佐世保バーガー

 いつからか町にハンバーガーショップが並び、どこに行ってもその変わらない味で、何か食べようと思ったときには、そのバーガー食べる安心感があります。その値段の安さでも、若者には特に人気があります。ハンバーグという食べ物は、わりと以前から子どもの人気メニューのひとつでした。そのハンバーグをパンにはさんだものがハンバーガーですが、私からすると、バーガーに挟まれているハンバーグは、まったく違うものの気がします。普通、ハンバーグというと、牛肉とか豚肉をひき肉にして、パン粉と一緒に練って焼いたものですが、バーガーに挟まれている肉は、ひき肉(主に牛肉)を薄い円形に固めて(パティという)焼いたハンバーグを、同じく円形に成形して2つ割にしたパン(バンズという)にはさみ込んだものです。ですから、ハンバーグの一番の魅力の肉のジューシー感はありません。その分、ケチャップ、マスタード、マヨネーズなどで味付けし、味に厚みを出しています。そして、ハンバーグとともに、レタス、トマト、タマネギ、ピクルス、チーズなどをパンにはさみ込んであります。私の子どものころは、まず、レタスという野菜はありませんでした。そういう時はほとんどキャベツで、キャベツが高いときは、白菜です。また、たまねぎとかきゅうりをパンに挟むことは思いもしませんでしたし、きゅうりの漬物は糠みそとか塩漬けで、酢漬けなどしませんでした。それらは、もちろんすべてアメリカから入ってきた食習慣です。味覚というのは不思議なもので、長い間の食文化や味文化が、すぐに異国のものに征服されてしまうのですね。このハンバーガーも、アメリカだけでなく、中国やロシアを始めとして、他国でも人気があるのですから、人気のある味は世界共通なのかと思います。ただ、外国でマクドナルドのハンバーガーを食べたときに、少し日本と味が違い気がしました。その国に微妙にあわせているそうですが。そんなわけで、ハンバーガーはアメリカから入ってきたのですが、ショップの拡大路線として進出してきたわけではなく、日本に駐在しているアメリカ兵によってもたらされたと言われています。米海軍佐世保基地の米兵相手に1950年代初め、地元の人たちが出店したのが始まりといわれています。今では、佐世保市には現在、約60軒のバーガー店があるようです。この数年、チェーン店とは違った個性的な味がテレビや雑誌で取り上げられ、全国に知られるようになっています。長崎空港には、長崎名物としてちゃんぽんに並んで紹介されていました。
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 今、ハンバーガー伝来の地を売り物にして「佐世保バーガー」の味を守ろうと、長崎県佐世保市で佐世保バーガー認定委員会ができ、ブームで新規店が乱立するなか、「本物」にお墨付きを与えようとしています。一方で、特需にあやかろうと市内には新規店が乱立し、観光客から「並んで買ったのにおいしくなかった」という声も聞かれるようになっています。しかし、もともと発祥の地ということで、味に独特なものがあるわけでもなく、他のバーガーと特に違うわけでもなく、これを観光の目玉にするにはもう一工夫する必要がある気がします。私は、各地の町おこし企画が大好きなのですが、それには、いくつかの要素が必要ですね。このたび、ブログで何度か取り上げ応援していた島根の「石見銀山」の世界遺産登録決定おめでとうございます。島根は、温泉も多いし、歴史もあり、やたらと観光客に踏み荒らされないような町おこしを計画して欲しいと思います。

