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2007年09月30日 近頃思うこと

喫茶店

 喫茶店というと懐かしい思い出がたくさんあります。今は他界している父は、とても喫茶店の雰囲気が好きでした。私が社会人になって、実家の近くに一人で住んでいたときに、「コーヒーでも飲みに行かないか?」と夜によく電話がかかってきたものでした。また、洒落た喫茶店を見つけると、一緒に行くのを誘われました。私の家は、小さいながらも会社を経営していたのですが、そんな父ですから、私が小・中学生のころ、都内にあった店舗の半分を喫茶店にしてしまったのです。もちろん、店に出ることはなかったのですが、店内を自分の趣味で作っていました。そのころの純喫茶と呼ばれるものに、様々な特徴がありました。多く見られたものが「名曲喫茶」と呼ばれる喫茶店で、店内にはクラシックが流れていました。なんだか、インテリになった気分になります。家庭では、まだやっと大きなステレオが普及し始めたばかりで、こんな喫茶店で曲を聞いたものでした。クラシックだけでなく、様々な音楽をテーマにした喫茶店がありました。私の父の店は、「ラテン喫茶」でした。ラ・クンパルシータなどのタンゴが当時はやっていたことと、社交ダンスもはやっていたために、このラテン喫茶もいろいろなところにありました。そのほかに音楽をテーマにした喫茶店で、今も多く残っているものに「ジャズ喫茶」があります。ここでは、ジャズのレコードを聴くだけでなく、ライブ演奏を行っているところも多くありました。そこでは、ジャズ演奏だけでなく、様々なライブ演奏をしていました。私が、高校生のころに行った「新宿アシベ」では、タイガースなどがライブ演奏をしたりしていましたが、私が聞いたのは、ゴールデンカップスというグループのライブでした。今の若い人は知らないと思いますが、「長い髪の少女」とか「イザベル」などがはやっていました。また、「銀座ラセーヌ」では、いかりや長介とドリフターズも出演したことがありました。このラセーヌは、当時よく聞いていたラジオ深夜放送のスポンサーになっていて、受験勉強をしながら聞いていたあのパーソナリティーの声と同時に女性の悩ましい声で「ラセ~ヌ」というせりふが耳に残っています。この「アシベ」も「ラセーヌ」も、「ジャズ喫茶」と呼ばれていました。このように喫茶店では、レコードで曲を聴いたり、ライブで音楽を楽しむほか、自分たちで歌うものもありました。それが「歌声喫茶」と呼ばれるものです。これは、八王子にもあるので、「今でも歌っているのかね。」と先日妻と会話をしたばかりです。ここで歌われた歌は、当時は「走れトロイカ」とか「カチューシャの唄」などのロシア民謡が多かったようです。私は、歌を人前で歌うという習慣がなかったために、入ったことはありませんでした。あと、その後ディスコに変わっていきましたが、当時は、「ゴーゴー喫茶」という名前で、ゴーゴーという踊りが流行った時、ワン・ドリンクを頼んでゴーゴーを踊るという喫茶店がありました。あと、店内の意匠でしょうが、「和風喫茶」などというものがありました。それから、「同伴喫茶」という男女同伴ではいる少し薄暗い喫茶店とか、「深夜喫茶」といって、終電車が出た後、始発の動くまでのつなぎに過ごす喫茶店がありました。最近は24時間営業の店が増えたので、深夜という言い方はなくなったかもしれません。また、最近見なくなったものに「談話室」があります。ここでは、長居が許されたので、私は原稿の打ち合わせによく使いました。こんな話は、団塊の世代の中では盛り上がるのですが、今の人にはどうでしょうか。

投稿者 fujimori : 21:26 | コメント (4)

2007年09月29日 近頃思うこと

純喫茶

 今、私が住んでいるところに、たまに行く気に入った喫茶店があります。普段はなかなか行けないのですが、遅い出勤の土曜日には寄ります。そこは、店内のつくりが懐かしく、コーヒーが私好みの味です。どうも、最近多いエスプレッソは、味わいを苦味が消してしまっている店が多いので、あたりはずれが多すぎます。その好みの店は、コーヒー豆をもちろんオーダーしてから一人分ずつ引いてからコーヒーを立てるのですが、淹れる器具は、私は始めて見るものです。最近は、メーカーマシンといわれる機械で立てるものが多いのですが、喫茶店の多くは、ちょっと凝ったところでは、サイフォンドリップを使います。また、家庭でもよく使われるものにペーパーでこすものがあります。「円錐形」のドリッパーに紙のフィルターを置くのですが、KONO式ドリッパーでは、大きな穴が開いており、「一つ穴」「三つ穴」のドリッパーと比較すると、湯がドリッパーに溜まりにくく、注湯のスピードで風味を変化させる事が可能です。ほかによく使われるものに、ハリオ、カリタ、メリタなどのメーカーがあります。屋外などでコーヒーを飲む場合は、水とコーヒー豆(荒挽き)と「火」があれば、場所を問わずにドリップしたコーヒーが簡単に出来るパーコレーターが使われます。また、コーヒー粉にお湯を注ぎ、プレス、そのまま注ぐだけの手間入らずで、スピーディーにコーヒーを淹れることができるフレンチプレス技術もあります。私が行く喫茶店では、ステンレスのポットの上に、ステンレスのこしきが着いていて、一人分ずつそれをテーブルに持ってきて、そこでドリップしたてを飲むものです。また、この店が気に入っている理由は他にもあります。モーニングサービスがあるのです。喫茶店に、セットメニューとして、格安のモーニングサービスというものがサラリーマンを相手に用意されていました。最近は、少し遅い時間になると、お年寄りが利用することが多いようです。モーニングサービスの定番といえば、トーストとゆで卵ですが、この店は、パンケーキと目玉焼きとソーセージにサラダです。朝、モーニングサービスとコーヒーを飲むと、ゆったりした気分になれます。この店に久しぶりに行ってみました。すると、なんと、9月いっぱいで閉店するため、店内の備品等を処分しているところでした。一と月ぐらい前に行った時に、年配の人のよさそうな店主が、モーニングサービスがワンメニューだと常連客に悪いから、他にも考えなくてはと言っていたのに、急にどうしてでしょうか。この店がなんとなく懐かしく感じるのは、かつてどこにでもあった「純喫茶」の雰囲気があるからです。純喫茶というのは、その字のとおり、純粋な喫茶という意味で、アルコール類が一切置いてない喫茶店という意味です。酒類を扱い、女給(ホステス)による接客を伴う「特殊喫茶」に対してこう呼ばれました。明治末期にできたカフェーは知識人たちの社交の場でしたが、大正時代には徐々に大衆化し、女給らによる接客を主な目的とした店も増えていきました。このような店では、夜には主に酒類を出し、隣に座る接客係の女性らに客がチップを払うといった、現在のバーやクラブのような店に変わっていきました。これらは昭和初期になるとたくさんでき、このような店のことも「カフェー」や「喫茶店」ともいいました。一方、酒類を扱わない本来の意味の喫茶店も一般的な存在となり、「特殊喫茶店」と「純喫茶」と分けて呼ぶようになったのです。またひとつ、純喫茶が消えて行ったようです。

投稿者 fujimori : 21:49 | コメント (4)

2007年09月28日 近頃思うこと

男子

 先日、書店で写真集「男子 梅 佳代」を見ました。そこには、まさに「男子」の姿が映っていました。私は、今、乳幼児を相手に仕事をしていますが、実感として、「女の子は生まれながらにしておばさんだが、男の子は大人になっても赤ちゃんだ。」という言葉が、まさに男女の特質を言い当てている気がします。この第2弾写真集をだした梅佳代(うめかよ)は、第32回木村伊兵衛写真賞を受賞しています。写真新世紀では、「男子」と「女子中学生」で、佳作を2回受賞しており、2002年『美術手帖』の写真表現特集で、注目の写真家として取り上げられました。現在は、東京をはじめ、パリ、ロンドン、タイで展覧会を開催し、海外でも高く評価されています。昨年9月に発売されたファースト写真集『うめめ』と、今回の「男子」は、彼女が写真専門学校時代に近所で出会った、小学生男子たちを捉えた彼女の原点であり、その魅力が凝縮されています。彼女の男子評は、「男子は ばかで 無敵で かっこいいです。(うめ)」のようです。まさに、この写真集の中にそんな男子の姿が映し出されています。今の子の印象は、「すまして、気取って、かっこつけて、大人びて」で、その姿になんだか懐かしさを覚えますが、決して、過去のものではなく、今でもこんな姿を見せることもあるのです。写真集の発売と同時に展示されている写真には、「彼らと友達になったウメカヨは、一緒になって遊びながらシャッターを切ります。梅佳代にしか撮れない、誰もが知っている「男子」の季節。わすれがたきバカ時代。」と書かれてあります。
 「世界征服は可能か? 」(ちくまプリマー新書 61) という、なんとも恐ろしいタイトルの本が出版されています。著者は、「岡田 斗司夫」という元アニメプロデューサーであり、オタキングで、いまは、大阪芸術大学客員教授です。この本に関して、8月の朝日新聞の「消えた男の子」という特集で取り上げられていました。「昔はクラスに何人か、将来の夢は世界征服という男の子がいたもの。最近の悪役は世界征服や人類絶滅を言わない。現実の社会を見ても、これが悪いやつだと決めにくくなった。作り手が悪を設定できない」その後に、記事はこう続いています。「具体的に世界征服の手順を考えれば、人材確保に資金調達、部下の管理など、激務であるとすぐにわかる。世界征服が楽しそうには見えないのだ。読者の反響も努力は嫌いで、我慢は損。世界征服のしんどさにみんなくじけている」この記事の中では、さまざまな人が「子どもたちの日常から、努力は確実に薄れている」と言っています。関西大学教授の竹内洋さんは、「努力がださくなったのは、今日より明日がよくなるという進歩の意識がなくなったから」と言います。「“勉強”が学習に励むことを意味し、“立身出世”という言葉が広がったのは明治期になってから。「学問のすすめ」「西国立志編」がベストセラーとなって新しい価値観をたたきつけた。しかし、江戸時代は身分相応が社会規範だった。町人は武士に対しねたみや劣等感を持つのではなく、町人としてのプライドで生きていた。」また、最近陰湿ないじめが起きています。自尊感情を持ち、自分ながらの生き方をそれぞれが認め合うような社会にならないのでしょうか。フランスの0,1歳児の保育の考え方を読んでみると、「子どもが自分で自分の行動を決めて、自分をつくっていくというのが一番大事なこと」と言っています。乳児期からきちんと自分をつくっていく保育を行っているのですね。

投稿者 fujimori : 21:51 | コメント (3)

2007年09月27日 近頃思うこと

鳥瞰型教育学

 子どもたちはいつも水平に物を見ていることが多いようです。それは、背が低いということが主な原因だと思うのですが、それだけでなく、思考的にも物事を水平に見ることをするようです。そこで、日常的な体験として、見下ろす体験とか、物を鳥瞰的に見る体験をすることで脳のシナプスが増えるということを以前のブログで書きました。鳥瞰的というのは、その字の通りに「瞰」は見おろす意から、鳥が上空から見おろすように全体を広く見渡すさまのことを言い、その意味のままでなく、全体を見渡すことにも使います。たとえば、「世界情勢全体を鳥瞰する」とか、「学界の現況を鳥瞰的に論ずる」とかというように使われます。このようなものの見方をすることが、さまざまな分野でも必要とされています。そして、そのようなものの見方ができるということは、今までの認知的な学問だけでなく、予想するとか、あらゆるところから総合的に判断するとか、先を見る力とかが必要になってきます。そういう意味で、最近特に注目されているのが「環境」への取り組みです。9月19日のEcolomyでは、国際連合大学副学長、東京大学名誉教授の安井至氏が、「企業や国の存続に不可欠な『鳥瞰型環境学』」ということを述べています。環境問題で、この視点が必要なのは、環境問題は、非常に多岐に及んでおり、これらの問題を個々の問題として取り扱うことも勿論必要ですが、それだけでは十分でなく、多様な複数のリスクを鳥瞰的な視点で見る「鳥瞰型環境学」が必要なのです。たとえば、彼は、「身近な水の環境問題を鳥瞰的な視点から考える」と称して、こういっています。「水というものは、ヒトどころか地球上のあらゆる生命にとって生存の必須要素であるが、「身近な水」を考えるとき、健康・安全のためにミネラルウォーターを飲めば良い、といった観点では、余りにも近視眼的である。将来、日本にも水不足が来るかもしれない、といった危険性や、温暖化が進行することによって一瞬の洪水で命を落とす可能性もある、といった理解も必要である。」このように、物事を一面的に見るのではなく、もっと立体的に見る必要があるということです。「鳥瞰的に見るという問題意識は何か。それは、人類という集合体が地球上でできるだけ長期間、健全に生存すること、という見方である。これは、個々人がどれほど長期間安全に生存するか、ということと50%ぐらいは同義なのだが、50%ぐらいは違う。なぜならば、個々人には、生命というものの本質として、寿命というものがあり、個々人を長期間生存させることだけを目標とすると、人類といった集合体の健全性が損なわれる可能性があるからである。集合体としての人類の生存リスクとは何か。例えば、集合体としての日本人の生存リスクとは何か。もちろん、個々人の生存リスクがその基礎である。しかし、集団としてのリスクを考慮するということは、個々人のリスクだけを考えることとは若干違う。何が違うのか。こんなリスクを定量的に考えることが、鳥瞰型環境学というものの1つのアプローチである。」私は、保育、教育問題というのは、環境問題同様にやはり、鳥瞰的に考える必要があると思います。それは、教育問題は、集団的リスクの問題だからです。ある個人が、勉強ができるようになるとか、どの自治体の成績がよくなるとかの問題ではないはずです。そして、その問題にはさまざまな要因が絡んできています。ですから、「鳥瞰型教育学」が必要だと思うのですが。

