みる

 私は、今日、帰りの飛行機から下を見ていました。窓側に座ったからです。下を眺めていて、私は、なにを見ているのかを考えることがあります。たぶん、機内では、下を見ている人は多いでしょう。しかし、全員、見ているものは違うでしょう。その中で、「今、どのあたりだろう。」と思っている人は何人かいるような気がします。また、「日本地図のとおりだ。」と思う人も何人かいるかもしれません。そして、「ずいぶんとゴルフ場が、多いなあ。」と思う人もいるかもしれません。しかし、「こんなにゴルフ場を作って、ずいぶんと自然を破壊してしまっているなあ。」と思う人は少ないでしょう。ましてや、「ゴルフ場建設を止めさせるような運動しなくては。」と思う人はまあ、いないでしょう。また、「あっ、富士山だ。」と思う人はいるでしょうが、反対側の窓から見ている人は、「海が広がっている。」としか見えません。と言うことは、目に映る景色は見ている人によって、変わらないはずです。しかし、見る角度によって違いますし、なにを見ているのか、見てなにを感じるのかは人によって大きく違います。そして、見たことによって、次の行動に移す人はほとんどいないでしょう。そうすると、保育の中で、子どもを保育者は毎日見ていますが、なにを見ているのでしょうか。見て、どうするのでしょうか。「みる」という行為には、その意味を辞書で引いてみると面白いことがわかります。1.目で事物の存在などをとらえる。視覚に入れる。眺める。「みればみるほど良い服」「星空をみる」2.見物・見学する。「映画をみる」3.(「看る」とも書く)そのことに当たる。取り扱う。世話をする。「事務をみる」「子供のめんどうをみる」4.調べる。たしかめる。「答案をみる」5.(「試る」とも書く)こころみる。ためす。「切れ味をみる」6.観察し、判断する。また、うらなう。評価する。「人をみる目がない」「運勢をみる」「しばらくようすをみる」7.(「診る」とも書く)診断する。「脈をみる」8.読んで知る。「新聞でみた」9.身に受ける。経験する。「痛い目をみる」10.(ふつう、前の内容を「と」でくくったものを受けて)見当をつける。そのように考える。理解する。「遭難したものとみられる」「一日の消費量を三千トンとみて」11.夫婦になる。連れ添う。「さやうならむ人をこそみめ」〈源・桐壺〉12.(補助動詞)動詞の連用形に「て」を添えた形に付く。?「てみる」の形で、ためしに…する、とにかくそのことをする意を表す。「一口、味わってみる」「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」〈土佐〉?「てみると」「てみたら」「てみれば」などの形で、その結果、ある事実に気づいたり、その条件・立場が認められたりすることを表す。「踏みこんでみるともぬけのからだった」「親としてみれば、そう言わざるをえない」ずいぶんといろいろありますね。言われてみると、これらいろいろな「みる」を、知らず知らずのうちに私たちはかなり使いこなしています。これらの「みる」のなかで、保育での「みる」はどれに当たるでしょうか。たぶん、時によってそれは違うような気がします。では、「子どもをみる」というときには、どの意味で使われるのでしょうか。この意味の中には、例として、3番目の意味に使われると書かれています。その意味からすると、ただ、映像として目に映っているということではなく、世話をするという意味が含まれているのですね。しかし、ケアをするということになるのでしょうが、そんな簡単な話ではなさそうです。

みる” への4件のコメント

  1. 今日のブログの「みる」は、私たちが普段陥りやすい、偏った、あるいは固定的な、あるいは一方的な、ものごとの「み」方に対する再考を促しています。観、見、診、看、視、み、ミ、・・・とさまざまな「みる」があるわけですから、子どもを「みる」、といった場合もその多様性を考慮に入れることの必要性がわかります。しかしその「多様性」の中に共通項を見出すとするなら「みる」とその後にその見解に基づいて行動が出てくることです。みっぱなし、ということはない、ということです。それゆえ、多様なみかたをしながらも、そのみかたの先にある行為の行方についてはやはり注目しなければなりません。子どもをみまもる、と言う時、その意味するところが子ども理解とその理解に基づいた援助、という具体的行為につながることは言うまでもありません。「みる」ことは「さとる」に通じる。深遠ですが、このことも重要なことです。

  2. 「みる」という言葉の意味の多さには驚かされます。「みる」というのは深い行為なんですね。「みる」ということを考えるとき頭に浮かんでくるのが、見えているのはほんの一部分に過ぎないということです。見えていないことのほうがはるかに多いということを知って初めて「みる」ことができるのではないかと思っています。必要な行動を起こすためにも、物事の本質を「みる」力を鍛えなければいけないと思います。

  3. できることなら下を見ながら飛行機に乗りたいという気持ちはあるんです。地形がどうなっているのか実際に見てみたいですし、どれくらい発展しているのか地域ごとに見比べてみたいですし、何か思いもよらぬ発見があるかもしれないので、そんなふうに見てみたいです。しかし、高い所が苦手な身としてはなかなかじっくり…という感じにはなりませんね。いつかは慣れるんじゃないかと期待もしているので、また飛行機に乗る際にはトライしてみようと思っています!「みる」というと物事を見る、視界に入れるというニュアンスが強いように思いますが、いくら見ていると思っていても人の認知は曖昧だなと思う時があります。はっきりと視界には入っていて、目で見ているつもりでも、直後にあの部分はどうなってた?と聞くと「え?どうだっただろう」ということになることがあります。それは見ているというより、映像として映っているだけというそんな感覚でしょうか。みることが、やってみるという行動にもつながっているというのはおもしろいです。見て、認知して、行動に移すことを「みる」と捉えるなら、子どもを「みる」というのはそういうことに近いのかもしれませんね。

  4. 「みる」という言葉だけでも、12個にも及ぶ意味が存在していたことに驚いています。私たちは、そのような多様な意味を、社会の中で縦横無尽に飛び交っていく会話の節々から、自然にニュアンスとして理解していっているわけですが、実際に、辞書という存在から眺めた時には新しいイメージを持つこともあるようですね。子どもを「みる」という行為が、「映像として目に映っているということではなく、世話をするという意味が含まれ」ていたり、一つの言葉が同じ状況であっても、複数の意味を持たせることもあるということ。また、時代の変化や捉え方によっては、13個目の意味が存在しているなんてこともあるのかもしれませんね。

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