プロジェクトX

 地方に行くと、地方で過疎化が進んでいるのを実感します。これから地方分権が進むと、地域間格差がますます広がるのではないかと懸念します。その地その地での文化、特色、よさがたくさんあります。そのれを引き継いでいかなければならないでしょう。しかし、逆に、私が多摩ニュータウンで園を開園したころは、周りにはなにもありませんでした。園の前も空き地です。ニュータウンという街づくりは、街を再開発していったわけではなく、里山であった野山を切り開き、整地し、そこに街を作っていくというやり方です。ですから、そこには特に伝承されたものはなく、その地に以前から住んでいた人もいず、まったく新しく移り住んできた人々で構成されます。しかし、計画された街であるだけに、景観は美しく、大きな緑の公園はあちらこちらに点在し、人と車の動線は交わらない工夫がされています。しかし、いくら景観や設備、施設は計画できますが、人の心は計画できません。開園した当初は、なんとなく、無機質な、人の気配が感じられない、生活感のない街でした。最初のころは高層マンションだけでしたので、犬を連れて散歩する人もいず、猫も歩かず、みんな車での移動だけでした。そんな中で、街づくりを一生懸命にしようとした人たちが何人か現れました。富永さんもそのうちの一人でした。今は、街づくりとそこに住む人の暮らしを応援するNPOを立ち上げ、指定管理者としてネイチャーセンターの館長をしています。彼とは、縁があって、一緒に街づくりを手伝うことになりました。そのいきさつが、以前、新聞に掲載されました。「緑豊かな真新しい街で休日を楽しもう」というタイトルです。この記事を改めて読むと、なんとなく懐かしくなります。ちょっと、記事の書き方が、以前、NHKで放送されていたプロジェクトXのようです。「富永一夫が、多摩ニュータウン(八王子市の長池地区)の団地に引っ越して来たのは94年だ。外資系の飲料容器メーカーの営業マンで、職場は都心。富永はニュータウンでのゆとりある暮らしを思い描いていた。だが、しばらくすると不満が募った。近所の住民同士、目が合ってもあいさつをしない。人間関係に不安さえ感じた。「定年後に一杯やれる仲間をつくりたい」 団地の管理組合で役員になった富永は、子供と父親が一緒に集えるような企画を練った。 95年夏、アニメ映画「平成狸(たぬき)合戦ぽんぽこ」の上映会を開いた。夏休み最後の日曜日は大いににぎわった。人間関係の希薄さに不安を感じていた人がほかにもいた。 「せいがの森保育園」の園長・藤森平司(55)だ。97年春、藤森は長池地区に保育園を開いた。街に住民が集まれる場所がないことに驚き、園内に誰でも使えるコミュニティールームを設けた。藤森は子供の頃、神社の境内や路地が遊び場だった。「地域社会で子は育つ」が持論だ。大学を卒業して小学校教師をしていた当時、父親たちを集めて懇談するなど、地域ぐるみの子育て活動に取り組んだこともある。「長池地区にも顔の見えるコミュニティーが出来ないだろうか」。藤森はずっと考えていた。「長池公園で夏祭りを開くのですが、保育園のトイレを貸してもらえませんか」。藤森の保育園を、富永が訪ねたのはその年の夏だった。藤森は快諾した。2人は地域活動の話で盛り上がった。「運命的な出会いだった」。藤森は、その日の日記に記した。」なんだかこの書き振りには、照れてしまいますね。みんなに、日記を書いているのですか?と聞かれるたびに、「心の日記に記したのです。」と答えたものでした。今は、ブログを書いているので、そこに書いたかもしれません。

 「子曰く、学びて時にこれを習う。また説(よろこ)ばしからずや。朋遠方より来たるあり。また楽しからずや。人知らずして憤らず。また君子ならずや。」今日は、「学びて時にこれを習う。また説ばしからずや。朋遠方に在り。また楽しからずや。人知らずして憤らず。また君子ならずや。」という心境の長崎でした。私なりの解釈はこうなります。「人の人たる道を学び、いろいろな時と場で実践をしていく。そして、自己の理解程度や実際の実践をしてその効果を知ることで喜びを感じます。また、それを共有する友が現れ、そんな友が遠方にもいて、交流が始まるのもとてもうれしいことです。その友と会って、また共に切磋琢磨できます。そのようにともに学んでいくと、例え世の中に広く知れ渡らなくても、なかなか自分の考えを理解してもらえなくとも、何も嘆くことはないのです。名が広がるよりも自分の道を貫いていくことこそ立派な君子なのです。」長崎大会に出席して、そんな思いを強くしました。もとの文は、論語の最初にある学而篇の最初に出てきます。この「朋」という字は、もともと数個の貝をひもでつらぬいて二すじ並べたさまを描いたものです。それが、同等のものが並んだ意を含み、のち肩を並べたとものことを指すようになります。ですから、今日のともは、「友」というより「朋」という字を当てたほうがいい気がします。それは、同じ理念を持った仲間ということだからです。「朋」には次のような意味があります。ひとつは、この学而篇にあるような「対等の姿で肩を並べたともだち」という意味です。二つ目は、「朋党」とか使うように「なかま。いっしょに組んだなかま。」という意味です。ですから、今日、長崎で、オフ会が開催され、そこで会ったともは、「朋」なのです。
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 私は今、保育の理念を同じくする仲間とメーリングリストの中で、意見交換をしています。以前のブログで書いたように、「オフ会」とは、「off-line meeting」ということで、パソコン通信やインターネット上で活動するグループに所属するメンバーや、ネットワーク上の特定の掲示板・チャットなどによく出入りする人々が、実際に集まって行なう会合のことをいいます。ネットワーク上、すなわち「オンライン」に対し、現実世界を「オフライン」としてこのような呼び方がされています。ネットワーク上で名前を知り、その考えを知ることによって、まだ直接に出会ったことがないお互いでも、親しい知り合いのような気になります。ですから、実際に顔を合わせると、イメージ通りの人、イメージと違う人とさまざまな印象を受けますが、それでも、すぐに親しくなります。実際には面識がなくても、ネットで事前に色々と情報のやり取りをしているため、打ち解けやすいのです。このオフ会は、「オフミ」とか、「オフ」等と略されることもあります。今日は、30人以上も集まりました。会食しながらメンバー共通の保育に関する話題で盛り上がりました。大会自体は、さまざまな考え方の人が集まり、必ずしも自分の考えを主張することは出来ません。というのも、意見が違うとか、考え方が違うとか、そういう人と意見交換することは意味がないということではなく、もっと基本的なことに共通認識がないと、違う意見でもかみ合わないということです。やはり、議論をするとか、意見交換をするとか、提案をするとか、その意見が参考になったりするのは、その基本のところが同じでないと難しいことです。オフ会では、あらためて、朋がさまざまな地にいることを知って、大きな喜びでした。

