環境教育

ドイツは、「環境先進国」というイメージがありますが、少し前までは日本と同じように「工業国」として20世紀の発展を遂げたというイメージがあります。その結果、特に鉄鋼、化学などの分野で水質汚濁や大気汚染、騒音など、いろいろな問題を抱えていました。それにいち早く取り組み始めたのです。コミュニティの発想の強いドイツでは、市民レベルでの環境問題への運動は長い歴史があります。その点とても私は日本と似ている気がします。アメリカなどと違って、権利とか、義務とか、法律でとか、規制をかけるということからではなく、地域コミュニティの中でそのような問題を解撤しようとしていました。青森の縄文時代の三内丸山遺跡を以前訪れたときに、ゴミ捨て場が100%きちんと燃えるごみと燃えないごみとに分別され捨てられていました。それが、国土が狭い日本での規範でした。それがいつの間にか、あのマクドナルドのように何でもかんでも一緒に捨てて、まとめてそれを埋めてしまえばよいという国土の広いアメリカのやり方が、さも、新しい時代の文明かのように取り入れてしまったのです。何年か前にドイツの人に聞いたのですが、ドイツでは、「ゴミの分別」や「ゴミを出さない生活スタイル」など、市民レベルの意識の高さを感じさせられます。ミュンヘンでは家庭のゴミは3つに分別して出します。家庭ゴミは2週間に1回、この3つの指定容器に分別されたものを、自治体から委託を受けた業者が回収にやってきます。3つの分類は、「Paper(紙)」「Bio(生ゴミ)」「その他」です。2週間に1回ですから、当然、ゴミの総量を2週間でこの容器1個以内に押さえなければなりません。家族に子どもでもいると大変です。捨て方ではなく、ごみを出さない工夫をしなければならないからです。紙パックの量を減らすため飲み物はビンのものを購入し、スーパーで購入した品物の包装はできるだけスーパーの資源回収箱に捨てるようになります。そして、ビンやカンなどのリサイクル資源は、町の至るところに大きな回収場所があり、ここに行けばいつでも回収してもらえますので、多くの人は、ビンやカンを水できれいに洗い、キャップなどをはずし、きれいにして回収容器に入れています。しかし、人はどうしても楽なほうに動こうとします。何かを購入する場合でも、単にリサイクル製品というだけでは購入してもらえません。それが、いい製品である事、価格も安い事など、消費者にとって得になるようになっていないといけないし、また、制度としても、リサイクル活動などが得になるようなルールづくりが重要なわけで、2週間に1回しか回収してもらえないということで、市民も自ずとゴミの出ない購入の仕方を考えるようになるということのようです。そして、環境教育は持続可能な社会の形成にとって重要な役割を担うため、ドイツは環境教育を重要な教育目標として法的に位置付けました。連邦各州の州憲法は、青少年の「自然と環境への責任感」を育むよう学校に求めており、これを民主主義や人間の尊厳などの重要な法的概念についての教育と同等に扱っています。学校での環境教育の本質的課題は、環境についての基礎的な知識を与えること、そして環境に配慮した社会づくりへの積極的な参加を促すことです。しかし学んだことを環境のための行動へと活かしていくためには「退屈な」知識を与えるだけでは足りないということがわかってきました。1200人の生徒にアンケート調査をした結果、環境を守る行動を促進するためには、環境に関する知識を教えるよりも自然体験をさせるほうが、7倍効果が高いことがわかったのです。そこから「森の幼稚園」という取り組みがなされるようになってきているのです。

環境教育” への5件のコメント

  1. ドイツでのごみの分別徹底は、以前テレビで見たことがあります。ゴミを出さないために、使えるものは家庭大工でリサイクルして使ってました。お父さんと一緒に、子どもも大工道具を手にして一緒に作り変えている姿は、とても理想的に思えました。日本人は、せっかく手先も器用で、いろんなモノを作り変える能力に長けているのに、その作り変える時間がないのでしょうね。もったいない話です。もっとも、最近の若者(と、私が言えることではないのですが・・・)は、何かを作ること自体ができない人が多く、料理はおろか裁縫・編み物など不得手とする人が多いように感じます。だからこそ、今、子どもたちに何かを作り出す力を備えさせたいと思います。
    乳幼児期に必要なのは、何かを教え込むことではなく、何かを作ったり、自然体験をしたり、人間の生の営みそのものの基礎を培う時期なのだと、再認識しました。
    それにしても、毎回のことながら、私には文才がないですね
    ~。自分の考えを上手にまとめられる日がいつか来るのでしょうか・・・?かなり疑問ですね・・・。
    明日までの島根研修、がんばってくださ~い。
    追伸:さきほど、うちのスタッフより、素敵な報告を受けました。つみき会の皆様、あ

  2. 環境問題でも日本はドイツの2周遅れだということを実感しました。
    ひと昔前は、ビールや牛乳はびん入りが当たり前で、容器もリサイクルできていたのですが、
    今は多くの電力を使って、缶ビールや紙パック入りの牛乳が全盛です。その方が何かと便利だからです。日本が環境先進国になるには、環境を守るために、多少の不便さを受け入れる心を国民一人ひとりが
    持つことでしょうか。ドイツのように家庭のごみを容器1個以内で、2週間に1回の回収にしたら、
    今の日本では不法投棄が増えてしまいそうです。

  3. ごみの分別も大事ですが、当然順番でいくとごみを出さない生活スタイルを作っていくことが先です。そう思って周りを見渡すとごみだらけです。ごみを出さないという意識は低いです。ごみを出さないとかごみを再利用することを意識しながら、どんなことができるか、身のまわりや自分の行動を観察してみようと思います。そして、環境の変化に敏感で環境に対して行動するのが当たり前と思う感覚を、子どもたちと一緒に身につけていきたいと思っています。

  4. 今日のブログテーマ「環境教育」から私が考えたことは、自分たちの暮らしを守るためには、まず自分たち自らでなんとかしよう、という姿勢を持つこと、ということでした。当たり前の考えです。ところがこの「当たり前」が当たり前ではない現実があります。私たちは他者への依存が強すぎるような気がします。昨今、何かといえば「○○サービス」です。受ける側は「サービス」を当然の如く考えてしまいます。提供する側のことは基本的に斟酌しない、そうした傾向があるように思われます。形だけの「民主」教育を受けてきた私たちは結局のところ他者あるいは自然の存在を正当に評価することができない。そうなった原因はやはりこれまでの教育にあるのでしょう。乳幼児教育も含まれます。子どもそれ自体のことを考えずに大人の都合を最優先させたきた、と断言したくなります。子どもたちには「立派なこと」を教えてきて肝心の「大人」は「ホンネとタテマエ」論者です。これではいつまで経っても「ゴミ」の量は減らないような気がします。そして「環境教育」も成り立ちません。私たちの国に必要なことはひとりでも多くの自立した「大人」を意識的に創りあげることです。そして「共依存」関係を「いい加減」にすることです。

  5. 富良野では、ゴミの分別は、14種類に分けなければなりません。お金も要ります。大変なので、極力ゴミを出さないようにしなければなりません。昨日、富良野演劇工場で、「ニングル」という劇を観ました。地球の環境について、じゅわ~~んと考え込んでしまいました。20年後30年後の社会を見据えながら、持続可能な社会の形成を果たして行きたいです。

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