今日は、珍しい人と対談をしました。「一人ひとりの個性を見守る保育」ということで、弦本將裕氏とのコラボレーションでした。弦本將裕氏は、「動物キャラナビ」といういわゆる「動物占い」を考案した元祖といわれていますが、これは、もともと「個性心理學」と呼ばれる心理学を用い、その人をより正確に詳しく診断することができる世界的に有名な心理学占いです。ですから、肩書きとしては、「個性心理学研究所所長」です。あるきっかけから知り合い、私も子どもの個性を伸ばそうという保育を提案していることから、意気投合してしまったのです。彼は、この奥深い心理学占いを、表情豊かな60種類の可愛い動物キャラクター達を登場させることにより、楽しく、そして、解りやすい内容で解説しています。そして、今年の3月に「こどもキャラナビ」という、個性をのばす子育てのヒントが書かれた本を世界文化社から発刊されています。彼と話をしていてとても面白いのは、動物にたとえて個性を表現し、それを前向きに捉えるところがありますが、もうひとつ、漢字とか、言葉の解釈をするところがあります。なるほどと思うことがあるのです。たとえば、こんなことを言っています。人は、「何のために生きていますか?」と問われると、多くは「幸せになるため」に生きていると答えます。では、どうなることが幸せといえるのでしょうか。「幸」という字を分解してみると、意外なことがわかります。その字の上のほうは「土」で、下のほうは「¥」という字になります。つまり、20世紀までの幸せ感というのは、土地とお金を持っているということになります。しかし、現代社会においては、それは幸せには結びつかなくなっています。そこで、これからは、人を大切にすること、人と人とのつながりを大切にすることが、いあわせに通じるということから、「倖せ」という字を使うことを提案しています。また、ストレスをなくす方法を提案しています。そのほうは、「アキラメル」ことだといます。しかし、この「アキラメル」という言葉には、排他的で、マイナスイメージが伴います。しかし、この「アキラメル」は、「明らかに認める」ということを意味します。この「明らかに認める」というのは、「受け入れる」ということに通じます。そして、「認める」という字は、「言葉を耐え忍ぶ」と書きます。人を認めるのは容易ではありません。それを、明らかに認めるということである「アキラメル」ことで、ストレスや葛藤を飛び越えて、受け入れることが出来るのだといいます。そして、それが、「他人は自分とは同じではない」とか、「自分と同じようには考えない」というようにそれぞれの「個性」を認めることになるのだといいます。これらのことを、私は違う観点から考えますが、同じようなことにたどり着きます。たとえば、今、格差社会と言われ、それがよくないといわれます。すると、人はだれでも格差を持っているではないか。金持ちと貧乏、学歴のある人とない人、地位の高い人と低い人がいます。しかし、私はその差が格差だとは思いません。というのは、その差が人の幸せと比例しないからです。ですから、それらの差が人の価値の差にはならないのです。格差社会というのは、その差があたかも人の人格の差であるかのように、人の価値の差であるかのように受け止める社会のことを言うのだと思います。格差のない社会というのは、人それぞれの存在、子どものそれぞれの個性を社会が受け入れることだと思います。そして、その個性を社会に貢献できるような価値を持つように援助していくことが、ある意味では「教育」ということかもしれません。
動物占いの弦本氏と藤森先生とのコラボレーション、さぞ充実した内容であったろうと拝察されます。「幸」という漢字が「土」と「円マーク」すなわち「お金」でしかも前世紀の「幸」、という分析はなるほどと思いました。それゆえ人と人とのつながりを大切にする「倖」を使いましょう、という提案にも賛成できます。また「アキラメル」を他者を「明らかに認める」という解釈も首肯できます。仏教によれば「諦める」は「悟りの境地」を意味します。「悟り」とは何か?それをそのものとして認めること、すなわち「それ以上でもそれ以下でもないありのまま」を認めることですから、まさに「明らかに認める」ですね。教育=「個性を社会に貢献できるような価値を持つように援助していくこと」。これはとても重要な定義だと思います。今日もまた勉強になりました。
今日のブログで「アキラメル」ことがまだまだ出来ていないことを気づかせてもらいました。「他人は自分とは同じではない」「自分と同じようには考えない」とそのまま受け入れることが出来ているつもりでいましたが、よくよく考えてみるとまだまだできていません。単純なことのようで奥が深いです。「受け入れる」「認める」「アキラメル」ことが自然にできるようになりたいと強く思いました。
「受け入れる」ということは、本当に難しいことだと、最近感じます。人と人とのつながりを軽く考えたり、はき違えたりしている人が多くいます。相手を認めつつ、一人の人間として主張するという前提のもとに成り立つのが人と人とのつながりであって、共依存の関係が人と人との繋がりだと思ってしまいがちです。
言語という人間独自のコミュニケーション法があるというのに、どうして人間はここまで他人とコミュニケーションをとる力がなくなってしまったんでしょうね・・・。自分を表現するものが、お金や物になってしまって、生き様や考え方などの内面的なものは2の次になってしまった今の世の中では、みんなギスギスしてますね。
格差格差と騒がれてますが、格差があるのは当たり前です。みんな違うんですからね~。他人は他人、自分は自分という「アキラメル」の境地に立てば、人と比べることもなくなりますね。といっても、私もまだまだ「アキラメル」の境地には立てていません。
保育とひとくくりにしても、子どもの個性・保護者の個性・職員の個性をいかに尊重してその人なりの幸せを見出す援助を提供できるかが重要ですね。奥が深いです。ひとつクリアしたと思えば、次の課題。迷いや戸惑いも日々湧き上がってきます。
答えを求める仕事ではないからこそ、終わりがなく、実践すればするだけ奥深さが露になってくる保育という仕事は、だからやめられないんでしょうね。(と、以前いただいた年賀状の1文を噛み締める毎日です)
31日は、福岡で弦本先生とのコラボレーションですね。
福岡のおっかけとしてはもちろん、参加です。楽しみにしています。
以前、動物占いに詳しい人に私たち夫婦を占ってもらったことがあります。
結果は「動きまわるトラ」と「従順なサル」と言われました。
もちろん、私が後者です。当たってるので大笑いしてしまいました。
最近では、彼女との出会いが運命であって、ささやかな幸せを与えてくれる唯一の人であると
「諦観」できるようになりました。
現実を受け入れること、人の個性を認めること、自分らしく生きること、
藤森先生のブログを読みながらいろいろ考えさせられました。