龍踊り

 今日から3日間、長崎で第50回全国私立保育園研究大会が行われます。長崎といえば、昨年4月から10月まで7ヶ月間にわたり、日本で初めてのまち歩き博覧会「長崎さるく博“06」が行われたところです。私も妻とこれに参加をし、何回かブログにも登場しました。このイベントは、なかなかよい企画だと思ったのですが、やはり好評だったようで、今年の4月から年間を通して「長崎さるく」として楽しめるようになっています。この「さるく」とは長崎の方言で「ぶらぶら歩く」ことを意味していますが、長崎には歩いてみるところが町全体にずいぶんとたくさんあります。長崎のもつ独特の歴史や文化があり、そのせいかわかりませんが、今回の大会参加者も全国から2500人も参加しています。今日の午後のシンポジウムに、数日前のブログで書いた、オランダから来た、リヒテルズ直子さんと一緒にシンポジストとして参加しました。その前に、オープニングとして「龍踊り(じゃおどり)」がありました。これは、長崎くんちに奉納する踊りとして伝わってきました。長崎くんちは、地元では一般的に「くんち」と呼ばれますが、長崎県長崎市のお諏訪様(諏訪神社)の祭礼で、敬意を表し、年配者や商売人には「おくんち」という人もいます。10月7日から9日までの3日間催され、いまは、国指定重要無形民俗文化財に指定されています。「くんち」には「宮日」「供日」という字があてられることが多いですが、その名称は旧暦の重陽の節句にあたる9月9日(くにち、九州北部地方の方言で「くんち」)に行ったことに由来するという説が有力だそうです。この「おくんち」は、博多おくんち(福岡市櫛田神社)、唐津くんち(佐賀県唐津市)と並んで日本三大くんちと呼ばれています。この祭礼には、この踊りのほかに「鯨の潮吹き」「太鼓山(コッコデショ)」「阿蘭陀万才(おらんだまんざい)」など、ポルトガルやオランダ、中国などの影響を受けた南蛮、紅毛文化の風合いを色濃く残した、独特でダイナミックな奉納踊りが特徴です。
 古来より中国人は正月十五日を「元宵節」といって「舞龍灯」(wu long deng=龍の踊り)でその年の最初の満月を祝い、五穀豊穣を祈る雨乞いの神事を行う習慣がありました。今も世界中のチャイナタウンでこの文化習俗はうけつがれています。その龍踊りは、日本では長崎市の歴史が一番古く、江戸時代、鎖国政策の中、長崎に唐人屋敷を作り、中国の人たちの居留地として日本と中国の文化交流が行われました。そこの「唐人」たちに、この屋敷に隣接していた本籠町の人たちが、「舞龍」(wu long=龍のおどり)を受け継いだものです。中国人にとって、「龍」は自らを「龍的伝人」(long de chuan ren=龍の子孫)として「トーテム」(祖先)と位置付けて来ました。伝説の「四霊」(si ling=他に麒麟・鳳凰・霊亀)の1つで中国人にとって最も大切な「瑞獣」でもあります。ですから、何か祝い事があるとこの「龍」を使って舞うという習俗が古くからあるのです。2000年前の漢代の書物にはもうすでに「舞龍」の記載があるそうです。
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オープニングは、この龍踊りで始まったのですが、銅鑼(風)、太鼓(雷)、龍声ラッパが鳴るなか、龍衆によって操られる龍が、金の玉を追いながら登場しました。そのあと舞台の上で、ある時は怒涛の様に激しく、ある時には凪の様に静かに、生き物の様に踊る迫力と踊動感には、会場内の参加者から大きな歓声が上がりました。
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踊りは、龍が月を飲み込み、闇夜にして雨を降らすさまを表現しています。このブログのタイトルも龍に関係しているので、とても興味深く見ることができ、少し感動してしまいました。
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都庁

