「子曰く、学びて時にこれを習う。また説(よろこ)ばしからずや。朋遠方より来たるあり。また楽しからずや。人知らずして憤らず。また君子ならずや。」今日は、「学びて時にこれを習う。また説ばしからずや。朋遠方に在り。また楽しからずや。人知らずして憤らず。また君子ならずや。」という心境の長崎でした。私なりの解釈はこうなります。「人の人たる道を学び、いろいろな時と場で実践をしていく。そして、自己の理解程度や実際の実践をしてその効果を知ることで喜びを感じます。また、それを共有する友が現れ、そんな友が遠方にもいて、交流が始まるのもとてもうれしいことです。その友と会って、また共に切磋琢磨できます。そのようにともに学んでいくと、例え世の中に広く知れ渡らなくても、なかなか自分の考えを理解してもらえなくとも、何も嘆くことはないのです。名が広がるよりも自分の道を貫いていくことこそ立派な君子なのです。」長崎大会に出席して、そんな思いを強くしました。もとの文は、論語の最初にある学而篇の最初に出てきます。この「朋」という字は、もともと数個の貝をひもでつらぬいて二すじ並べたさまを描いたものです。それが、同等のものが並んだ意を含み、のち肩を並べたとものことを指すようになります。ですから、今日のともは、「友」というより「朋」という字を当てたほうがいい気がします。それは、同じ理念を持った仲間ということだからです。「朋」には次のような意味があります。ひとつは、この学而篇にあるような「対等の姿で肩を並べたともだち」という意味です。二つ目は、「朋党」とか使うように「なかま。いっしょに組んだなかま。」という意味です。ですから、今日、長崎で、オフ会が開催され、そこで会ったともは、「朋」なのです。
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 私は今、保育の理念を同じくする仲間とメーリングリストの中で、意見交換をしています。以前のブログで書いたように、「オフ会」とは、「off-line meeting」ということで、パソコン通信やインターネット上で活動するグループに所属するメンバーや、ネットワーク上の特定の掲示板・チャットなどによく出入りする人々が、実際に集まって行なう会合のことをいいます。ネットワーク上、すなわち「オンライン」に対し、現実世界を「オフライン」としてこのような呼び方がされています。ネットワーク上で名前を知り、その考えを知ることによって、まだ直接に出会ったことがないお互いでも、親しい知り合いのような気になります。ですから、実際に顔を合わせると、イメージ通りの人、イメージと違う人とさまざまな印象を受けますが、それでも、すぐに親しくなります。実際には面識がなくても、ネットで事前に色々と情報のやり取りをしているため、打ち解けやすいのです。このオフ会は、「オフミ」とか、「オフ」等と略されることもあります。今日は、30人以上も集まりました。会食しながらメンバー共通の保育に関する話題で盛り上がりました。大会自体は、さまざまな考え方の人が集まり、必ずしも自分の考えを主張することは出来ません。というのも、意見が違うとか、考え方が違うとか、そういう人と意見交換することは意味がないということではなく、もっと基本的なことに共通認識がないと、違う意見でもかみ合わないということです。やはり、議論をするとか、意見交換をするとか、提案をするとか、その意見が参考になったりするのは、その基本のところが同じでないと難しいことです。オフ会では、あらためて、朋がさまざまな地にいることを知って、大きな喜びでした。

” への6件のコメント

  1. 違う意見がかみ合うという感覚は分かる気がします。理念が同じであることの大切さを強く感じました。その中で自分の思いを再確認しながらいろんな人のいろんな考えを聞かせてもらえた、とても有意義なオフ会でした。子どもを中心に置いて自分にできることは何かを探していくことを改めてやっていこうと思わせてもらえました。

  2. 長崎大会、お疲れ様でした。ご無事に東京に戻られましたでしょうか?
    昨日も日帰りだったため、2次会に参加することができずに残念でした。1次会だけの参加でしたが、それでもとても有意義な時間を過ごすことができました。若輩者の私でも、1人前として扱ってくださる「朋」の皆様に感謝の念で一杯です。同時に、ふと気づいたことがあります。
    「朋」のみなさん、それぞれが、普段から、子どもを1人の人間として尊重した保育をされているからこそ、私のような若輩者でもすんなり受け入れてくださるのだということです。
    同じ理念を持つ仲間の存在は、これほど勇気をいただけることはありませんね?。
    最近は、少しずつ地域デビューをしていますが、やはり、理念を共有している「朋」ではないので、言葉をよく選び、あまり毒を吐かずに、参加することが多いです。
    ただ、そういった場でも、自分のもつ、このGTの理念だけは曲げたくありませんし、曲げるべきではないと思っておりますので、結果として毒を吐いていることにつながっているのかもしれませんが・・・(笑)。
    地域に改革をもたらすほどの大きなことはできませんが、少しずつ、小出しにして、いつかこの地域を子どもを幸せに導けるような状況に少しでもできたら、と思います。
    全国各地の「朋」が、それぞれ動き、広めることで、結果、全国的にまとまることになりますからね?。
    本日は、MLもブログコメントも長くなってしまった楢崎でした?。

  3. どんな研修より奥が深いオフ会に参加したかった北海道のたやです。ちょうどその時なぜか青函トンネルに突入し、電話が切れてしまい失礼しました。全国あちらこちらに朋がいて心強いです。きようもさっそくこれから朋に会いに行きます。

  4. 「朋友」「同朋」・・・今日のブログのタイトル「朋」とはとても味わい深い漢字です。子どもの頃から「友達」「友達」と言われて育ちました。成長の各段階で「友達」はいたと思います。ひとりぼっち、という経験はあまりありません。しかしあらためて「友達はいますか?」という問いには始終戸惑いを感じていました。なぜなら自分の中で「友達」の定義が確立していなかったからです。面倒くさい、少年でした。今も「友達」はいません。しかし「朋だち」はいます。別段悩みを語り合ったりするわけではありません。「仕事」でありながら互いにやっていることの底流に同じもを感じる「朋だち」です。そういう人たちと一緒にいるとついつい時のたつのを忘れてしまいます。「朋遠方より来たるあり。また楽しからずや。」・・・「楽しい」ですね。

  5. オフ会のオフはオンラインに対しての言葉だったのですね。オフ会という言葉は耳にしていましたが、そのような「オフ」の意味だとは思っていなかったので、なるほど、おもしろいなと感じました。「基本的なことに共通認識がないと、違う意見でもかみ合わないということです」というのは様々な人と話をする時に実感します。意見が違うからと言って、その共通認識がないのに自分の考えを語りすぎてしまっても相手はなかなかすっきりしてくれませんね。そんな時はあまり焦らず、会話を楽しむことに集中した方がいいのかもしれません。「朋」という漢字の意味も知ることができ、私の中で人と関わる時の関係性を表す定義が増えて、なんだか嬉しくなりました。朋の存在は力になりますね!

  6. 「人知らずして憤らず」は、なかなかの器量でないと受け止めることができないようにも思います。自分の意見や考え方を他者に理解してもらうというのは、人としての一生の課題になるのかもしれませんが、それに時間を費やすよりも、自分を理解している人、または理解しようとしてくれている人のために、自分には何ができるのかということに時間を使った方が気持ちの良い人生が送れる印象があります。共通理念という基本の部分でつながっている人々である「朋」との関係から、最近覚えた「信頼が人の脆さを補う」ことが頭に浮かんできました。そこは、まさに良い保育を行うために集まってきた「朋」がその場で充電をし、また力を補って再び邁進する「保育のプラットホーム」でもあるのですね。

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