投稿者 fujimori : 22:35 | コメント (3)

2007年09月26日 近頃思うこと

ドイツ無印

 私は、ここのところほぼ毎年ドイツのミュンヘンに行っています。ミュンヘンでは保育、教育施設を見るのが目的なので、町の中を歩くのはたいてい夕方からになってしまいます。それでも、さまざまな店が並ぶ歩行者天国であるマリエン広場界隈を歩くと、異国に来た感じがします。そのミュンヘン市中心部にある高級ブランド街「Fünf Höfe」に、欧州最大規模のドイツ2号店として、昨年4月「ドイツ無印店」「MUJI Munchen Funf Hofe」(636㎡)がオープンしました。ドイツの無印良品1号店は、2年前の11月にデュッセルドルフで生まれました。欧州では1991年に英国で最初にオープンし、現在ドイツ、フランス、イタリア、スペイン、ノルウェー、スウェーデン、アイルランドに合計43店舗を構えます。この無印店は、クオリティ重視のドイツ人にとって、とても評判がよいらしく、来年はベルリンに3号店がオープンする予定だそうです。また、デザイン的にもドイツ人好みらしく、MUJI 製品は2005年3月、ドイツの権威あるデザイン賞「iF デザインアワードiF design award(プロダクト部門)」において5つの 「金賞」を受賞し、昨年はドイツ小売協会主催「The store of the year」で大賞(リビング部門)も受賞したそうです。「わけあって、安い」をキャッチフレーズとし、安くて良い品として開発された無印良品。1980年、良品計画の母体である西友の自社開発の経験を基にノーブランドの商品発想でつくられました。この「わけ あって、安い。」というキャッチフレーズは、毎年新しいものがコマーシャルに使われ、その時代をも反映し、数々の賞を受賞しています。最初のころだけを並べてもとても面白く、何を主張したかったかがわかります。1981年は、「愛は飾らない。」と第35回広告電通賞ショッピング部門賞受賞した「しゃけは全身しゃけなんだ。」です。その後、1982年「ふだんから、愛。」「ひとりひとりの無印良品。」、1983年「自然、当然、無印。」「僕は無印だ。」、1984年「まなざし、変えた。」「色のまんま。」、1985年「まちが動いてる。」「NO NEWS」、1986年の「いままでも、これからも。」は、大蔵省印刷局長賞を受賞しています。この年のもうひとつは、「動物の愛は、やさしいと思います。」です。2003年3月の日経新聞広告には、こう書かれています。「世界の様々な地域や文化そして才能から無印良品を構想し、そこに新しい無印良品の可能性を見つけ出してみたい。そんな風に私たちは考えはじめています。無印良品は世界に発想を開いていく時代を迎えているのです。」そんな発想の結果、こんな商品を生み出していきます。「ものの生産プロセスを徹底して簡素化することでシンプルで低価格の商品を生み出すことでした。たとえば、紙の原料であるパルプを漂白するプロセスを省略すると、紙はうすいベージュ色になります。無印良品はそれをパッケージ素材やラベルなどに用いています。結果として非常にピュアで新鮮な商品群が現れました。」今、私の園では、世界に発信するためにもう一度日本の文化を見直し、その中から普遍的なものを見つけようとしています。「「素」を旨とする無印良品の思想の根底には日本古来からの生活の美意識があります。ここに無印良品の思想の基軸があることに変わりはありません。そこを確認しつつ、無印良品は世界の文化や才能と交流していくことを開始します。生活のための「必然」や「普遍」を地球規模で発見し合い持ち寄る。そういうプロジェクトがすでにはじまっているのです。」保育、教育にも言えることです。

投稿者 fujimori : 20:43 | コメント (2)

2007年09月25日 近頃思うこと

建築用語2

 建物に関することわざとか、言い回しとかには、昨日のブログ以外にも面白いものがたくさんあります。たとえば、よく建物の外壁を、板を張って施工するときに、平たく長い板を重ねながら張っていく方法があります。これを「下見板張り」といいます。鎧のように張ることから「鎧張り」ともいいます。それに対して、重ねていかないで、板を縦とか横に平らに張ることを「羽目」と言います。この張り方ですと、もし板を1枚はずしてしまったら、隙間が出来てしまい、台無しになってしまい、役に立ちません。ですから「羽目をはずす」ということ「人の度を過ごす態度」「興に乗じて度をはずすこと」の意味するようになったのです。また、羽目をはずしてしまっては、せっかくの建築意匠が台無しになってしまう事から「苦しい羽目に陥る(破目とも書く)」といった使い方のように困った場合とか境遇を意味するようになったり、「羽目に付く」というのは、窮境に陥ることを意味したりします。ただ、「羽目をはずす」という言葉は、荒馬の口にはめる縄のことを「はめ」といい、はめをはずすと馬が暴れ出すところから転じて調子に乗った行動をすることを意味するようになったという説もあります。このほかにも「羽目に掛かる」とは、勢いに乗ること。次第に調子が出てきて、興に乗ることをいいます。次にこんなことを聞いたことがあると思います。「順調に物事が進まない」、「はかどらない」ことを「埒が明かない」といいます。この「埒」(らち)というのは、今では、主に競馬場の周囲の柵の事をさしますが、もともとは、単に「低い垣」とか「しきり」の事をさした言葉でした。ですから、「埒が明く」とは垣が取り除かれる、つまり障害物が取り除かれるという意味で、物事が片づくこと、はかどることの意味に使われます。逆に「埒が明かない」ということは、「はかどらない」ということになり、「埒も無い」は、「乱雑である」「つまらない」「順序がたたない」という時に使われます。また、「埒外」「埒内」という言葉は、垣の外、内側という事から「埒外」は物事の一定の範囲外、「埒内」は物事の一定の範囲内という意味です。ダメな人とか頭の鈍い人のことを「ボンクラ」といいますが、この言葉を漢字で書くと「盆暗」とか「盆蔵」と書きます。「盆暗」と書く場合は、「盆」は賭博の盆ござのことで、盆の事に暗い。つまりサイコロの目の動きを読んだりする事が下手な人という意味に使われていたのが、頭のにぶい人を指す言葉となりました。「盆蔵」と書く説は、盆は八月のうら盆の盆で、蔵は土蔵をさします。土蔵造りは普通寒い季節にしますが、これを夏の暑いときにすると、土の表面ばかり乾燥して、平均して乾かないので、役に立たない土蔵になってしまいます。それで盆の頃造られた蔵、つまり「盆蔵」は駄目だということから、駄目な人の事を「盆蔵」と言います。また、お寺の屋根は「瓦ぶき」に対して芝居小屋は「コケラぶき」(杉やヒノキの薄板を用いる)でした。その「コケラ」には、「木くず」という意味もあって、そのコケラをきれいに払い落として、初めて新築完成とする習わしがあり、「コケラ落とし」といえば、劇場を新築した時の披露興業を意味するようになりました。また、ヒノキで張った大変立派な舞台で演技する事から、自分の腕前を披露する晴れの舞台を「ヒノキ舞台」といいます。また、「結構」の語源は、「構えを結ぶ」ということから、家屋を構築したり、文章を組み立てたりする事を言い、建築物や文章の組立・構築が優れている時、「見事な結構」と誉め、やがて、見事、立派の意味を表すようになりました。建物に関する言葉は誰にでも馴染みがあるので、日常的に使われる言葉になっていることが多いですね。

投稿者 fujimori : 21:24 | コメント (4)

2007年09月24日 近頃思うこと

建築用語

 昨日は、長野県東御市の海野宿を少し歩いてみました。その宿場町にある建物には特徴が二つあります。ひとつは、海野格子と呼ばれるもので、普通の格子は上から下まで1本通しで、間隔を置いているのですが、この「海野格子」は、2本通しの間に、少し上部が開いて2本間隔で横木がくっついて上部に2本あるのが特徴です。もうひとつは、卯建(うだつ)と呼ばれるもので、家の屋根裏と梁の間に立てる短い角柱のことです。
udatu.JPG
 これは、宇立・宇太知・卯建などとも書かれ、「うだつ」とか、「うだち」といいます。この宿場のほかにも有名なのは、やはり以前訪れたことがあるのですが、徳島県美馬市脇町に残っている昔の町並みや、岐阜県のほぼ中央に位置する美濃市は、「うだつの上がる町並み」と呼ばれる国選定美濃町重要伝統的建造物群保存地区があります。この「うだつ」の様子が、下には梁があって、上からは屋根に押さえられて、ちょうど伸びるに伸びられず、いかにも困っているように見えるところから、「いつまでたっても、出世する事ができずにいる」ということから「うだつが上がらない」と使われるようになったとも言われます。また、もともと「うだつ」は、火事の延焼を防ぐ「防火壁」の役割を果たしていたと言われ、しだいに装飾的な意味合いが強くなりました。しかし、この「うだつ」をつけるには、かなりの費用がかかったことから、「うだつ」を上げられないのは、甲斐性がないということから、「うだつが上がらない」はなかなか出世しないことを言うようになったという説です。
 このように、建築用語からことわざとか、違う意味に使われるようになった言葉がたくさんあります。有名にところでは「大黒柱」がありますね。大黒柱は、家の中央にあって、最初に立てる柱のことで、民家の土間と床上部との境にある特に太い柱をさしますが、それから家や団体の中心となり支えとなっている人を指すようになります。また、大黒柱の語源は恵比寿大黒、すなわち大黒様から来ているといわれ、大黒様は室町時代から富と豊穣の神として祭られていたことから、一家を支えるという意味になったとも言われています。それから、「あの人は几帳面な性格だ。」という几帳面も、もともとは建築用語です。奈良時代に上流家庭でよく使われた几帳(室内で貴人の座るそばに立て、間仕切りや風除けに用いられた家具)の柱は角を削り取った後に、さらに刻み目を入れた面の取り方が多く用いられ、この種の面を几帳面というようになり、几帳面の形がいかにもきちんとして端正に見えるところから、折り目正しくきちんとしていることを「几帳面」というようになったのです。
 それから、日本人の特徴といわれる「本音と建前が違う。」という建前も、「上棟式」のことをいう建前が語源です。建て前というのは家屋の建築で、柱や棟、梁などの主な骨組みを組み立てることをいいます。そういうことから「表向きの方針、原則」を意味する言葉となりました。しかし、本来の建前は、これから出来上がっていく建物の基本となる骨組みや柱、梁などを組み立てることですので、これが本音でなければならないので、表向きだけであってはおかしいと思うのですが。いつから、どうして本音と建前が違ってくるのでしょうか。本音と建前が同じであるというよりも、きちんとした建前があってこそ本音が語れるのだと思います。

投稿者 fujimori : 21:39 | コメント (2)