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 園の私の部屋の窓から外を見ると、マンションとマンションの隙間から都庁のビルが見えます。都庁の建物を見ていると、新宿の園にいる実感がわいてきます。しかし、私が初めて園と関わり始めたころは、都庁は東京駅のそばにありました。今の建物もそうですが、以前の建物も丹下健三氏の設計です。そのころの都庁は二棟あって、行く課によって棟が違いました。それは今も同じで、やはり訪ねる課によって棟が違っていますが、当時の二棟は線路をはさんでありましたので、わりと離れていました。そのころの建物も、今の建物も、使う身にとっては使いにくいという評判を聞きますし、建てられた当時は、贅沢であるとかいろいろと言われましたが、私は好きなデザインです。都庁前の大きな広場と、そこから見上げる建物の形、それをはさんでの議会棟、そこを結ぶ通路がぐるっと広場を囲み、もぐりこむように入っていくエントランス、まあ、こんな贅沢な建物は今では無理だなあと思いつつも、なんとなく感動してしまいます。
 私の家族は、子どもが小さかったころ、よく「ウォークラリー」に参加をしていました。今年の遠足で少し真似事をし、それをブログにも書きましたが、コマ地図という今いる場所と、そこから進む方向だけを記した地図を見ながら歩くというものです。ですから、全体像はわかりませんので、最終的にどこに行くのか、どの道を通るのかわかりません。ですから、知っている地域でも、普段は通らないような道を発見することがあります。また、ところどころにポイントがあり、問題を解いていくので、普段は気をつけていなかったこと、知らなかったことに気づかされます。住んでいる八王子市は、町の中に彫刻がおかれています。ですから、よく「彫刻ウォークラリー」が行われていました。市内にある彫刻をめぐっていきます。家族では、確か3回くらい、園の職員で1回参加しました。園の職員でいくつかグループを作って参加したのですが、そのうちのあるグループが入賞して、賞状をもらったことがあります。私の家族が3位入賞を果たしたのは、「国分寺の遺跡めぐりウォークラリー」でした。国分寺跡地を中心に、歴史的な遺跡を回るというものでしたが、圧巻は、道をたどっていくと、西国分寺の駅に着き、そこでの次の課題が、「そこでオレンジカードをもらって、赤い電車に乗り、東に向かい○○目の駅で降りること」というものでした。そのとおりに行ってみると、なんと新宿駅に着きました。そこから、コマ地図をたどって歩いていくと、なんとゴール地点が、あの都庁前に大きな広場でした。そこに向かう途中、大勢の人がなんとなくそちらの方向に歩いていきます。その日は、東京全域で、一斉ウォークラリーを実施しており、たとえば、「両国をめぐるウォークラリー」では、国技館を中心に回り、やはり最後のゴールが都庁になっているのです。どのコースもゴールが都庁になっているようでした。バラバラ多くの人が都庁前の広場に集まってきます。そして、みんなが集まったころ、成績発表があり、私たちの家族が3位に入賞したのです。賞品として、新宿のデパートの商品券を家族4人がそれぞれもらいました。せっかくの記念なので、帰りにウォーラリーに使うものということでウエストポーチを買って帰りました。子どもが小さかったころ、子どもがいるからこそ楽しめたイベントでした。園の窓から、都庁を見るたびに思い出す思い出です。

