地方に行くと、地方で過疎化が進んでいるのを実感します。これから地方分権が進むと、地域間格差がますます広がるのではないかと懸念します。その地その地での文化、特色、よさがたくさんあります。そのれを引き継いでいかなければならないでしょう。しかし、逆に、私が多摩ニュータウンで園を開園したころは、周りにはなにもありませんでした。園の前も空き地です。ニュータウンという街づくりは、街を再開発していったわけではなく、里山であった野山を切り開き、整地し、そこに街を作っていくというやり方です。ですから、そこには特に伝承されたものはなく、その地に以前から住んでいた人もいず、まったく新しく移り住んできた人々で構成されます。しかし、計画された街であるだけに、景観は美しく、大きな緑の公園はあちらこちらに点在し、人と車の動線は交わらない工夫がされています。しかし、いくら景観や設備、施設は計画できますが、人の心は計画できません。開園した当初は、なんとなく、無機質な、人の気配が感じられない、生活感のない街でした。最初のころは高層マンションだけでしたので、犬を連れて散歩する人もいず、猫も歩かず、みんな車での移動だけでした。そんな中で、街づくりを一生懸命にしようとした人たちが何人か現れました。富永さんもそのうちの一人でした。今は、街づくりとそこに住む人の暮らしを応援するNPOを立ち上げ、指定管理者としてネイチャーセンターの館長をしています。彼とは、縁があって、一緒に街づくりを手伝うことになりました。そのいきさつが、以前、新聞に掲載されました。「緑豊かな真新しい街で休日を楽しもう」というタイトルです。この記事を改めて読むと、なんとなく懐かしくなります。ちょっと、記事の書き方が、以前、NHKで放送されていたプロジェクトXのようです。「富永一夫が、多摩ニュータウン(八王子市の長池地区)の団地に引っ越して来たのは94年だ。外資系の飲料容器メーカーの営業マンで、職場は都心。富永はニュータウンでのゆとりある暮らしを思い描いていた。だが、しばらくすると不満が募った。近所の住民同士、目が合ってもあいさつをしない。人間関係に不安さえ感じた。「定年後に一杯やれる仲間をつくりたい」 団地の管理組合で役員になった富永は、子供と父親が一緒に集えるような企画を練った。 95年夏、アニメ映画「平成狸(たぬき)合戦ぽんぽこ」の上映会を開いた。夏休み最後の日曜日は大いににぎわった。人間関係の希薄さに不安を感じていた人がほかにもいた。 「せいがの森保育園」の園長・藤森平司(55)だ。97年春、藤森は長池地区に保育園を開いた。街に住民が集まれる場所がないことに驚き、園内に誰でも使えるコミュニティールームを設けた。藤森は子供の頃、神社の境内や路地が遊び場だった。「地域社会で子は育つ」が持論だ。大学を卒業して小学校教師をしていた当時、父親たちを集めて懇談するなど、地域ぐるみの子育て活動に取り組んだこともある。「長池地区にも顔の見えるコミュニティーが出来ないだろうか」。藤森はずっと考えていた。「長池公園で夏祭りを開くのですが、保育園のトイレを貸してもらえませんか」。藤森の保育園を、富永が訪ねたのはその年の夏だった。藤森は快諾した。2人は地域活動の話で盛り上がった。「運命的な出会いだった」。藤森は、その日の日記に記した。」なんだかこの書き振りには、照れてしまいますね。みんなに、日記を書いているのですか?と聞かれるたびに、「心の日記に記したのです。」と答えたものでした。今は、ブログを書いているので、そこに書いたかもしれません。
ニュータウンだからこそ求める人とのつながり。こちらはまだ古い「地域」というものが残っています。昔ながらのいい意味での「地域」がそのまま残っているのでなく、表面上の「地域」になってしまっています。
あって当たり前と思っているからこそ、本気で動く人はいません。せっかくこれだけの自然と地域社会がありながら、それを存分に活かしきっていない現実に直面するたび、何かできることを・・・と気持ちばかりが先走りしてしまいます。
来月は七夕まつりです。少しは街づくりに貢献できるよう、開かれたまつりを目指しているのですが、田舎ゆえなのか、世の中がそうなのか、園児以外の人間が園を利用することを快く思わない人が増えてきています。
とても残念なことですが、何のために園が存在するのか、また、園の理念がどうなのか、時間をかけて説明を繰り返していくことで、本当に開かれた園に近づけると信じています。
地域の人とつながりを持つことは大切だと思いながら、具体的な行動がほとんどできていません。地域の方との縁や出会いを感じたときにそれを本気で大切に育もうと思ってこなかったために、地域作りにつながる関わりができずにいます。地域に力はあると思うので、そこに自分たちの役割を見つけることが課題です。子どもたちの育ちにつながる地域との関わりとはどんなものかを考えていきます。
「自然の豊かな」ところに以前住んでいました。町の首長さんはよく「自然の豊かな町です」と町を外の人たちに紹介していました。確かに「観光客」として来ると「自然の豊かさ」を味わえた気分になるかもしれません。しかし、その町に住んでいた住民のひとりとしては「自然」は直接的に私たちの心を豊かなものにしてくれる、とはとても思えませんでした。今日のブログで紹介された多摩ニュータウンに行って人と人とのつながりの中から「自然」を相対化し、そこに住む人々の心を豊かにしようという取り組みに感激したことを思い出しました。たとえば「自然」それ自体を私たち人間にとって意味あるものにするには素のままではいけないのではないか、と常々思っておりました。「プロジェクト」とは存在理念に裏付けられた計画的意図的実践行為でしょう。子どもは「自然だ」という声があります。その一方で「子どもは生まれながらにして教育を受ける権利がある」という考え方もあります。「自然」を私たちのために意味あるものとするにはやはり「プロジェクト」が必要な気がします。