5000円札で有名な新渡戸稲造については、お札の絵柄になったときにかなりの人がびっくりしたと思います。と言うのも、わたしがびっくりしたからです。彼については、歴史の教科書ではほとんど習ったことがなかったからです。それよりも、彼について調べて、またびっくりしたのは、彼の偉業というよりも、彼の家系における代々の性格の激しさにびっくりしました。この受け継いだ性格が、著書 Bushido: The Soul of Japan(『武士道』)という、流麗な英文で書かれた名著と言われている書籍を書かせたのだろうと頷けるところがあります。今回盛岡に行ったとき、合間を見て彼の生誕の地に行ってみました。
彼の曽祖父「新渡戸維民」は、南部盛岡藩の兵法学者でした。しかし、この盛岡藩の花巻城を縮小するという藩の方針に対して強く反対し、川内(現青森県下北郡)に流されます。そのとき、彼の息子「新渡戸傳(つとう)」は、27歳でした。傳は、花巻に生まれています。彼は、父親が川内に流されたとき、川内で商売をはじめます。44歳で商人をやめるまで、材木商として活躍し、任官後は勘定奉行などをつとめ、特に開拓事業に力を発揮します。花巻近辺で多くの開田に成功した後、62歳の時三本木原開拓を藩に願出て新田御用掛として1855年(安政2)着手します。当時、十和田市を中心とした「三本木原大地」は“三本の木しかないので「三本木」という地名になった“といわれるほどの荒野原でした。この土地の開拓事業に着手したときに、傳はすでに62歳となっており、当時の平均寿命50代をはるかに超えてからの挑戦でした。当時、農民たちは、何度も繰り返される凶作や飢饉に苦しみ、出稼ぎや逃亡が絶えませんでした。そこで傳は、米の生産を安定させ農民たちの生活を救うため、奥入瀬川から水を引き、不毛の三本木原台地に水田を開発する計画をたてました。資金は、藩からの出資金のほか沢山の出資者を募り、傳の私財も充てられました。高度な土木技術の導入・多くの農民の労役により、硬い岩盤を貫くトンネル工事など難工事の末、4年もの歳月をかけて、不毛の荒野原に水を引くことに成功しました。この水路の完成により、1860年の秋、この地にはじめて米の収穫がもたらされたのです。その後も開拓事業は地域の人々に受け継がれ、水路は太平洋岸まで達し、支流も合わせた総延長は60kmとなりました。最晩年には七戸藩設立を策し成功、七戸藩家老、後大参事となり、78歳で三本木において逝去しています。傳は負けん気根性で上記の事業を成功させ、結果として藩主に「私が悪かった」と頭を下げさせる離れ業を成し遂げ、重臣に列挙されていますが、東北人には珍しく熱い感情を表に出す家系だったようです。この事業を受け継いで行ったのが、傳の息子の「新渡戸十次郎」更にその息子で、新渡戸稲造の兄の「新渡戸七郎」の三代です。十次郎は、幼少のころから兵学の才能をみとめられていましたが、22才で中奥小姓、32才の時には盛岡藩主・南部利剛の兵学御相手をつとめています。33才で奥御勘定奉行、43才で側用人などの重職をつとめ、そのあと傳の後継者として三本木での開拓に従事するため三本木新田御用掛となり開拓に尽力しました。しかし、47歳のとき(諸説ありますが)不祥事があったとして切腹を命じられています。その息子の稲造ですから、東大へ入学面接の折「太平洋の架け橋になりたい」という有名な名言をはいたことはわかりますね。
しかし、後年、「橋は決して一人では 架けられない。 何世代にも受け継がれて はじめて架けられる 」と言って、 後代の私たちに 夢を託しています 。彼に対する評価はさまざまありますが、保育に関わっている私は、素直にこの言葉はうなづけますね。
かつて神戸の保育園の園長さんと岩手花巻の「新渡戸記念館」を訪ねたことがありました。萬鉄五郎美術館の後だったと思います。新渡戸稲造氏についてまとめて学習したのはその時でした。新渡戸先生が生地から世界へはばたくきっかけを作ったのはご母堂であった、と記念館の資料からわかりました。東京に行かなければこれからの世の中ではダメだ、とご子息稲造氏を諭されたようです。母の言葉どおり東京に行き、やがて世界のニトベとなります。ところでその園長さん、記念館を訪れた時地元の新聞社の取材をたまたま受けやがて写真で新聞に掲載されました。今日のブログのおかげで貴重な経験を思い出すことができました。岩手は時折世界的な偉人を輩出しますね。
何世代も受け継がれてはじめて架けられるのが思いという橋。
心に軸にぐっと来ました。
そのためにも祖先からの大事なものを謙虚に受け取り、ここに在る本質を常に省みて子どものためにも未来のためにも自分へ矢印を向けて歩み続けることで世を立て直したいと改めて切に感じました。
また藤森先生がよく仰る、「保育道」に通じるのだなと感じました。
日々新たに初心を大事に橋渡しができるように社業へ専念します。
本日もありがとうございました。
新渡戸稲造の家系の話はとても勉強になりました。代々受け継がれた思いを少しずつ形にしていくといった時代をまたいだ強い思いというものには感動します。自分が生きている間にどこまでのことができるか分からないけど、できることを確実に積み重ねていくことを怠ってはいけないと思わされました。ありがとうございます。
日本の偉人の一人であられる新渡戸稲造博士の兄七郎さんが、安積疏水事業に携わった南一郎平さんらとともに興された「現業社」について、お教え下さい。
<現業>という言葉がキリストの教えから出たように聞いておりますが、どのような志で事業を興され、社会に貢献なさったのかを是非知りたいのです。
どうかよろしくお願いいたします