入梅宣言

 先のことはよくわかりません。なにが、どうなるか、なにがおきるかわかりません。しかし、先を読んでいかないと対策を練ることができません。ですから、予想を立てるのです。それは、過去のデータなり、今の状況なりから判断して、先を予測していくのです。しかし、あくまでも先の予想なので、必ずしも当たるとは限りません。その代表的なものに「天気予報」があります。当たり前のように毎日天気予報を聞いて、その日の洗濯をしたり、傘を持つか決めたりします。それは、あたることが多く、傘を持ってよかったと思うことがあります。しかし、その予報が長い先のことになると、なかなかわからないことがあります。長期予報は難しいものです。しかし、外れるとずいぶんと文句を言われるようです。よくあたりはずれが言われるものに、「今年の冬は暖冬です。」とか、「今年の夏は冷夏です。」とか、「今年の梅雨は空梅雨です。」という予想とか、毎年非難されるのは、「入梅宣言」です。
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 今年の梅雨も、なかなか予想が難しいようです。宣言した途端に晴れの日が続くと非難の声がごうごうです。今年はそういう梅雨でした。19日には、「今年は空梅雨?14日に中国?関東甲信地方まで達した「梅雨入り宣言」直後、15日は30・9度を記録し都心で初めての真夏日、16日は今年一番の暑さで31・2度と晴天が続いた。」という記事が掲載されていました。これに対して、気象庁は「梅雨前線が一時的に南下しただけ」と説明しています。気象庁が「梅雨入りしたとみられる」と判断した途端に日本海上の高気圧の張り出しが強まり、梅雨前線は逆に南下して不活発になり、フェーン現象も後押しし、特に都心で夏のような好天となっているのです。それでも気象庁は「今年は平年並み」と分析していました。それが、次の日の記事では、「この夏、全国的に渇水の可能性が高まっている。昨冬からの少雨傾向で慢性的に水不足状態が続いているのに加え、梅雨入り後の降水量も少なく、最も深刻な四国では取水制限が始まった。関東では今週末から梅雨空が戻るとの予報だが、真夏を乗り切るだけの恵みの雨は期待できるのだろうか。」と書かれています。それが21日には、「梅雨入り:気象庁「予報外れた」…修正は必至 苦情相次ぐ」という見出しの記事が各新聞に掲載されました。「関東地方で梅雨とは思えない天気が続いている。14日の「梅雨入り宣言」以来、雨が降ったのは宣言当日だけ。梅雨入りは例年9月ごろ、降水量などの観測データを分析して確定することになっている。苦情を訴える電話などが相次いで寄せられている気象庁は「結果的に見れば、予報が外れたと言わざるを得ない」と判断ミスを認め、修正は必至だ。」といっています。ところが、25日には、今年の夏は全国的に平年より気温が高めになり、降水量はこれから梅雨らしい空模様が続き、全国的に「平年並み」と予想しています。予報によると、7月は本州に梅雨前線が停滞し、梅雨らしい曇りや雨の天気が続き、梅雨明け後は、日本付近にある太平洋高気圧の勢力が強まり、平年より気温が高くなる見通しだというのです。もともと梅雨入り判断は、難しいとされています。ですから日付は、断定せずに「日ごろ」としており、5日間程度の幅を見込んでいます。気象庁は1950年代から梅雨入りや梅雨明けを「お知らせ」という形で伝えていますが、63年に梅雨入りが特定できなかった地域もあったほどだそうです。それでも、一般からの要望が強く、86年から正式に発表を始めました。たかが梅雨ですが、梅雨によって大きく左右される職業もあるのでしょう。
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保育施設

