石垣

 小布施の町づくりにおいてとても重要な要素が有能な人材です。しかも、それは一人ではなく何人かの人材がそろわなければできることではありません。NHKの大河ドラマ「風林火山」で描かれている山本勘助のような軍師も、名将を生むために必要な人材です。武田信玄の名言に「人は城 人は石垣 人は堀 なさけは味方 あだは敵なり」という言葉があります。もともと城とは、敵から守るための防衛施設です。そして、その防ぐために構成するものの基本は、「堀」「土塁」「石垣」の3点です。信玄の言葉にある城と堀は、その城を守るためにとても重要なものです。その重要な城や堀と同じように、いや、それにもまして、人が重要であると言っているのです。堅牢な城郭を築くよりも、優秀な人材を集めることが重要であるという信玄の考え方で、この言葉のとおり、信玄の配下には山本勘助以下「武田二十四将」と呼ばれる知将、勇将が揃っており、武田家の勢力拡大に大きく貢献しました。また、この城を守る「人」は、必ずしも家来だけでなく、住民にもいえます。民衆がついてこなければ、守ってくれなければ、堅牢な城を持っていてもすぐに落とされてしまいます。ですから、信玄は同時に心血を注いだのは民政です。この民衆を助けるような民政も、軍事力の基礎であることを知っていたのです。釜無川に今も残る信玄堤はこれを物語っています。信玄が風林火山を旗印にしたもとにしたのは「孫子」の兵法ですが、その孫子の五事の第一に、「道とは、民をして上と意を同じくし、これと死すべく、これと生くべくして、うたがわざらしむるなり。」というものがあります。これは、君主と民衆とが心ひとつにして、生死を共にするような覚悟こそが、最も大事な道であるといっています。チームワークのよさというものは、個人個人の特性と能力を活かして、一体となって組織力が発揮できるよう集団でなければならないのです。そして、それぞれがひとつの理念の下で、心を通わせ、互に協力する団結がひつようです。それを孫子は、「常山の蛇」にたとえています。用兵というのは、常山の蛇の様に、頭を狙われたら、尻尾が攻撃する。また尻尾を狙われたら頭が攻撃してくる。 という様に、体全体が一丸となって敵に当たるのが理想だということです。信玄は、そのことを彼「甘柿も渋柿も、ともに役立てよ」と言っています。また、「(自分は)決して人をつかうのではない。わざ(意欲)を使うのである。(その人の持ち味である)能力を殺すことがないように人をつかってこそ、心地がよい」とも言っています。
 最近城を訪れたとき、見て感動するものが変わってきました。以前は、高くそびえる天守閣だったりしましたが、今は、その城の石垣です。これは、その城を守り人々と同じようにそれぞれの石がその形の特徴を生かして結びついて堅牢になっている姿は、技術的、技巧的、芸術的にとても美しいものです。また、それぞれの城の石垣にはそれぞれ特徴があります。「盛岡城(不来方城)」は、不規則な形の巨石をうまく使いこなして、高石垣が作る線がスッキリしていて、きれいです。
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「上田城(伊勢崎城、尼が淵城、真田城、松尾城)」には、石垣の礎石として、真田昌幸が上田城築城の際、太郎山から掘り出した「真田石」と名付けた大石があります。
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「小諸城(白鶴城、酔月城)」の三ノ門には、巨石が巧みに使われていて、二の丸付近では、全体的に石のサイズが大きく、天守台よりも見応えがあります。
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