プラモデル

 来年は国産プラモデル50周年だそうです。マルサンという会社が、プラスチック製玩具の研究を行い、日本最初のプラモデルを1958(昭和33年)年12月に発売して全国流通させました。ということで来年50年目に当たるのです。私も、子どものころプラモデルに凝ったことがありました。プラモデルは玩具の一種ですが、女の子はあまり夢中になった時期はないかもしれませんが、男の子は夢中になったものです。正式には「プラスチックモデルキット」と言いますが、プラスチック製の模型などを指定商品として、日本プラモデル工業協同組合が所有する登録商標であり、プラスチックモデルという普通名称の略称ではなく、和製英語です。もともとは、日本で始めて売り出したマルサンが翌年に商標登録したために、他のメーカーは「プラ模型」「プラキット」などといわなければなりませんでした。その後、商標権はマルサン倒産(1968年)に際し大手問屋の三ツ星商店に売却され、1975年日本プラスチックモデル工業協同組合に移譲されたのです。今は、各社自由に使ってかまわないことになっています。キットと呼ばれる組み立てることができるプラスチックの部品と、組み立て説明書とを紙箱に詰めたセット状態で売られていることがほとんどでしたが、小型のものの場合は、ブリスターパックやビニール袋に入れて売られている場合もありました。呼び方も、プラモデルというのを略して、「プラモ」と呼ばれることもありました。もともとは、1936年にイギリスのフロッグというライトプレーンメーカーが発売したのが始まりと言われています。シリーズ名はペンギンでイギリスの戦闘機や爆撃機が1/72スケールで発売されました。なぜ、ペンギンと呼ばれたかというと、それまでの飛行機の模型は、ゴム動力で飛びましたが、このプラモデルの飛行機は、飛ぶことが出来ないために、鳥なのに飛ばないペンギンと呼ばれたのです。そして、第二次世界大戦後、アメリカでブームとなりました。イギリスでは、飛行機中心でしたが、アメリカでは艦船や自動車もプラモデル化されました。そのころ、日本では、ブリキや木材やセルロイドでできていた玩具や模型でした。とくに、模型は加工しやすく強度もある木材が主構成材でした。その模型は、日本軍の戦闘機を中心とした航空機が人気でした。しかし、戦時中、天然素材に依存していたゴムが不足し、ゴムを動力源にして動くタイプの模型は作れなくなりました。また、戦後の1954年、ニューヨーク市消防局が日本製のセルロイド製玩具は発火性が高く危険と声明を出したため、市場からセルロイドが姿を消します。当時のマルサンはセルロイド製玩具、光学玩具、ブリキ玩具を主力商品として扱っていた会社でしたが、プラスチック製玩具の研究を行い、それに乗り換えたのです。そのころ、私が夢中になったプラモデルは、「戦艦大和」はじめ、様々な戦艦や、戦闘機が多かったような気がします。それは、それが戦艦というよりも、細かいパーツがたくさんあり、その出来上がりがとても美しかったからです。それが次第に、金閣寺とか、姫路城とか建物の美しさに惹かれるようになり、面白いものとしては、ドラムセットとか、机の上の装飾的なものになってきました。私が、模型に興味を失ったころ、1980年(昭和55年)、バンダイよりガンダムのプラモデル(以降ガンプラ)が発売されると、それは大人気となり、出荷後すぐに店頭から消えるという慢性的な品薄状態となりました。まさしく、模型業界において1980年代はリアルロボットアニメとそのキャラクターモデル発展の時代でした。それに反して、実物の縮小物の模型は姿を消していったのです。私は、やはり模型は、その実物をよく知るために、その縮小されたものを忠実に再現することによって、そのものの理解を深めるためのもののような気がしますが、古いのですかね。