 今日は、聖徳大学で行われた「生涯学習フォーラム」の分科会に参加しました。参加した分科会は第2分科会で、「子どもの育ちと生活空間」というテーマでのパネルディスカッションです。私のほかのパネリストとして、日本女子大学名誉教授の「小川信子」氏と、二葉すこやか園(二葉幼稚園・二葉保育園)園長の「大竹節子」氏です。小川氏は、もともとは日本女子大の家政学部を出ますが、建築事務所勤務を経て、東大の建築学科吉武研究室研究生として、研究者と設計計画者として活躍していました。その後43年間に渡り、保育所を中心に設計も手がけています。私も少し設計をかじったので、小川氏の設計された施設を学んだり、その園に見学に行ったりしました。また、小川氏は、20年余り前にスウェーデン王立工科大学の客員研究員でもあったこともあって、最近、「子どもの生活と保育施設」という本を障国社から出され、今日は、その本をいただきました。北欧は、このスウェーデンをはじめとして、学力が高いことで注目されているフィンランド、ノルウエー、昨日のブログのリヒテルズさんが紹介しているイエナプランのオランダやワークシェアリングの代表的実践国といわれるベルギーなど、とても成熟していく国々です。このなかで、スウェーデンにおける保育施設計画の立案に一貫して流れる共通の問題が書かれています。「個人の自立を重視する拠点を確保」「国での生活における保育内容を、その生活行為別に受け止める空間の確保」「小集団から広がりのある人間関係が作れるような空間計画」「個人の生活が守られるように自由行動が出来る場の確保」「地域社会とつながりを持った施設作り」の5点です。これを解釈してみると、とても面白いものが見えてきます。まず、第1に掲げられていることは、最近のどの国においても課題である「自立」です。日本でも平成15年に出された「学校施設整備指針の改訂について(幼稚園編)」の中でも、第2節「幼稚園施設整備の課題への対応」での第1の課題は、「幼児の主体的な活動を確保する施設整備」と書かれています。そして、その1として「自発的で創造的な活動を促す計画」をするように言っています。これは、このような施設を作ればよいというわけではなく、そのような保育をする必要であるということなのです。しかし、その具体的な環境は、スウェーデンのほうが優れている気がします。日本では、「その際,幼児の遊びの場を十分に確保すること」とか「小グループや一人一人の特性に応じた活動を可能にする多目的な空間を計画すること」とか「保育室と遊戯室や図書スペース等の連携に配慮すること」などが提案されていますが、これらがどうして自発的な活動を促すようになるのかが見えてきません。その点、スウェーデンでは、次の項目を見るとよくわかります。「保育内容を、その生活行為別に受け止める空間」とあります。これは、いわゆる「コーナー」と呼ばれているものです。それとか、ゾーニングと呼ばれている計画です。主体的な活動とは、子ども自ら環境に働きかけ、自ら活動することです。簡単に言うと、子どもがこんなことをしたいと思い(意欲、動機)、それを実現しようとすることが実現できるような空間、やりたいと思うことを受け止めるような空間を用意するべきだということです。単に、「幼児の遊び場の確保」とか、「多目的な空間の用意」ではない気がします。また、日本の「集団生活をおくる中で,信頼感や思いやりの気持ちを育て…」よりもスウェーデンの「小集団から広がりのある人間関係が作れるような空間」のほうがより保育内容が見えてきますね。

情緒の安定と自立

 今日は、以前のブログで紹介した「父親保育の日」でした。それぞれの日案に沿って保育が行われました。毎年思うことが、父親のパワーがすごいと思う以上に、子どもたちがすごいと思います。0歳児は、いつも接したことのない父親に抱かれて、安心して眠ります。
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そのときに思うのは、担当制という「子どもと接する人が代わると子どもは情緒が安定しない」という考え方です。この日に父親たちに抱かれる子どもたちを見ていると、ある日に誰に抱かれたかが情緒を安定させるのではなく、普段、十分と大人から受容され、かかわりを持つことで、大人への信頼感が生まれます。しかし、当然、母親と違うことはわかっています。しかし、その好きな母親が安心して自分を託す人には、子どもも安心して身を託すようになります。母親が、不安を持ったり、不信感を持ったりすると、子どもにそれが伝わります。また、保育者と関わる中で、子どもが自分の存在を受け入れてもらっていないと感じると、泣いたり、情緒が安定しません。愛着関係とは、子どもを抱くことではなく、子どもが抱っこから降りて、信頼できる人から見守られている中で、一人で遊びに夢中になることが出来る情緒のことなのです。
 先日、オランダ教育研究者の「リヒテルズ直子」さんから、「うちの子の幸せ論」という本をいただきました。サブタイトルとしては、「個性と可能性の見つけ方、伸ばし方」というもので、6名からのインタビューによるメッセージで構成されています。6名の方は、「教育評論家 尾木直樹」さん、「NPO法人東京シューレ理事長 奥地圭子」さん、「白梅学園大学教授 汐見稔幸」さん、「学校法人シュタイナー学園校長 秦理絵子」さん、「青山学院大学教授・小児精神科医 古荘純一」さんと、リヒテルズさんです。その中で、リヒテルズさんは、オランダの子育てを紹介しています。「彼らに共通していえることは、子どもが考えるよりも先に、親が先回りして手を出すようなことはあまりしない、ということです。」こうとも言っています。「オランダの親たちは、子どもが自分でしたいことを選んだり、それを自分で考えて言葉にするのを待っている、という感じがします。とても小さいころから、子どもに選択肢を与えているし、子どもが自分の言葉で答えなければいけないような会話の機会を努めて作っているように思います。」これは、すでに子どもが2歳児ころから始めます。このような関わり方は、オランダだけでなく、私が毎年行っているドイツでもそうですし、すべてのヨーロッパや英語圏での課題でもあるのです。いわゆる「子どもの幸せは“自立”から」というものです。リヒテルズさんは、日本にいたときを振り返ります。「自分勝手に“これは子どもにとってためになることなのだから”と一方的に思い込んで子どもに押し付けることが多かったのではないか、とよく思います。」だからといって、子どもを放っておくのと違います。「小学校高学年くらいの、すっかり大きくなった男の子でも、何か悲しかったりつらかったりして母親のところに寄ってくると、母親は他人が見ているものお構い無しに、ひざに乗せてしっかり抱擁してやります。」いつでも受容され、自分の存在を認めてもらえているという確信が、自立を促していくのです。「人間の幸せとは何でしょうか。自分が自分で本当に好きだと感じられることを見つけて、それでもって世の中で自立して生きていけることではないでしょうか。」こう言っているリヒテルズさんが、明後日私の園に来ます。