2007年09月23日 近頃思うこと

不思議な日本

9月1日の「世界一受けたい授業」というテレビ番組で、『外国人には信ジラレナ~イ マカ不思議?疑問だらけのニッポン人!』というタイトルで、日本独特の風景を写していました。その最初の写真は、「ティッシュを配る人」です。便利なポケットティッシュを日本ではいつでも、どこでもタダで配っています。他にもシャンプーや化粧品などを無料で配っていることもあります。アメリカでもたまに見かけるそうですが、配っていても割引券ぐらいのようです。いつごろかわかりませんが、確かに人通りが多い街角では、ポケットティッシュを配っていることがあります。これは、もちろん「販促ツール」です。しかし、販促ツールといえば、チラシやパンフレット、リーフレット、DMなどの印刷物、店頭を飾るPOP類、ポスターなどを思い浮かべます。最近では、メルマガなども、広い意味では販促ツールです。どんな販促かというと、認知度アップの為、集客する為、購入促進の為、継続利用の為などさまざまな目的があります。それらの中で、今、圧倒的に多いのがポケットティッシュですが、なぜかというと、消費者にもっとも身近な広告物としての効果が高いからです。ですから、都市部を中心に全国で年間約30億個も配られているそうです。「ポケットティッシュ」が、それまでの「マッチ」に代わって広告として最初に使われたのは、銀行での「粗品」としてです。当時の銀行は、大々的に広告することが制限されていました。そこで、ポケットティッシュがぴったりでした。ですから、今でもサラ金と呼ばれるような金融系に多く持ち入れられています。また、なぜポケットティッシュかというと、いくつか理由があるようです。まず、男性でも女性でも、誰もが日常必要とするモノであること。コンパクトで鞄やポケットに入れておく事ができること。保存性の高さと接触回数の多さはポケットティッシュの最大の特長だと言えます。しかし、最近は、あまりに配りすぎて、その効果も薄らいでいる気がしますが。
次にテレビで紹介された日本の特徴は、「降車ボタン」の数です。日本のバスには降車ボタンが1台に30個も40個もあります。それが、アメリカでは1個か2個だそうです。これは日本人が恥ずかしがり屋で、他人に「押して」と頼めないからだと言います。このボタンを押すのは、恥ずかしいだけでなく、いろいろな思惑が交錯します。以前のブログにも書いたのですが、降りるぎりぎりまで待って、誰が待ちきれなくて押すかという葛藤です。なんとも馬鹿らしい話ですが、そんな気持ちになります。また、迷うのは、終点のバス停でも押したほうがいいかということです。まさか、押さないからといって、乗客がいるのに車庫まで直行するわけはないと思うのですが。
次に外国人から見て不思議なのは、本を買うとカバーをしてくれることだそうです。アメリカでは本はむき出しです。ですから、誰が何を読んでいるのかがわかります。そのテレビで授業をしたマイケル・プロンコ氏は、最初、日本に来た時、誰もがカバーのついた本を読んでいるのを見て、みんなポルノ小説を読んでいるのかと思ったそうです。また、日本では立ち読みも普通にしていることも不思議だったそうです。アメリカでは普通、本屋に椅子があって、そこで座って読んでいます。それは、ドイツでもそうでした。
私たちが当たり前と思っていることが、世界では珍しいことも多いようです。

投稿者 fujimori : 20:04 | コメント (4)

2007年09月22日 近頃思うこと

小学生の意識2

文部科学省は今月八日までに、すべての小中高校や幼稚園に対し、教職員らによる自己評価の実施と結果公表を義務付ける方針を固めました。この自己評価は、保護者や地域住民らによる外部評価の実施も促進させる考えで、年内にも学校教育法施行規則を改正するようです。そして、この評価結果を積極的に校外にも示すことで「開かれた学校づくり」を目指します。自己評価は現在、省令で各学校の努力義務として位置付けられています。そこで、2005年度、公立学校の98%が実施しました。しかし、結果を公表したのは、そのうち58%にとどまっています。さらに、日本PTA全国協議会の調査では、子どもが通学している学校が評価結果を公表しているかどうかを、保護者の76%が「分からない」と回答。公表方法の問題点も指摘されています。そこで、文科省は、外部評価を導入している学校が84%にとどまっている実態と併せ、施行規則改正で学校評価の実効性を高める必要があると判断したのです。それに呼応して、厚労省でも今回の保育所保育指針の改訂版の中間答申の中には、保育園にも自己評価が義務付けられています。これで、直接学校とのかかわりを持たない専門家らによる「第三者評価」や「自己評価」や「外部評価」がされることになります。
 以前のブログでも書きましたが、ドイツでは、幼児から自己評価をします。今日の自ら課題を見つけ、自ら取り組んだ活動に対して、深まったと思うか、きちんと取り組めたか、何か習得することが出来たかを自分で評価します。そして、その評価結果を次の活動に反映します。私が訪れたドイツの幼稚園で、年長さんが行っていたことです。いつも大人が話をし、指示して子どもを動かし、言われたとおりに動くことをよしとしている日本の子どもたちには、考えられないことです。また、試験をしたり、子どもに発問したりしてそれを確かめてきた、他者評価の教育では、子どもたちは自分を見つめる力が衰えて来、それが大人になっているのですから、自己評価ができるのでしょうか。自己評価を義務付けるのであれば、幼児教育からそのような保育をするような取り組みが必要です。
 ベネッセ教育研究開発センターの調査で、現在の自分の成績についてたずねたところ、上位(7段階で「1」または「2」を選択した比率)は東京がもっとも少なく22.3%でした。つづいて、ソウル29.9%、北京34.8%、ヘルシンキ40.3%、ロンドン43.2%、ワシントンDC54.9%となっており、総じて欧米3都市の小学生の自己評価が高く、東京は最も自己評価が低かったようです。これは、謙虚なのでしょうか。自分に自信がないのでしょうか。ちょっと違う気がします。北京の小学生のとりたいと思う成績では、9割弱の小学生が7段階の最上位「1 (上のほう)」を選んでいるように意欲も高く、日ごろから勉強のことを強く意識していることがわかります。ところが、東京は他の都市に比べて、「どうしても好きになれない科目がある」「上手な勉強の仕方がわからない」を選択する比率が高く、「新しいことを知るのが好きだ」を選択する比率が低くなっています。また、勉強がどのようなことに役立つかをたずねたところ、ほとんどの項目で「役に立つ」という回答の比率は、東京がもっとも低かったのです。そして、がんばればとれると思う成績をたずねたところ、ここでも東京はもっとも低い比率でした。意欲がなく、希望もなく、自己肯定感が薄い東京の子どもの姿が見えてきます。

投稿者 fujimori : 21:04 | コメント (3)

2007年09月21日 近頃思うこと

小学生の意識

 9月15日の日経に「薄れる高学歴志向、「勉強役立つ」東京低く・国際6都市小学生調査」ということで、ベネッセ教育研究開発センターの「学習基本調査・国際6都市比較」が紹介されていました。この調査は、昨年6月から今年1月に、6都市(東京、ソウル、北京、ヘルシンキ、ロンドン、ワシントン)の10―11歳の小学生(ロンドンは6年生、ヘルシンキは4年生、他は5年生)約6000人に聞いたものです。学校外の学習時間は都市によって異っていますが、東アジア3都市は学習時間が長いのに対して、欧米3都市では学習時間が短く、かつ学校の宿題が中心です。これは、わかりますね。韓国や中国は、子どもの教育が過熱し、必死で子ども自身も勉強しようとしています。その反対に、ヨーロッパやアメリカなどは、受験などなく、基礎的な学力をつけることに重点が置かれています。その中で、この結果では、東京では、どちらかではなく、不思議な現象が起きています。東京の小学生の平日の学習時間は、ソウル、北京に次いで長く、平均で100分を超えますが、学習時間は「およそ30分」「1時間」の子どもたちと、「3時間30分」「それ以上」(3時間30分を超える)という子どもたちの二極に分化しているのです。また、通塾率が高いのも東アジアの他の2都市と共通してみられる傾向で、5割の小学生が学習塾に通っています。それにしてもソウルの小学生は、よく勉強しますね。平日の学習時間が長く、平均で145.8分にもおよんでいるようです。しかも、回答としてもっとも多かったのが「それ以上」(3時間30分を超える)で、およそ4人に1人の割合もいるそうです。もちろん、その背景には受験があり、そのための通塾があります。学習塾に通っている小学生は7割を超えています。さらに、そのうちの7割が週5日以上、学習塾に行っています。また、習い事では半数の小学生が「外国語」を学んでおり、学校外の学習機関が発達している様子がわかります。確かに日本でも、東京では、塾に通っている小学生をよく見かけます。土曜日や日曜日でも、おそろいのバッグを背負って、電車に乗っている小学生がいます.博物館に行ったり、美術館にいたりと家族で校外でしか出来ない学習をするようにといって休みにした土曜日に塾に行っているのです。かたや、前日の金曜日は遅くまでテレビやゲームをやり、土曜日は昼までごろごろ寝ていている小学生も多いようです。この二極文化は、どうして生まれたのでしょうか。確かにかなり前から格差社会といわれています。しかし、日本よりももっと格差社会といわれ、その問題点が世界で指摘されてきたイギリスはどうかというと、ロンドンの小学生は、平日の学習時間の平均が74.1分で、日本を始め、アジア諸国に比べるとかなり少ないものの、他の欧米諸国同様、宿題が占める比率が高く、「『勉強は学校だけですればいい』と思う」を肯定する比率(64.6%)はワシントンDCに次いで高く、宿題以外に学校外で勉強しようという意識は強くないようです。とはいえ、勉強が生活や職業などのさまざまな面で役に立つと感じていて、「一流の会社に入るために」「お金持ちになるために」「心にゆとりがある幸せな生活をするために」「趣味やスポーツなどで楽しく生活するために」など多くの項目で、「役に立つ」と回答する比率は他の都市の小学生よりも高い結果が出ています。その点、東京の子は、勉強の効用についてたずねた設問では、ほとんどの項目で「役に立つ」という回答が他の5都市と比べ、もっとも低かったようです。勉強が将来の生活や職業に役立つと考える傾向が、他の都市の小学生よりも弱いので、自ら勉強をしようとしないのでしょう。なんだか、将来が心配になってきます。

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2007年09月20日 近頃思うこと

プラモデル

 来年は国産プラモデル50周年だそうです。マルサンという会社が、プラスチック製玩具の研究を行い、日本最初のプラモデルを1958(昭和33年)年12月に発売して全国流通させました。ということで来年50年目に当たるのです。私も、子どものころプラモデルに凝ったことがありました。プラモデルは玩具の一種ですが、女の子はあまり夢中になった時期はないかもしれませんが、男の子は夢中になったものです。正式には「プラスチックモデルキット」と言いますが、プラスチック製の模型などを指定商品として、日本プラモデル工業協同組合が所有する登録商標であり、プラスチックモデルという普通名称の略称ではなく、和製英語です。もともとは、日本で始めて売り出したマルサンが翌年に商標登録したために、他のメーカーは「プラ模型」「プラキット」などといわなければなりませんでした。その後、商標権はマルサン倒産(1968年)に際し大手問屋の三ツ星商店に売却され、1975年日本プラスチックモデル工業協同組合に移譲されたのです。今は、各社自由に使ってかまわないことになっています。キットと呼ばれる組み立てることができるプラスチックの部品と、組み立て説明書とを紙箱に詰めたセット状態で売られていることがほとんどでしたが、小型のものの場合は、ブリスターパックやビニール袋に入れて売られている場合もありました。呼び方も、プラモデルというのを略して、「プラモ」と呼ばれることもありました。もともとは、1936年にイギリスのフロッグというライトプレーンメーカーが発売したのが始まりと言われています。シリーズ名はペンギンでイギリスの戦闘機や爆撃機が1/72スケールで発売されました。なぜ、ペンギンと呼ばれたかというと、それまでの飛行機の模型は、ゴム動力で飛びましたが、このプラモデルの飛行機は、飛ぶことが出来ないために、鳥なのに飛ばないペンギンと呼ばれたのです。そして、第二次世界大戦後、アメリカでブームとなりました。イギリスでは、飛行機中心でしたが、アメリカでは艦船や自動車もプラモデル化されました。そのころ、日本では、ブリキや木材やセルロイドでできていた玩具や模型でした。とくに、模型は加工しやすく強度もある木材が主構成材でした。その模型は、日本軍の戦闘機を中心とした航空機が人気でした。しかし、戦時中、天然素材に依存していたゴムが不足し、ゴムを動力源にして動くタイプの模型は作れなくなりました。また、戦後の1954年、ニューヨーク市消防局が日本製のセルロイド製玩具は発火性が高く危険と声明を出したため、市場からセルロイドが姿を消します。当時のマルサンはセルロイド製玩具、光学玩具、ブリキ玩具を主力商品として扱っていた会社でしたが、プラスチック製玩具の研究を行い、それに乗り換えたのです。そのころ、私が夢中になったプラモデルは、「戦艦大和」はじめ、様々な戦艦や、戦闘機が多かったような気がします。それは、それが戦艦というよりも、細かいパーツがたくさんあり、その出来上がりがとても美しかったからです。それが次第に、金閣寺とか、姫路城とか建物の美しさに惹かれるようになり、面白いものとしては、ドラムセットとか、机の上の装飾的なものになってきました。私が、模型に興味を失ったころ、1980年(昭和55年)、バンダイよりガンダムのプラモデル(以降ガンプラ)が発売されると、それは大人気となり、出荷後すぐに店頭から消えるという慢性的な品薄状態となりました。まさしく、模型業界において1980年代はリアルロボットアニメとそのキャラクターモデル発展の時代でした。それに反して、実物の縮小物の模型は姿を消していったのです。私は、やはり模型は、その実物をよく知るために、その縮小されたものを忠実に再現することによって、そのものの理解を深めるためのもののような気がしますが、古いのですかね。

