日、竹林に入ると、一本の竹が光かがやいていたので、これを切ると、中から手のひらにのるほどの小さな女の子がでてきた。」というのと、最後の「この姫は実は月世界の人で、満月の夜に迎えの使者たちが来るので、月に戻らねばならない。そこで、帝は使者たちを近づけまいとして、兵士に守らせたが、迎えの天人たちの霊性に手出しすることもできず、姫はするすると天に昇り戻ってしまった。」というところだと思います。もう少しよく知っている人は、「五人の貴公子たちが熱心に求婚してきたので、姫は求婚者たちの真心と力量を試すために、それぞれに難問を託した。」ということで、その難問は「天竺にある仏の御石の鉢」「蓬莱山にある玉の枝」「絶対に燃えない火鼠の皮衣」「竜の首にある五色の珠」「燕の持つ子安貝」を探し出して持参して欲しいというものです。とうぜん、そんなものは現存しないので、すべて失敗してしまいます。しかし、ときの帝の所望は断れず三年ほど付き合った結果、夜を過ごそうとしたときに、実は月世界の人だと打ち明けるのです。そして、かぐや姫は、月の世界に戻るにあたって、帝に手紙と不死の薬を残しますが、不死の薬があっても何の役にも立たないと、帝はそれを天に一番近い山の頂上で燃やさせてしまいます。それ以来、この山は不死の山、別名富士山とよばれ、いまでも不死の煙が立ち上っているのだと書かれています。当時、富士山の火山活動は活発で、煙が出ていました。そんな「かぐや」の目を通して、今回、どんな月を見せてくれるのでしょうか。

武道

 先日の新聞に「中学で武道必修化へ 中教審体育部会 「伝統文化」重視で」という記事が掲載されていました。これは、中学校の体育で選択制の武道を必修化する方針を決めたというようです。それは、礼儀や公正な態度など、日本の伝統文化に触れる機会を広げるのが狙いです。武道というのは、柔道と剣道、相撲の3種目が指導要領に明記されています。次の日の産経新聞の「主張」には、そのことについて「青少年の間に武道が根付いて、しっかりと根を張るならば、礼節を重んじる日本の国柄の再生に寄与するところは決して小さくないはずだ。」と書かれています。この記事について、考えてしまうのが、今日「山下氏、国際柔連理事選で大敗 執行部から日本人消える」という記事です。これは、国際柔道連盟(IJF)の総会で、教育コーチング理事選挙で再選を目指した現職の山下泰裕・全日本柔道連盟理事が落選し、IJF理事11人の中に日本人が一人もいなくなったということのようです。しかも、理事の座を競ったアルジェリアのモハメド・メリジャ候補に61―123の大差で敗れたのです。そうなると、今後、カラー柔道着や「ゴールデンスコア方式」導入など、欧州主導のルール改正などの傾向が加速しそうだと憂えています。しかし、会長のビゼール氏は「『一本』など、日本語の競技用語を変えるつもりはない」としつつ「観客に分かりやすいようにルールを変える」と明言し、「日本の考えは世界の考えと平行線だ」とも強調しました。私は、このニュースを聞いてまず思い出すのが、東京オリンピックの柔道無差別級決勝戦で、アントン・ヘーシンクに袈裟固めで神永昭夫が破れた瞬間です。私は、中学生でしたが、柔道は日本の競技であり、日本人が勝って当たり前だという認識がありました。他の階級では、思っていたように日本人が金メダルを取ってきたのですが、最後の試合で日本が敗れたのです。これが、日本柔道、日本武道の一大転機だったのです。そのとき「柔道」が「JUDO」になったともいわれています。それなのに、いまだに柔道は、日本の武道だと思っているようです。今回理事を落選した山下氏にしても、文藝春秋の2006年5月特別号で、こんなことを言っています。「このところ私は、国際柔道連盟の仕事などで、年間100日ぐらいは日本を離れて世界を歩いている。外国人との交流も多いが、彼らと話せば話すほど、「日本は世界の人に正しく理解されていないのではないか」という気持ちを抱いてしまう。日本のことをもっと知ってほしい。そのために私は、柔道を通して国際交流を進めてきた。柔道では 「レイ(礼)」、「ハジメ(始め)」、「ヒキワケ(引き分け)」など、試合はすべて日本語で進められる。外国人は最初、まったく意味が理解できないだろうが、柔道を続けていくうちに、次第に言葉の意味に興味が出てくる。そこから更に日本語そのものや日本文化に興味を抱く人も少なくないという。」日本人は、よく日本文化について、「外国人には理解されない」とか「日本人こそ礼を重んじる」とかいいます。今回の武道中学校必修にしても、「礼節を重んじる日本の国柄の再生」というように、礼節は日本人だけの特質かのように思っています。しかし、そんなことを思っているうちに、外国での評価は、日本が大切にしてきてものが、かえって日本人のものではなくなってきているようです。もっと世界に目を向け、世界での動向をきちんと見ていかないと、気がつくと、世界から日本が取り残されてしまっているということになってしまいかねません。