無駄

 今日は、法人の監査でした。監査のための書類作りが大変です。印鑑が一箇所押していないとか、日付記入が1日抜けているだけで指摘されます。わたしたちの法人は、確かに公金を使用しています。幼稚園にしても、直接の補助だけではなく、保護者が施設に保育料を納めるにしても、その保護者へ就園奨励金とか、児童手当という公金が支払われています。まして、保育園には運営費全額補助金ですので、公金が使われます。ですから、監査というその使途についての調査があるのです。しかし、当たり前かのように思える監査に少し疑問が残ります。いわゆる公金といわれる国民の税金が、どのように使われることが無駄遣いではないのでしょうか。たとえば、印鑑を押していないことが、どういうことなのでしょうか。もちろん、公正な使い方を、客観的に判断できるような表現が必要なのでしょう。しかし、無駄遣いかどうかは、まず、その公金が、何のために支給され、自治体は、何をすることを委託しているのでしょうか。わたしたちに対しては、それは、もちろん「幼児教育」です。幼児教育に使われていないとしたら、それは、無駄遣いです。たとえば、幼稚園教育要領では、幼稚園教育の基本として、「(1)幼児は安定した情緒の下で自己を十分に発揮することにより発達に必要な体験を得ていくものであることを考慮して,幼児の主体的な活動を促し,幼児期にふさわしい生活が展開されるようにすること。(2)幼児の自発的な活動としての遊びは,心身の調和のとれた発達の基礎を培う重要な学習であることを考慮して,遊びを通しての指導を中心として第2章に示すねらいが総合的に達成されるようにすること。(3)幼児の発達は,心身の諸側面が相互に関連し合い,多様な経過をたどって成し遂げられていくものであること,また,幼児の生活経験がそれぞれ異なることなどを考慮して,幼児一人一人の特性に応じ,発達の課題に即した指導を行うようにすること。」と書かれています。ということは、この基本を行うために公金を投入しているとしたら、(1)を見ただけでも、幼児が安定した情緒を図っていないとしたら、「無駄遣い」です。ましてや、幼児の主体的な活動を促しておらず、大人の価値観を押し付け、子どもを指示し、一斉に、言うとおりに活動させ、または、すべてやってあげ、子どもたちの自らの活動を阻止しているような保育に公金を使っているとしたら、それは「無駄遣い」です。(2)でも、遊びを通しての指導を中心にせず、ただ、座らせて早期教育を行ったり、(3)に書かれているような、一人ひとりの特性に応ぜず、個々の発達の課題に即さず、画一的な、発達の課題を無視した保育は「無駄遣い」です。将来を担う子どもたちを保育し、教育し、そのために公金を投入しているのであって、公金を使って、事件を起こし、問題を起こし、自立していかない若者を作っているのはそれこそ指摘されるべきことです。これを検査するのが「監査」や「評価」なのです。ニュージーランドでは、公金を出して、その使い道を監査するのではなく、子どもたちに対して、きちんと国が示したカリキュラムに沿った保育をしているところに対して公金を投入するのです。そして、そのカリキュラムは、「有能で自信に満ちて学ぶ人、コミュニケーションを取れる人に育ち、心身ともに健全であり、精神的な拠り所を持ち、社会に対して価値ある貢献をしているという意識を持てるように育ってほしい」という願いがこめられています。保育は、書類や印鑑のためではなく、もっと「崇高」な仕事なのです。

無駄” への3件のコメント

  1. 監査を受けるとき、かけられた疑いを晴らすためにやっているような感じがするので、終わった後に充実感があまりありません。質の向上を目的とした監査や評価になっていけば、受けたときの満足度もあがっていきそうです。
    監査や評価は見えているものからしかできません。見えないものを見える形にする工夫や努力、見えないものを見えるものから読み取るために評価や監査の中身を検討する、そういったことがこれからは必要なのではと思っています。

  2. 監査、まことにお疲れ様でした。先月決算理事会を終えたばかりで今月「監査」とはなかなかハードなことです。今日のブログの「監査」基準?には賛成ですね。認可保育園の「無駄遣い」に関しては子どもの情緒が安定しない保育を行っていたり、「幼児の主体的な活動」が促されず保育者の主観による一斉画一保育が展開されていたり、子ども一人ひとりの発達が顧慮されない保育が行われていたら、それこそ「監査」の指摘事項とされるべきだと思います。書類や印鑑の有無が「監査」対象の大半を占める現今の制度ではわが国の幼児教育現場の明日に対して何か寂しいものを感じてしまいます。今日のブログの最後で紹介されたNZの幼児教育理念には共感します。

  3. 何が大事なのか、何のためなのか、という原点をいつも振りかえさせていただいています。
    教育論で「子どものために」という言葉がありますが、私は「子どもにとってどうなのか」ということを藤森先生に出会い教わりました。
    私の園は無認可で公金は頂いていませんが、目の前にいる子ども達、毎日挨拶を交わすお母さんお父さんの大切なお金を頂いて運営しているということ、いつも自分につきつけられ、
    これでどうだろう?自分でいいのだろうか?と日々悩みつつ歩く道です。子どもも大人も保育者も保護者も立場抜きで支えあっている、そう思っています。
    今はその絶妙で微妙なバランスの中で、保育の専門性を忘れずに頑張っていこうと決意したプログでした。

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