一昨年、園を新設するに当たって、入札の難しさを感じました。当然工事会社は入札ですが、よく、自治体では設計事務所も入札するようにという指導があることがあります。入札は、価格的に安いところを選ぶために競争させることです。しかし、設計はまず、建物をどのようなコンセプトで設計するのか、デザインはどのようなものにするのか等は設計士の個人的感覚の問題です。いわば、一種の芸術でもあるので、価格では評価できません。決まった設計図をどのくらいの費用で書くことができるかを競うことはできるのですが、費用を安くするためにただの真四角で、中には何もおかない設計をして、一番安いからとそれに決めることはできないのです。そこで、当然自分と同じ考え方を持った設計士とか、価格競争ではなく、コンぺティションとかいわれるような競争とか、プロポーザルといって提案してもらうことをするとかして、違う形で選ぶ方法がいいのでしょう。そして、設計が決まれば、その設計どおりの建物をいくらの費用で建築することができるかを競争させるのが入札です。私の園の入札をしてもらうに当たって、本来一般入札が好ましいのでしょうが、単純に安いところに決めるとなると考えてしまいます。それは、当然安いに越したことはないのですが、あまりに安いと本当かなあと疑ってしまいます。たとえば、構造疑惑ではありませんが、安くするために目に見えないところで手抜きをするとか、何本か鉄筋を抜くとかされてもわかりません。また、実績のない業者も支援したいとは思うのですが、たとえば、コンクリートをきちんと打てないとか、溶接がきちんとできないとかあってもわかりません。ですから、どうしても事前に入札希望業者に、実績とか、会社の規模などを提出してもらって、その中で検討し、入札業者を決める指名入札になってしまうのです。かつて、港区の保育園建設のプロポーザル選定委員長をやったことがあるのですが、この時にも実績評価について考えてしまいました。実績があるというと、どうしても大企業が有利になってしまい、たとえば新人の若い設計士の発掘をすることはできなくなるのです。価格にしても、今はただ安いのを選ぶのではなく、正当な価格をこちらで試算をし、その価格に一番近い業者を選ぶやり方が多くなっています。
このやり方は、子どもが小さかったころによく家族で参加していた「ウォークラリー」のルールに似ています。このゲームは、各グループが事前に渡されるコース図に従って進み、途中で与えられる課題を解決しながら設定された一定の時間で歩き、目的地を目指すものです。勝敗はタイム得点と課題得点の合計で決まりますが、設定時間より早く着きすぎても減点となるので急いで進む必要はありません。設定時間は、歩く速さをもとに課題解決の時間を加味して事前に設定されています。このため、オリエンテーリングのタイムレースと違ってただ速ければいいのではなく、どのくらいの時間に設定されているかも考えながら歩くのです。また、途中に「C.P.」(Check Point の略記)があり、そこにある課題は、その場所へ行くまで判らないよう設定され、自然、文化財などを対象とした題材にすることが多く、簡単なゲームを行うといった課題もあります。また、周囲の様子を観察する場所の観察ゾーンがあり、そこでの課題は、後のチェックポイントやゴール後に与えられます。自然や文化を観察しながら歩くためには、適正な時間があるのです。
適正という意味で、最近の企業プロジェクトではこんな感じです。まず企業がビルを建てるプロジェクトを立ち上げます。そのプロジェクトを総括する会社を数社のプロポーザルの中から選択します(どう総括するか)。総括する会社は適材適所に設計者を分離発注します(時代に合ったデザインと設計技術)。総括する会社は世界中の会社から建材を調達し、それを施工する会社を選択して分離発注します(技術と価格のバランス)。こうして進められたプロジェクトは30%のコストダウンとハイクオリティーを実現させた。となるのです。こんなプロジェクトが増えているのは事実です。一括入札の時代はずいぶん前に終わったのではないかと思ったりもします。
安かろう、悪かろう、では困ってしまいます。今日のブログのタイトル「適正」がとりもなおさず必要です。しかし、難しいことは言うまでもありません。「適切」「適当」「いい加減」「ファジィ」「中庸」「中辺」「平凡」「普通」「平等」・・・どれもこれも実現するには大変です。例えば「中庸」と言った場合、個別具体的にはどういうことか、ということがすぐにでも問われるところです。今日のブログで紹介された「ウォークラリー」のお話は「適正」さの一事例として参考になります。早すぎてもダメ、遅すぎてもダメ。「適正な時間」がそこには存在します。今日のブログの前半部分の保育園園舎建築にしても「適正な」設計と「適正な」建築施工が望まれることは言うまでもありません。無論、その「適正」さを支えるのが理念や意味であることも当然のことだと思いますが、この「理念や意味」を理解できないケースがなきにしもあらず。首を傾げたくなることが結構たくさんあることに驚きさえおぼえます。
今月末に国の会計監査が我が町に入ります。どうも当園の大型木製遊具についても対象になりそうなので、宮崎県の担当部署の方がここ数日やって来ます。
会計監査員(上席調査官)さんとの想定問答レクチャーと対応書類の作成及び資料の準備におわれています。決算報告書と理事会報告書類作りに忙しい時期なのですが…。
レクチャーの中で、まず言われているのが「何故、一般入札じゃないのか?」次に「指名入札した業者の選定理由は?」そして「その建物でなければならない理由は?」と続くそうです。
質問攻めにし、応えたらその度「裏付ける書類を出しなさい」となるので、県の担当者には「答えは簡潔に、付け加えない!」と釘を刺されます。
しかし、会計監査員が求めている答えは「適正」な建設構築物であるという証なのでしょう。「ウォークラリーのルール」とは考えやすい例えですね。勉強になりました。
適正というのもまた難しいですね。適正な価格、適正な時間、適正な手段なども、基準から見た適正か経験からみた適正かによって違いが出てくるはずです。安全や効用などが求められる場合は特に、きちんとした基準が定まっていないと安心できないです。同時に、受身ではなく主体性をもって判断する姿勢も適正かどうかを見極めるためには必要になると思います。