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2007年09月19日 地域を知る

アンテナショップ

 よく、東京の人は東京タワーには登ったことがないといいます。それぞれの地域には、それぞれの観光名所がありますが、意外とその地域の人はそこを訪れる事が少ないようです。私がある地域を訪れるときに、時間があったら行きたい場所を調べていくことがあり、「どこか、行きたい所がありますか?」と聞かれて答えると、その地域の人が知らないことがあります。また、食べるものでも、その地域の名産品は、その地域の人でも知らないことがあります。私も、東京名物「東京ばなな」は食べたことはありませんでした。そこで、地方から見えた方にリクエストをして、一度買ってきてもらったことがありました。逆に、自分の出身地でよく食べていたものを無性に食べたくなることがあります。ドイツに行っていると、意外とラーメンとか、焼きソバが食べたくなります。寿司とかは最近どこでもあるのですが、おいしいラーメンは日本しかない気がします。夏にドイツから高校生が来ていたときに、いろいろなところに食べに連れて行ったのですが、余り食欲がありませんでした。ふと気がついて、最後の晩にドイツ料理に連れて行ったところ、喜んでたくさん食べていました。日本に来たからといって、気を使って日本独特ものや、日本らしい食べ物のところばかり連れて行かれていたようです。そんなことで、それぞれの地域の特産品を紹介したり、また、ふるさとの味を楽しんだりするために各地に、各地のアンテナショップがあります。特に、東京には、全国のアンテナショップが人が多く集まるいい場所に作られています。今週の「メトロガイド」では、その特集が組まれていました。そこに掲載されている特産品を、その地域の人は知っているでしょうか。たとえば、「いわて銀河プラザ」(銀座)では、「田老かりんとう」「盛岡冷麺」「金のヨーグルト」「じゃじゃ麺肉味噌付き」が紹介されています。「かごしま遊楽館」(有楽町)では、「いも焼酎」「もろみ酢紫いも」「さつまいも天」が紹介され、併設のレストランでは、「黒豚しゃぶコース」が食べられます。「いきいき富山館」(有楽町)では、「ます寿司」「ビアンコ・マンジャーレ」です。「銀座わしたショップ」(銀座)では、「仕次ぎの酒」「あぐーの餃子」、「滋賀県東京観光物産情報センター」(有楽町)では、「ひこにゃんぬいぐるみ」「鮎のやわらか煮」、「表参道・新潟館ネオパス」(神宮前)では、「栃尾の油揚げ」「魚沼かぐら辛っ子」「梅エキス」「純米吟醸八海山」「笹団子」で、レストランで、新潟産コシヒカリや、栃尾の油揚げ2種が食べられます。「サテライトショップふくしま」(上野)では、「桃ジュース」「会津磐梯ハスカップ」、「越前・若狭の特産館ふくい南青山291」では、「地酒」、「日本橋島根館」(日本橋)では、「セミドライ干いちじくたきのささやき」「松江地ビールビアへるん」「出西生姜」「頑固親父のこだわりキムチ」「葉楽koto特選Green Tea」で、レストランでは、「桶盛り海鮮がいな丼」が食べられます。「広島ゆめてらす」(新宿)では、「ふるさとレモン」「尾道佃煮特上しそ昆布」「かき炭火焼」で、レストランでは、「ピリ辛つけめん」が食べられます。「新宿みやざき館KONNE」(新宿)では、「東国原」(いも焼酎)「日向夏ドレッシング」「赤どりプレミアム」「ひや汁」で、「チキン南蛮」が食べられます。「香川・愛媛せとうち旬菜館」では、「まめや高瀬緑茶ケーキ」「御栗タルト」で、「おいでませ山口館では、「ふくの白雪づくり」「うに伝説」です。まだまだあるのですが、逆輸入ではありませんが、私も「東京愛らんど」にある「赤イカ塩辛」「ラム酒」や多摩酪農家発の「東京牛乳」などは一度も食したことはありません。

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2007年09月18日 新聞記事より

猿と幼児

 今日の朝日新聞に、とても興味深い記事が掲載されていました。そのタイトルは、「問題解決法のまね、2歳児が猿に圧勝 独・研究所が調査」というものです。この調査を行ったのは、独マックス・プランク研究所というところです。マックス・プランク研究所とはマックス・プランク協会が維持・運営するドイツを代表する学術研究機関の冠名称です。戦前のカイザー・ヴィルヘルム協会の後継機関ですが、このころは、米国亡命する前のアインシュタインがベルリン・カイザー・ヴィルヘルム化学・物理学研究所の所長を務めていたことでも有名です。最近、ドイツの幼児教育者がよく子どもの発達を言うときに脳にとってどうなのかをいうことがありますが、どうも、この研究所の研究からの報告のようです。今回の調査も、「人と類人猿の知能の差はどこにあるのか――。」ということで、これまでになく大規模で多様な知能テストを実施して、幼児と類人猿を比べたようです。その結果、ほとんど差がない分野も多かったのですが、人のまねをして問題を解決するといった社会的な学習能力では、幼児が類人猿を圧倒したということです。その調査結果の論文が、米科学誌サイエンスに掲載されました。どんな結果かというと、「2歳半の幼児105人、3~21歳のチンパンジー106頭とオランウータン32頭を対象に、多数の課題で知能テストをしたところ、三つのコップのうち二つに食べ物を入れてコップを選ばせるなどして調べた空間記憶や、数量や因果関係に関する認知能力では、幼児とチンパンジーの成績はほぼ同じでした。また、オランウータンも空間記憶と因果関係の認知能力では劣ったのですが、数量に関する認知能力では幼児と差がありませんでした。ところが、プラスチックチューブの中身を出すところを見せると、幼児は上手にまねするが、類人猿はチューブをかんで壊そうとした。問題解決法のまね、他者の意図の理解など、社会的な学習能力は幼児の方が圧倒的に高かったのです。」今までも、少数を比べて「チンパンジーは幼児並みの知能」などとする研究はこれまでもありましたが、これだけ大規模な比較は初めてだそうです。「人の脳は能力全般が高くなったのではなく、社会的な学習能力が突出して進化し、文化的適応が可能になったとする説を支持する結果だ。」この結果では、私は、記憶や因果関係などの認知的な作用は、脳の後頭葉が主につかさどっており、その後頭葉は、チンパンジーなどの動物でも持っていますが、社会的な学習、他者を理解する力などの人とかかわる力をつかさどっている前頭葉は、人間しか持っていません。ですから、たとえ2歳児であろうが、類人猿とその能力に差が出るのは当然だといえます。この研究所は、2004年にも動物と人間の能力の比較をしています。それは、「犬は基礎的な言語能力を備えている」というものです。犬が「お座り」や「お手」、その他いくつかの言葉を理解することは私たちも経験的に分かります。いったいどれくらいの言語能力を持っているのかをこの研究所で調べた結果、何と、ものにはすべて名前があることを理解したうえで、200種類もの名前を記憶したそうです。3歳の幼児と同じ程度とのこと。そのときに、松井智子・国際基督教大学準教授(言語学)は「幼児の方が語彙が圧倒的に多いなど、人との差は大きいが、犬にも高い言語能力があると示した点で面白い」と話していますが、やはり、物を覚える後頭葉は、犬も持っています。これからは、人間らしさを発揮するためには、物を覚えるというよりも、問題解決、他者の意図の理解など、社会的な学習能力が必要になってきます。

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2007年09月17日 近頃思うこと

ニュートンとシーラカンス

 今日、昼食を食べにラーメン屋に入ったときです。そこにおいてあった雑誌が「ニュートン」でした。この雑誌は、ニュートンプレスから刊行されている月刊科学雑誌ですが、当時、東京大学教授を退官した竹内均氏を編集長として創刊されました。竹内氏は、私は、アポロが始めて月面着陸をしたときの解説者をしていたという印象があります。彼は、「正しい科学知識を日本国民に広め日本の科学水準を上げる」ということで、さまざまなラジオ・テレビ・新聞などのメディアを使い、啓蒙活動を続けていたからです。特に彼が重視したのは「子ども」です。「科学的素養は子供のうちにつけておかなければならない」という信念の元、満を持してつくったのが科学雑誌『Newton』なのです。この精神は、今の編集長である水谷 仁氏に受け継がれています。彼は、こう言っています。「科学は日進月歩でとどまるところを知らない。日々これまで謎であったものがときあかされ,また新しい謎が生まれている。これまで常識だったものが,新しい常識にとってかわられようとしている。科学の世界はまさにダイナミックな変化をとげている。ニュートンはこのような発展する科学を読者に紹介し,新しい自然観を共有したいと考えている。」私たちは、常識と思っていたことが、そうではないことが常識になっていることになかなか気づきません。特に、科学と違って心の中の変化は、意識して見ていかないとわかりません。しかし、科学の分野のように目に見える変化でさえも、なかなか他人には理解をしてもらえず、かつてからの常識が真実を見る眼を曇らせるようです。今日見たこのニュートンという雑誌の特集は「撮影成功!洞窟にひそむシーラカンス」(2006年9月号)というもので、2006年5月30日に水中で撮影されたシーラカンスの様子をドキュメンタリー形式で伝えています。撮影に成功したのは、「アクアマリンふくしま」のスタッフで、インドネシア スラウェシ島北部沿岸水深100~300mの海域を、自走式水中カメラを用いてのことでした。これは、世界では2例目で、日本ではじめてとなる水中撮影成功であり、4例、のべ7個体の撮影に成功しました。そして、その年の12月にも3例、のべ3個体の撮影に成功しました。この恐竜と共に絶滅した古代魚だと思われていたシーラカンスが始めて発見されたときも随分と劇的なことでした。このヒレの数が全部で8枚あるシーラカンスの模型を、少し前に島根の水族館で見ました。
sirakansu.JPG
 そこには、模型と一緒に発見された時のことが書かれていました。発見されたのは、偶然の出来事でした。たまたま現地で捕らえられた魚を写生して他の専門家に鑑定を依頼したのです。しかし、それは、エセ学者だ、見間違いだ、売名行為のハッタリだと無視されました。見つけることも、それを認めることもなかなか難しいことです。模型の横に書かれてあった文字を写真に撮ってきたのですが、一部しか写っていませんでした。それを紹介します。「漁船が運んできた見慣れぬ生き物が実は、6500万年前に絶滅したはずの化石として知られていた魚類の仲間だったのです。この発見は、単なる偶然ではなく、発見者の普段から何にでも興味を持つ強い好奇心と細かなことも見逃さない観察力があったからです。科学が発達した現代でも、海の中には未だ人に知られていない生き物がたくさんいます。身の回りの見慣れたものでもよく観察す」ここまでですが、言いたいことはわかりますね。ただの偶然というものはないのかもしれません。

投稿者 fujimori : 20:48 | コメント (3)

2007年09月16日 記念日

縦横比

 ブログでも何回か書いたかもしれませんが、「今日は何の日」というのがあり、その理由が記念日であることはわかるのですが、語呂合わせで決められているのは、余り意味はないようですが、その日を覚えているにはいいかもしれません。そんなことで、今日の9月16日が「ハイビジョンの日」というのは、どうしてだと思いますか?この日は、通商産業省(現在の経済産業省)が制定したものですが、ハイビジョンの画面の縦横の比率が9:16であることから決められています。この画面の縦横比(アスペクト比)は、人間の視野に合わせて決められています。ちなみに従来の標準は、3:4です。アナログ放送の画像は、横に走る多数の線により構成されています。それを[走査線]といいますが、この走査線をブラウン管のビーム銃は、横向きに左から右へと首振りしながら再現し、右端まで行ったら次の走査線の左端に戻ります(水平帰線)。そして一番下の右端まで行くと一番上の左端に戻ります(垂直帰線)。その走査線の数が、従来のアナログ放送では、525本でしたので1125本にすると約倍の解像度が得られ、美しい画面を見ることができるということで、ハイビジョンの規格で走査線の数を1125本に決めました。ということで、11月25日が郵政省(現在の総務省)とNHKが制定した「ハイビジョンの日」となっています。しかし、この1125本アナログのハイビジョンは全く普及しないまま2007年で終了し、現在は、それに代わってデジタルハイビジョンの実験放送が始まっています。これはパソコンの画面と同様に画像を線ではなくドットで表現する方式であり、1080iという方式と720Pという方式がありますが、1080iの方が標準となっています。1080iというのはインターレース方式で、1920×1080ドット、720Pはプログレッシブ方式で、1280×720ドット、となっています。
縦横比といってもっと身近に思い出すものに紙の大きさがあります。紙には、大きさを表すものにA4とかB5というように、AとBがありますが、ともに縦横比は、1:ルート2です。そして、記号の次の数字が1つ増えるごとに、長い方の辺を二つ折りにしたものです。例えばB4版の紙を二つ折りにすると、B5版になります。逆にA5版の紙をふたつ並べるとA4版のサイズになります。そして短辺と長辺のこの比率は、何回二つ折にしても縦横の比率が変わらないように考案されたものです。また、A原版(A0版)は、面積が1平方メートルになるように設定されたものです。そしてこれが国際的な標準規格になっています。それに対してB原版(B0版)は、面積が1.5平方メートルになるように設定されたものです。これは日本特有の規格で、美濃半紙に由来しています。ですから、以前はB版を使うことが多く、ノートやファイルなどこれに対応していましたが、このよく見るB5サイズの大学ノートやレポート用紙など、海外では見かけません。最近は、A版が多くなりました。B版の基になった美濃判は、江戸時代に徳川御三家のみが使用を許されていた由緒正しい規格で、明治になってから一般に普及したものです。洋紙が使われるようになると、日本の印刷方式に合った用紙として、美濃判の約8倍の大きさの「大八ツ判」という紙が出回りました。このサイズの全紙を32面取りして裁ったものが四六判で(つまり美濃判の4分の1の大きさ)、寸法が昔の単位で言うところの四寸二分×六寸二分になるところから「四六判」と呼ばれました。 随分と比率は、ややこしい決め方をしたものですね。

