大学発祥

 私の住んでいる八王子市は、その周辺部も含め、23の大学・短期大学・高専があり、11万人を超える学生が学んでいる全国でも有数の学園都市です。ですから、いろいろな地域の人から、学生時代に八王子市に住んでいたことがあるとか、息子さん、娘さんが今八王子市に住んでいるとか言われます。そんな町を学園都市と今は言うのですが、私の学生のころは、「学生街」と呼んでいました。その中心は、神田駿河台地区あたりで、ここは日本国内で最も大学が集中している地区でもありました。明治時代に千代田区神田駿河台へ学問所が集積した名残から「神田駿河台学生街」と呼んでいたのです。昌平坂学問所などもありましたね。この地区には「日本のカルチェラタン」という別名もあります。カルチェラタン Quartier latinとはパリ大学(ソルボンヌ)あたりのことを指します。「ラテン語がよく喋られる町の一角」という意味ですが、なぜそう呼ばれたかというと、かつての西欧では学問はラテン語で行われるのが基本だったからです。神田駿河台あたりには、今は八王子市に移転しましたが、かつては中央大学もあり、一方で、大学の医学部や付属病院、および一般の市中病院が多く立地しており、医療地区でもあります。このような山の手の医療集中地区を、英語ではPill Hillというそうです。それよりもっと以前は、どうも飯田橋あたりが発祥の地のようです。このあたりには、「○○大学発祥の地」という碑が何本か立っています。その碑には、そのいきさつが書かれています。
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 東京女子医科大学:吉岡彌生は明治33年(1900)12月5日、この地にあった至誠医院のなかに東京女医学校を創立しました。翌34年4月、同校は牛込区市ケ谷仲之町に移転。のちに市ケ谷河田町へ移転して現在の東京女子医科大学に続きます。吉岡彌生の至誠医院は明治41年(1908)に旧飯田町四丁目31番地に移り、関東大震災までありました。
 日本大学:明治22年(1889)、ここ皇典講究所内に維新の志士、吉田松陰門下、時の司法大臣である山田顕義により日本法律学校が創立されました。これは、日本大学の前身にあたります。明治28年(1895)に三崎町に移りました。
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 東京農業大学:明治24年(1891)、この地、旧東京市麹町区飯田町河岸十番地に東京農業大学の前身育英黌農業科が徳川育英会により設立されました。初代黌主は榎本武揚でした。明治25年(1892)、現在の中央線である甲武鉄道の新設工事、また農場用地取得のため大塚窪町に移転しました。
 東京都府立第四中学校:明治34年(1901)、東京府立第四中学校が、この地にありました。同所は明治15年(1882)に国学を研究する目的で設けられたもので、明治21年(1888)に同じ地内に開設された補充中学校が、共立中学校、東京府城北尋常中学校と名を変えて府立第四中学校となったものです。その後、府立四中は明治37年(1904)に市ケ谷加賀町に移転し、戦後は新宿区戸山町に移り東京都立戸山高等学校となっています。
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 國學院大學:明治15年(1882)、この地、旧飯田町5丁目に国学を研究する皇典講究所が設けられました。明治23年(1890)、皇典講究所を母体として、所長山田顕義によって國學院が開校しました。現在の國學院大學です。大正12年(1923)、渋谷に移りました。
それぞれの大学の発祥は歴史的にも面白いものがありそうで、今度調べてみたいと思います。