待つ

 先日の土曜日、都内から八王子に帰るときに、交通手段で困りました。新宿から八王子までは、京王線かJRのどちらでも行くことができますが、京王線の踏み切りで、電車が車と接触してしばらく不通でしたので、ダイヤがだいぶ混乱しています。しかし、その時間、JRも不通だったのです。それは、三鷹駅?国分寺駅間の下り線が高架化されるための工事が行われたからです。もともとこのあたりの踏み切りは、朝夕に遮断機が開いている回数・時間が少なかったのですが、この間の連続立体交差・複々線化工事のため、当時運行中の地上複線の上り線を仮線に移動したことから踏切道の長さが延びることとなりました。このため、渡り終えるまでの距離が長くなり、遮断機が上がると駆け足で踏切を渡る人や、遮断機が再び下がるまでに踏切を渡りきれない人などが続出し、電車が一時停車するなどのトラブルが発生していました。今回の工事で、現在の半分近い長さに短縮され遮断時間も大幅に短縮されます。いわゆる「開かずの踏切」は、遮断機が降りた状態が長時間続き、通行が困難な踏切の通称です。線路が多く交通量が多い踏切や駅に近い場合に開かずの踏切となりやすいようです。国土交通省では「ボトルネック踏切」の名で、「ピーク時の遮断時間が1時間あたり40分を超える踏切」または、「1日あたりの踏切交通遮断量が5万台時を越える踏切」を「開かずの踏み切り」と定義しています。1999年度において日本には約1,000箇所あり、ほとんどが関東地方と近畿地方に集中しています。毎朝の通勤途中に踏切があります。朝は、電車が2?3分おきに通過し、駅に近いために徐行し、両方から来るとなるとなかなか踏み切りはあきません。この長い待ち時間から通行者のストレスが高まり、また開いている時間が短かいため、通行者が僅かに開いている時間内で急いだり、焦って通行するので、毎日ヒヤヒヤします。先日は、小さい女の子を連れたお父さんが、手をつないで踏み切りのところに来ました。電車が通過したあと、今度は反対側から来ると見えて、そのまま踏み切りはしまったままです。すると、その子の父親は、なんと、手で踏み切りを押し上げ、小さいわが子を線路のほうに押しやったのです。そして、自分も急いで渡り始めました。父と子が手をつないで通園するほのぼのとした姿は、瞬時にして恐怖の父子の姿に変わったのです。確かに急いでいるかもしれませんし、なかなか踏切が開かず、イライラするかもしれません。しかし、それでもそんなに長い時間ではないはずですし、その横には歩道橋があるのです。私は歩道橋を大体渡るのですが、毎朝踏切で待つのと、歩道橋をわたるのでは、9割は歩道橋を渡った方が早く着きます。それよりも無理に渡る事での事故が多く、踏切待ちによる時間損失を貨幣価値に換算すると年間約1兆5,000億円にも上ると試算されています。私は、通勤途中にあと2回ハラハラします。そのひとつが「信号の待ち」です。道が何本も交差をする交差点では、信号が変わるのに時間がかかる場合もありますが、そうでもないのに、信号が変わるか変わらないうちに渡り始めます。横からは、車も、やはり信号が変わらないうちに渡ろうとスピードを出して交差点に進入してきます。待っていてもたいした時間ではないのにと思います。同様に気になるのが電車への「飛び乗り」です。次の電車がそこに見えているというのに、駆け込み乗車をしようとします。シチズンのアンケート調査によると「イライラするまでの時間」は、「信号待ち」は39秒17だそうです。なんともせわしい世の中です。園では、給食前、3歳児でもみんながそろうまで30分くらいも待っているのに。

待つ” への4件のコメント

  1. ブログを読みながら、待つべきところで待てていない自分に気づかされました。自分で気づけないというのが情けないところです。子どもと同様に大人も待つことができなくてはいけません。待つべきところ、そうでないところの区別をつけて、メリハリのある生き方をしたいと思いました。

  2. 仕事に行くのに人通りも車通りも少ない道を行きます。今日のブログの「待つ」を普段経験することがあまりありません。それでも午前9時頃に出かける時、踏み切りを渡るところがあります。確かに、電車が右から左から入れ代わりやってきます。遮断機がなかなかあきません。これが「開かずの踏み切り」と思いきや定義によると「開かずの踏み切り」とはもっと「開か」ない踏み切りのことだとわかりました。毎度のことながら当ブログは勉強になります。そうそう、降りた遮断機を持ち上げてくぐって行ったり、跨いだりして行く人々を目の当たりにしましたが、今日のブログにあった「父子」の姿は確かにぞっとします。時折横断歩道の赤信号を渡ろうとして息子に制されることがあります。ついつい「待つ」ことを忘れてしまいます。

  3. 普段の生活ではあまり「待つ」ということを感じないものになっているのかもしれません。また、社会も待たなくてもいいようなサービスの充実に重点が置かれているような流れも感じます。「はやい」ということはサービスにおいて大切な価値となると、私たちは少しでも「遅い」と感じるものは選ばないようになってしまい、どんどん「待つ」という意識は薄れていってしまうかもしれませんね。子どもと接しているとこの「待つ」という経験はよくあることですね。「待てない」というのは自分のペースで、「待つ(待てる)」というのは自分以外のペースに合わせているということでもあるのかもしれません。私たちは子どもと接することで、その「待つ」という経験をすることができます。そのことは子どもにとってもですし、私たち大人にとっても大切な生き方を教えられているのかもしれませんね。待つこと、まだまだできていな部分もあるので、見直していきたいです。

  4. 「待つ」という価値について見直さなければいけないようにも思います。藤森先生のように、「踏切待ちによる時間損失を貨幣価値に換算すると年間約1兆5,000億円にも上る」といった具体的な数字を算出することで、人は考え方を変えやすいかもしれまんせんね。待ってイライラするよりも、歩道橋を渡った方が、運動も出来て結果的によい事を招いてくれそうです。また、信号待ちのイライラにおいて、「39秒17」という驚異的な数字を目の当たりにすると、時間に追われながら生活をしている現代の風潮が、表出しているようにも思います。“何かに待たされている時間”という感覚から、その待ち時間を楽しむ過程で、“こんな事もできた時間”にしていきたいと思いました。

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