東京では、梅雨明け間近で、なんとなく、じめじめムシムシの毎日です。今日のこの気候は、まさに「土潤って蒸し暑し」ですね。明日の7月28日(旧暦6月23日)は、七十二候の一つ(35候)である「土潤溽暑」です。二十四節気は1年を24等分して季節の名称を与えたもので、さらに3つに分けた七十二候は季節のうつろいを気象や動植物に託してあらわしたものです。約5日毎の気候を表しています。それぞれの名称は、気象の動きや動植物の変化を知らせる短文になっています。 そして、二十四節気は古代中国のものがそのまま使われています。太陰暦では、暦の日付が太陽の位置とは無関係なため、暦と春夏秋冬の周期にずれが生じ、農耕には不便でした。その為、古代中国では、冬至を気候の推移を表す基準点として、1年を24等分した二十四節気を考えたのです。それを分割した七十二候の名称は何度か変更されていて、日本でも、江戸時代に入って渋川春海ら暦学者によって日本の気候風土に合うように改訂され、「本朝七十二候」が作成されました。そして、1874年(明治7年)の「略本暦」には、それまでと大幅に異なる七十二候が掲載されています。しかし、この一候は、5日程度と短いために、地域差や年毎の気候の違いがありますので、その短文に当てはまらないことも多いのですが、今日という侯は、まさに今日という日をあらわしていますね。そのほかに、7月、8月の侯を見てみました。まず、「小暑」といわれる7月8日頃の31候は、「温風至」(温風至る)ということで、暑くなり始めるころということです。温風というのは、熱風のことです。今年のそのころもまだ梅雨に入らないとかで暑い日が続きました。その次の32候は、「蓮始開」(蓮始めて開く)です。私の園では、今年は睡蓮の花が咲きましたが、昨年のブログでは、はすの花が開いたことを書きました。このころは、朝、夏の風物詩である蓮の花が開きます。そして33候は、「鷹乃学習」(鷹技を習う)ということで、今年生まれた鷹の幼鳥が、巣立ちの練習を始めるころということです。この侯は、鳥の姿で表していて、珍しいですね。そして、「大暑」tおいわれる7月23日頃です。まず、34候は、「桐始結化」(桐始めて花を結ぶ)ということで、桐の実がなり始めるころです。この桐は、たんすなどに使われる木ですが、中国思想による空想の瑞鳥といわれる鳳凰は、桐樹に住み、桐の実を食べて生きるといわれています。この実がなるのがこのころです。そして、明日28日が、35候「土潤溽暑」(土潤って蒸し暑し)で、土が湿って暑くなるころという日です。そろそろ梅雨明けが近いようです。しかし、梅雨が明けたから雨が降らないというわけではなく、夏の盛りは、急に入道雲が湧き出て、あたりが暗くなったかと思うと激しい雨の夕立がやってきます。次の36候は、「大雨時行」(大雨時々降る)ということで、夕立が突然やってくるころとなります。そして8月8日ころ「立秋」になります。37候は、「涼風至」(涼風至る)ということで、暑い日差しの中に、ふと、涼しい風が身をよぎります。まだまだ夏の盛りですが、気配はそろそろ秋が近づいていることを予感させます。38候は、「寒蝉鳴」(寒蜩鳴く)ということで、夕刻に淋しげに鳴くヒグラシ蝉は涼を感じさせます。39候は、「蒙霧升降」(濃霧昇降す)ということで、明け方には、深い霧が降りるようになります。8月24日ころ「処暑」になると、40候「綿柎開」(綿の花しべ開く)ということで、綿が開花し始め、41候「天地始粛」(天地始めて寒し)のころになると、ようやく暑さが和らいできます。そして、42候になると、「禾乃登」(禾実る)ということで、稲が実りはじめ、本格的な秋になっていくのです。
農耕民族であった日本人が明治になって太陽暦を導入した頃から徐々に選択を間違ってきたのかも知れないなと、このところの藤森先生のブログを読んでいて思いました。中国は紀元前から太陽太陰暦のようで、簡単に文化を変えてしまえるのは日本人の文化のようです。来月は終戦記念日や私の田舎ではお盆もありますので、これは旧暦?、田舎を再発見してきたいと思います。選挙ではつい「フジモリ」と書いてしまうかも知れません。
72侯はなかなかおもしろいですね。季節が変わっていく様子が浮かんでくるようです。37候の「涼風至」のように、ふとしたときに秋が近づいてきているのを感じる瞬間は自然の大きさを強く感じます。こういった細かな移り変わりを敏感に察する心の状態を保ちたいと思いました。
二十四節気七十二候・・・「時候」の挨拶に使われる「候」の字がこの「七十二候」から来ていると気づき何だか嬉しくなっています。節気や候も自然の賜物です。それらを意識して暮らせる生活をしたいものだと今日のブログを読みながら切実に思いました。保育園幼稚園学校でも「候」を日々意識してさまざまな「学び」の機会を提供してくれるなら将来算数や理科で躓く可能性も減少するはずです。もっとも「やらせ」としての学びであれば「算数理科離れ」にはますます拍車がかかります。学びのきっかけはありとあらゆるところに落ちています。「72候」も学びの十分なきっかけになるはずです。もちろんその「きっかけ」を提供するのは私たち大人の役割です。