情緒の安定と自立

 今日は、以前のブログで紹介した「父親保育の日」でした。それぞれの日案に沿って保育が行われました。毎年思うことが、父親のパワーがすごいと思う以上に、子どもたちがすごいと思います。0歳児は、いつも接したことのない父親に抱かれて、安心して眠ります。
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そのときに思うのは、担当制という「子どもと接する人が代わると子どもは情緒が安定しない」という考え方です。この日に父親たちに抱かれる子どもたちを見ていると、ある日に誰に抱かれたかが情緒を安定させるのではなく、普段、十分と大人から受容され、かかわりを持つことで、大人への信頼感が生まれます。しかし、当然、母親と違うことはわかっています。しかし、その好きな母親が安心して自分を託す人には、子どもも安心して身を託すようになります。母親が、不安を持ったり、不信感を持ったりすると、子どもにそれが伝わります。また、保育者と関わる中で、子どもが自分の存在を受け入れてもらっていないと感じると、泣いたり、情緒が安定しません。愛着関係とは、子どもを抱くことではなく、子どもが抱っこから降りて、信頼できる人から見守られている中で、一人で遊びに夢中になることが出来る情緒のことなのです。
 先日、オランダ教育研究者の「リヒテルズ直子」さんから、「うちの子の幸せ論」という本をいただきました。サブタイトルとしては、「個性と可能性の見つけ方、伸ばし方」というもので、6名からのインタビューによるメッセージで構成されています。6名の方は、「教育評論家 尾木直樹」さん、「NPO法人東京シューレ理事長 奥地圭子」さん、「白梅学園大学教授 汐見稔幸」さん、「学校法人シュタイナー学園校長 秦理絵子」さん、「青山学院大学教授・小児精神科医 古荘純一」さんと、リヒテルズさんです。その中で、リヒテルズさんは、オランダの子育てを紹介しています。「彼らに共通していえることは、子どもが考えるよりも先に、親が先回りして手を出すようなことはあまりしない、ということです。」こうとも言っています。「オランダの親たちは、子どもが自分でしたいことを選んだり、それを自分で考えて言葉にするのを待っている、という感じがします。とても小さいころから、子どもに選択肢を与えているし、子どもが自分の言葉で答えなければいけないような会話の機会を努めて作っているように思います。」これは、すでに子どもが2歳児ころから始めます。このような関わり方は、オランダだけでなく、私が毎年行っているドイツでもそうですし、すべてのヨーロッパや英語圏での課題でもあるのです。いわゆる「子どもの幸せは“自立”から」というものです。リヒテルズさんは、日本にいたときを振り返ります。「自分勝手に“これは子どもにとってためになることなのだから”と一方的に思い込んで子どもに押し付けることが多かったのではないか、とよく思います。」だからといって、子どもを放っておくのと違います。「小学校高学年くらいの、すっかり大きくなった男の子でも、何か悲しかったりつらかったりして母親のところに寄ってくると、母親は他人が見ているものお構い無しに、ひざに乗せてしっかり抱擁してやります。」いつでも受容され、自分の存在を認めてもらえているという確信が、自立を促していくのです。「人間の幸せとは何でしょうか。自分が自分で本当に好きだと感じられることを見つけて、それでもって世の中で自立して生きていけることではないでしょうか。」こう言っているリヒテルズさんが、明後日私の園に来ます。

情緒の安定と自立” への4件のコメント

  1. 愛着関係というと結びつきばかりが浮かんできますが、離れることができる情緒が大切なんですね。わかっていたようでも、文章で読むとまた頭の中で整理ができます。
    リヒテルズ直子さんの「人間の幸せとは何でしょうか。自分が自分で…」という言葉。とても大切なことだと思います。長崎でのお話がまた楽しみになりました。

  2. 私たち日本人は子どもたちの「自立的」育ちを阻害してきたような気がします。そして「少子化」と呼ばれる子ども人口の減少が顕著になってますますその傾向に拍車がかかってきました。今日のブログで言われていた「自分勝手に“これは子どもにとってためになることなのだから”」という日本の大人の思い込みが年々歳々強くなってきているような気がしてなりません。「子ども」のことがあれこれと取りざたされているいます。保育参観に保護者が育児書を小脇に抱えて参加する時代です。それほどまでに大人が子どものことを考えています。それでも「情緒の安定や自立」が実現されるどころかますます遠ざかっていっているような気がしてなりません。子育て最中の親のひとりとして自戒を込めて今日のブログを読みコメントしました。

  3. 「自分勝手にこれは子どものためになることなのだからと…」とそんなことを思い込んで子どもの力を奪うような関わり方をしていないか見直していかなければいけないなと思いました。ふとした行動、自然とやってしまっている行動があるとするならば、考え方がまだまだ定着していないということですし、一つひとつの行動にまだまだ思いを持てていないということでもあると思うので、丁寧にやっていきたいなと思います。子どもたちが自分で考えれるような、自分でやろうという意欲が湧くような関わり方を考えながら接することが専門性でもありますね。そんな中でも子どもが不安であったり、助けを求めてきた時にはしっかり受け止めるということを忘れてはいけませんね。なんでも自分でやりなさいではなく、状況や背景から関わり方を考えられるようになりたいなと思います。

  4. 「愛着関係とは、子どもを抱くことではなく、子どもが抱っこから降りて、信頼できる人から見守られている中で、一人で遊びに夢中になることが出来る情緒のこと」とありました。愛着とか、自立を促して社会に出られる力でもあると感じました。また、オランダの育児から学ぶところはたくさんありますね。「子どもが自分の言葉で答えなければいけないような会話の機会を努めて作っている」という言葉からも、普段の生活の中で、意図的に自ら言葉を発しようとする状況になるようにしているということは、まるで保育士が月案などで考えるようなことと一緒であると感じました。オランダやドイツでは、各家庭においてそのような考えを持っているというのは驚きですし、統一プログラム「バイエルン」が教育関係者だけでなく、一般家庭の親が購入する経緯が、なんとなく理解できました。

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