昼ね

 今日は、環境のために電気を消してろうそくの明かりで過ごそうという運動がありました。この運動は、環境のためですが、夜にろうそくの明かりで過ごすというのは、違う意味もあります。人は大昔、電気がなかったときは、太陽の光と、月、星の光の中で生活をしていました。昼間は、太陽の光のもと活動します。その太陽は、頭の上から照らします。しかし、太陽は動いていますので、朝は、東から上るので、東に向いていると前から照らされます。夕方も西に傾いた太陽の光を浴びます。そして、夜は太陽が沈み、暗くなります。家の中では、ろうそくであったり、燭台であったり、床に置いた明かりに照らされます。または、囲炉裏のようにやはり下からの光を浴びます。と言うことは、どこから光を浴びるかによって、1日の流れを感じます。同時に、その明るさによって、一日を感じます。それが、電気が発明されると、基本的には、常に頭の上からの光を浴びます。また、照度が増したおかげで、夜でも昼間の明るさを浴びます。すると、どこか体にはよくない影響がある気がします。朝の光はとても大事です。朝日を浴びないと日光の刺激で生成されるメラトニンのタイミングが遅れ夜眠るタイミングが遅くなるので注意が必要だそうです。朝日を浴びることで、体内時計の狂いがリセットされ、正常に戻ります。光の刺激で体内時計を調整するからです。また、1日に1回は、横から光を浴びることも必要だと言われていますし、夜は、下からの光を浴びる必要もあるということも言われています。照度についても同様なことが言われます。夜に、昼間の明るさの光に当たると、体の調子を崩してしまうとも言われています。昼間の照度を持ったものとしての代表的なものとして、コンビニの店内の明るさや、自動販売機の明るさと言われています。この光に子どもを夜あたらせると、昼間の活動に影響すると言うのです。そんなことが言われていることを考えると、昼寝のときに部屋を暗くするのはどういうことかと考えてしまいます。保育園などは子どもに昼寝をさせます。最近は、特に4,5歳児には昼寝をさせない園が増えてきました休息をさせるだけでよいとも言われ始めています。スペイン語圏を中心に、シエスタ(Siesta)という生活習慣として社会的に認められている昼寝があります。Siestaという言葉は、ラテン語のHORA SEXTA(第六時)におけるSEXTA が由来だといわれているように、日昇を基準として「第6時」、つまりだいたい正午辺りの時間帯を指します。かつては、日本でも炎天下での農作業は疲労を増大させるため、夏季には早朝に農作業をして、昼間以降は午睡を含む長い休憩をし、夕方になってまた屋外の作業をする農家が見られました。最近、昼寝の効用について研究が行われています。昼寝を行うことにより、事故の予防・仕事の効率アップ・自己評価のアップなどが期待されるため、職場・学校などで昼寝が最近、奨励されるようになっています。また、昼寝により、脳が活発になるため、独創的なアイデアが浮かびやすい環境になるともいわれています。昼寝におけるその他の研究報告では、30分以下の昼寝を習慣的にとる人は、それ以外の人に比べてアルツハイマー病にかかる危険性が0.3倍になるという報告が、国立精神センターからされています。広島大学の研究では、昼寝後と前では最大血圧で平均8.6mmHg、最小血圧で平均15.6mmHgも血圧が降下したという報告もあり、生活習慣病予防も期待されるといっています。ただ、昼寝は、昼間に寝るので、余り長く寝ないこと、余り暗くしないことなど、夜に寝るのと区別する必要があるようです。

