暴力

 最近の子どもは、よく戦いごっこという遊びをします。広告の紙で剣を作り、それで人をつついたりします。また、ヒーローの真似をして人に対してキックをしたり、パンチをしたりします。そこから「喧嘩」に発展してしまうこともあります。もちろん、この多くは、テレビやゲームが影響しています。保育者や親は、それはよくないことだと知りながら仕方ないと思っていることのほうが多い気がします。私はそのことに関して、日本は少し甘い気がします。ある園で、外国からの見学者を受け入れているとき、子どもがブロックでピストルを作って遊んでいるときにとても強く注意をしたそうです。そして、「日本の保育者は、なぜそれを止めないのですか?」と詰問されたそうです。外国では、戦いごっこどころか、遊びの中で武器をつくることをさせません。同時に、テレビでも、暴力シーンは子どもの目に触れないようにします。なぜならば、テレビと暴力の関係については、子どもが暴力シーンを見ると影響を受けて暴力的になるという「社会的学習説」が主流になっているからです。テレビゲームも同様です。坂元さんらが2001年に小学生を対象に行った調査では、かっこいい主人公が戦うゲームでよく遊んでいた子どもは、攻撃性が高まる傾向が表れたそうです。「ゲームは自分が主人公となって戦う場合が多く、影響はテレビより強くなることも考えられる。」と言っています。しかし、ただ、暴力がいけないのではなく、ある条件があるようです。それは「暴力が肯定的に描かれている」「暴力を振るう人が魅力的に描かれている」などです。主人公がかっこよく暴力で敵をやっつけた映画を見た人たちが映画館から出てくる姿を見ると、ほとんどの人が肩をいからせて出てくるのに似ています。一時、「バトルロワイヤル」という映画が、成人指定かどうか話題になったことがありました。この映画を見て、暴力はよくないと感じる人は多いでしょう。しかし、何割かは心の暴力性が引きだされてしまう人がいるそうです。日本の成人映画といえば、なんとなくポルノとか性描写とか、裸というイメージがありますが、外国では、暴力が成人映画というイメージがします。そうは言っても、日本では、テレビを子どもと見ていると、暴力シーンが出てくることがあります。そんなときは急いで消したりするとそれも変ですね。そういう時は、そばで見ている大人が、暴力へ嫌悪感を示すと、影響が減るなどの研究結果もあります。これはテレビだけではありません。よく、質問で、「子どもが戦いごっこをしたり、武器を作って遊ぼうとしたときにはどうしたらいいですか?」と聞かれることがあります。そのときにむきになって止めたりすると、子どもは余計に面白がってやることがあります。私は、こう答えます。「そんなときには、先生はとても悲しい顔をしてください。」子どもは、大好きな先生を悲しませることは心が痛みます。または、「いやな顔をしてください。」と言うこともあります。ことの善悪はまだ子どもはよくわかっていません。その判断を、大人の顔色を見てしていくのです。内心、悪いことだと薄々感じている事柄は、少しやってから大人の様子を見ます。その顔つきなどでそのことがよくないことかいいことかを判断します。今の子たちを嘆く前に、自分の行動を見直さなければなりません。大人の行動を子どもたちはじっと見ているのです。真似る(まねる)ことが学ぶ(まなぶ)ことですから。

暴力” への5件のコメント

  1.  最近ミラーニューロンの話をよく聞きます。他人が面白そうなことをしているのをみて興奮する神経と、自分が同じことをして興奮する神経とが同じものであることが分かってきて、この神経細胞が高等なサルや人間にしか存在しない「ミラー・ニューロン」だそうです。 人間は、自分がしたいなと思うことを他人がやっている様子を見ると、興奮するのだそうです。そして周りの人間が、楽しそうにやっているのを見た方が、よりミラー・ニューロンは発達するのだそうです。
     保護者や保育者の、子どもの周りの「暴力や武器」に無関心なままの対応が、そのまま子どもの暴力を助長していることにもなりかねませんね。
     私が何を楽しみ、何を悲しむのか。何を真実として生きているのかが、子どもの前で問われているのですね。

  2. 成人映画の捉え方まで国によって違うのに少し驚きました。子どもにとってどうかという視点で考えられていても、重要とするポイントがどこかということで違ってくるんですね。暴力シーンがどのように子どもたちに影響を与えていくのかを具体的に示し、それに対して大人がどのように対応するかを示してくれている今回の内容は、できる限り多くの大人で確認しあいたいことです。tatsuoさんのミラー・ニューロンの話も勉強になりました。

  3. おもちゃの武器をつくったり、戦いごっこをしたり、・・・という「暴力」に関わることはどのようなかたちで子どもの中に定着していくのだろうか、とわが子を見ながら考えます。5歳を過ぎていますから、テレビで観る番組が「○○レンジャー」とか「仮面○○○・・・」かと思うとそんなことはありません。ヒーロー系の漫画やテレビ番組といえば、まぁ「アンパンマン」くらいのものでしょうか。日曜日の朝に観るテレビは「プリキュア」でおしまいです。観たいと思えばその前に放映される戦闘中心のヒーローものを観ることができるのに、それらは観ません。どうしてだろう、とあれこれ考えると、結局、「環境」という二字熟語に行き当たります。親はそうした闘い中心のヒーロー番組に関心がないことを息子は気づいていますし、通っている保育園でも「ヒーロー」に関心が向くような保育環境になっていないということがどうやら現段階で息子を「武器や暴力、闘い」から遠ざけている最大要因かなと思います。少し前までは「相撲」が好きで、父親の私と「張り手」の「大相撲」を繰り広げていました。もっともそれ以上に発展することはありません。相撲が終わったら「はっけよ?い、のこった!」も全くなくなりました。今日のブログを読むとやはり「環境を通して」ということがとても大切なことであると実感できます。

  4. 暴力的なシーンは意識してみると様々な場面で目にしますね。戦隊もののヒーロにしても、人々を襲う恐ろしい姿をした敵を倒しているので、絶対的な正義であるように見えますが、現実社会にあのような怪物はいませんし、わざわざ設定してめちゃめちゃに倒さなくても…と思ってしまいます。ヒーローと怪物を現実世界に当てはめることで、嫌な人を倒してやるというイメージもどこかにあるように思います。やはり、それは嫌だなと思います。善悪を大人を顔を見て、判断するとありました。私たちから、そのような攻撃的なものへの不快感、嫌悪感を示すことを忘れてはいけませんね。そのような遊びにならないような人、物、環境はこれからも意識したいなと思います。

  5. 「テレビと暴力の関係について」は、深く考えたこともありませんでしたが、確かに、日本には暴力を肯定するかのような描写が多いですね。「強さ」とか「かっこよさ」といったことが、暴力ではなく、他者を思いやれたり、助けることができるといったことで認められる社会や描写になるといいですね。そのためにも、暴力といったものを見る大人の表情に、「嫌な顔」を浮かべたり「悲しい顔」をする必要があるのですね。実際、自分と関係のある子どもたちが、他者を暴力でねじ伏せようとする姿を見たとしたら悲しくなると思います。そんなことをしなくても、君を信じているからさ…と思ってしまいます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です