保育施設

 今日は、聖徳大学で行われた「生涯学習フォーラム」の分科会に参加しました。参加した分科会は第2分科会で、「子どもの育ちと生活空間」というテーマでのパネルディスカッションです。私のほかのパネリストとして、日本女子大学名誉教授の「小川信子」氏と、二葉すこやか園(二葉幼稚園・二葉保育園)園長の「大竹節子」氏です。小川氏は、もともとは日本女子大の家政学部を出ますが、建築事務所勤務を経て、東大の建築学科吉武研究室研究生として、研究者と設計計画者として活躍していました。その後43年間に渡り、保育所を中心に設計も手がけています。私も少し設計をかじったので、小川氏の設計された施設を学んだり、その園に見学に行ったりしました。また、小川氏は、20年余り前にスウェーデン王立工科大学の客員研究員でもあったこともあって、最近、「子どもの生活と保育施設」という本を障国社から出され、今日は、その本をいただきました。北欧は、このスウェーデンをはじめとして、学力が高いことで注目されているフィンランド、ノルウエー、昨日のブログのリヒテルズさんが紹介しているイエナプランのオランダやワークシェアリングの代表的実践国といわれるベルギーなど、とても成熟していく国々です。このなかで、スウェーデンにおける保育施設計画の立案に一貫して流れる共通の問題が書かれています。「個人の自立を重視する拠点を確保」「国での生活における保育内容を、その生活行為別に受け止める空間の確保」「小集団から広がりのある人間関係が作れるような空間計画」「個人の生活が守られるように自由行動が出来る場の確保」「地域社会とつながりを持った施設作り」の5点です。これを解釈してみると、とても面白いものが見えてきます。まず、第1に掲げられていることは、最近のどの国においても課題である「自立」です。日本でも平成15年に出された「学校施設整備指針の改訂について(幼稚園編)」の中でも、第2節「幼稚園施設整備の課題への対応」での第1の課題は、「幼児の主体的な活動を確保する施設整備」と書かれています。そして、その1として「自発的で創造的な活動を促す計画」をするように言っています。これは、このような施設を作ればよいというわけではなく、そのような保育をする必要であるということなのです。しかし、その具体的な環境は、スウェーデンのほうが優れている気がします。日本では、「その際,幼児の遊びの場を十分に確保すること」とか「小グループや一人一人の特性に応じた活動を可能にする多目的な空間を計画すること」とか「保育室と遊戯室や図書スペース等の連携に配慮すること」などが提案されていますが、これらがどうして自発的な活動を促すようになるのかが見えてきません。その点、スウェーデンでは、次の項目を見るとよくわかります。「保育内容を、その生活行為別に受け止める空間」とあります。これは、いわゆる「コーナー」と呼ばれているものです。それとか、ゾーニングと呼ばれている計画です。主体的な活動とは、子ども自ら環境に働きかけ、自ら活動することです。簡単に言うと、子どもがこんなことをしたいと思い(意欲、動機)、それを実現しようとすることが実現できるような空間、やりたいと思うことを受け止めるような空間を用意するべきだということです。単に、「幼児の遊び場の確保」とか、「多目的な空間の用意」ではない気がします。また、日本の「集団生活をおくる中で,信頼感や思いやりの気持ちを育て…」よりもスウェーデンの「小集団から広がりのある人間関係が作れるような空間」のほうがより保育内容が見えてきますね。

保育施設” への5件のコメント

  1. 教育環境に3つあります。人的環境・物的環境・空間的環境です。ところが「教育」というもののわが国におけるそもそものの捉え方がこれら3つの「環境」という理解をわかりにくいものにしているような気がします。その原因が教育者、すなわち「先生」への過剰シフト傾向です。本来「人的環境」を構成するという極めて客観的存在者があたかも全知全能の神の如くに誤解され、先生によって全てが成り立ったり成り立たなかったりする、と思われてきている不幸な歴史を私たちは有します。今日のブログで取り扱っている「保育施設」すなわち「空間的環境」に対する配慮は人的・物的よりももっと捉えがたい環境となっています。「空間」を客観化できない教育界の限界にその因があるのではないか、と考えます。人間重視に異論はありませんが、人間は環境によって容易に変わりゆく存在である、という認識が今こそ必要とされていると私は考えます。それゆえ教育環境を構成する「空間」の認識のし直しが不可欠な時点に立ち至っています。

  2. 「信頼感」や「思いやり」という言葉はよく聞きますが、本質に触れているようで触れていないような不思議な言葉です。目的にはもう少し具体的な言葉の方がいいと思います。「多目的な空間」という部分も、きちんと本質を捉えて考えていけば、もっと具体的な空間が提案できるんじゃないでしょうか。課題をあいまいではなく具体的に持ち、そこから解決策を具体的に見つける習慣をつけなければいけないと思わされました。

  3. スウェーデンの地域社会とつながりを持った…や小集団から広がりのある人間関係…などは保育をする上で、幼児教育を行なっていく上で、具体的に大切にしなければいけないことがはっきりしているということを感じさせますね。日本のものと比較すると、日本のものは具体的というよりはぼんやりしているような印象を与える内容ですね。幼児教育で何を大切にするか具体的に浸透してないからこそ、建物の計画も曖昧になってしまうのかもしれません。「幼児の遊びの場を十分に確保すること」だとがらんとした保育室でも、遊びのスペースを十分に確保しているということになってしまいますね。現場の自由度を大切にすることが大事ですが、それには芯となる部分があってからこそなのかもしれません。

  4. 確かに、本文を読んで、日本の表現の仕方は抽象的である印象を受けました。「小集団から広がりのある人間関係が作れるような空間」の方がイメージをし易いですし、関わりのなかで施設というものを活かす方法を構築していく過程が見えるようでもあります。子どもが自らやりたいと思ったことができる環境、また、その意欲を受け止める空間など、子どもの自発性や主体性を妨げない施設とはどういうものなのか、それをイメージできるような伝え方や考え方が望まれることなのですね。

  5.  当たり前と思われていることに改めてスポットを当てること。こんなにも知らなかったことがあったんだと気付いたり、また改めて考えさせられたりと、とても意義深いことだと思います。そういう意味でも今年度『伝統を見直そう』というテーマで取り組めたことは非常に重要なことだったのだと、改めて感じます。大好きな本を読み返したり、何度も読むことに意味があるのは、その時その時によって感じ方が違ったり、意味が前に読んだ時以上にわかるようになっていたりということがあるからだと思いました。人は、成長する生き物なのだということを改めて感じます。
     〝ゾーニング〟という言葉はとても定着していて、ただ、それをこの頃から言葉として用いていることを知ると、改めて時代の最先端で保育を考えられてきたのだということがわかります。こうして文字として記録として残して下さっていること。藤森先生がブログを書き続けて下さっていることに、感謝の気持ちが、改めて湧いてきます。

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