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2007年09月15日 近頃思うこと

寝転ぶ

 昨日のブログを書いていて、ホッとする時ということで、思い出したことがありました。ずいぶん前のことになりますが、盛岡城に行ったとき、そこにある石川啄木の歌碑を思い出しました。そこにある歌は、「不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし十五の心」というものです。
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 不来方(こずかた)城とは南部藩の盛岡城のことです。この歌碑は市民の憩いの場になっている盛岡城趾公園の一角にあり、その石に刻まれた書は、同郷の友で著名な言語学者の金田一京助のものだそうです。この内容は、啄木が、この城から200メートルほどしか離れていない所にあった盛岡中学に在学していた時、しばしば教室の窓から逃げ出して城にやってきて、草の上に寝ころんで文学書や哲学書を読みあさり、昼寝の夢を結んだというときのことを詠んだものです。草の上に寝転ぶというのは、なんとも開放感があります。真上を向いて寝るので、目に映るものは大きく広がった空だけです。目の前に大きく広がる空を眺めていると、まさに、「空に吸われし」という気がしますし、特に、あの狭い、拘束されている教室から抜け出して寝転ぶと、よりそのような気分になるでしょうね。寝転ぶことは、草の上だけでなく、人を開放感に浸らせます。5年位前に、人間型ロボットによる起き上がったり・寝転んだりする動作に世界で初めて成功したという報道がありました。仰向け(うつ伏せ)状態から起き上がって直立状態へスムーズに遷移したり、さらに、直立状態から仰向け(うつ伏せ)状態にスムーズに遷移することを可能としたというのです。この動作をさせようと思ったのは、まさか、ロボットが寝転んで瞑想にふけるためではなく、たとえ倒れても起き上がり、作業が継続できるという、働く人間型ロボットの必須条件の実現に大きく前進したことになるということのようです。また、さらに、これまでの一度の失敗も許されない「如何に倒れないように歩くか」一辺倒であった人間型ロボットの運動制御の技術開発方針を、「失敗を許容してそこからどのように回復するか」という方向に大きく転換させるものでもあるそうです。これは、とても面白いと思います。というのは、もしかしたら、人間も寝転ぶというのは、人生を如何に失敗しないように生きるかという一辺倒な考え方から、失敗を許容して、そこからどのように回復するかということが大切かを気づかせる行為かもしれません。しかも、草の上に寝転ぶというのは、果てしない大空を眺め、そこに流れる雲と対話をするわけですから、人間の失敗の小ささを、より実感することが出来るのでしょう。このロボットの開発のポイントに「“転んだらおしまい”という人間型ロボットの弱点克服に大きく前進した。」あります。確かに、人間の弱点は、転んだらおしまいと感じてしまうことであり、逆にそこから起き上がることが出来るのも人間なのでしょう。

投稿者 fujimori : 21:52 | コメント (4)

2007年09月14日 近頃思うこと

気分転換

 よく、私の園に来て、3,4,5歳児の保育室に行って子どもたちのたくさんいる中でじっと座っている人がいます。なぜかというと、そこにいると心が落ち着くのだと言います。また、以前、障害を持った男子高校生が私の園に来て、実習をしたことがありました。その人が実習をした初日、家に帰ったときに母親からこう言われました。「初めての日だから、疲れたでしょう。」そのときに彼は、こう答えたそうです。「疲れるどころか、普段の疲れが吹っ飛んだよ。だって、人って、子どもといることは自然なことだから。」また、こんなこともありました。高校に入学した直後から不登校になって、学校を辞めた青年が、ボランティアで保育園に来て、子どもと遊んでいるうちに、高校にもう一度行ってみたいと思うようになって、翌年高校に入り直して、生徒会長になりました。私も、出張から園に帰ってくると、まず、保育室に行って、子どもの顔を見ます。ホッとするからです。仕事で疲れて家に帰って、子どもの寝顔を見ると疲れが飛んでしまう人も多いと聞きます。子どもには、そんな癒しを与える力がある気がします。疲れたとき、何かにいやになったとき、子どもの顔を見たり、子どもと触れ合うことで癒されてくるのを感じます。しかし、最近、子どもと一緒にいることで癒しを感じるよりも、ストレスを感じる人が多くなってきた気がします。オリコンが「あなたのプチ休憩所」についてのアンケート調査を実施しました。仕事を思いきりサボるほど時間はないけど、ちょっとだけ気分転換したい時に、そんな場所をどこに求めるかという問いにどこと答えたのでしょう。総合1位には「トイレ」が選ばれました。トイレという場所は、どうも社会人にとっては用をたすだけではなく、トイレの中でいろんな形で気分転換を図っているようです。なぜトイレかというと、「個室の中でなんとなく落ち着く」(大阪府/20代/男性)、「喜怒哀楽を他人から見られずに済む」(愛知県/30代/女性)、「1人になれる」(大阪府/30代/男性)と、完全に1人きりになりたい時にトイレに行くという人が多いようですし、また、「眠い時、少し寝ます」(東京都/30代/女性)、「広いしトイレも鏡もあり、ちょっとした自分空間」(大阪府/20代/女性)など、自分の部屋さながらにリラックスする女性も多いようです。総合2位は「喫煙所」です。この場所は、男性からの圧倒的な支持を得たそうです。「仕事と関わらない人と話ができる」(兵庫県/40代/男性)、「タバコで一度気持ちをリセットできる」(愛知県/20代/男性)など、タバコや雑談でリフレッシュするという、気分転換のために利用する人が多いようです。なかには、タバコを吸うかどうかは別として「喫煙所しか休憩できるところがない」(東京都/20代/女性)という人もいたそうです。逆に女性から大人気だったのが総合3位の「給湯室」です。「上司に見られなくて人の邪魔にならない場所だから」(東京都/20代/女性)と、上司や先輩、男性社員など、特定の人たちから離れられるところであり、「コーヒーブレイクを楽しんでいます」(大阪府/30代/女性)と、自分だけのためにお湯を沸かしている人もいるようです。休憩をする理由として多かったのは、「1人になれる」、「わずらわしいことから離れられる」などのようですが、子どもがストレスの原因であるという人は、どうも、子どもという存在が、自分一人でいることを邪魔する存在と感じる人のようです。いつから、人が一人でいることが好きになったのでしょうか。

投稿者 fujimori : 23:30 | コメント (5)

2007年09月13日 近頃思うこと

R25

 今、駅構内やコンビニなどに無料の雑誌が置かれています。その多くは、住宅情報のようなものと、就職情報のようなものなのですが、その中で、若者の間で人気のある雑誌が、「R25(あーるにじゅうご)」という、リクルートが発行するフリーペーパー週刊誌があります。この週刊誌は2004年7月1日に創刊しました。今は、毎週木曜日に約55万部が発行されているそうです。ただ、残念なことに東京圏(東京、神奈川、千葉、埼玉)にしか置かれていないようです。R25の「R」とはよく映画などにR指定というのがありますが、このRと同じ意味で、リストリクト(Restrict:制限)という意味です。つまり、R25とは25禁の雑誌で、25歳から団塊ジュニア層の30代までの男性という、従来型総合週刊誌の購読者より若い年齢層をターゲットにしています。編集部では、「世間では「元気がない」なんていわれて、ちょっと悔しいこの世代の男性に向けて「オトコ視点」で編集しています(女性の方ゴメンナサイ)。またレビュー記事が25個あるので「レビュー25」という意味もアリ。」と言っています。その年齢を対象に、政治や社会などの時事情勢の解説、著名人へのインタビューなどの記事で構成されています。通常40~50ページと通勤時の電車内でちょうど読みきれる程度のボリュームで、各記事も一駅分ほどのコンパクトさにまとめる方針がとられています。また、この類の雑誌は、特に無料となると本文よりも広告のほうが多いくらいで、結局は宣伝かとがっかりすることが多いのですが、このR25は、余り広告が目立ちません。それは、俗にナショナルクライアントと呼ばれる大手広告主からの広告を収益源としているからのようです。また、この企画はリクルートの社内新規事業提案コンテスト「RING」で、20代社員が提案し受賞した企画が事業化の出発点となったといわれています。なぜ、25歳をターゲットにしているかと言うと、やはり編集部では、「今年、25歳になる人が生まれたのは1979年。東京サミットが開催され、英国では先進国初の女性首相となるサッチャー首相が誕生した年です。この年にはインベーダーゲームが流行し、そして機動戦士ガンダムが放映されました。当誌メイン読者のM1世代(20~34歳の男性)は首都圏で300万人(独自調べ)ほど。 成人してから早数年。社会や仕事先でも責任ある立場になりつつあり、情報の理解やコミュニケーションに苦労することも多いのでは?そんなあなたを応援するつもりで、私たちはR25を作っています。」この雑誌が面白いのは、もちろん対象の25~30歳代の人だけではなく、私の年代が読んでも面白いのは、若い人の考えとか、興味があるものを知ることが出来るからです。今週号の最初に記事では、「R25世代が選んだ“ぼくらの機械遺産”とは?」でいうことで、若い人たちが機械遺産に認定したいアイテムのベスト5が掲載されています。1位ファミリーコンピューター(任天堂) 2位ウォークマン(ソニー) 3位ウォシュレット(TOTO) 4位AIBO(ソニー) 5位QV-10(カシオ計算機/デジタルカメラ)だそうです。なるほどと思いますね。しかし、本当の「機械遺産」とは、日本機械学会が創立110周年の記念事業の一環として、歴史に残る機械技術関連遺産を大切に保存し、文化的遺産として次世代に伝えることを目的に、日本国内の機械技術面で歴史的意義のあるものを「機械遺産」として認定したものです。ちなみに第1号は「小菅修船場跡の曳揚げ装置」、第2号は「熊本大学の旧機械実験工場と文化財工作機械群」だそうです。こちらのほうを、なるほどと思えるほど私はインテリではなさそうです

投稿者 fujimori : 22:39 | コメント (3)

2007年09月12日 近頃思うこと

かぐや

 明日の予定が、明後日に変更になりました。それは何かというと、安部総理に辞任ではなく、三菱重工業の大型ロケット「H2A」13号機が、鹿児島県の種子島宇宙センターから打ち上げられる予定です。この月探査機「かぐや」は、1960~70年代の米国アポロ計画以来の本格的な月探査を行う宇宙航空研究開発機構の月周回衛星です。打ち上げ予定は、今のところ、14日午前10時31分01秒です。「かぐや」の打ち上げは、当初8月16日でしたが、電子部品の取り付けミスにより明日に予定されていたものです。1969年、アポロ11号が人類史上初めて月面に降り立ったときには、世界中がテレビの前に集まったものです。長い歴史の中で、人類は月を眺めてきました。その明るさや、形が変わる満ち欠け、ぼんやりと映る影などから様々な歌や絵に描かれ、昔話に登場し、想像力を掻き立ててきました。アポロは、その月に降り立ち、石などを持ち帰りました。しかし、当時は人を月に送ることが目的だったため、普段、地球から見ることができない月裏側の様子や、鉱物の存在など多くの未解明な部分が残っています。今回の探索機の探査能力は、世界のこれまでの探査衛星の中ではトップクラスであり、月の起源や進化の謎が解明され、ウランなど新資源が発掘されることなどに夢と期待が膨らんでいます。また、ハイビジョンカメラを使い、月の地平線から地球が昇る、日の出ならぬ「地球の出」も撮影する計画だそうです。この探査機の「かぐや」の名称は一般公募で決まりました。月というと、なにをイメージするかというと、応募総数1万1595件のうち、「かぐや」が最多の1701件だったそうです。それは、もちろん「かぐや姫」にちなんでいます。それほど人気があり、みんなが知っている昔話であるのに、私は、その話を全部を知っている人は少ないのではないかと思います。その話の「竹取物語」「竹取翁の物語」は、日本最古とされる物語で、作者成立年不詳、仮名で書かれています。書かれたのは平安時代の前期と考えられていますが、はっきりとはわかっていません。あらすじとしてみんなが知っているのは、「竹細工を仕事にしている翁が、ある日、竹林に入ると、一本の竹が光かがやいていたので、これを切ると、中から手のひらにのるほどの小さな女の子がでてきた。」というのと、最後の「この姫は実は月世界の人で、満月の夜に迎えの使者たちが来るので、月に戻らねばならない。そこで、帝は使者たちを近づけまいとして、兵士に守らせたが、迎えの天人たちの霊性に手出しすることもできず、姫はするすると天に昇り戻ってしまった。」というところだと思います。もう少しよく知っている人は、「五人の貴公子たちが熱心に求婚してきたので、姫は求婚者たちの真心と力量を試すために、それぞれに難問を託した。」ということで、その難問は「天竺にある仏の御石の鉢」「蓬莱山にある玉の枝」「絶対に燃えない火鼠の皮衣」「竜の首にある五色の珠」「燕の持つ子安貝」を探し出して持参して欲しいというものです。とうぜん、そんなものは現存しないので、すべて失敗してしまいます。しかし、ときの帝の所望は断れず三年ほど付き合った結果、夜を過ごそうとしたときに、実は月世界の人だと打ち明けるのです。そして、かぐや姫は、月の世界に戻るにあたって、帝に手紙と不死の薬を残しますが、不死の薬があっても何の役にも立たないと、帝はそれを天に一番近い山の頂上で燃やさせてしまいます。それ以来、この山は不死の山、別名富士山とよばれ、いまでも不死の煙が立ち上っているのだと書かれています。当時、富士山の火山活動は活発で、煙が出ていました。そんな「かぐや」の目を通して、今回、どんな月を見せてくれるのでしょうか。

