試験

 私は勉強が余り好きではありませんので、試験は苦手です。実力テストはまだいいのですが、特に試験範囲のあるものは嫌いです。ですから、教える立場になったときに、生徒に試験をするのも苦手です。看護学校で教育学を教えているときに、最初の授業で、「皆さんは、看護師としていっぱい覚えることが多いと思います。試験前は、覚えようと大変だと思います。その中で、教育学は覚える必要のないものばかりです。教科書にあるような世界の教育制度や、教育方法など覚えても何にもなりません。それよりも、どう患者さんと接するか、どうしたら食事指導などが効果的に出来るかを教育学の観点から一緒に考えるようにします。ですから、試験問題は先に言っておきますので、試験前は、他の教科に時間を使ってください。」と言うことにしていました。私は、看護の仕事は、保育、教育同様に人を相手にする仕事だと思っていますので、暗記よりも、人格を高め、視野を広め、自分で問題を解決する能力が必要とされます。また、たとえば、糖尿病の患者に食事指導をする場合でも、脅したり、無理やり強引にさせるよりも、患者が自ら治療しようとする意欲が大切です。また、病気も治すより前に、患者自ら生きようとする意欲を持つことが大切です。看護師は、その気持ちに沿い、援助することが必要であり、それがまさに教育学なのです。はじめは覚えなくてもよいということで、授業を熱心に聴かず、余りやる気がないようでしたが、回数を重ねるにしたがって、自分で考え、それを人の前で発表し、より深く考えるようになっていきました。そんな変化が楽しくて、看護学校では8年くらい教えていました。それに引き換え、ある保育専門学校で保育原理を教えるのは、1年も経たずに止めてしまいました。私は、保育という仕事も暗記することが多い職業ではなく、子どもを相手に、その子にとってなにが必要とされているかをその場その場で考え出せる力「問題解決能力」とか、子どもとの気持ちをやり取りできる「コミュニケーション能力」とかが必要だと思っています。そんな授業をしたつもりでしたが、学生はおしゃべりをしていて、私の話を聞こうとはしません。あるとき、学生何人かからこんなことを言われました。「みんなが話を聞こうとしなかったり、おしゃべりが多いのは先生のせいです。」といわれました。なぜかと聞いてみると、私が間違っていることを三つしているというのです。一つ目は、「私が授業中話したことを試験に出さないからいけない」私は、看護学校同様、試験問題を最初に言ってしまっていたのです。ですから、話を聞こうとしないのだというのです。二つ目は、「授業態度を成績に反映しないからいけない」他の先生は、しゃべったりすると、「はい!マイナス1点!」と言ったりすると静かになるというのです。私は、つまらない話であれば当然聞く必要はないと思っています。しかし、つまらない話しか、面白い話かは聞いてみなければわからないと思うのですが、最初から聞こうとしないのは、どうもその判断の結果ではなさそうです。三つ目にいけないことは、「席を自由にするからいけない」というのです。どうも、自由というと、当然友達と隣同士になってしまうので、話をしても仕方ないというのです。私は、高校時代から席は自由でしたので、専門学校に行ってまでも先生が席を決めなければならないとは情けない話だと思っていたのです。どうも、覚えること、話を聞くことは、評価があるからのようです。いつから、自ら必要と思って、覚えたり、授業中話を聞いたりするようになるのでしょうか。

試験” への4件のコメント

  1. 学ぶことは嫌いではありませでしたが、小中高時代の「国語」「数学」「算数」「理科」「社会」「英語」等々、いわゆる「授業」なるものは苦痛でした。学校の授業が苦痛なので学校自体を楽しむ、ということにはなりませんでした。従って、小学校の時は早く中学に行きたい、中学生の頃は早く高校生になって型にはまらない勉強がしたい、と思いましたが、見事に期待を裏切られました。大学に入ってやっと自分で授業が選べて学ぶ楽しみを少しだけ充足することができました。その後、大学院に行くことになるのですが、こちらはまた別のプレッシャーに耐えなければなりませんでした。小学校以来「学校」と呼ばれるところに合計20年通っていました。それゆえ僕を知る人は、僕がよほど学校が好きなのだろう、と思うようです。しかし実際は自らの知的欲求を心地よく満たす場を求めて年数を経てきた、というところが正解です。今日もまた「コメント」にならない独白になってしまいました。失敬します。

  2. 「おしゃべりが多いのは先生のせいです」と言った学生さんはすごい人ですね。以前少し似たようなタイプの学生さんと関わったことがあり、いろいろ知りたくなって、専門学校ではどのような授業をされているか学校に聞いてみたことがありました。担当の人と話しながら、保育士の資格を取るための学校だとしても(だからこそ?)、技術や知識より夢を持つことの大切さとかどう生きるかといったことを多く学べるようになったほうがいいのかもと思ったりもしました。そんなことを思い出しました。

  3. 日本は、学生のレベルが低いですね~。中学生ならともかく、短大や専門学校生までもがそんな状態ですか・・・。きっと、何のために学校にいくか、将来何になりたいのか、そういった考えで通学するのではなく、「ただ何となく」通って、「ただ何となく」就職する人が多いのでしょうね・・・。そういう私も、学生時代は、特に夢も希望もなく、何をしていいかわからない時期を多く過ごしました。何をしていいか分からなかったので、とにかく色んなバイトをしてました。
    結局、教育現場に夢や希望がないのですね。プラス、自分で考えることのできない環境と、自分の考えを出してはいけない環境。
    最悪な状態ですね~。
    いいかげん、日本の教育システムを変えてくれないかと思います。ここまでひどい状況になっていながら、いまだに論点のずれた話題しか出てこない日本は、この先どうなってしまうのでしょうか?そこまで意地になって守るものが、現代の教育システムにあるとは、私には思えませんがねえ~・・・。
    あ・・・。すみません。また毒を吐いてしまいました・・・。

  4. ●「みんなが話を聞こうとしなかったり、おしゃべりが多いのは先生のせいです。」といった学生のことを思いやると悲しいですね。そのように考えて、教師に言う教育をされてきたのですね●本園でも子どもを口やかましく、しつこく叱る若い先生がいます。「きっと家でそのように叱られてきたんだろうね」と推測してしまいます。先生が決めたルールや行動の仕方を守らなかったら、きびしくやり直させる若い先生もいます。「きっと小学校や中学校でやらされていた指導方法なんだろうな」と思ったりします。「子どもの気持ちも考えて、そんなにネチネチ叱らないように」と指導しても本人は無意識に繰り返しています●“指導の方法”は無意識に連鎖で継承されていく面が多いのでは…、と考えてしまいます●まさに、人格を高め、視野を広めるという“人間的な素養”に帰結してしまいます。

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