今日は講演の帰りに、長野で途中下車して、「善光寺」に行きました。
私はよく訪れるのですが、その圧倒的なボリューム感には圧倒されます。ただ、残念ながら、重要文化財である山門は平成の大修理ということで、その姿をすべて覆ってしまっていて、見ることは出来ませんでした。しかし、本殿はその奥に見えてきます。この善光寺といえば、「牛に引かれて善光寺」という言葉を思い浮かべます。境内に「春風や 牛に引かれて善光寺」という小林一茶の句碑がありました。
この言葉から連想されるのは、犬を散歩するときのように牛に首輪をつけて、そこに綱をつけ、その綱を手で持っていたら引っ張られて、どこに行くのかと思って善光寺に着いてしまったという姿ですがそれは違います。以前、角に布キレをつけ逃走する牛を追いかけている図を見たことがあります。このいわれは、このようです。「むかし、信濃の国に若い後家さんが住んでおりました。その後家さんは、夫を数年前に亡くして失意のあまり、もはや神も仏も信じられなくなっていましたので、寺にお参りすることもありませんでした。ある暑い日、手ぬぐいをあねさんかぶりにして畑仕事をしていると、突然、大きな牛が何処からともなく現れ、突進してきました。後家さんは、大きな叫び声を上げ、脇に飛びのき、何とか牛を避けることはできましたが、しばし茫然としていました。すると、牛の頭に手ぬぐいが引っかかっているではありませんか。牛は畑を二度廻ると、角に手ぬぐいを引っ掛けたまま走り去りました。怒った後家さんは、手ぬぐいを取り戻そうと牛を追い駆けました。やがて見失ってしまいますが、回りを見まわしてみると、そこは善光寺の境内でした。ふと下を見ると、牛のよだれで、「お釈迦さまを信じなさい。地獄行きか極楽行きかは、人がお釈迦さまを信じるかどうかにかかっているのだから」と書かれていました。そして、聞こえてくるお経を聞いていると、お経の内容はほとんどわかりませんでしたが、安堵感を覚えました。そして、じきに涙があふれてきました。「何と罰当たりな日々を過ごしたことでしょう!」ということで、それ以来、仏を信じるようになり、足しげくお寺にお参りし、亡き夫と自分の後生をお祈りしました。」というものです。
そういえば、天満宮にも牛がいます。
それにはいろいろな説があるようです。「道真の出生年は丑年である」「大宰府への左遷時牛が道真を泣いて見送った」「道真は牛に乗り大宰府へ下った」「道真には牛がよくなつき、道真もまた牛を愛育した」「牛が刺客から道真を守った」「道真の墓所(太宰府天満宮)の位置は牛が決めた」など牛にまつわる伝承や縁起が数多く存在します。これらによって、牛は天満宮において神使(祭神の使者)とされ臥牛の像が決まって置かれているのです。
そういえば、インドのヒンズー教徒は牛は神聖な動物として食べません。牛は最高神の一人シヴァの乗り物とされており、そのため食べることは恐れ多いとされているからです。牛はアジアでは、農耕や運搬にとても役に立ち、昔から人間のよき協力者でした。ですから、大切にされたのでしょう。インドでは、牛を食べないだけでなく、糞も大事に扱われます。神聖な動物が出した糞ということで、これも又神聖なものとなっており、道で牛が糞をすると、すかさず人々はそれを拾い集めるそうです。各国の理由は違っても、同じように「牛」を大切にするというのは面白いですね。
「牛に引かれて善光寺参り」。その後家さんは、現在の小諸あたりから牛を追いかけてきたそうです。小諸から長野までは約60キロ。ものすごい距離を走ってきたのですね。以前訪れたインドでは、牛はおっしゃる通り神聖な動物とされ、大切にされています。道路であろうが、駅のホームであろうが、のら牛が堂々と歩いています。車や人間は、牛が通り過ぎるのを待つしかありません。そう言えば、最近インドの都市部で流行っているマクドナルドのハンバーガーは、牛肉でなく、鶏肉のものが主流のようです。
日本ではいつ頃からこんなに牛を食べるようになったんでしょうか。少し食べすぎのように思います。農耕や運搬などで協力者であった時代からとは違い、特に今後は「春風や 牛に引かれて善光寺」の様子が想像しにくくなるんじゃないでしょうか。生き物を協力者と実感するような体験がほとんどできなくなっています。このまま進んでいっていいんだろうかと思ってしまいます。
牛の神聖さに関しては、南アジアに行くとよくわかります。ネパールでも牛は堂々と路上を闊歩していました。レストランでbeefとあったので半信半疑で食べたらとても硬くて噛み切れません。どんな牛の肉かと訊いたら「水牛」という答が返ってきました。同じ牛でも「水牛」は神聖ではないようです。どうやら牛の世界にもカーストがあるのですね。流石インド文化圏です。自分のうまれ年が丑なので牛には親近感を感じますが、幼児期の思い出が牛をより身近なものにしてくれます。我が家の前の家が乳牛を飼育していました。もちろんその牛からとれる牛乳を販売していました。私の日課はその牛に会いに行くことだったようです。私の記憶にはほとんどないのですが、もう少し大きくなった時その「牛乳屋」さんから「牛飼い」になってくれるものと思っていた、ということを言われたことがありました。どうやらそれほどまでに牛が好きだったようです。私が生まれ育った地は馬文化圏です。戦後は牛を飼う農家も増えました。私としては、馬より牛のほうが親しみ深かった、ということです。