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2007年09月11日 新聞記事より

武道

 先日の新聞に「中学で武道必修化へ 中教審体育部会 「伝統文化」重視で」という記事が掲載されていました。これは、中学校の体育で選択制の武道を必修化する方針を決めたというようです。それは、礼儀や公正な態度など、日本の伝統文化に触れる機会を広げるのが狙いです。武道というのは、柔道と剣道、相撲の3種目が指導要領に明記されています。次の日の産経新聞の「主張」には、そのことについて「青少年の間に武道が根付いて、しっかりと根を張るならば、礼節を重んじる日本の国柄の再生に寄与するところは決して小さくないはずだ。」と書かれています。この記事について、考えてしまうのが、今日「山下氏、国際柔連理事選で大敗 執行部から日本人消える」という記事です。これは、国際柔道連盟(IJF)の総会で、教育コーチング理事選挙で再選を目指した現職の山下泰裕・全日本柔道連盟理事が落選し、IJF理事11人の中に日本人が一人もいなくなったということのようです。しかも、理事の座を競ったアルジェリアのモハメド・メリジャ候補に61―123の大差で敗れたのです。そうなると、今後、カラー柔道着や「ゴールデンスコア方式」導入など、欧州主導のルール改正などの傾向が加速しそうだと憂えています。しかし、会長のビゼール氏は「『一本』など、日本語の競技用語を変えるつもりはない」としつつ「観客に分かりやすいようにルールを変える」と明言し、「日本の考えは世界の考えと平行線だ」とも強調しました。私は、このニュースを聞いてまず思い出すのが、東京オリンピックの柔道無差別級決勝戦で、アントン・ヘーシンクに袈裟固めで神永昭夫が破れた瞬間です。私は、中学生でしたが、柔道は日本の競技であり、日本人が勝って当たり前だという認識がありました。他の階級では、思っていたように日本人が金メダルを取ってきたのですが、最後の試合で日本が敗れたのです。これが、日本柔道、日本武道の一大転機だったのです。そのとき「柔道」が「JUDO」になったともいわれています。それなのに、いまだに柔道は、日本の武道だと思っているようです。今回理事を落選した山下氏にしても、文藝春秋の2006年5月特別号で、こんなことを言っています。「このところ私は、国際柔道連盟の仕事などで、年間100日ぐらいは日本を離れて世界を歩いている。外国人との交流も多いが、彼らと話せば話すほど、「日本は世界の人に正しく理解されていないのではないか」という気持ちを抱いてしまう。日本のことをもっと知ってほしい。そのために私は、柔道を通して国際交流を進めてきた。柔道では 「レイ(礼)」、「ハジメ(始め)」、「ヒキワケ(引き分け)」など、試合はすべて日本語で進められる。外国人は最初、まったく意味が理解できないだろうが、柔道を続けていくうちに、次第に言葉の意味に興味が出てくる。そこから更に日本語そのものや日本文化に興味を抱く人も少なくないという。」日本人は、よく日本文化について、「外国人には理解されない」とか「日本人こそ礼を重んじる」とかいいます。今回の武道中学校必修にしても、「礼節を重んじる日本の国柄の再生」というように、礼節は日本人だけの特質かのように思っています。しかし、そんなことを思っているうちに、外国での評価は、日本が大切にしてきてものが、かえって日本人のものではなくなってきているようです。もっと世界に目を向け、世界での動向をきちんと見ていかないと、気がつくと、世界から日本が取り残されてしまっているということになってしまいかねません。

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2007年09月10日 セミナー

セミナー

 今日は、私たちが主催する「保育環境セミナー」が開催されました。このセミナーも今回で第15回になりますが、120名を越える参加者が熱心に受講していました。
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 参加者がこのように多いと、セミナーといってよいのか考えてしまいます。というのは、「セミナー」 [seminar]というのは、「ゼミナール」 [Seminar]と同じ意味ですが、「大学で、小人数の学生が集まり、教師の指導の下に自ら研究し、発表・討論を行う形式の授業。演習。ゼミ。」のことをいうか、「小人数を対象とし、討議などをまじえた講習会。」ということで、どちらにしても少人数を対象にしています。今は、セミナーに参加するとかよく使いますが、思い出せば、大学時代は、ゼミということと同じことなのですね。大学時代を思い出したり、他の人と話すときに「だれだれのゼミを取っていた」ということが話題になりますが、それは、専門分野、もしくは担当教員の名前を取って、何々ゼミと呼ばれることが多いからです。このゼミのときの形態は、「一方的に教員の講釈を聞く講義に対して、教室で、少人数で対話をしたり、一緒にテキストを読んだ上で議論・報告したり、場合によっては合宿・旅行を行って親睦を図ったりするなど、コミュニケートしながら教員、そして学生同士から何かを学び取る時間である。」と書かれています。そう考えると、今回はセミナーなのかと考えてしまいますが、「ゼミナール」の元々の意味は、「種(Same、複数でSamen・転じて精子、子孫)を撒く苗床」の事だそうです。そういう意味では、今日行われたセミナーは、私たちが提案する保育を広めようというものなので、会場は、種を撒く苗床のイメージはあります。ですから、やはりセミナーでいいのかもしれません。同じようによく開催されるものに「シンポジウム」[symposium]がありますが、この場合は、一般的には、あるテーマを決めて広く聴衆を集め、公開討論などの形式で開催されるような形態をいうことが多いようです。もともと、古代ギリシャの饗宴(symposion)に由来する言葉で、もともと一緒にぶどう酒を飲むことを指しました。また、同じようなものに「フォーラム」[forum]がありますが、このもともとの意味は、古代ローマ市の中心にあった集会用の広場のことですので、こちらは場所を表しています。そしてその場所で行われた、一つの話題に対して,出席者全員が参加して行う討論のような集団的公開討議のことを「フォーラム-ディスカッション」のことを言い、それを日本ではフォーラムといいます。最近は、パソコン通信サービス中の特定の情報交換の場のことも指すようになっています。討議、討論という言葉は古代ローマに由来するものが多いですね。もうひとつの形の「パネルディスカッション」[panel discussion]とは、一つのテーマを掲げ、様々な意見・立場の論者を複数(最低3人以上)集め、公開で討議を行うことをいいます。パネルというのは、ひとつのテーマのことをいうのではなく、登録名簿の意味で、あらかじめ決められた論者のことをいいます。しかし、この論者のことをパネリストといいますが、パネラーという言葉は、和製英語です。討論をまとめたり、適切に話題提供を行う司会役は、コーディネーターといいます。あちらこちらで開かれているセミナー、シンポジウム、フォーラム、パネルディスカッションには、選んで参加したいものです。それは、その内容が自分の実になるものかどうか、その後、実際の行動に移せるものであるかということが重要だと思います。

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2007年09月09日 散歩

御岳

 町づくりをする上で、その町の歴史や風土などその地域ごとの特徴を知る必要があります。町づくりをする上では、それを生かすことがとても大切であり、それが、町づくりに成功するかどうかにかかっているからです。同じように人にもそれぞれその人なりの育ちの歴史があり、その人の育ってきた環境があります。その人が生きていくうえで成功するかどうかは、その人の特長を生かすことにあります。町づくりも、人づくりでも、同じことがいえそうです。私が、各地の町づくりの試み、挑戦を見て歩くのは、人づくりの参考になることが多いからかもしれません。そして、休みの日にウォーキングをして歩くのも、運動のためというよりも、各地の町のあり方、その違いの中から、共通の抱えている問題、その確認ができた後は、逆にそれぞれの違いを見、それをどう生かすか、自分ならどうするのかを考えるのがすきだからかもしれません。ですから、以前のブログに書いたように、私がウォーキングをする場所は、山とか川などの自然よりも町なかが多いのです。それにして、各地の町はそれぞれずいぶん違いますし、その地なりのよさがあるものですね。そして、そこに生活する人々、その環境としての自然はそれぞれの良さを持っています。先日の台風で、多摩川はずいぶんと荒れたようです。ニュースで流れていましたが、中州に取り残された人も何人かいたようです。私の自宅のそばを流れる多摩川の支流の浅川や、JRがその上を渡る多摩川も今日は普段と変わりのない流れを見せていました。水かさは平常に戻り、そのにごりも普段同様な透明さを持っていました。しかし、その多摩川の上流に今日行ってみて、水かさの多さと、流れの速さと、水の濁りに台風の名残を感じました。
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 同じ川であっても、その流れは、場所によってずいぶんと見せる姿が違いますね。今日は、久しぶりに日本画家の河合玉堂の作品を見たく「玉堂美術館」に行ってみたのです。そこに展示されている作品の中でインパクトがあるのは、15歳のころの作品です。つくづく、人にはそれぞれの才があり、それを生かす環境を与えることによってそれが開花する反面、持っていないものを無理やりに持たせようと人生の大半を費やす虚しさを感じます。
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 この美術館のパンフには、「1日の労は、1日にて足れり」という人本然の幸せがそこにあるということが、玉堂画の永遠性を示していると書かれています。永遠は、望んで得られるのではなく、1日の積み重ねであり、毎日を大切に生きていくことが重要なのです。この地にある御岳山(標高939m)にケーブルで登ってみました。この山頂には、武蔵御獄神社があり、関東一の霊山として知られています。御岳ケーブルカーを降りて西に5分ほど歩いた所にレンゲショウマという花が咲いていました。
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 知らずに行ったのですが、ここは、全国でも珍しいレンゲショウマの群生地だそうです。花がハス(蓮)の花に、葉がサラシナショウマ(晒菜升麻)に似ているので、レンゲショウマ(蓮華升麻)の名がつけられたといわれています。植物図鑑には「太平洋側の深山に生える多年草」と書いてあるそうですが、細長い花茎を伸ばし、約3~4cmの下向きに恥ずかしそうにつける淡い紫色のかれんな花を見ると、深山に生えると言われる所以がわかります。この花のことは私は知りませんでしたが、初めて知らなかった花を見るときに、とても不思議な気がします。それは、花や葉の形、咲く姿、咲いている場所がその花の存在を必然的なものにするからです。人がそこに生まれ、そこで育つのも必然的なことなのかもしれません。

投稿者 fujimori : 21:07 | コメント (3)

