3泊目をした常念岳は、下の安曇野から眺めると、雄大な北アルプスの山並みの中でもその美しいピラミダルの山容はひときわ目を引きます。山肌に現れる「常念坊」の雪形は、昔から安曇野の人々に春の訪れを告げる目安として親しまれて来ました。宿泊先の常念小屋の屋根の上からも槍の穂先が見えるはずですが、翌朝はものすごい天候でした。台風が来ているようで、下のほうは水がついていて、下山できそうもありません。そこで、もう一晩その山荘に泊まることにしました。この登山は、中学時代の美術の恩師と、中学高校と同級生の友人と3人で行ったものです。山の天気はとても怖く、急変します。ですから、大丈夫だと思っても、突然視界はゼロ、気温も下がってきます。あきらめる勇気も必要です。しかし、逆に突然と天気がよくなることもあります。次の日は、天気はよくなっていました。常念岳山頂からの眺めは、上高地の谷間をこえて、遠くに穂高連峰左から前穂、奥穂、北奥や槍がよく見えます。今度は、槍から常念を見たいものだと思いました。(これは翌年実行しました。)常念岳を下山し、蝶ヶ岳に向かう山道は、樹林帯で、振り返ると、その間から常念岳が見え隠れします。そして、蝶ケ岳ヒュッテに到着しました。蝶ヶ岳は、標高2664mで、常念山脈に属し、ハイマツと砂礫の山頂部からは槍、穂高の眺望が優れ、均整のとれた姿には定評があります。また稜線直下には北アルプスでも有数のお花畑が広がっています。三角点は蝶槍のピークにあり、最高点は南端の長塀ノ頭(2677m)にあります。蝶ヶ岳の名前の由来は、残雪期の稜線直下に現われる雪形が安曇野から眺めると白い蝶に見える事から名付けられたと言われております。この山頂からの槍、穂高連峰の景色に魅了され、大学時代に友人を誘って、この蝶ヶ岳だけのために、夜行で行って、日帰りで登りに再度訪れたことがあります。やはり、縦走でなく、ひとつだけの山に登るのは大変ですね。その後は、上高地に下ります。このコースは、このブログを書いているだけでも、もう一度体力があれば行きたくなります。このとき、心残りは、やはり、槍ヶ岳に登らなかったということです。ですから、次の年、やはり友人を誘って、槍ヶ岳だけに登りました。そのときに友人を誘った殺し文句は、「梓川の源流で、水割りを飲もうよ!」というものでした。実は、かなり汚れているらしいのですが、上高地を流れる「梓川」は、東京では見たことないほど透き通っていて、手を長く入れることができないほど冷たい水でした。また、「槍ヶ岳」は、この山名を知らない人は数少ないと思うほど有名です。それだけではなく、槍ヶ岳は日本の標高第5位に鎮座し、穂先から四方に伸びる尾根を持つ独特の形をした山で、登山者の憧れの山でもあるからです。しかし、一気に登るのはかなりしんどかった思い出があります。ワイヤーロープを張り巡らされたハシゴは鞍部でも気が抜けませんし、最後の急なところではチェーンを使います。ずっと登りの為、足もつってきます。やっと着いた山頂は、下から見ると、その名のとおり槍のように尖っていますが、実際にもかなり狭く、混んでいて、誰かが下りてこないと次の人が登れませんでした。しかし、その日宿泊した槍岳山荘は、私たちは秋休みを利用して行ったためにほかの客はいませんでした。

そこで、寝るときにかなり寒く、布団を何枚もかけたことを思い出します。ずいぶんと昔のことになってしまったので、記憶はだいぶ違っているかもしれませんが、青春だったなあと懐かしく思い出します。
昨日のブログと同じで、今日の内容も山の様子や山への思いがしっかり伝わってきました。読んでいるだけで行ってみたくなります。以前「山頂にある石でコーヒー豆を砕き、それでいれたコーヒーを飲む」という目的で山に登ったことがあります。水割りのようにかっこいいものではありませんし、かなり薄めのコーヒーでしたが、周りの景色の助けもあってとてもおいしく飲むことが出来ました。こんなことをゆっくり思い出している時間もなかなかいいもんですね。
燕山荘に常念小屋、蝶ヶ岳ヒュッテ、どの小屋にも泊まったことがあります。
最近の山小屋は、食事もおいしくなり、布団もふかふかで、昔に比べればずいぶん快適になっています。今回泊まった南岳小屋はどんなに宿泊者の多い日でも、先着60名様は、ゆったり一枚のふとんを
占有できるシステムになっていました。夏の山の天気は午後から崩れるだけに、登山者の安全を考慮した素晴らしいアイデアだと感心しました。
藤森先生のプログで、表銀座なんて山道にもあるんだ~と昨夜驚いていたら、今日朝日新聞の土曜版で、‘愛の旅人’で槍ヶ岳他のドラマチックなお話が載っていました。
私は園の子ども達と高尾山に登るくらですが、山登り(登山家)は一つの信念というか強い意志がないとできないような気がします。
父親が山登りが好きな人だったので、小さい頃はよく山歩きをしていました。山小屋のお話もなんだか、下界では経験できそうもないことばかりですね。私も一つチャレンジしてみたいな、と思いました。
今月19日に私をとても可愛がってくれた叔母がなくなりました。予定を変更して火葬や告別式に参列することになりました。その告別式の弔辞で今日のブログの「槍ヶ岳」が出てきたのです。叔母は確か30代になって登山を始めました。よく「山はいいよ」と言っていました。叔母の「登山」といってもせいぜい近場の早池峰山とか岩手山だろうと私は思っていました。ところが「やまや」の友人の方の弔辞によって叔母は「槍ヶ岳」にも登頂していたのです。弔辞を読まれた方はその時軽い高山病に罹ったそうです。しかし、叔母はとても元気で、その方を気遣ってくれたのそうです。掲載写真の「槍ヶ岳」を見ながら叔母のことが思い出され悲しみを新たにしました。