私にとって歴史の中でもっともミステリアスなものは「邪馬台国」です。そして、つぎに興味をそそるものが奈良における奇妙な石造物です。このGWに妻と二人で行った飛鳥訪問の目的のひとつに、この石造物めぐりがありました。のどかな景観が広がる飛鳥は、飛鳥川沿いにレンゲ畑のピンクに染まっていました。このあたりは、600年少し前に推古天皇が即位して以来、さまざまな政権争いが起き、激動の舞台となった地です。今は、そんな気配も残っていず、一面に広がる田園風景ですが、そこに点在する石造物は、想像力を掻き立てます。まず、橿原神宮前駅から、直接バスで、目的地へ直行しました。教科書で見てから、その圧倒的なボリューム感に感動し、一度見たいと思いつつ、なぜかその機会がなかったのが、今回長年の思いが実現しました。近づくにつれて徐々にその姿を現してきました。
巨石を積み上げたその姿は、「石舞台古墳」です。蘇我馬子の墓というのが定説になっています。最大級の石は77tもの重さがあると言われ、それらの巨石で囲まれた玄室は、長さ7.5m、幅3.4m、高さ7.7mもあります。今は、小高い丘の上に石が積み上げられたという様相ですが、実は、一辺50mの方墳で、その石の上部の封土が失われて石室が露出したものです。ブログで書いた「土舞台」のように舞台と着いているのは、狐が女に化けてこの上で舞を見せたからとか、旅芸人が芸を見せたという説があります。
そこから駅に向かって歩き始めました。歩いていく横を、レンタサイクルに乗った家族が通過していきます。自転車を借りるか迷ったのですが、結局歩くことにしました。まず訪れたのが、「酒船石」です。
これも、以前から一度見たいと思っていたものです。これは、教科書ではなく、新聞に連載された松本清張「火の路」がテレビドラマ化されたものを見て、興味を持ったのです。この小説は、古代史上最大の謎のひとつである飛鳥の石造物の解明に挑んでいます。数ある石造物は、女帝、斉明天皇の治世に突然現れ、そして消えていったことまでは大方判明していますが、毎年のように考古学的な大発見のある飛鳥でも、石造物の性格はいまだに結論を見ていません。清張氏の分身たる、主人公の大学助手の女性は、ペルシャのゾロアスター教(拝火教)のニオイを感じ取り、海を越えてイランにまで飛びますが、結局、明確にゾロアスター教へつながる証拠は見つかりませんが、飛鳥とペルシャを結びつけた国際的な大局観は大きなスケールを感じます。酒船石の発見からの30年の間に、丘陵の中腹から石垣が見つかり、ふもとには7年前の発掘で亀形石造物と小判形石造物亀の形をした石造物が出土しましたが、その新発見によってかえって謎は深まるばかりです。
酒造りに使われたとか、祭祀施設であるとか、庭園の流水設備などの諸説があります。そこから20分くらい歩くと「二面石」があります。それは、聖徳太子生誕の地「橘寺」の太子堂横にあり、左右に顔が刻まれていて、善悪の二つの顔を表していると言われます。その他境内には日月星の光を放った「三光石」も在ります。
この寺を出て少し行くと「亀石」と言う亀が笑っているように見える巨石があります。この石は今は南西を向いていますが、西を向くと奈良盆地は大洪水に見舞われるという伝説があります。そのほかにも平べったい形の「鬼の俎(まないた)」とか、真ん中が空洞になった「鬼の雪隠」があるのですが、わたしたちは、今日修復のために移動された「高松塚古墳」に急いだのでした。本物は密閉されているのですが、その鉄の壁の向こうにあると思うだけでワクワクしました。
藤森先生のワクワクした気持ちが伝わってきました。人の興味はおもしろいものだと思います。その人の関心の度合いによって、同じものを見ても見えるもの感じるものが違います。偏った見方にならないよう、できるだけ本質に近づけるよう、点検や調整が必要なんだろうと思っています。
以前、法隆寺までは行ったのですが、その周辺には足を伸ばせませんでした。GWの「飛鳥訪問」、いいですねぇ、うらやましいですねぇ。今日のブログで紹介頂いた「石舞台」古墳、2枚目の写真は教科書などで拝見したことを思い出しましたが、1枚目の全景は「石舞台」がなるほど「古墳」であることを実感させてくれます。また周囲の風景もわかっていいですねぇ。なんだかのどかな丘陵地に忽然と現れる巨石。斉明女帝の御世に突然現れ消えていった「石造物」。松本清張さんの「火の路」は読んだことがありませんが、「拝火教」への関連で話しを進めるのは私好みです。日月とか亀とか・・・西域の文明の伝来を直感します。ミステリアスですが、ロマンがありますね。