2007年09月08日 新聞記事より

東京湾

 朝日新聞がビートルズ世代に贈る、こだわりエンターテインメントサイトと称して「どらく」というページがあります。その中で今特集で「東京湾」という記事が掲載されています。私の子どものころの東京湾のイメージは、父につれて行ってもらった「ハゼ釣り」です。私はあまり釣りが好きではありませんので、一緒に行くことはほとんどありませんでしたが、つってきたハゼをてんぷらにして食べた記憶はあります。あとは、江戸前という言葉です。これは、上方に対して、江戸の流儀、やり方のことをいい、たとえば、「江戸前寿司」は「大阪寿司」などと同様に江戸の流儀の寿司ということです。もうひとつ、江戸前には、その言葉通り「江戸の前」ということで、東京湾で取れた魚介類のことを言うこともあります。しかし、「江戸前」の定義もあいまいで、古くは羽田沖~深川沖を指したようですが、水産庁は2005年、東京湾全体で取れた魚介類とする提言を打ち出しています。今でも首都圏の胃袋を満たしているといわれるように、カタクチイワシ、サバ、トビウオ、アジ、コノシロなど多様な水産物を水揚げしているようです。サイトにある東京湾と魚に関する問題です。「次のうち、東京湾でとれない食材はどれでしょう?ニシン 、オコゼ、フグ」答えは、「ニシンは北太平洋に生息する回遊魚で、春に北海道沿岸でよく捕獲されます。江戸時代にも身欠きニシンはありましたが、東京湾でとれたものではありません。オコゼもフグも東京湾でよく見られる魚です。」では、「江戸時代は、何と何を一緒に食べてはいけないという、いわゆる「食い合わせ」の禁忌がありました。次のうち一緒に食べてはいけないとされていたものは、いったい何でしょう?鶏の玉子と魚、イノシシとニラ、ショウガとカラシ」 こたえは、「こういった「知恵」は江戸時代の料理書にも書かれていますが、今の時代から見ると根拠不明のものが多くみられます。」しかし、根拠はないそうです。この東京湾は、高度成長期に工場・家庭排水などで水質が悪化した湾というイメージがありますが、近年は環境改善が進んでいるといわれ、流入する河川の環境基準達成率は、1995年の49%から2004年は84%に向上しています。しかし、漁業者の減少もあり、漁獲量はかなり減少しているそうです。そこで、保田漁協などは、「安心・安全で身近な千葉の水産物を、もっとPRしなければ」ということで、さまざまな試みをしながら町おこしをしているようです。新鮮な魚介類を一般のお客さんに食べてもらおうと直営の飲食・物販店をオープン。現在では温泉(人工泉)も併設し、休日には団体客を乗せたバスが止まり、年間40万人が訪れる「観光名所」になっているそうです。定置網の見学や漁業体験など、イベントのアイデアも盛りだくさんで、この夏には「千葉の海・満喫キャンペーン」として、漁協の直販所と観光名所を組み合わせたマップを都内で配布したようです。いずれも東京からの近さを武器に、漁業と観光を結びつける試みです。それぞれの地域環境をもう一度見つめ、その環境を生かした町づくりは、小布施同様少しずつ成功しているようです。このサイトの「どらく」の編集部だよりにこう書いてあります。「『やらなくては』と思っていたこと、『やりたい』と思っていたこと。この1年間で、いくつやってみましたか?それは環境のためだったり、地域のためだったり、自分のためだったりと人それぞれ。新たな一歩を踏み出すことで何かが変わる。」

投稿者 fujimori : 22:14 | コメント (3)

2007年09月07日 近頃思うこと

環境効果4

 7月に行われた「食と健康を考えるシンポジウム」の全体講演は、新潟大学院歯学部総合研究所教授であり、ベストセラー「免疫革命」の著者でもある安保 徹氏でした。教授は、「健康と免疫」、「病気と生き方の見直し」等のテーマで全国各地を講演中で、とても人気があります。ほかにも著作として、「未来免疫学」「体温免疫学」「こうすれば病気は治るー心とからだの免疫学」「絵でわかる免疫」など多数あります。医者とか薬ばかりに頼らないで、自らの免疫力を高め、自らの治癒力から病気を治そうという教授の主張する説も、私は、環境効果だと思います。講演のレジメには、「風邪の流行る季節には人混みの中に出て風邪を引くように努力しましょう」とか、「インフルエンザは免疫力を高めるには風邪以上によい刺激になります」などが書かれていて、常識との違いに意表を衝かれます。これは、そのまま正しいとは言えないこともありますが、逆に今の時代の薬漬け、過剰に守ろうとする態度には警鐘を鳴らしているとは思います。夏の講演では、白血球の自律神経支配が体を統括するシステムとして重要であるので、病気になるのは、能力の限界を超えて仕事をすること、体を冷やすこと、大きな心の悩みなどからで、さらに薬を飲むことで悪化させているという内容のようでした。私も、環境によってなる病気は、環境によって治すのが自然だと思います。薬を使うのは、急を要する場合、環境を変えることが無理な場合、半ば強引に直そうとするものです。こどもへの叱りかたの難しさを言いますが、大人から見て、こどもがいろいろな悪さをするときには、きっと、環境にひずみが出ていることが多いような気がします。親や友達、先生などの「人」の環境、部屋の広さとか動線、遊び場などの「場」の環境、そして、興味のあるものや関心を持つような「物」の環境などです。これをただ叱ることでは解決しません。強くしかるのは、急を要するときとか、環境では解決しないようなときで、薬を使うときと同じで、後で副作用が出ます。特に体罰は、私からすると覚せい剤を使うことと同様、体罰をすることによって神経を麻痺させ、長く使っていると人格を壊してしまうような気さえします。安保教授は、こんなことを言っています。「免疫アップを目指すなら、「ムリ」をせず「ラク」をしないことです。強いストレスを出来るだけなくし、メリハリのある心のあり方や生き方がバランスの良い状況を生みます。また食などの生活改善と呼吸も大切です。また健康を維持するためには、自分の性格や傾向を見極めて、極端な状態になってしまわないように心がけることです。もちろん人生には時折不可避的な苦しい状態も訪れます。確かにそれがストレスになることがあり、強い感情の働きは、身体に必ず影響を与えます。ちょっとしたことでくよくよ悩んだり、ねたみやひがみの気持ちを持ち続けたりすると、限度を超えたときに破綻をきたすことでしょう。またよこしまな心を持ったり、他人の足を引っ張ろうとすると、心の持ち方がゆがんで、体調もゆがんできます。心の持ち方は病気を防ぐ上でとても大切なことだと思います。体調のよしあしは自分自身にある、わたしはそう考えたいと思います。」他人に対する気持ちが、結局は自分に帰ってくるのでしょう。「情けは人のためならず、めぐりめぐって己がため」ということでしょう。自分の他人のよい環境の中において、精神的にも肉体的にもゆったりと自分らしい生き方をしていくことですね。

投稿者 fujimori : 23:30 | コメント (3)

2007年09月06日 旅先にて

環境効果3

 「さあ、こんな場所を整えました。」「こんなものを置きました。」ということで、もちろん環境が整ったわけではありません。その環境を生かす「人」がいなければなりませんし、その環境を生かすソフトが必要です。少し前に、とても貴重な体験をしました。上田電鉄別所線に乗ったときのことです。上田電鉄別所線は歴史と文化の里、信州上田と信州の鎌倉と称される塩田平を走り抜け別所温泉を結ぶ全長11.6Kmの鉄道です。ここには、かつて、窓からの景色がまるで絵画のように見える、その名の由来ともなった丸い窓を持つユニークな車両丸窓を備えた、いわゆるモハ5250(丸窓電車)という電車が走っていました。このような丸窓を持った電車は他の地域にもあったそうですが、この別所線では、昭和2年に製造され、昭和61年まで通勤・通学、観光客の足として大いに活躍しました。その車両が廃止されたあとも、とても人気が高かったことから、幸いにも3両とも解体されずに、別所温泉駅に保存されています。
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 そして、この地を走る車両としてもう一度丸窓電車を復活しようということになり、「別所線まるまど号」を2004年制作に着手し、翌年、土日祝日に限定し運行を開始しました。そして、その愛称を一般公募により、2005年から「まるまどリーむ号」と変更されました。その電車に乗ることができたのです。まさに、丸窓から見える塩田平の景色は、歴史を感じさせ、とても素晴らしいもので、丸窓の効果を十分と感じさせるものでした。
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 しかし、私と妻が乗ったこの電車は、それ以上に効果的にしたものがありました。それは、上田駅から乗り込んだ駅長さんです。観光客のような乗客一人ひとりに声をかけ、どこから来たのかとか、このあたりはどんな地域などか説明をして歩きました。そして、紙切れを出して、みんなに渡し始めたのです。その紙を見ると、いろいろな歌の歌詞が書いてあります。どうするのだろうと思っていると、なんと、「さあ、みんなで歌いましょう!」というのです。「えっ?」と思っていると、懐からハーモニカを出して吹き始めます。はじめはみんな照れくさそうでしたが、そのうちに丸窓から見える景色に誘われてか、歌いだし、車中、終点の別所温泉駅まで別所線を堪能しました。そのときに、丸窓の車両を復元して走らせただけではなく、人の歓迎する気持ちとか、もてなす気持ちがその環境をより効果的にしたことを感じました。
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 先日の新聞にこんな記事が掲載されていました。「旭山式 マネだけでは…」という記事です。北海道の旭山動物園の人気にまねをしてその手法を導入した各地の動物園が、導入のやり方によって明暗が分かれているというのです。旭山をそのまま模倣した施設、旭山からヒントを得て発展させた施設、独自の展示を生み出した施設など結果がそれぞれ異なっているそうです。うまくいかなかった園に対して、旭山動物園の園長は「情報化社会だから、旭山と同じことをやっても『なにマネをしているんだ』となる。地域性を生かした独自の発想をしていかないといけない」と指摘しています。一方、旭山に感化されて食事風景の公開などを取り入れたいしかわ動物園では、入園数を増やしました。その園長は、「飼育係が心をこめた取り組みこそが大事だとわかった。ソフトがある上で、ハードが整うのが一番です」と話しています。一昨日のブログの最後に書いた「ソフトと環境を交互に演出することが必要だ」ということであり、その環境の中で、「人」という大切な要素を忘れてはいけないことを再認識する経験でした。

投稿者 fujimori : 23:00 | コメント (4)

2007年09月05日 新聞記事より

環境効果2

昨日のブログの「環境効果」について、二つの事例が新聞に掲載されていました。ひとつは、「住宅地の道路 こども優先の設計・規制を」で、千葉大大学院園芸学研究科教授でもあり、こども環境学会評議員でもある「木下勇」氏の投稿です。彼は、埼玉市で起きた集団登校中の小学生が、進入禁止のスクールゾーンに侵入した車にはねられてしまった事件から考えています。このような事件が起きると、監視を強化したりしますが、もっと根本的な対策が必要だと主張しています。その対策とは、「道路構造を速度が出ないように変え、住宅地内の道路で子どもが遊べるような生活道路を位置づける道路法および道路交通法の改正である。」といっています。英国をはじめ欧州では「ゾーン30」という住宅地内の道路を30キロ以下にする区域指定が広がっているそうです。埼玉川口で保育園児の列にライトバンが突っ込んだ事件では、保育園児が歩く住宅地内の道路でも、一般道の速度規制である時速60キロだったということが問題になりました。海外の統計では、死亡率が高くなるのは車の速度が時速30キロ以上であり、30キロ以下では死亡率が下がるということを同じこども環境学会員の小児科医の今井氏が紹介したそうです。発達心理では、「こどもは歩き出してから家の周りで遊び、行動領域を拡大していく。付き合いと探索活動という動物の縄張りの拡大にも似た行動を示す。それゆえに住宅周りの道路はこどもにとって重要な生活空間となる。そしてこどもは視界も狭く、車のスピードに対する感覚も異なる。また衝動的に動くのも特徴である。」このように、ただ、注意を促すとか、監視するとかではなく、きちんと発達心理学的に行動を分析し、その対策として環境を整えるべきなのです。そのひとつの方法が北欧で行われているという報告があります。「北欧ではこのようなこどもの心理的特性から、いくら安全教育を行っても限界があるとして、道路の構造を変えて車の速度を落とすように政策を変えた。」そうです。これは、「ボンエルフ」という取り組みです。人と車の共存を目的にした道路整備形態のひとつです。1970年代にオランダのデルフトという街で初めて導入された方式で、人間が対応できる速度(約15km)以上に、車がスピードを出せないような構造になっています。例えば、車の通路を一車線(一方通行)にし、乗り越えなければならないハンプ(出っ張り)を設けたり、車が直進してスピードを出せないように、カーブを設けたり、さらに、路上駐車スペースも設けることも、車の減速を促す方法として取り入れられています。この道路は、さまざまな形で車のスピードが出ないような工夫がなされているため、ドライバーにとっては「走りにくい」という印象もあるようですが、ボンエルフが施されている街は、人と車の「共存」が大前提となっているため、ドライバーには、その街に生活する歩行者への思いやりをもってゆっくり走ることが求められています。ちなみに、ボンエルフはフランス語で「生活の庭」という意味だそうです。また、デンマークやドイツの遊び場道路や車抑制策などで決められた道路ではこどもの遊びが優先されるよう道路交通法を改正しているそうです。それが、ゾーン30です。どうしても、「こどもを守ろう!」というような心に訴えかけるような呼びかけになりがちですが、心理的な、科学的に裏づけされた、具体的なこどもやお年寄りのための環境、子ども優先の環境を作ることが必要なのです。

投稿者 fujimori : 21:44 | コメント (3)