すだれ

 日本の夏の風物詩といったら、なにを思い浮かべるでしょうか。蚊取り線香をはじめとして、さまざまなものを思い浮かべると思います。その中のひとつに、私は「すだれ(簀垂れ、簾)」があります。すだれは、糸で竹や葭を編み連ねたもので、窓にたらし、日よけや目隠し、虫よけなどに使われるものです。すだれは、日差しを避けつつ風を通します。以前の日本の住宅は軒が深く、軒先にすだれをかけることによって広範囲の日陰を作ることができました。しかも、窓と10cmほど離して垂らすことで、窓との間に空気層を作り、熱を遮る効果が生まれます。このように、すだれによって、家の外と中を分けるところに使って、日差しをさえぎっているのです。しかし、すだれは、必ずしも部屋のうちと外を分けるのに使うだけでなく、部屋と部屋の仕切りにも使っていました。平安時代の貴族の住宅では、現在のドア・引き戸のような部屋同士の仕切りがありませんでした。そこで、御簾〔みす〕と呼ばれる、現在の簾の原型となるもので部屋と部屋を分けたり、部屋の内と外を分けていたのです。を使っていました。「御」という接頭語が示すように、現在のすだれに布地でできた縁をつけ、房を垂らした高級なものでした。寝殿造りの住宅ではすだれを、簾台(簾を掛けるための木の枠。簾をかけたものを目隠しや仕切りとして使用した。)に掛けたり、長押〔なげし〕(障子や襖〔ふすま〕の上や和室の柱と柱の間に架かっている横材)にかけて使用していました。先日、このすだれを買いに行きました。それは、日よけのためではなく、虫除けでもなく、部屋の中の仕切りとして使うためです。
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子どもの空間を作るうえで、以前のブログで書いたゾーニングを計画するときに、隣のゾーンとを仕切るためです。このように使うすだれを、「内掛け」といいます。日差しを除ける、あるいは、目隠しにする為などに、掛けて使う物を、掛簾と呼び、この掛簾には、窓の外、戸外に掛ける外掛けと、窓や戸の内側や、屋内の間仕切りや屋内装飾として掛ける内掛けが、あります。この他、日除けとして立てて使う立簾(たてず)や、建具等の中に入れて使う簀、寿司巻の簀といった業務用・工業用の簀(す)があります。この立簾も一緒に買いました。こちらは、プールが外から見えないようにするために取り付けました。これは、「葭簾(よしず)」といいます。よしずとは、字の如く葭材で編まれた掛簾・日除けの立簾(たてず)全てをいいます。ちなみに、葭(よし)と葦(あし)とは同じ物ですが、物の善し悪しに掛けて葭=善し、葦=悪しに通じるとして、葭(よし)は、縁起が良いと喜ばれ、以来葭屋・すだれ屋など多方面で、葭(よし)と呼ばれ続けています。日本人が、仕切りに使ったさまざまな素材は、今、外国でも高く評価されています。ドイツに行くと、このすだれが仕切りに遣われている園を見かけました。もちろん、東洋的な、エキゾチックな感じがするということもあるでしょうが、そのすだれ越しに漏れてくる光と風に癒しを感じるようです。それと同じように漏れてくる光に癒しを感じる素材として「障子紙」があります。障子紙を貼った照明は有名ですね。私の園の学童の部屋にもその照明があります。
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そして、今回は、その障子紙を貼った仕切りを使っています。もちろん子どもたちはすぐに穴を開けたり、破ってしまいます。そのたびに花形に切った障子紙をその穴に貼っています。次第に穴を開けなくなっています。年末に、子どもたちと障子の張替えをするのが楽しみです。
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