2007年09月04日 近頃思うこと

環境効果

 今、私は全国に保育・教育についての講演に出かけることが多くなりました。しかし、私が初めて講演をしたのは、学校事務職の人たちへの講演でした。演題は、「事務職でも教育に関わることができる」というものでした。「子どもたちが突っ切るような空間の真ん中に舞台のような台が置いてあるとする。すると、子どもたちは、それをよけるために迂回するかもしれない。また、ある子はそれに登って、反対側で飛び降りるかもしれない。どちらにしても、何もない空間に比べて、何かしらのドラマが生まれる。ということは、逆にドラマを演出したいときに、そこに何かを置くということでできることがあるのではないか。何か備品を購入しようとしたとき、その備品をどんなものにするかということで、子どもの動きを演出することが出来るのではないか。たとえば、廊下に戸棚を置くことにするとき、その戸棚の戸を引き戸にするのか、開き戸にするのか、それも、右開きか左開きかの開き戸にするのかというようなことでも、そのあたりの子どもの動きを変えることが出来るのではないだろうか。だから、事務職でも子どもの動きをコントロールし、そこでの行動を演出し、それによってある教育的意図を持つこともできるのではないだろうか。」というような内容でした。今考えてみると、そのころから、環境が子どもに与える力を感じ、環境を通して子どもを保育、教育をすることを考えていた気がします。園で、積み木を用意したところ、子ども達はそれぞれ一人でその積み木を積んで遊んでいました。その作品はとても貧弱で、ただ積むという感じでした。それを、まず、その積み木の場所は片付けなくてもよい。そのゾーンには、ドイツの子どもたちが作った積み木の作品の写真を飾りました。その写真は、積み木を積むのではなく、レンガとして家の間取りを作ったような鳥瞰的な視点の作品です。この、鳥瞰的に眺めるという視点は、以前のブログにも書きましたが、脳のシナプスを増やすようです。しばらくすると、園の子どもたちはとてもダイナミックな作品を友達と共同して作り上げ始めたのです。大きな街づくりのような作品が多く、何か遺跡を見ているようなデザインです。
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 こんなものは、指示しては作ることは出来ません。環境を用意した結果です。また、表現するゾーンに、ドイツで買ってきた子ども用の指人形を置いておきました。すると、子どもたちは、そこにあるついたてを使って自分たちで人形劇を演じ始めたのです。そして、たまに観客として数人の子どもたちが観覧しています。ドイツから来た幼児教育の専門家が、ある園で保育材料としてエプロンシアターのような人形を見て、「この人形は、誰が使うのですか?」との問いに、「先生です。」との答えを聞いてびっくりされたそうです。「何で、人形劇を先生がやるのですか?それは子どもに娯楽を与えることですか?それによって、子どものなにが育つのですか?」という疑問を持ったのでしょう。そのあと、「では、子ども用の人形はあるのですか?」と聞いて、ないとの答えにまたびっくりしていたそうです。そういえば、ドイツのおもちゃ屋さんで売っている人形は、すべて子ども用です。私の園で、それを買ってきて、置いておいただけで、子どもたちは、それを使って、様々な表現活動を展開し始めたのです。
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 もちろん、その活動は、どこかで子ども達は人形劇をみたことがないと出来ないかもしれません。ドイツのように、まちまちのかどで人形劇をしていることがない日本では、先生がモデルを見せなければいけないのかもしれません。しかし、そのあとにそこに子どもが扱いやすい大きさの人形を置いておかなければならないのです。ソフトと環境を交互に演出することが子どもの活動を膨らませていくのでしょう。

投稿者 fujimori : 22:06 | コメント (5)

2007年09月03日 講演先にて

草枕


 先週の土、日曜日に講演で熊本に行きました。熊本は何度か行ったことがあるのですが、少しの合間を見つけて、少なくともどこかを見て帰ろうと思っています。そんなことを訪れる先の人たちも気を使ってくれます。今回、宿泊先が玉名でしたので、市内に戻る途中に天水町を訪れました。
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 ここには、草枕温泉「てんすい」とか交流館があって、夏目漱石の資料が展示されていました。夏目漱石というと、よく訪れる松山のイメージが強いのですが、交流館の館主の方の説明によると、それは宣伝が上手なだけであって、熊本のほうがよほど漱石に関係するのだと言います。それは、ここに滞在している期間の長さとか、滞在中の出来事、例えば結婚、出産など人生の重要な節目をここで過ごしていることなどを考えると、熊本のほうが、縁があるといっても当然かもしれません。また、漱石の名作「坊ちゃん」が松山を舞台にしているからと取り上げられることが多いのですが、他の名作の「草枕」は、ここ熊本が舞台です。漱石が熊本へ赴任して来た明治29年の暮れ、初めての新年を迎えるために妻「鏡子」が作ったおせち料理を、当時下宿していた書生達に年始客が来る前に食べられてしまい、喧嘩になってしまいます。これに懲りた漱石は、翌年の明治30年の暮れから天水町小天温泉への旅へ出かけます。これを題材にして書かれたのが「草枕」なのです。漱石は年の暮れから、天水町の小天温泉への旅に出ますが、草枕の中で季節は春で、主人公も小説家や俳人ではなく、画家になっています。
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 その画家が人生について切々と考えながら、坂道を登って行くところから始まります。そして、那古井の里に着いた画家はそこでちょっと変わった女性、那美さんや志保田の髭のご隠居に出会うというのが「草枕」のあらすじです。作中、この「那古井の宿」がこの地にある前田家別邸、「志保田家」は前田家、「老隠居」は案山子、「那美さん」は、前田家の次女卓(つな)をモデルにしています。この小説はよく主人公「余」が世俗を厭い非人情を生きる旅をする絵描きとして描かれているといわれています。この小説の書き出しは、「智に働けば角が立つ。情に棹させば…」と有名です。この内容についてはまた論じる機会があればと思いますが、私は、この書き出しが、なんとなく最近感じていることを言い当てている気がしました。ですから、この資料館を訪れたことは、偶然というより、悩みについての考え方を示しているような気がしました。「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。」生きている中で、いろいろな人と出会います。最近、様々な職種でもいろいろな苦情を言ってくる人が増えてきました。また、なかなか改革が進まないことも多いことにあせることもあります。今の日本のあり方にあきれてしまい、これからの時代が不安になることもあります。しかし、嘆くことをしても、逃れようとしても、結局ここに住んで、ここで生活している人と暮らしていかなければならないのです。ですから、少しでも住みよい世にしていかなければならないのです。

投稿者 fujimori : 21:54 | コメント (5)

2007年09月02日 読書

まわる

 今、面白い本を読んでいます。それは、石川英輔さんの「大江戸リサイクル事情」(講談社文庫)というものです。他にも「大江戸エネルギー事情」「大江戸テクノロジー事情」「大江戸生活事情」「大江戸ボランティア事情」(共著)など「大江戸」シリーズが人気です。もともとは、石川さんは、SF作家で、現代人が江戸時代にタイム・ス リップするSF小説『大江戸神仙伝』の執筆を契機に江戸時代の諸相に関心を抱き、江戸時代のエ ネルギーとリサイクル問題の第一人者となっています。その中で私が読んでいる「大江戸リサイクル事情」の最初の章は、「まわる」です。はじめに「水車が廻っているのはなぜか?」という問いかけから始まっています。
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それは水の流れが水車を回している。では、水は誰が流しているのか?それは、高いところに降った雨が、重力にしたがって流れ下っている。では,なぜ雨が降るのか?太陽の熱で蒸発した水が空へ上がって雲になり、冷えてまた水となって地上へ落ちる。水車を廻した水も、いずれ再び太陽エネルギーによって蒸発し、上空に昇って地上に戻ってくる。ということは、水車は、太陽が廻しているということになるようです。石川さんは、こんな風に言っています。「江戸時代の社会における資源・エネルギーの循環構造は、水車と同じように、太陽エネルギーを基本としていました。生活に必要な資源エネルギーの95%以上はどんな方法で処分しても最終的には太陽エネルギーによって元の発生地点に戻っていく、そういう持続性の高い構造になっています。」それが、最近は変わってきたと言います。石炭や石油のような化石燃料は、燃やしたあと、太陽エネルギーには戻っていかないのです。つまり、「廻って」いかないのです。しかし、私たちの生活は、もう戻らないと思っています。かつてのような生活を体験した人はもういないと思っています。彼は、対談の中でこう言っています。「江戸時代の生活というと、何か遠いことのように思われるかもしれませんが、実際は私たちがつい最近までやってきた生活とそんなに違うわけじゃありません。少なくとも、今の40歳代の人達が子供のころまでは、まだ身近にあった生活とそう変わりはないのです。つまり、私たちはわずか40年くらい前までは、江戸時代と似たような「持続可能性の高い生活」を送っていたということを、確認しておく必要があると思います。」彼の最近の著作の中で、確か、「2050年は江戸時代」という本があったような気がします。これから先、江戸時代の暮らしぶり、生活の知恵が見直され、少しずつそのような生活をするようになるということでしょうか。今読んでいる本の挿絵に子どもをおんぶしている母親の北斎漫画が載っています。そのコメントに「子供を背負った母親、われわれの伝統的生活は、本当にそれほど間違っていたのだろうか?」と書かれています。そう考えてみると、まさに子育てとは、持続可能性の高い営みの気がします。相田光男さんの言葉ではありませんが、「育てたように 子は育つ」。わが子を強くしかっったり、嘆いたりする親を見るたびに、「あなたが、そう育てたのでしょう。」と言いたくなる時があります。そして、そうして育てられた子が親になって、子を育てるのです。まさに子育てが「まわって」いくのです。最近、ベビーシッターや、託児所にほとんど育児を任せている親を見ると、心配になります。こうして育てられた子は、親になってどう自分の子を育てるのだろうかと。

投稿者 fujimori : 23:11 | コメント (2)

2007年09月01日 旅先にて

桂の木

 数日前のブログで、怪談について書いていたときに、今の若い人たちは「四谷怪談」とか「番町皿屋敷」など三大怪談といわれている物語を知っているだろうかという疑問を持ちました。私の歳でも、それらの話はいわゆるライブで知っているわけではありません。また、テレビや映画などで再放送するとか、リメイクされた映画も見たとかで知っているわけではありません。知ったのは、親からの話などで伝承されてきたというイメージがあります。他にさしたる娯楽がなかったこともありますが、親の話に聞き入ったものでした。今の若い人が知らないということは、私たちの世代が伝承を途絶えさせたということになります。しかし、だからといって若い人がそれに興味を持つとは限りませんし、伝承する意味もないのかもしれません。伝承が途切れそうな同じような話に、いわゆる昔のメロドラマといわれているものがあります。たとえば、「君の名は」などです。この話は、リメイクされているので、知っている人もいるかもしれません。同じように、最近、ちょっと設定を変えて、松本清張の推理ものの「黒皮の手帳」とか「けものみち」などがリメイクされてはやりました。古いところで、菊池寛の小説の「真珠夫人」なども話題を呼びました。ストーリーが、現代にも通じるものがあるとか、逆にノスタルジー的なものがあったりするからでしょうが、もうひとつ、それらの話を知っていると、いろいろなところに出かけるときに、「ああ、これがそうか!」とか納得することがあります。また、持っている知識が、思わぬところで結びついたり、そこで知ったことを深めることがあります。日本最古の温泉地である別所温泉に行った時に、北向き観音に行ってみました。
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 通常、寺院は南に向いているのですが、この寺院は北に向いていることから北向観音と呼ばれています。どうして北を向いているのかというと、善光寺と向き合っているからとされ、「裏善光寺」と呼ばれることもあります。善光寺が来世の利益、北向観音が現世の利益をもたらすということで善光寺のみの参拝では「片参り」になってしまうと言われています。愛染堂の近くに当地方では稀にみる大きなカツラの木があります。この木は、樹高22m、目通り5.5m、枝張り14mで、見上げてみていると圧倒されそうです。
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 この木は、北向厄除観音の霊木とされていますが、そこの立て札には、こう書かれています。「樹齢1200年の老木で、境内にある愛染堂とこのカツラの木にちなんで川口松太郎が名作「愛染かつら」を書かれたことはあまりにも有名です。若い人たちからは、縁結びの霊木として親しまれている」こう書かれていても「愛染かつら」とは何かを知っている人は少なくなっているでしょうね。ただ、松竹映画「愛染かつら」の主題歌である「旅の夜風」は知っているでしょう。作詞・西條八十、作曲・万城目正、霧島昇とミス・コロムビアが歌い、嵐のような勢いで当時ヒットしました。1番の歌詞は、「花も嵐も 踏み越えて 行くが男の 生きる途 泣いてくれるな ほろほろ鳥よ 月の比叡を 独り行く」というものです。原作は川口松太郎が「婦人倶楽部」に連載した小説です。当時のお決まりである「すれ違い」で、読者ははらはらしたものですが、今は、携帯電話で連絡を取りあえばすむので、イライラするでしょうね。1番の歌詞は、主人公の津村浩三が愛人の看護婦高石かつ枝と別れて京都へ行ったときの心境を花も嵐も踏み越えて雄々しく生きる男の人生にたとえてはみたものの、寂しい心情は隠し切れない思いを西條八十は、哀しい声を鳥の声にしようと「ほろほろ鳥」を出したのですが、京都には「ほろほろ鳥」がいないという物議をかもしたものです。

投稿者 fujimori : 21:20 | コメント (2)